片付けブームの一環として、掃除術のあれこれも雑誌、テレビで頻繁に取り扱われている。
今朝はいつも聞いているラジオでも話題にしていた。年末のことでもあろうが、そうだ!と私が思い立ったのは、今月の中頃からグズグズと続く風邪症状を省みた結果である。ずっと風邪っぽいのでずっとおざなりな掃除で済ましていたせいではないか…
今年の年頭に唾石症を患った時に立てた生活改善、健康回復策の一つに「掃除の徹底」があった。それらを実行する内に、自然には出ないであろうと言われていた石がポロッと出て確信を持ったのに、ずっと風邪っぽいのは掃除をおざなりにしていた結果のような気がする。掃除以外にも実行できていないことだらけだ。「休む」もそうだ。12月に入って、具合が悪くて予定をキャンセルして休まざるを得なくなった一昨日まで一日も休みが無かったのだ。休みは30日まではどうしようも無いので、今はとにかく掃除に励むしか無い。
世の中には掃除教とでも言いたくなるような宗教じみた熱烈な信者のような人が居て、例えば家族が入院した時に自分がやれるのは掃除だけなのでと、病室、自宅の隅々まで徹底掃除して家族は無事快癒した話とか、ビートたけしから広まったトイレ掃除の成功譚など、枚挙にいとまが無い。私としてはこういうことが広まり、世の中がきれいに清潔になるのは大いに結構な事だと思っている。
今朝の拭き掃除は、久々に気持ちよく出来た。気持ちが晴れると良いホルモンも出るし、身体も適度に動かすことで健康に良い影響がある等々、掃除の効力は科学的には説明が出来るのだろうが、こういったことは頭で考えずに無心でやった方が気持ちが良い。
2016年12月27日
2016年12月17日
125 長く通っている店 / 行かなくなった店
昨夜は長年の友2人と女子会例会(口の悪い人は霊界と言う)。
どんなに忙しくても季節に一回くらいは会って旬の美味しい物を食べようという例会であるが、今年も皆色々あって半年ぶりになってしまった。店はこれも30年以上の長いつき合いの「こうぼう」で、きめ細かい和風創作料理が美味しい。店主のコウゾウさんは元寿司屋らしくお魚の目利きで、必ずお刺身も出してくれる。つき合いが長いからこちらの好みも分かってくれていて、お任せ料理で楽しんでいる。昨夜はウニのヒラメ巻きがとても美味しかった。
コウゾウさん夫婦は私達と同世代だしプライベートも程々に分かっていて、入り込み過ぎないで良い感じの距離を保っている。友のルミちゃんとサカサイには私のみっともない所を散々見せているので今更気取っても仕方がない仲で、気楽である。気を使わないのでつい呑み過ぎてしまうこともあるが、多忙な日常の中で一息つく瞬間だ。
こんなに長くつき合っている店は他に2軒あるかなしかだ。店主も歳を取ったり亡くなったりで閉店した店も随分ある。
逆にこちらから行かなくなった店もある。せっかく美味しい日本酒を取り揃えているのに、店主が話に入り込み過ぎて友達と行ってもろくに話も出来ずに、うっとうしくて行かなくなった下北沢の居酒屋、オーソドックスな蕎麦屋らしいメニューが美味しくて結構通ったがお客の前で大声で夫婦喧嘩し、食器をガチャガチャ洗いデッキブラシでゴシゴシ床をこする恵比寿の蕎麦屋、美味しい紅茶を出すお茶の水の路地裏の喫茶店では、店主の女性がアルバイトの子をいつも叱っていて見苦しくて行くのを止めた。行く時は行くのに催促の電話をしてくる赤坂の九州料理の居酒屋…
どこも美味しい物を出すのに残念だ。店は、味だけではなく居心地良いことも重要だ。
どんなに忙しくても季節に一回くらいは会って旬の美味しい物を食べようという例会であるが、今年も皆色々あって半年ぶりになってしまった。店はこれも30年以上の長いつき合いの「こうぼう」で、きめ細かい和風創作料理が美味しい。店主のコウゾウさんは元寿司屋らしくお魚の目利きで、必ずお刺身も出してくれる。つき合いが長いからこちらの好みも分かってくれていて、お任せ料理で楽しんでいる。昨夜はウニのヒラメ巻きがとても美味しかった。
コウゾウさん夫婦は私達と同世代だしプライベートも程々に分かっていて、入り込み過ぎないで良い感じの距離を保っている。友のルミちゃんとサカサイには私のみっともない所を散々見せているので今更気取っても仕方がない仲で、気楽である。気を使わないのでつい呑み過ぎてしまうこともあるが、多忙な日常の中で一息つく瞬間だ。
こんなに長くつき合っている店は他に2軒あるかなしかだ。店主も歳を取ったり亡くなったりで閉店した店も随分ある。
逆にこちらから行かなくなった店もある。せっかく美味しい日本酒を取り揃えているのに、店主が話に入り込み過ぎて友達と行ってもろくに話も出来ずに、うっとうしくて行かなくなった下北沢の居酒屋、オーソドックスな蕎麦屋らしいメニューが美味しくて結構通ったがお客の前で大声で夫婦喧嘩し、食器をガチャガチャ洗いデッキブラシでゴシゴシ床をこする恵比寿の蕎麦屋、美味しい紅茶を出すお茶の水の路地裏の喫茶店では、店主の女性がアルバイトの子をいつも叱っていて見苦しくて行くのを止めた。行く時は行くのに催促の電話をしてくる赤坂の九州料理の居酒屋…
どこも美味しい物を出すのに残念だ。店は、味だけではなく居心地良いことも重要だ。
2016年12月7日
124 「忠臣蔵」三昧
昨日は文楽版の前半を観に行く。その気になれば後半も16時半から観られるのだが、10時間に及ぶ公演を観る体力に自信が無く、後半は後日に譲った。NYへ行く飛行機に乗ったつもりになって一気に観ようかとも一度は考えたが、飲んだり食べたり眠ったりの12、3時間と舞台鑑賞では大いに違う。今回の5時間でも最後は腰がきつかった。それにも拘わらず、10時間余りを一日通しで観る人もかなりいたようで、小耳にはさんだところによると、地方から来た方々の多くは一日で鑑賞していくようだった。それくらい、完全通し上演はかなり珍しいのだ。
今月中に、文楽の後半と歌舞伎の第3部を観に行くのだが、これほどの「忠臣蔵」浸けは私にとって最初で最後だろう。完全通しということで普段はめったに上演されない場面もあって、大変興味深い。残りが楽しみだ。
2016年11月27日
123 観劇マナー
月に10本くらい舞台を観ることはあるが、1週間に5本というのはちょっと過密かもしれない。
能2本「烏帽子折」「道成寺」、歌舞伎「忠臣蔵」、演劇「天使も噓をつく」「零れる果実」の5本を今週は観た。それぞれに素晴らしく、そういう意味でも密度の濃い1週間だった。
だが、マナーが悪いというか、変わった人達をこれほど見かけたことがない1週間でもあった。
「烏帽子折」は子方の集大成とも言われる能だが主役の義経を演じる長山凛三君がその名の通り、凛々しく美しい。国立能楽堂の脇正面2列目で職場のスタッフと2人で鑑賞する。普段はあまりこんなに前方では観ないが、席はその時の運と出会いなので近くから観ることを楽しむことにした。ところが、私達の丁度前の席の老年夫婦のご主人らしき人がキョロキョロと客席を見回し、頭を動かすので視界に入って落ち着かない。奥さんらしき女性は着物のせいにしろかなり前のめりで、しかも時々こっくりこっくりとうたた寝して頭を動かす。こういう人は何も一番前で観なくても良いのになあと思うが、休憩の時に「あれは病気に違いない」(チックとか、前を向いていられない症状)とスタッフと結論に達して、そう考えると気の毒でもあり、気分を変えて舞台に集中した。凛三君の10歳というこの年齢の美しさは今しか観られないのだ。
「道成寺」のシテは観世喜正師。芸は元より人柄も含めてこれからの能楽界を背負って立つ方だと私は信じている。社会性もあり、従来の能ファンだけではない一般のお客様も呼ぶことが出来る方なので、この日も国立能楽堂は満員御礼であった。能楽堂ではちょっと前までは謡本を見ながら観劇をしている人をよく見かけたものだが、最近はそういう人は少なくなり、まして喜正師の公演では見かけなかったものだが、何と隣と前に居た! 隣の男性はずっと謡本に目を落としている。舞台を観て!と心の中で叫ぶ。何てもったいないことだろう。前の席の中学生くらいの女の子は席にズルッともたれて謡本を顔の前に掲げている。時々振り向き、後ろの席で私の隣席の祖母らしき女性に内容を聞いている。演能中である! おまけに、ささやき声の発声が出来ないので、丸聞こえで邪魔で仕方ない。その祖母たるや一度もきちんと座りもせず、その孫娘らしき子の席の背もたれに肘を乗せてちょっかいを出している。その女の子の隣の席の二人は時々祖母の方を振り返りながら抗議の視線を送っていたが、老女は知らんぷりであった。こんな調子では堪らないので、見所の乱拍子が始まる前に注意しようと思っていたら、さすがに芸の力は凄い。迫力ある乱拍子に客席が水を打ったようにシーンとなっている時は件の二人も舞台に集中していた。そのうち謡本に目を落とそうとした孫娘に「そろそろ鐘入りだよ、しっかり観なさい」とオババがのたまう。教えているつもりか?!やれやれ…
女の子はきっと祖母の勧めで謡の稽古を始めたのだろう。それ自体は結構なことではあるが、その前に教えることがあるのではありませんか!と言いたくなるような一件であった。
「忠臣蔵」を観に行った国立劇場でもやれやれだった。まず隣席の女性がずっとプログラムを読んでいて舞台を観ない。菊五郎が勘平の名科白をはく名場面も、菊之助のお軽の美しい所作事もほとんど観ない。他人の事ながら何しに来たんだ!?と残念だ。今回は「とちり席」の花道寄りが取れていて、特等席なので料金だってお高いのだ。もったいないことだ。
その女性の前の席の人も笑える。ささやき声が出来なくて、隣の友人らしき人に大声で喋りかける。松緑に大向うから「紀尾井町!」声がかかると「今でも紀尾井町に住んでいるのかね?」とか、そんな調子である。ただ、この女性はお昼休みの後は、ほとんど眠っていたので、後は静かだった。その隣の女性がまた凄い。静かな場面で皆が集中しているところに何かを捜し始めたのか、レジ袋の音をガサゴソし始めた。これが結構響くのだ。周りの人は皆イラっとしたはずで、振り向く人もいる。すぐ止めるだろうと我慢していたが、ガサガサガサガサ、ゴソゴソゴソゴソ、…と永遠に続くかと思うほどだ。さすがに、彼女の前の席の人が「ウルサイですよ!」と注意してくれた。
能や歌舞伎はオバサンが多いので、こういった事もままあるが、社会派を標榜し演劇好きの人が集まる劇団燐光群の公演にはまさかそんな人はいないだろうと出かけた「天使も嘘をつく」だったが、来ました!隣に。歳は20代中頃か、長い黒髪の背の高い女性だ。この女性が開演前から落ち着かない。足を何度も組み換え、その度に床に足をドンと下す。会場の座高円寺の客席は可動式なので動きによっては結構揺れる。暗いし照明機具も沢山ぶら下がっており、劇場は地震に出会いたくない場所の一つである。だから、貧乏ゆすりをする人が隣に座ったりすると最悪だ。隣の彼女がドンドンと足を下す度に席が揺れてやな感じだ。開演してからも同じようにする。おまけに長い髪を手ぐしで何度もすくい頭を前後左右に揺らす。とにかく落ち着かない。さらに膝の上にノートを置き、時々何やら書いている。書くより観ろよ!あまり身体を動かすので後ろの人も邪魔だったらしく、時々小さな咳払いして注意していたが、聞く耳を持たない彼女だった。これも多動性の病気に違いないと思って途中から諦めたが、心落ち着かせて観劇出来ないのは残念である。
まあ、世の中には色々な人がいるので、こういった場合は早々に諦めて、舞台に没入するに限る。
今週観た物は、集中に価する物ばかりだったので、それは幸福なことであった。
能2本「烏帽子折」「道成寺」、歌舞伎「忠臣蔵」、演劇「天使も噓をつく」「零れる果実」の5本を今週は観た。それぞれに素晴らしく、そういう意味でも密度の濃い1週間だった。
だが、マナーが悪いというか、変わった人達をこれほど見かけたことがない1週間でもあった。
「烏帽子折」は子方の集大成とも言われる能だが主役の義経を演じる長山凛三君がその名の通り、凛々しく美しい。国立能楽堂の脇正面2列目で職場のスタッフと2人で鑑賞する。普段はあまりこんなに前方では観ないが、席はその時の運と出会いなので近くから観ることを楽しむことにした。ところが、私達の丁度前の席の老年夫婦のご主人らしき人がキョロキョロと客席を見回し、頭を動かすので視界に入って落ち着かない。奥さんらしき女性は着物のせいにしろかなり前のめりで、しかも時々こっくりこっくりとうたた寝して頭を動かす。こういう人は何も一番前で観なくても良いのになあと思うが、休憩の時に「あれは病気に違いない」(チックとか、前を向いていられない症状)とスタッフと結論に達して、そう考えると気の毒でもあり、気分を変えて舞台に集中した。凛三君の10歳というこの年齢の美しさは今しか観られないのだ。
「道成寺」のシテは観世喜正師。芸は元より人柄も含めてこれからの能楽界を背負って立つ方だと私は信じている。社会性もあり、従来の能ファンだけではない一般のお客様も呼ぶことが出来る方なので、この日も国立能楽堂は満員御礼であった。能楽堂ではちょっと前までは謡本を見ながら観劇をしている人をよく見かけたものだが、最近はそういう人は少なくなり、まして喜正師の公演では見かけなかったものだが、何と隣と前に居た! 隣の男性はずっと謡本に目を落としている。舞台を観て!と心の中で叫ぶ。何てもったいないことだろう。前の席の中学生くらいの女の子は席にズルッともたれて謡本を顔の前に掲げている。時々振り向き、後ろの席で私の隣席の祖母らしき女性に内容を聞いている。演能中である! おまけに、ささやき声の発声が出来ないので、丸聞こえで邪魔で仕方ない。その祖母たるや一度もきちんと座りもせず、その孫娘らしき子の席の背もたれに肘を乗せてちょっかいを出している。その女の子の隣の席の二人は時々祖母の方を振り返りながら抗議の視線を送っていたが、老女は知らんぷりであった。こんな調子では堪らないので、見所の乱拍子が始まる前に注意しようと思っていたら、さすがに芸の力は凄い。迫力ある乱拍子に客席が水を打ったようにシーンとなっている時は件の二人も舞台に集中していた。そのうち謡本に目を落とそうとした孫娘に「そろそろ鐘入りだよ、しっかり観なさい」とオババがのたまう。教えているつもりか?!やれやれ…
女の子はきっと祖母の勧めで謡の稽古を始めたのだろう。それ自体は結構なことではあるが、その前に教えることがあるのではありませんか!と言いたくなるような一件であった。
「忠臣蔵」を観に行った国立劇場でもやれやれだった。まず隣席の女性がずっとプログラムを読んでいて舞台を観ない。菊五郎が勘平の名科白をはく名場面も、菊之助のお軽の美しい所作事もほとんど観ない。他人の事ながら何しに来たんだ!?と残念だ。今回は「とちり席」の花道寄りが取れていて、特等席なので料金だってお高いのだ。もったいないことだ。
その女性の前の席の人も笑える。ささやき声が出来なくて、隣の友人らしき人に大声で喋りかける。松緑に大向うから「紀尾井町!」声がかかると「今でも紀尾井町に住んでいるのかね?」とか、そんな調子である。ただ、この女性はお昼休みの後は、ほとんど眠っていたので、後は静かだった。その隣の女性がまた凄い。静かな場面で皆が集中しているところに何かを捜し始めたのか、レジ袋の音をガサゴソし始めた。これが結構響くのだ。周りの人は皆イラっとしたはずで、振り向く人もいる。すぐ止めるだろうと我慢していたが、ガサガサガサガサ、ゴソゴソゴソゴソ、…と永遠に続くかと思うほどだ。さすがに、彼女の前の席の人が「ウルサイですよ!」と注意してくれた。
能や歌舞伎はオバサンが多いので、こういった事もままあるが、社会派を標榜し演劇好きの人が集まる劇団燐光群の公演にはまさかそんな人はいないだろうと出かけた「天使も嘘をつく」だったが、来ました!隣に。歳は20代中頃か、長い黒髪の背の高い女性だ。この女性が開演前から落ち着かない。足を何度も組み換え、その度に床に足をドンと下す。会場の座高円寺の客席は可動式なので動きによっては結構揺れる。暗いし照明機具も沢山ぶら下がっており、劇場は地震に出会いたくない場所の一つである。だから、貧乏ゆすりをする人が隣に座ったりすると最悪だ。隣の彼女がドンドンと足を下す度に席が揺れてやな感じだ。開演してからも同じようにする。おまけに長い髪を手ぐしで何度もすくい頭を前後左右に揺らす。とにかく落ち着かない。さらに膝の上にノートを置き、時々何やら書いている。書くより観ろよ!あまり身体を動かすので後ろの人も邪魔だったらしく、時々小さな咳払いして注意していたが、聞く耳を持たない彼女だった。これも多動性の病気に違いないと思って途中から諦めたが、心落ち着かせて観劇出来ないのは残念である。
まあ、世の中には色々な人がいるので、こういった場合は早々に諦めて、舞台に没入するに限る。
今週観た物は、集中に価する物ばかりだったので、それは幸福なことであった。
2016年11月17日
122 タオル整理 / 目からウロコのタオル術
もらって困る物にタオルがある。気に入った物ならともかくも、使う気にもならない物がどんどん増えてしまう。消耗品でもあるタオルは、贈りやすい物の一つなのだろう。通販のおまけに付いてきたりもする。台拭きでも雑巾にでも使えば良いのではないかというが、雑巾ばかりそうも要らない。増えてしまったタオルは前回の引越しの折に犬の救援センターに寄付をして使ってもらったが、今回の整理でまた、余備の物をいれるプラスチックケースがいっぱいになってしまった。
今回は、念願だった「タオルはフェイスタオルだけにする」という目的を果たした。バスタオルは使わないのだ。これは数年前に職場のスタッフが母親の教えだと言って話してくれたのがきっかけだった。大きくて使い難いバスタオルを使うよりフェイスタオルを2枚使った方が合理的であることを教えてくれたのだ。目からウロコであった。私たちの世代は特に西洋的な生活の憧れの物の一つとして「バスタオル幻想」があると思うが、元はと言えば「手拭い一本」で済ませていたのが日本人ではないのか。ちょっと前までは温泉旅館に泊まると手拭い(薄いタオル)一本が用意されているだけだった。温泉の脱衣所に風情が無くなったのは、バスタオルのせいではないかと思うくらいだ。
バスタオルよりフェイスタオルをという提唱は、日本的発想だと思いきや、ドイツのカリスマ主婦と言われる女性も同じことを勧めているのをその後知り、合理性は洋の東西を問わないのだと感心したものだった。
手拭いはすぐ乾くし場所も取らない便利な物だが、柔らかなタオルに顔をうずめる幸福感も捨てがたく、私は気に入りのタオルを少しだけ手元に残すことにした。今一番の気に入りはオーガニックコットンの「天衣無縫」だ。軽くて肌触りが素晴らしく、吸水性も良い。超長綿という特別の品種が原料で製造過程もオーガニックにこだわった物だから安心でもある。大量生産が出来ないので、販売店に行っても品切れのこともある。先日ついでがあった折に売り場を覗くとたまたまあったので、2枚購入して新調した。他に残す物としては、良い物をよく知っている人からの贈物である今治タオルの「エコモコタオル」など、どれも使い心地が良くオーガニックの物ばかりをチョイスして計10枚。これだと丁度、整理タンスの引き出し一杯に収まる。
タオル術でもう一つ感心したことに、「首にタオルを巻いて寝る」ということがある。御年93歳で歌舞伎ワークショップを主催している塩崎浩先生が推奨していて、奥様と共にこれを実行して以来20年間は風邪一つひいたことはないそうで、実際かくしゃくとして大変お元気だ。真似をして始めたものの、タオルでは何となくおしゃれじゃないような気がして(寝姿など見せる人は誰もいないのだけど)、スカーフにしたり、ネックウォーマーなる物を試したりしたが、いずれもグズグズと丸まってしまい肌が露出した所がスースーして寒い。結局、タオルが一番適していることにも気がついたのであった。
今回は、念願だった「タオルはフェイスタオルだけにする」という目的を果たした。バスタオルは使わないのだ。これは数年前に職場のスタッフが母親の教えだと言って話してくれたのがきっかけだった。大きくて使い難いバスタオルを使うよりフェイスタオルを2枚使った方が合理的であることを教えてくれたのだ。目からウロコであった。私たちの世代は特に西洋的な生活の憧れの物の一つとして「バスタオル幻想」があると思うが、元はと言えば「手拭い一本」で済ませていたのが日本人ではないのか。ちょっと前までは温泉旅館に泊まると手拭い(薄いタオル)一本が用意されているだけだった。温泉の脱衣所に風情が無くなったのは、バスタオルのせいではないかと思うくらいだ。
バスタオルよりフェイスタオルをという提唱は、日本的発想だと思いきや、ドイツのカリスマ主婦と言われる女性も同じことを勧めているのをその後知り、合理性は洋の東西を問わないのだと感心したものだった。
手拭いはすぐ乾くし場所も取らない便利な物だが、柔らかなタオルに顔をうずめる幸福感も捨てがたく、私は気に入りのタオルを少しだけ手元に残すことにした。今一番の気に入りはオーガニックコットンの「天衣無縫」だ。軽くて肌触りが素晴らしく、吸水性も良い。超長綿という特別の品種が原料で製造過程もオーガニックにこだわった物だから安心でもある。大量生産が出来ないので、販売店に行っても品切れのこともある。先日ついでがあった折に売り場を覗くとたまたまあったので、2枚購入して新調した。他に残す物としては、良い物をよく知っている人からの贈物である今治タオルの「エコモコタオル」など、どれも使い心地が良くオーガニックの物ばかりをチョイスして計10枚。これだと丁度、整理タンスの引き出し一杯に収まる。
タオル術でもう一つ感心したことに、「首にタオルを巻いて寝る」ということがある。御年93歳で歌舞伎ワークショップを主催している塩崎浩先生が推奨していて、奥様と共にこれを実行して以来20年間は風邪一つひいたことはないそうで、実際かくしゃくとして大変お元気だ。真似をして始めたものの、タオルでは何となくおしゃれじゃないような気がして(寝姿など見せる人は誰もいないのだけど)、スカーフにしたり、ネックウォーマーなる物を試したりしたが、いずれもグズグズと丸まってしまい肌が露出した所がスースーして寒い。結局、タオルが一番適していることにも気がついたのであった。
2016年11月8日
121 〇
〇
この数年この時期、毎年恒例になった出雲参りに明日の早朝から出かける。旧暦神無月の今月は出雲では神在月で、八百万の神が出雲に参集すると言う。明日9日は神々が集まり始める日だそうで、今年は特別な年でもあるらしい。先導者が同行してくれるので、従っていれば間違いがない。
この数年この時期、毎年恒例になった出雲参りに明日の早朝から出かける。旧暦神無月の今月は出雲では神在月で、八百万の神が出雲に参集すると言う。明日9日は神々が集まり始める日だそうで、今年は特別な年でもあるらしい。先導者が同行してくれるので、従っていれば間違いがない。
2016年10月30日
120 夏服整理はほぼ完成
10月に入っても夏日が2日程あり、9月はほとんど夏だった。それでも季節感からさすがに真夏に着る服に腕は通さなかったけれど、なかなか夏服の整理が出来ないでいた。昨日、今日の寒さはまるで冬。近頃の日本の気候に心地よい春も秋も無くなってしまったことを嘆きつつ、夏服の整理をする。
何よりも自分でも驚いていることは、今年は何も購入しなかったことである。こんな事は物心ついて初めてかもしれない。誰でも大抵Tシャツや靴下の一枚くらいは買うだろう。片付けの為に我慢した訳では無いし、元より、節約生活が私の目的ではないが、洋服が少なくなって風通しが良くなると、全体が見えて着られる服が見繕いし易くなったのだ。今まではあることを忘れて同じような物を買ってしまう失敗を何度も繰り返した。
今年もまた渋谷区のリサイクル拠点回収に14点出し、ゴミ処分するのは3点程だ。結果、夏服は42点になった。まだ余分だと思える物もあるが、最初の整理の時は116点あったので2年かけてやっと三分の一になったのだ。「フランス人の10着」にはほど遠いが、全体が見えているのでいつでもバサッとやれる自信が出来た。ここまで来ればほぼ完成と言っても良いかなと独り言ちている。
若い頃は洋服が増えるのが嬉しかったが、今は減って喜んでいるのだから皮肉なものである。
何よりも自分でも驚いていることは、今年は何も購入しなかったことである。こんな事は物心ついて初めてかもしれない。誰でも大抵Tシャツや靴下の一枚くらいは買うだろう。片付けの為に我慢した訳では無いし、元より、節約生活が私の目的ではないが、洋服が少なくなって風通しが良くなると、全体が見えて着られる服が見繕いし易くなったのだ。今まではあることを忘れて同じような物を買ってしまう失敗を何度も繰り返した。
今年もまた渋谷区のリサイクル拠点回収に14点出し、ゴミ処分するのは3点程だ。結果、夏服は42点になった。まだ余分だと思える物もあるが、最初の整理の時は116点あったので2年かけてやっと三分の一になったのだ。「フランス人の10着」にはほど遠いが、全体が見えているのでいつでもバサッとやれる自信が出来た。ここまで来ればほぼ完成と言っても良いかなと独り言ちている。
若い頃は洋服が増えるのが嬉しかったが、今は減って喜んでいるのだから皮肉なものである。
処分する物もだんだん少なくなってきた |
2016年10月20日
119 誕生日
昨日は誕生日だった。
朝一番ベッドの中でつけたラジオから、KatyPerryの「Birthday」が流れる。偶然とは言えあまりにもタイムリーで、Katyのソフトボイス「happy birthday」に文字通り、ハッピーな気持ちで目覚める。パソコンに電源を入れるとここにも誕生日を祝うイラストが…そして、facebookには、沢山の人からお祝いメールが来ている。自分の誕生日も忘れかねない(忘れたい?)歳になったが、世間が忘れさせてくれない。有難いのか、どうか…
まずはせめてと思いつき、疲れ切った自分の身体へのプレゼントとして、「MRT恵比寿」へ仙骨の調整に行く。
午後から出かけた「石橋幸コンサート」のリハーサル会場では、アコーディオンの後藤ミホコさんから拍手で迎えられ、彼女には私の大好きな「こけし屋」のレーズンパイをプレゼントしてもらう。
21日の本番が迫っているので、メンバーとは連日顔を合わせていて、石橋幸とコントラバスの河崎純君とギターの小沢あき君からは、前日に「happy birthday to you」の演奏をプレゼントしてもらった。プロのミュージシャンの生演奏で一人貸し切り状態で、贅沢この上ない。
今年は、誕生日が近い頃から何故か「門松は冥土の旅の一里塚」の一休の狂歌が、頭にちらついていた。昔は大晦日に歳をとったので、正月は誕生日でもある。この歌を若い頃は、老人の悲哀の気持ちが込められた歌と思っていたが、歳をとった今はそうネガティブな句ではないと思うようになった。一歩一歩あの世に近づき、残り少なくなって行く日々をどう生きるかを考えるのは悪くはない。大事な時を自分の身体と心を楽しませることだけに使いたい、と思うのは幸せなことだ。暇を持て余すヒマはない。「お楽しみはこれからだ」なのだ。時が永遠とも思えた若い頃には思いもしなかったことで、今は一時一時が大切だ。これからは更にそうなることだろう。
と言いながら、これからも毎日を忙殺されて過ごすことにそう変わりはないだろうが、誕生日という節目にそう考え、感慨にふけるのも誕生日の意義なのかもしれない。
朝一番ベッドの中でつけたラジオから、KatyPerryの「Birthday」が流れる。偶然とは言えあまりにもタイムリーで、Katyのソフトボイス「happy birthday」に文字通り、ハッピーな気持ちで目覚める。パソコンに電源を入れるとここにも誕生日を祝うイラストが…そして、facebookには、沢山の人からお祝いメールが来ている。自分の誕生日も忘れかねない(忘れたい?)歳になったが、世間が忘れさせてくれない。有難いのか、どうか…
まずはせめてと思いつき、疲れ切った自分の身体へのプレゼントとして、「MRT恵比寿」へ仙骨の調整に行く。
午後から出かけた「石橋幸コンサート」のリハーサル会場では、アコーディオンの後藤ミホコさんから拍手で迎えられ、彼女には私の大好きな「こけし屋」のレーズンパイをプレゼントしてもらう。
21日の本番が迫っているので、メンバーとは連日顔を合わせていて、石橋幸とコントラバスの河崎純君とギターの小沢あき君からは、前日に「happy birthday to you」の演奏をプレゼントしてもらった。プロのミュージシャンの生演奏で一人貸し切り状態で、贅沢この上ない。
今年は、誕生日が近い頃から何故か「門松は冥土の旅の一里塚」の一休の狂歌が、頭にちらついていた。昔は大晦日に歳をとったので、正月は誕生日でもある。この歌を若い頃は、老人の悲哀の気持ちが込められた歌と思っていたが、歳をとった今はそうネガティブな句ではないと思うようになった。一歩一歩あの世に近づき、残り少なくなって行く日々をどう生きるかを考えるのは悪くはない。大事な時を自分の身体と心を楽しませることだけに使いたい、と思うのは幸せなことだ。暇を持て余すヒマはない。「お楽しみはこれからだ」なのだ。時が永遠とも思えた若い頃には思いもしなかったことで、今は一時一時が大切だ。これからは更にそうなることだろう。
と言いながら、これからも毎日を忙殺されて過ごすことにそう変わりはないだろうが、誕生日という節目にそう考え、感慨にふけるのも誕生日の意義なのかもしれない。
2016年10月12日
118 この92歳にはとても驚いた! / 佐藤愛子
今春、静養の為に出かけた旅に携帯したのが、佐藤愛子の『ああ面白かったと言って死にたい』と、買ったまま読まずにいた『晩鐘』の2冊だった。佐藤愛子は好きな作家の一人で、威勢がよくて読むと元気が出て励まされるからだ。
ただ、旅先で読むには『晩鐘』は厚すぎて、やはり開く気にはなれなかった。『ああ面白かった~』の方は、今までの作品から編集者が拾い集めたという箴言集とかで、これも上っ面ばかりで面白くない。一つの流れの中にある一かけらの言葉だけを掬い上げても、全体が見えず全く響いてこないのだ。言葉とは、書かれたその形の中でこそ活きるのであろう。結局、本はそのまま積読状態だった。
先日ある雑誌をパラパラとめくっていたら、佐藤愛子の近影が載っていて、その若さ、美しさ、かっこよさに驚嘆した。しかもお馴染みの着物姿では無く、洋装。年配向けでは無いデザインのジャケットとパンツだ。姿勢も良く、堂々としている。元々、美人ではあるが更にきれいになったような気がする。そのお姿を見ただけで、すっかり元気になった私はやっと『晩鐘』を手にした。そして、この長編をあっという間に読んでしまった。
大変な大作である。佐藤愛子の私小説でもあり、戦後の貧乏な文学青年達の群像劇としても読めてとても味わい深い。面白い小説は、最後にカタルシスを覚える物であると私は思っているが、この作品は、それを充分に満たす物であった。
佐藤愛子はこの長編を88歳から書き始めて2年間で書き上げたという。まさに偉業だ。今この歳で取りかかれずに何ヶ月も放っておいた私である。88歳で果たして読めるだろうか…ましてや書くなんてことはおそらく不可能だ。凄いとしか言いようがない。
先日、特養の母に会いに行ったばかりだが、母は佐藤愛子と同世代、2歳下だ。この面影の違いは情け容赦もない。だが、「そのように生きてきた」と受け入れる外はないのだ。『晩鐘』が教えてくれるものはそういったことでもある。
ただ、旅先で読むには『晩鐘』は厚すぎて、やはり開く気にはなれなかった。『ああ面白かった~』の方は、今までの作品から編集者が拾い集めたという箴言集とかで、これも上っ面ばかりで面白くない。一つの流れの中にある一かけらの言葉だけを掬い上げても、全体が見えず全く響いてこないのだ。言葉とは、書かれたその形の中でこそ活きるのであろう。結局、本はそのまま積読状態だった。
先日ある雑誌をパラパラとめくっていたら、佐藤愛子の近影が載っていて、その若さ、美しさ、かっこよさに驚嘆した。しかもお馴染みの着物姿では無く、洋装。年配向けでは無いデザインのジャケットとパンツだ。姿勢も良く、堂々としている。元々、美人ではあるが更にきれいになったような気がする。そのお姿を見ただけで、すっかり元気になった私はやっと『晩鐘』を手にした。そして、この長編をあっという間に読んでしまった。
大変な大作である。佐藤愛子の私小説でもあり、戦後の貧乏な文学青年達の群像劇としても読めてとても味わい深い。面白い小説は、最後にカタルシスを覚える物であると私は思っているが、この作品は、それを充分に満たす物であった。
佐藤愛子はこの長編を88歳から書き始めて2年間で書き上げたという。まさに偉業だ。今この歳で取りかかれずに何ヶ月も放っておいた私である。88歳で果たして読めるだろうか…ましてや書くなんてことはおそらく不可能だ。凄いとしか言いようがない。
先日、特養の母に会いに行ったばかりだが、母は佐藤愛子と同世代、2歳下だ。この面影の違いは情け容赦もない。だが、「そのように生きてきた」と受け入れる外はないのだ。『晩鐘』が教えてくれるものはそういったことでもある。
2016年10月3日
117 この84歳はとても素敵だ! / 岸恵子
チケットを譲ってくれる人がいて、岸恵子の一人芝居「わりなき恋」を観に行ってきた。岸恵子は好きな女優の一人であり、その生き方を含めて憧れの人でもある。
満席の客席は約2000人でびっしり埋まっている。さすがにスター女優と呼ばれる人である。圧倒的に中高年の女性が多い。男性は本当に少なくチラホラだ。不思議な客層で、私がいつも行く新劇、小劇場、アングラの客層と明らかに違う。能、歌舞伎を観に行く層ともちょっと違う。開演前の客席の騒めきもあまりうるさくなく、観劇中のマナーも悪くなかった。オバサンがこれだけ集まっていれば、マナートラブルが起こったりするのだけど、不思議な静けさだった。類は友を呼ぶで岸恵子のファンはお上品な人が多いのかもしれない。
さて舞台はというと、舞台女優でもない人に一人芝居をやらせようなんて土台無理な話で、元より演技力に期待をかけるタイプの女優でもない。だが、随所に工夫は凝らしているので、最後まで飽きることなく観ることが出来た。そして、何よりも岸恵子の美しさである。その現実離れをした美しさはどんな卓越した演技力を持った女優でも決して作れない。そこに存在するだけで充分なのだ。
観劇の後、私の後ろのオバサマ二人組が歩きながら言う。「きれいだったわねえ。あの方幾つだったかしら?」「だってもう…私たちより10歳上なんだから…」「姿勢がとても良かったわね。私たちも頑張りましょうね!」 って、おいおい…
憧れとは?と思う。へたな努力をしても足元にも及ばないからこその憧れの対象である。現実離れをしていればいるほど憧れは勝る。真似しようなどとは思わない。ただ憧れるだけ。憧れの人の存在は、人を幸福な気持ちにさせてくれるのだなあと改めて思う。
満席の客席は約2000人でびっしり埋まっている。さすがにスター女優と呼ばれる人である。圧倒的に中高年の女性が多い。男性は本当に少なくチラホラだ。不思議な客層で、私がいつも行く新劇、小劇場、アングラの客層と明らかに違う。能、歌舞伎を観に行く層ともちょっと違う。開演前の客席の騒めきもあまりうるさくなく、観劇中のマナーも悪くなかった。オバサンがこれだけ集まっていれば、マナートラブルが起こったりするのだけど、不思議な静けさだった。類は友を呼ぶで岸恵子のファンはお上品な人が多いのかもしれない。
さて舞台はというと、舞台女優でもない人に一人芝居をやらせようなんて土台無理な話で、元より演技力に期待をかけるタイプの女優でもない。だが、随所に工夫は凝らしているので、最後まで飽きることなく観ることが出来た。そして、何よりも岸恵子の美しさである。その現実離れをした美しさはどんな卓越した演技力を持った女優でも決して作れない。そこに存在するだけで充分なのだ。
観劇の後、私の後ろのオバサマ二人組が歩きながら言う。「きれいだったわねえ。あの方幾つだったかしら?」「だってもう…私たちより10歳上なんだから…」「姿勢がとても良かったわね。私たちも頑張りましょうね!」 って、おいおい…
憧れとは?と思う。へたな努力をしても足元にも及ばないからこその憧れの対象である。現実離れをしていればいるほど憧れは勝る。真似しようなどとは思わない。ただ憧れるだけ。憧れの人の存在は、人を幸福な気持ちにさせてくれるのだなあと改めて思う。
2016年9月23日
116 古いハガキの処分
ハガキ、手紙類も片付け難い物だ。
私は以前は筆まめでよく手紙を書き、やり取りを沢山していたので、大量に残っている。先日処分したプログラム類と同じで「懐かしさのあまり読みふけってしまったら、片付けにならないのではないか」と思い込み、手がつけられなかったのだが、プログラム類が思いの外あっさり片付けられたので、今回はハガキに手を付けることにした。ハガキは短文でもあるし、読んだとしても時間もかからないだろう。この大量の物も、私のことだからハガキファイルにきちんと整理してある。一冊400枚で三冊、ざっと1000枚!よくもまあ溜め込んだものだ。だが今までファイルを開いたことも無かった。やはり「いつか」は無いのだ。
ファイルをパラパラとめくると、長いつき合いの人、今はもうあまりつき合いの無い人、懐かしい人々がそこに居る。亡くなった人も何人か居る。年賀状に家族写真を使う人も多い。他人の家の子どもの写真なんて見たくもないと言う人もいるが、私は大好きだ。子どもの成長を見るのは楽しい。子どもが大きくなり自我が芽ばえると嫌がるせいか、自然消滅していくのもこの「家族の肖像」の特徴だ。
外国から届いた珍しい風景の絵ハガキや、きれいな絵や写真の物は画集のように見ようとまとめてあったが、結局はゆっくり見返すことは無かった。印象的なものは見るまでも無く、心に残っている。やはり、モノをよすがにする必要は無いのだ。
それでも残したいと思った物がいくつかあった。私が落ち込んでいた時に励まし慰めてくれた心温まる物、幼い頃の姪や甥たちの可愛らしい字や文、既成の絵ハガキには無い個人的な写真の物、等々…これは時々見ても良いかな…私に元気をくれそうだ。さて、それをどうするか?
世の片付け名人達の助言に従うならば、スキャンをするという方法が良いようだ。なるほど、場所を取らない。同じく、写真もそうした方が良いようだが、まだまだ片付けの道は遠い。
2016年9月14日
115 童謡に泣く
知人の音楽プロデューサー望月芳子さんに招かれて、「童謡誕生ストーリー」というタイトルのコンサートに行ってきた。私は日頃から、日本のわらべ歌、童謡、子守唄はもっと歌われるべきだと思っているので、童謡の成り立ちを時代の検証と共に時系列に追っていくというこのシリーズには大変興味を持っていた。今回はその2話ということで、大正から戦時下の時代に作られた歌が中心だった。
「お山の杉の子」「里の秋」は戦意高揚の歌詞が戦後は書き換えられて歌われているのは有名な話だが、しみじみと哀愁のある「里の秋」は、父を南洋の戦地に送った少年と母の銃後の歌である。当時、日本の各地ではこのような母子の姿が沢山あったに違いない。
ふと気が付くと、通路を挟んだ隣の席の70代とおぼしき男性がすすり泣いている。その前の席の女性もハンカチを目に当てている。涙が出るのは歌の内容のメロドラマ的哀れさによってではなく、自分の思い出によって別の情緒が揺さぶられるのだろう。
かく言う私も、いくつかの歌に自分の記憶が重なり涙がこぼれた。それは決して悲しい涙などではなく、カタルシスにも似た温かいものであった。
「お山の杉の子」「里の秋」は戦意高揚の歌詞が戦後は書き換えられて歌われているのは有名な話だが、しみじみと哀愁のある「里の秋」は、父を南洋の戦地に送った少年と母の銃後の歌である。当時、日本の各地ではこのような母子の姿が沢山あったに違いない。
ふと気が付くと、通路を挟んだ隣の席の70代とおぼしき男性がすすり泣いている。その前の席の女性もハンカチを目に当てている。涙が出るのは歌の内容のメロドラマ的哀れさによってではなく、自分の思い出によって別の情緒が揺さぶられるのだろう。
かく言う私も、いくつかの歌に自分の記憶が重なり涙がこぼれた。それは決して悲しい涙などではなく、カタルシスにも似た温かいものであった。
2016年9月4日
114 〇
〇
珍しく風邪をひいたら、思いがけずぐずぐずと長引いている。元気ではあるのだけど、どうもすっきりしない。今日は完全OFFなので、やらなければいけないことを頭の外に追い出して、ゴロゴロ、ボーッとして過ごそうと思う。こういう何もしないグダグダ日を月に一日くらい作らないと、心と身体のバランスが取れなくなってきている。
珍しく風邪をひいたら、思いがけずぐずぐずと長引いている。元気ではあるのだけど、どうもすっきりしない。今日は完全OFFなので、やらなければいけないことを頭の外に追い出して、ゴロゴロ、ボーッとして過ごそうと思う。こういう何もしないグダグダ日を月に一日くらい作らないと、心と身体のバランスが取れなくなってきている。
2016年8月24日
113 究極の箒と出会う
「人生に3本もあれば充分」と言われるほど丈夫で、細部の美しさまで手間をかけた職人仕事のほどこされた棕櫚の箒を購入した。この棕櫚の箒は座敷箒として使い込んだら、玄関、庭箒と移しながら使い続ければ、一生物だということである。人生のラスト3コーナーを回り始めた私にとっては、この1本が生涯の物になることだろう。高田耕造商店の物で、ちょっとした電気掃除機が買える値段だ。この箒は、セットのちり取りを差し込んで裏返しして吊るすと、何かアフリカの楽器みたいで、箒に見えないのも気に入った。
実は昨年の引越しで20年使い込んだお気に入りの掃除機を処分し、箒、ハタキ(これはハンディモップだけれど)、雑巾の、昔ながらの掃除方法に変えてみた。どうしても掃除機が使いたくなったら買えばいいことだと思って一年過ぎたが、不自由さを感じることはなかった。むしろ、掃き出し、拭き清めのこの掃除方法の方が、掃除の後の気分の清々しさは勝るような気がする。現代でも、神社仏閣、能舞台など神聖な所は、掃き、拭き清められ、実に清々としている。
箒には神が宿るとされる民間信仰の言い伝えが、古今東西ある。箒は神聖な物であるため、それを跨いだり踏みつけるなどをすると罰が当たるとされる伝えが、各地にあるようだ。長居の客を帰すまじないとしても使われるのは、身近なエピソードだ。私も何回か試したことがある。(笑)
ヨーロッパにおいては、箒は魔法使いたちがそれに乗って飛行し、移動する道具であると信じられてきた。
掃除機に限らず電気機器には神も宿らないだろう。それに電灯が隅々までこうこうと照っていては、妖怪、魔物、妖精たちも居場所がないに違いない。こうして妖怪たちを追いやってしまった人々は潜在的な懐かしさのあまり、「大妖怪展」に長蛇の列を作るのだ。先日、別の催し物を観に行った江戸東京博物館での話である。「伊藤晴雨幽霊画展」も同時開催されていた。
涼しくなるための夏の風物詩、とばかり言えないであろう。

実は昨年の引越しで20年使い込んだお気に入りの掃除機を処分し、箒、ハタキ(これはハンディモップだけれど)、雑巾の、昔ながらの掃除方法に変えてみた。どうしても掃除機が使いたくなったら買えばいいことだと思って一年過ぎたが、不自由さを感じることはなかった。むしろ、掃き出し、拭き清めのこの掃除方法の方が、掃除の後の気分の清々しさは勝るような気がする。現代でも、神社仏閣、能舞台など神聖な所は、掃き、拭き清められ、実に清々としている。
箒には神が宿るとされる民間信仰の言い伝えが、古今東西ある。箒は神聖な物であるため、それを跨いだり踏みつけるなどをすると罰が当たるとされる伝えが、各地にあるようだ。長居の客を帰すまじないとしても使われるのは、身近なエピソードだ。私も何回か試したことがある。(笑)
ヨーロッパにおいては、箒は魔法使いたちがそれに乗って飛行し、移動する道具であると信じられてきた。
掃除機に限らず電気機器には神も宿らないだろう。それに電灯が隅々までこうこうと照っていては、妖怪、魔物、妖精たちも居場所がないに違いない。こうして妖怪たちを追いやってしまった人々は潜在的な懐かしさのあまり、「大妖怪展」に長蛇の列を作るのだ。先日、別の催し物を観に行った江戸東京博物館での話である。「伊藤晴雨幽霊画展」も同時開催されていた。
涼しくなるための夏の風物詩、とばかり言えないであろう。
2016年8月14日
112 「狂うてはいけん!」 / 井上ひさしのメッセージ
知人の山川泉さんがプロデュースした「少年口伝隊一九四五」を江戸東京博物館ホールに観に行く。原作は井上ひさしで広島の原爆を扱った物だ。彼には原爆を扱った作品に「父と暮らせば」という名作がある。井上ひさしは好きな作家でもあり、大体の作品は読み、観ているが、この「少年口伝隊一九四五」は初めてであった。
被曝した3人の少年を通して戦争、原爆の悲惨さが語られるのだが、そこは井上作品なので、随所にユーモアが織り込まれる。家族、友達との別れ、友の病状に耐えられなくなった一人の少年が「頭が痛くてどうにかなってしまう!」と相談役の老人に訴えかける。老人は「哲学じい」と呼ばれて「人間とはどうあるべきか」を、常に本質的に問うて生きている人だ。彼が少年に向かって叫んだ言葉が「狂うてはいけん!」であった。
大きな声がまかり通る世の中、一夜にして変わってしまった価値観、目をつぶりたくなる惨状…
だが、そんな理不尽なもののために決して狂ってはいけないのだ、という井上の強いメッセージが伝わってくる。
先日の6日の広島、9日の長崎の慰霊祭のニュースも、リオ五輪の熱狂に隠れてしまっていた。その上、今日は朝から国民的アイドルと言われるグループの解散騒ぎで、そのリオ五輪さえも霞んでいた。
この国は一体どうなってしまったんだ…という思いを抱えながら観に出かけた芝居だが、「狂うてはいけん」は、まさに今の日本にも当てはまるのではないだろうか。
明日は、終戦記念日だ。
被曝した3人の少年を通して戦争、原爆の悲惨さが語られるのだが、そこは井上作品なので、随所にユーモアが織り込まれる。家族、友達との別れ、友の病状に耐えられなくなった一人の少年が「頭が痛くてどうにかなってしまう!」と相談役の老人に訴えかける。老人は「哲学じい」と呼ばれて「人間とはどうあるべきか」を、常に本質的に問うて生きている人だ。彼が少年に向かって叫んだ言葉が「狂うてはいけん!」であった。
大きな声がまかり通る世の中、一夜にして変わってしまった価値観、目をつぶりたくなる惨状…
だが、そんな理不尽なもののために決して狂ってはいけないのだ、という井上の強いメッセージが伝わってくる。
先日の6日の広島、9日の長崎の慰霊祭のニュースも、リオ五輪の熱狂に隠れてしまっていた。その上、今日は朝から国民的アイドルと言われるグループの解散騒ぎで、そのリオ五輪さえも霞んでいた。
この国は一体どうなってしまったんだ…という思いを抱えながら観に出かけた芝居だが、「狂うてはいけん」は、まさに今の日本にも当てはまるのではないだろうか。
明日は、終戦記念日だ。
2016年8月4日
111 古いプログラム、チラシの処分
押し入れに開かずのダンボール箱が2つ程ある。何回かの引越しの間も開けないまま移動している。
その1つに手を付けた。自分の関わった舞台のチラシ、プログラムや観て感動した物のプログラムがギッシリ入っている物だ。こんなに「片づけ、片づけ…」と言っていながら、なかなか手がつけられないでいた。懐かしさのあまり読み込んでしまって、片づけにならないのではないかという懸念があったからだ。開けることになったきっかけは、先日永六輔さんが亡くなった折に昔関わったコンサートのチラシを捜す為だった。開けてしまった以上、この機会に片づけるしかない。
出てくる、出てくる…懐かしい舞台やコンサートのプログラムやチラシ。だが、自分でも驚くくらい、ノスタルジーに浸ることは無かった。「いつか、参考の為に開くかも」と思っていた「いつか」は今まで無かった。それはこれからも無いということだ。どうしても、という時には図書館や演劇博物館がある。
そして、大事なこと、感動したことはプログラムを開くまでもなく私の血肉となっており、いつでも鮮やかに思い出せるということにも気がついた。現に、生涯で一番と言えるくらい感動したピーター・ブルックの「夏の夜の物語」はチラシもプログラムも残っていないが、何十年前の舞台でありながら、昨日のことのように色鮮やかに思い出すことが出来る。よすがのモノは要らないのだ。
結局、私は自分の価値をプログラムやチラシの量で確認したかったのかもしれない。私は今までこんなに沢山の仕事をし、あらゆる方面に幅広く活動して、多くの人と知り合った。私はこんなにも舞台や映画を観る好奇心旺盛な人間なのだ、と。それを誰かに披露する訳ではないけれど、自己満足のよすがにしていたような気がする。
きれいさっぱり捨ててみると、自分の血肉になったものだけが純粋に残ったような気がする。何てちっぽけな量なのだろうと思わされるばかりだが…
その1つに手を付けた。自分の関わった舞台のチラシ、プログラムや観て感動した物のプログラムがギッシリ入っている物だ。こんなに「片づけ、片づけ…」と言っていながら、なかなか手がつけられないでいた。懐かしさのあまり読み込んでしまって、片づけにならないのではないかという懸念があったからだ。開けることになったきっかけは、先日永六輔さんが亡くなった折に昔関わったコンサートのチラシを捜す為だった。開けてしまった以上、この機会に片づけるしかない。
出てくる、出てくる…懐かしい舞台やコンサートのプログラムやチラシ。だが、自分でも驚くくらい、ノスタルジーに浸ることは無かった。「いつか、参考の為に開くかも」と思っていた「いつか」は今まで無かった。それはこれからも無いということだ。どうしても、という時には図書館や演劇博物館がある。
そして、大事なこと、感動したことはプログラムを開くまでもなく私の血肉となっており、いつでも鮮やかに思い出せるということにも気がついた。現に、生涯で一番と言えるくらい感動したピーター・ブルックの「夏の夜の物語」はチラシもプログラムも残っていないが、何十年前の舞台でありながら、昨日のことのように色鮮やかに思い出すことが出来る。よすがのモノは要らないのだ。
結局、私は自分の価値をプログラムやチラシの量で確認したかったのかもしれない。私は今までこんなに沢山の仕事をし、あらゆる方面に幅広く活動して、多くの人と知り合った。私はこんなにも舞台や映画を観る好奇心旺盛な人間なのだ、と。それを誰かに披露する訳ではないけれど、自己満足のよすがにしていたような気がする。
きれいさっぱり捨ててみると、自分の血肉になったものだけが純粋に残ったような気がする。何てちっぽけな量なのだろうと思わされるばかりだが…
2016年7月24日
110 さようなら永さん
永六輔さんが、先日亡くなられた。82歳だったということだが、歳を取ってもおじいさんぽくはならず、生涯お姿があまり変わらない方だった。最後にお姿を拝見したのは5年程前だったが、病み上がり(パーキンソン病)と聞いていたほど、衰えた感じはなかった。
私がお世話になったのは若い頃のほんの数年だったが、思い出は尽きない。永さんは多才な方なので、放送、出版、舞台とその活動は多岐にわたっていた。そして、毎日日本中を旅していて、手帳には予定がびっしり書き込んであってまっ黒だった。どこへでも出かけていって、有名無名を問わず各分野の名人を発見する名人でもあった。各地の美味しい物も沢山教えて頂いた。舞台の打ち上げ会場には、差し入れなどの美味しい物が並んでいて、黒柳徹子も「ここはいつも美味しい物がいっぱいあるわね!」と言って、その健啖家ぶりを見せていたこともあった。
私が関わっていた舞台関係では「中年御三家コンサート」が傑出していた。小沢昭一、野坂昭如と共に永さんは、あの武道館を1万人で満杯にしたのだった。何と、ダフ屋も出た。私の決して短くない舞台制作の経験の中でもダフ屋が出た公演は、後にも先にもこのコンサートだけだ。私はチケットの係りで、ダフ屋ともやり取りして少し怖い思いもしたが、今となっては懐かしい。ダフ屋も出たコンサートということでチラシも取っておいたはずなので、ごそごそと捜し出した。1974年ですって!40年も前だ!お三方とも若かった。確か40代前半だったが、今だったら「中年」とは言わないだろう。武道館の舞台袖から客席を見ると、人がびっしりと詰まった壁のようで驚くべき景色だった。珍しく永さんも緊張していたのを昨日のことのように思い出す。
このコンサートの事もそうだが、追悼番組などで取り上げられなかったエピソードに永さんの物真似がある。当時皇太子であった現天皇の物真似である。何のことは無い、声がよく似ていたので「第〇回、〇〇大会を開催致します」とゆっくりと話すとそれが物真似になっていた、という話である。テレビ、ラジオでは出来ない生の舞台ならではのパフォーマンスだった。
奥様を自宅で看取られたが、ご自身も自宅で最後を迎えたのは、永さんらしいまさに「大往生」の人生だったと思う。
永さん、ありがとうございました。
私がお世話になったのは若い頃のほんの数年だったが、思い出は尽きない。永さんは多才な方なので、放送、出版、舞台とその活動は多岐にわたっていた。そして、毎日日本中を旅していて、手帳には予定がびっしり書き込んであってまっ黒だった。どこへでも出かけていって、有名無名を問わず各分野の名人を発見する名人でもあった。各地の美味しい物も沢山教えて頂いた。舞台の打ち上げ会場には、差し入れなどの美味しい物が並んでいて、黒柳徹子も「ここはいつも美味しい物がいっぱいあるわね!」と言って、その健啖家ぶりを見せていたこともあった。
私が関わっていた舞台関係では「中年御三家コンサート」が傑出していた。小沢昭一、野坂昭如と共に永さんは、あの武道館を1万人で満杯にしたのだった。何と、ダフ屋も出た。私の決して短くない舞台制作の経験の中でもダフ屋が出た公演は、後にも先にもこのコンサートだけだ。私はチケットの係りで、ダフ屋ともやり取りして少し怖い思いもしたが、今となっては懐かしい。ダフ屋も出たコンサートということでチラシも取っておいたはずなので、ごそごそと捜し出した。1974年ですって!40年も前だ!お三方とも若かった。確か40代前半だったが、今だったら「中年」とは言わないだろう。武道館の舞台袖から客席を見ると、人がびっしりと詰まった壁のようで驚くべき景色だった。珍しく永さんも緊張していたのを昨日のことのように思い出す。
このコンサートの事もそうだが、追悼番組などで取り上げられなかったエピソードに永さんの物真似がある。当時皇太子であった現天皇の物真似である。何のことは無い、声がよく似ていたので「第〇回、〇〇大会を開催致します」とゆっくりと話すとそれが物真似になっていた、という話である。テレビ、ラジオでは出来ない生の舞台ならではのパフォーマンスだった。
奥様を自宅で看取られたが、ご自身も自宅で最後を迎えたのは、永さんらしいまさに「大往生」の人生だったと思う。
永さん、ありがとうございました。
2016年7月13日
2016年7月3日
108 〇
〇
10日過ぎているよ~と友人から連絡。生存確認ブログとして、10日以上空けないと宣言していた本人が忘れていたのは情けない。それにしても、気にかけてくれる人がいるのは有り難いと言うべきであろう。
この10日間もあっという間だったが、気がつけば今年も半年が過ぎてしまったのだった。振り返ってみると出来ていない事だらけでつい悔やみがちだけれど、せめて出来たことを数え上げて自分を慰めてみる。
10日過ぎているよ~と友人から連絡。生存確認ブログとして、10日以上空けないと宣言していた本人が忘れていたのは情けない。それにしても、気にかけてくれる人がいるのは有り難いと言うべきであろう。
この10日間もあっという間だったが、気がつけば今年も半年が過ぎてしまったのだった。振り返ってみると出来ていない事だらけでつい悔やみがちだけれど、せめて出来たことを数え上げて自分を慰めてみる。
2016年6月20日
107 第22回能楽座自主公演
今日は、能楽座自主公演のチケット販売開始だった。
例年のように売り出し初日には電話が殺到するが、今日は今までに比べて勢いが無かった。
能楽座の座員には重鎮も多く、近頃は亡くなる方もあり寂しい限りである。お客様の高齢化と相まって、入場者も減少気味だ。これは能楽界全体の課題でもある。
チラシの図案は文様作家の樹下龍児先生に描いて頂いているが、手描きならではの味わいがあり美しい。今年もお三人を偲ぶ会ということで、暗くならないようにきれいにしたかったと樹下先生はおっしゃる。
このきれいなチラシを一枚でも多く配り、一人でも多く能楽堂に足を運んで頂きたいものだと思う。
例年のように売り出し初日には電話が殺到するが、今日は今までに比べて勢いが無かった。
能楽座の座員には重鎮も多く、近頃は亡くなる方もあり寂しい限りである。お客様の高齢化と相まって、入場者も減少気味だ。これは能楽界全体の課題でもある。
チラシの図案は文様作家の樹下龍児先生に描いて頂いているが、手描きならではの味わいがあり美しい。今年もお三人を偲ぶ会ということで、暗くならないようにきれいにしたかったと樹下先生はおっしゃる。
このきれいなチラシを一枚でも多く配り、一人でも多く能楽堂に足を運んで頂きたいものだと思う。
2016年6月10日
106 NY在住のアーチスト / Mayumi Takagi
30年来の友人、高木真弓さんがアーチストビザの更新の為に帰国した。会うのは2年前のNY以来だ。この人ほど歳を取らない女性を私は他に知らない。本当に自然体で若い。
NYでアーチストをしていると聞くと、自由に生きているんだろうなあと誰もが思うだろうが、彼女は、若い頃は家族の為に働いたなかなかの苦労人だ。だが、苦労の跡はみじんもなく、とってもキュートで魅力的な人だ。NY生活ももう25年だが「1年くらいのつもりだったのよね」と、いつも言う。NYに行ってからの彼女は、まさに水を得た魚のごとく、生き生きと自由で元気になったようだ。そして、40歳を過ぎて本当にやりたいことに出会えて、今日の活躍である。誰もが出来ることではない。私には到底同じことは出来ず、勿論、表現力も無いのだから仕方がないが、せめて心から応援するばかりである。
彼女の代表作 ‟The Red Thread” は、私も大好きな作品で、今回やっと手に入れることが出来た。彼女が手ずからはるばるNYから運んで来てくれたのだ。
「赤い糸」の関係は、通常は男女の仲か母子の縁を指すが、ひょんなことで知り合って長きに渡ってつき合うことになった高木さんとの関係は、赤い糸にも似た不思議な縁としか思えず、私はこのタイトルにも大変惹かれるのだ。これからは、この作品を近くに置いて楽しめるのが嬉しい。
NYでアーチストをしていると聞くと、自由に生きているんだろうなあと誰もが思うだろうが、彼女は、若い頃は家族の為に働いたなかなかの苦労人だ。だが、苦労の跡はみじんもなく、とってもキュートで魅力的な人だ。NY生活ももう25年だが「1年くらいのつもりだったのよね」と、いつも言う。NYに行ってからの彼女は、まさに水を得た魚のごとく、生き生きと自由で元気になったようだ。そして、40歳を過ぎて本当にやりたいことに出会えて、今日の活躍である。誰もが出来ることではない。私には到底同じことは出来ず、勿論、表現力も無いのだから仕方がないが、せめて心から応援するばかりである。
彼女の代表作 ‟The Red Thread” は、私も大好きな作品で、今回やっと手に入れることが出来た。彼女が手ずからはるばるNYから運んで来てくれたのだ。
「赤い糸」の関係は、通常は男女の仲か母子の縁を指すが、ひょんなことで知り合って長きに渡ってつき合うことになった高木さんとの関係は、赤い糸にも似た不思議な縁としか思えず、私はこのタイトルにも大変惹かれるのだ。これからは、この作品を近くに置いて楽しめるのが嬉しい。
2016年5月30日
105 オバマ大統領広島訪問 / ある老人の感慨
オバマ大統領の広島訪問は歓迎一色で、演説は一大叙事詩とまで絶賛された。確かに称賛に価することに違いないとは思うのだが、私は多少の違和感を持った。歓迎ムードに押されて、核に対する恐怖感が薄れてしまっていたように思うのだ。この訪問で一件落着とされてしまう恐れはないのだろうか。日米同盟の強化に役立った、中国を牽制できるなど、メディアの論評も気になっていた。
そこへ、旧知のHさんからメールが来た。彼は今、咽頭癌を患い闘病生活を送っている。
Hさんのお父様は「マッカサーが探した男」として、本やドキュメンタリーの素材にもなった人で、ハーバード大学出の日系2世のエリートだ。戦争が無かったら、Hさんも日系3世のアメリカ人として日本で暮らすこともなく、私たちと出会うことも無かったに違いない。日米関係にはずっと複雑な思いもあったことだろう。
日頃、社会批判をしシニカルな物言いをするHさんだが、今回のことに対してこんな風に言ってきた。
久しぶりに素直に響きます。
大統領の人柄とスピーチも心に響きます。被爆者には深い謝罪を求める気持ちはあるだろうが、歴史的にも政治的にも現状ではここ迄でしょう。それでも、世界史的に価値あるメッセージには違いない。
実は、私の本籍地は広島市本町、爆心地の近くです。投下の一週間前に、母に連れられて実家(ハワイ移民以前)を訪ねる予定だった、と聞かされていました。6才でしたが、疎開先で何人もの被爆者に会っています。
戦後史の中で、長崎・広島は象徴的な意味を持っています。現実的な課題は沖縄でした。今回の広島訪問は、「核軍縮」と「核なき時代」を現実の課題に再浮上してくれました。内政に行き詰まり、外交に悩む疲れきった大統領の姿に同情しつつも、深い感謝の念を覚えます。
過去を知る、七十過ぎた無力な老人にも、何がしか未来への希望を与えてくれた出来事でした。
私の戦後史もこれで決着します。七十年は長かったが、いい終幕でした。
実体験からの素直な言葉は、私にも素直に届いた。
Hさん、長きにわたって待っていたこの瞬間を、お元気で見届けることが出来て良かったですね!この先を見る為にも長生きしなければいけませんね!
2016年5月20日
2016年5月10日
103 トランクへ入れる物-その10 / 靴下
連休は休みのような休みでは無いような日々だったが、合間に近頃滞りがちだった片付けの続きをする。
今回は靴下を徹底的に整理しようと、例によってある物全てを放り出してみる。88足あった。比較する対象が無いので、多いのか少ないのか判らないが、少なくとも母よりは少ない。靴下は比較的安価だし消耗品に近いので、手軽に贈れる物の一つとして贈ったり贈られたりすることも多いのではないだろうか。私にも覚えがあり、母も例外では無く溢れるように靴下があって、妹と片付けをした時に、せめて引出し一杯に入るぐらいにしようと大分処分したものだった。私も同じように引出し一杯くらいにはしたいものだが、私には自分で決めた3の倍数原則がある。それに沿うと夏物9足、3シーズン物9足、予備が各3足で合計24足になる。
最近の自分のファッションアイテムを考えると、靴はフォーマル用に低いパンプスを1足残しただけなので、パンティストッキングの出番は少ない。新品の物が6足あったので、これだけ残せば充分だ。後の古い物は全て処分する。
今、もっぱら愛用しているのが、ギロファの着圧式ハイソックスだ。夏用に薄い生地のものもあるが、やはりハイソックスは暑いのでこれは予備用に3足として、後の9足は短めの物を残す。日本文化に関わる仕事をしているので、和室に入る時の白ソックスも必要だが、これも3足で充分だろう。残す物は全て合わせて33足だ。勿論、まだ新しくて残す基準に入る物は、予備として残す。15足あった。今回は丁度半分を処分することになった。
自宅で履こうと持ち帰った温泉旅館の足袋ソックスも、家では履かないということも分かった。結局は捨てるのだから、これからはむやみに持ち帰らないことだ。足首のきつい物も不要、踵がぴったりしない物も不快だ。これらにはバイバイする。
靴下のみならず全ての物に共通することだが、身に着けて心地が良い物だけを選り分けて、徹底的に使うことが物に対する愛情だとも思うのだ。捨てないことが愛情なのでは無い。
2016年4月30日
102 岩盤浴の効果
10年ぶりくらいに岩盤浴に行く。
以前、癌の手術をした友人が、術後どうも身体が冷えていけないというので、つき合いで行き出したのが岩盤浴のきっかけだった。私はサウナが苦手で1分と入っていられないくらいで、高温の物はどうかなと思ったのだが、岩盤浴にはサウナのような息苦しさが無く、身体の芯から温まる感じがして結構気に入っていた。ところが、行きつけの渋谷の店がガス爆発の事故で閉店してしまったので、他の店を探す間もなく今に至っていた。ちなみに、一緒に通っていた友人は今はとても元気だ。今も岩盤浴に行っているかどうか聞きそびれている。
今回、久しぶりに行ってみようと思いたったのは、ここのところ身体がほっそりしてきたミュージシャンのK君から「色々やったダイエットの中で一番岩盤浴が効いた」と聞いたからだ。女優の美しい奥さんも一緒に通っているそうだ。「2、3キロはすぐですよ」とも。この間の唾石症で物が食べられなかった時に体重が減ったのを機会に、このままの勢いで減らそうと思ったものの足踏み状態が続いていた私は、すぐに2、3キロという言葉にフラッときた。
去年だったろうか、ゴールデン街のある店のママから近くに良い温泉が出来たと聞いたのは。温泉は掘ったのでは無く、毎日伊豆から温泉水を運んでいるのだそうだ。露天あり、ハーブ湯あり、サウナあり、そして岩盤浴あり!
今入ってきたばかりで、嬉々として話すママの顔は茹でたての卵のようにピカピカしていた。ゴールデン街にはしょっちゅう来ているのだから、一度このお風呂に入ろうと思っていたのだが、飲み出すとベロベロになるまで止まらない私は風呂までなかなかたどり着かない。今日は風呂優先だ!と出かけた時も、やっぱり並びのゴールデン街の方に吸い寄せられてしまっていた。
この季節、昼間は暑いくらいでも夜になるとぐっと冷えることがある。数日前、夜になって北風ピューピューと身体が震えるような日に、今日だ!と思い立ち、温まってきた。やっぱりお風呂は気持ち良い。色々なお風呂に一通り入り、目的の岩盤浴で寝転んでみる。身体が温まるのは気持ちも温まる。病気は体温が低いと起きやすいとも言われるが、気持ちの温かさの影響も大きいのではないかと思う。
さて、体重だが、1キロ程減っただろうか。ビールを飲んだらすぐ戻るくらいだ。K君の2、3キロ減て、それは過ぎた水太りのせいじゃないの?! でも、良いんだ。体重を減らすことだけが目的ではないのだから。明らかに人気漫画原作のヒット映画のタイトルをもじった、ふざけた名前の風呂屋だけど、これからも行くことになるだろう。
以前、癌の手術をした友人が、術後どうも身体が冷えていけないというので、つき合いで行き出したのが岩盤浴のきっかけだった。私はサウナが苦手で1分と入っていられないくらいで、高温の物はどうかなと思ったのだが、岩盤浴にはサウナのような息苦しさが無く、身体の芯から温まる感じがして結構気に入っていた。ところが、行きつけの渋谷の店がガス爆発の事故で閉店してしまったので、他の店を探す間もなく今に至っていた。ちなみに、一緒に通っていた友人は今はとても元気だ。今も岩盤浴に行っているかどうか聞きそびれている。
今回、久しぶりに行ってみようと思いたったのは、ここのところ身体がほっそりしてきたミュージシャンのK君から「色々やったダイエットの中で一番岩盤浴が効いた」と聞いたからだ。女優の美しい奥さんも一緒に通っているそうだ。「2、3キロはすぐですよ」とも。この間の唾石症で物が食べられなかった時に体重が減ったのを機会に、このままの勢いで減らそうと思ったものの足踏み状態が続いていた私は、すぐに2、3キロという言葉にフラッときた。
去年だったろうか、ゴールデン街のある店のママから近くに良い温泉が出来たと聞いたのは。温泉は掘ったのでは無く、毎日伊豆から温泉水を運んでいるのだそうだ。露天あり、ハーブ湯あり、サウナあり、そして岩盤浴あり!
今入ってきたばかりで、嬉々として話すママの顔は茹でたての卵のようにピカピカしていた。ゴールデン街にはしょっちゅう来ているのだから、一度このお風呂に入ろうと思っていたのだが、飲み出すとベロベロになるまで止まらない私は風呂までなかなかたどり着かない。今日は風呂優先だ!と出かけた時も、やっぱり並びのゴールデン街の方に吸い寄せられてしまっていた。
この季節、昼間は暑いくらいでも夜になるとぐっと冷えることがある。数日前、夜になって北風ピューピューと身体が震えるような日に、今日だ!と思い立ち、温まってきた。やっぱりお風呂は気持ち良い。色々なお風呂に一通り入り、目的の岩盤浴で寝転んでみる。身体が温まるのは気持ちも温まる。病気は体温が低いと起きやすいとも言われるが、気持ちの温かさの影響も大きいのではないかと思う。
さて、体重だが、1キロ程減っただろうか。ビールを飲んだらすぐ戻るくらいだ。K君の2、3キロ減て、それは過ぎた水太りのせいじゃないの?! でも、良いんだ。体重を減らすことだけが目的ではないのだから。明らかに人気漫画原作のヒット映画のタイトルをもじった、ふざけた名前の風呂屋だけど、これからも行くことになるだろう。
2016年4月21日
2016年4月11日
2016年4月2日
99 防災グッズの整理
5月X日に東京に大地震が来るという噂が最近流れているという。時々、こういった流言飛語が真しやかに飛び交うが、大騒ぎすればする程当らないのが現状だ。流言飛語に惑わされることはないが、日本列島地下の活断層やプレートの動きが活発なようで、大地震がいつ来てもおかしくはないという危機感はもう随分前から持っている。と言っても、防災グッズを揃えて保存食品を蓄えて置くぐらいのことしかやっていないのだけど…
姪たちと大人数で暮していた時は、押し入れの4分の1が保存食で閉められていた。私の場合はちょっとやり過ぎるきらいがあるらしく、今のように自宅と職場が近くなかった時は、事務所にまでそれなりの物を置いていた。そのくせ管理が細やかでないものだから、気がついた時は賞味期限切れか期限直前だったりして、その処理に大騒ぎしたものだった。今は一人暮らしに戻り職場も近いので、自宅に適度な量の物を置いているだけだ。食品3日セットのダンボール箱1つと防災グッズが入ったリュック。いざとなったら、リュックを背負ってスタコラと避難するしかない。これも随分とスッキリした。
東日本大震災の後、防災グッズを備える人も増えたようで、「美味しい保存食」を謳ったり、企業も色々な企画を揃えている。私は日頃の食品を取っている事もあり生協の物にしている。この企画が有難いのは、1年経つと新しいセットを届けてくれることだ。気がついた時に賞味期限切れといううっかりが無くなった。新しいセットが届いてから古い方の処分にかかっても期限は大丈夫だ。ただ、私は元々インスタント食品や保存食はほとんど食べないので、結局は他人の手を借りることになる。職場のスタッフの中には「全く大丈夫ですよ!」なんて、気持ちよくもらってくれる者もあるが、最近は別の方法で処分を手伝ってもらっている。
ホームレス支援活動をしている「ビックイシュー」編集部に送り、ホームレスの方達に食べて頂いているのだ。恵比寿駅前にいつも居る販売者に恐る恐る尋ねたところ、「きっと喜んで食べてくれますよ」と言ってくれて実現したのだ。今回は、去年のセットに保存期間が長かった以前の物を足して、ダンボール2箱くらいの量になった。
この雑誌に関しては、私は自分の分がある時でも販売者を街角で見かけると必ず1冊買い、友人や知人に配っている。こういう形でしか協力が出来ないし、一人でも多くの人にこういう活動を知って欲しいという願いもあるからだ。それに内容も面白く、私が好きな「縮小経済」提唱者の浜矩子の連載コラムもあり、支援のみならず読む楽しみもあるのだ。
販売者の彼らとは、話したとしても一言二言だが、「この人達のようにホームレスに、私がならないという根拠は何もないのだ」と、いつも心から思わずにはいられない。
姪たちと大人数で暮していた時は、押し入れの4分の1が保存食で閉められていた。私の場合はちょっとやり過ぎるきらいがあるらしく、今のように自宅と職場が近くなかった時は、事務所にまでそれなりの物を置いていた。そのくせ管理が細やかでないものだから、気がついた時は賞味期限切れか期限直前だったりして、その処理に大騒ぎしたものだった。今は一人暮らしに戻り職場も近いので、自宅に適度な量の物を置いているだけだ。食品3日セットのダンボール箱1つと防災グッズが入ったリュック。いざとなったら、リュックを背負ってスタコラと避難するしかない。これも随分とスッキリした。
東日本大震災の後、防災グッズを備える人も増えたようで、「美味しい保存食」を謳ったり、企業も色々な企画を揃えている。私は日頃の食品を取っている事もあり生協の物にしている。この企画が有難いのは、1年経つと新しいセットを届けてくれることだ。気がついた時に賞味期限切れといううっかりが無くなった。新しいセットが届いてから古い方の処分にかかっても期限は大丈夫だ。ただ、私は元々インスタント食品や保存食はほとんど食べないので、結局は他人の手を借りることになる。職場のスタッフの中には「全く大丈夫ですよ!」なんて、気持ちよくもらってくれる者もあるが、最近は別の方法で処分を手伝ってもらっている。
ホームレス支援活動をしている「ビックイシュー」編集部に送り、ホームレスの方達に食べて頂いているのだ。恵比寿駅前にいつも居る販売者に恐る恐る尋ねたところ、「きっと喜んで食べてくれますよ」と言ってくれて実現したのだ。今回は、去年のセットに保存期間が長かった以前の物を足して、ダンボール2箱くらいの量になった。
この雑誌に関しては、私は自分の分がある時でも販売者を街角で見かけると必ず1冊買い、友人や知人に配っている。こういう形でしか協力が出来ないし、一人でも多くの人にこういう活動を知って欲しいという願いもあるからだ。それに内容も面白く、私が好きな「縮小経済」提唱者の浜矩子の連載コラムもあり、支援のみならず読む楽しみもあるのだ。
販売者の彼らとは、話したとしても一言二言だが、「この人達のようにホームレスに、私がならないという根拠は何もないのだ」と、いつも心から思わずにはいられない。
2016年3月22日
98 義太夫協会新人賞授与式
鶴澤弥々さんが新人奨励賞を受賞したということで招待を受け、授与式と女流義太夫演奏会に出かける。先約があったが、彼女の受賞とあっては外せないので、こちらを優先した。
彼女は大学4年生の夏休みから我々の団体でアルバイトを始め、翌4月からは職員として働いてくれた。これが大変な時期で、会長の母親を自宅ターミナルケアをする為に、自宅と仕事場を兼ねたマンションを半蔵門に借り(通っていた病院が近いということが、自宅介護の条件だったので)、事務所機能も移しての落ち着かない職場環境だった。四六時中一緒なので母親の介護にも関わらなくてはならず、こんなことをする為に就職したはずでは無いのに、と思ってもおかしくはないのに、彼女は愚痴一つ言わなかった。その後は仕事に専念してもらったが、何しろキツイ条件の職場であったのでいずれにしても大変な苦労をさせてしまった。その時の思いから、彼女が今後何をやっても応援しようと思っていた。
こちらを退職後まもなくして「太棹に出会った」と聞き、やはり伝統の世界が好きだったのだなあと、そのぶれない姿勢に合点がいった。頑張って欲しいと心から思っていたので、この度の受賞は本当に嬉しかった。義太夫の世界に入ってかれこれ14、5年だろうか。伝統芸能の世界ではまだ「新人」である。これからの長い道のりを彼女ならきっと頑張り通すことだろう。
演奏会では、「弥々!たっぷり!」と義太夫らしい声がかかった。私も心の中で呼びかけた。
彼女は大学4年生の夏休みから我々の団体でアルバイトを始め、翌4月からは職員として働いてくれた。これが大変な時期で、会長の母親を自宅ターミナルケアをする為に、自宅と仕事場を兼ねたマンションを半蔵門に借り(通っていた病院が近いということが、自宅介護の条件だったので)、事務所機能も移しての落ち着かない職場環境だった。四六時中一緒なので母親の介護にも関わらなくてはならず、こんなことをする為に就職したはずでは無いのに、と思ってもおかしくはないのに、彼女は愚痴一つ言わなかった。その後は仕事に専念してもらったが、何しろキツイ条件の職場であったのでいずれにしても大変な苦労をさせてしまった。その時の思いから、彼女が今後何をやっても応援しようと思っていた。
こちらを退職後まもなくして「太棹に出会った」と聞き、やはり伝統の世界が好きだったのだなあと、そのぶれない姿勢に合点がいった。頑張って欲しいと心から思っていたので、この度の受賞は本当に嬉しかった。義太夫の世界に入ってかれこれ14、5年だろうか。伝統芸能の世界ではまだ「新人」である。これからの長い道のりを彼女ならきっと頑張り通すことだろう。
演奏会では、「弥々!たっぷり!」と義太夫らしい声がかかった。私も心の中で呼びかけた。
2016年3月13日
97 3月は旅立ちの時 / 「子どものための日本文化教室」修了式
「子どものための日本文化教室」第11期の修了式を茶道会館にて行った。
子ども達は一年間を通して、能「西王母」の謡を稽古してきたので、北見宗雅先生が茶室も「西王母」の趣向に設えて下さった。
今期はお茶会形式での修了式なので、子どもがお菓子を運び、お茶を点てて保護者をもてなす。盆略ではあるけれど、お点前も披露する。小さい子は3歳からの幼児なのでお茶を運ぶ時にこぼさないだろうかと心配するが、集中力を発揮してそろりそろりとしっかりと運ぶ。親の膝前に茶碗がそっと置かれた時が安堵する瞬間だ。多分、親もほっとするに違いない。自分の子どもが点ててくれたお茶なのだ。きっと美味しいことだろう。実際、子どもには雑念も無く腕に余分な力を入れないので、点てたお茶はほんのり甘い。
この教室は小学校6年生までなので、今年は2人の卒業生がいた。
男の子のR君は、私が知人に強引なくらいに誘って参加してもらい、3年間も通ってくれた。
腎臓ネフローゼの持病がある中、よく続けてくれたものだと心から感謝している。持前の性格もあるのだろうけれど、闘病の中から獲得した人生観のようなものが身についていて、大人びたところがある彼は、女の子によくもてていた。ホルモンが変わる年令であるこの時期に、病気が良い方向に向かってくれるように願うばかりである。
もう1人の卒業生、女の子のSちゃんは1年生の時から6年間通ってくれた。最初の頃は泣いてしまう事もあり心配だったが、みるみる内にしっかりしてきてこちらが寂しくなるくらいだった。教育熱心なお母さんは、彼女にこの教室以外に4つもの稽古事をさせていて、か細いSちゃんはこの教室にたどり着く頃には疲れていたのだった。知らない子達の中に放り込まれて泣きたくもなる。「和の稽古をすれば姿勢が良くなるだろう」というお母さんの目論みは今でこそ達成されたが、当初は体力が無いのと疲れとで腰が曲がっていて、彼女の後姿は小さなお婆さんみたいだった。今や、スラッとしてピンと背筋もまっすぐに、皆のお手本のような存在でもあり、素敵なお姉さんになった。
成長期の真只中の貴重な時間を、共に過ごせたことに感謝したい。
別れは寂しいが、新しい旅立ちの時でもある。4月から二人は中学生なのだ。子どもから大人へと一気に成長する複雑な時期に、文化教室で学んだ和の精神が少しでも役立つようにと願う。
子ども達は一年間を通して、能「西王母」の謡を稽古してきたので、北見宗雅先生が茶室も「西王母」の趣向に設えて下さった。
今期はお茶会形式での修了式なので、子どもがお菓子を運び、お茶を点てて保護者をもてなす。盆略ではあるけれど、お点前も披露する。小さい子は3歳からの幼児なのでお茶を運ぶ時にこぼさないだろうかと心配するが、集中力を発揮してそろりそろりとしっかりと運ぶ。親の膝前に茶碗がそっと置かれた時が安堵する瞬間だ。多分、親もほっとするに違いない。自分の子どもが点ててくれたお茶なのだ。きっと美味しいことだろう。実際、子どもには雑念も無く腕に余分な力を入れないので、点てたお茶はほんのり甘い。
この教室は小学校6年生までなので、今年は2人の卒業生がいた。
男の子のR君は、私が知人に強引なくらいに誘って参加してもらい、3年間も通ってくれた。
腎臓ネフローゼの持病がある中、よく続けてくれたものだと心から感謝している。持前の性格もあるのだろうけれど、闘病の中から獲得した人生観のようなものが身についていて、大人びたところがある彼は、女の子によくもてていた。ホルモンが変わる年令であるこの時期に、病気が良い方向に向かってくれるように願うばかりである。
もう1人の卒業生、女の子のSちゃんは1年生の時から6年間通ってくれた。最初の頃は泣いてしまう事もあり心配だったが、みるみる内にしっかりしてきてこちらが寂しくなるくらいだった。教育熱心なお母さんは、彼女にこの教室以外に4つもの稽古事をさせていて、か細いSちゃんはこの教室にたどり着く頃には疲れていたのだった。知らない子達の中に放り込まれて泣きたくもなる。「和の稽古をすれば姿勢が良くなるだろう」というお母さんの目論みは今でこそ達成されたが、当初は体力が無いのと疲れとで腰が曲がっていて、彼女の後姿は小さなお婆さんみたいだった。今や、スラッとしてピンと背筋もまっすぐに、皆のお手本のような存在でもあり、素敵なお姉さんになった。
成長期の真只中の貴重な時間を、共に過ごせたことに感謝したい。
別れは寂しいが、新しい旅立ちの時でもある。4月から二人は中学生なのだ。子どもから大人へと一気に成長する複雑な時期に、文化教室で学んだ和の精神が少しでも役立つようにと願う。
2016年3月3日
96 〇
〇
明後日は、「子どものための日本文化教室」第11期の修了式だ。1年が過ぎるのは早い。
成長期の真只中にある子ども達の変化には目を見張るものがあり、時が確実に進んでいることを実感するばかりである。
明後日は、「子どものための日本文化教室」第11期の修了式だ。1年が過ぎるのは早い。
成長期の真只中にある子ども達の変化には目を見張るものがあり、時が確実に進んでいることを実感するばかりである。
2016年2月23日
95 箱根の休日
久しぶりに連休ができたので、箱根に静養に出かける。箱根は好きなリゾート地でもあり東京からも手軽に行けるので、出かけた場所としては何だかんだと一番多いかもしれない。昔は車でドライブも楽しみつつなんてこともあったが、今はもっぱらロマンスカーだ。乗り込んだらまずビールを飲んで一気に旅気分を盛り上げる。
今回は富士屋ホテルに泊まり、一晩はフレンチを楽しみ滋養をとろうという計画なので、箱根には行ったことが無いという姪に、良い機会だからと一泊だけつき合ってもらう。何処でも一人で出かける私だが、どうもフレンチは一人食に向いてないような気がするのだ。
富士屋ホテルのある宮ノ下は骨董の店などがあり散策するのも楽しい所だ。大好きな温泉「函嶺」もある。ここには以前は泊まったこともあったが、今は宿泊はやっていないそうだ。大正時代に建てられたという、病院だった古い洋館が何ともノスタルジックだ。ここの露天風呂の眼前には竹林が広がり、温泉浴と竹林浴とで癒し効果は抜群である。隠れ宿みたいな所なのでお客さんも少なく、いつも貸切状態だ。
初箱根の姪を案内すべく、箱根登山鉄道とケーブルカーに乗る。景色も昔と変わらずスイッチバックなんかして楽しい電車だ。数年前からの噴火騒ぎでロープウェイは止まっているとは聞いていたが、この日は悪天候が重なって全面停止だったので、バスで芦ノ湖を目指す。湖尻に着いて周りを見回すも人っ子一人居ない。船も停止。霧のたちこめた芦ノ湖。初めて見る光景だ。バスでまた戻るのではつまらないので、芦ノ湖湖畔の道を歩いて九頭龍神社に向かう。深い霧の中を誰にも会うことが無く、何メートルか先は何も見えない白い世界を姪と二人でひたすら歩く。これはこれで新鮮な体験だった。
結局、姪は芦ノ湖も富士山も見ることが無く、初の箱根の旅を終えた。だが、さすがの富士屋ホテルの部屋と食事とサービスに満足して、東京の日常に帰って行ったのだった。
翌日は晴れ渡り、前夜の雪が真っ白に降り積もった富士山が見えるはずだった。…が、私が居る間は結局は富士山は雲に隠れたままだった。空は青く見事に晴れているのに富士山だけが隠れている。富士山にはそういうことが時々ある。
今回は富士屋ホテルに泊まり、一晩はフレンチを楽しみ滋養をとろうという計画なので、箱根には行ったことが無いという姪に、良い機会だからと一泊だけつき合ってもらう。何処でも一人で出かける私だが、どうもフレンチは一人食に向いてないような気がするのだ。
富士屋ホテルのある宮ノ下は骨董の店などがあり散策するのも楽しい所だ。大好きな温泉「函嶺」もある。ここには以前は泊まったこともあったが、今は宿泊はやっていないそうだ。大正時代に建てられたという、病院だった古い洋館が何ともノスタルジックだ。ここの露天風呂の眼前には竹林が広がり、温泉浴と竹林浴とで癒し効果は抜群である。隠れ宿みたいな所なのでお客さんも少なく、いつも貸切状態だ。
初箱根の姪を案内すべく、箱根登山鉄道とケーブルカーに乗る。景色も昔と変わらずスイッチバックなんかして楽しい電車だ。数年前からの噴火騒ぎでロープウェイは止まっているとは聞いていたが、この日は悪天候が重なって全面停止だったので、バスで芦ノ湖を目指す。湖尻に着いて周りを見回すも人っ子一人居ない。船も停止。霧のたちこめた芦ノ湖。初めて見る光景だ。バスでまた戻るのではつまらないので、芦ノ湖湖畔の道を歩いて九頭龍神社に向かう。深い霧の中を誰にも会うことが無く、何メートルか先は何も見えない白い世界を姪と二人でひたすら歩く。これはこれで新鮮な体験だった。
結局、姪は芦ノ湖も富士山も見ることが無く、初の箱根の旅を終えた。だが、さすがの富士屋ホテルの部屋と食事とサービスに満足して、東京の日常に帰って行ったのだった。
翌日は晴れ渡り、前夜の雪が真っ白に降り積もった富士山が見えるはずだった。…が、私が居る間は結局は富士山は雲に隠れたままだった。空は青く見事に晴れているのに富士山だけが隠れている。富士山にはそういうことが時々ある。
2016年2月13日
94 石が出た! / 入院騒ぎの顛末-2
気がついた時には舌の下に石がコロリと横たわっていた。その2日程前に悪血のような黒い血がちょっと出て、石のある場所が今までにない痛みでチクチクとしていた。出ようとしていたのだなあと思う。案外、軽い陣痛だった(笑)
直径5mm長さ1cmで法螺貝のような形をしている。私の身体の中でプープーと危険信号を発していてくれたのだ。自戒の為にも、しばらくは取っておくことにしよう。
直径5mmからして、自然に出ることは無いと医者は言っていた。普通はそうであろう。でも私は出てくるだろうと信じていた。身体を整えれば、身体が異物だと判断した物は排出するようになる。それは自然治癒力と言っても良いかもしれない。それにしても思ったより早かった。健康回復の為に7つの項目を立てて、エッチラオッチラとやり始めたばかりだった。でも、まだちっこい石が2つある。このやり方で良いと確信が持てたので、このまま続けるとしよう。
炎症が酷い時に一週間近くゼリーと蜂蜜で過ごさざるを得ず、2キロ体重が減った。これを好機と捉えて歩くのにもモチベーションが高まり、今や正月太りの最大値より4キロも減った。でもまだまだなんだけど…
三つ子の石の残りが出る頃には、すっかり健康かな?と楽観している。
とにかく、転んでもただでは起きたくない私ではある。
直径5mm長さ1cmで法螺貝のような形をしている。私の身体の中でプープーと危険信号を発していてくれたのだ。自戒の為にも、しばらくは取っておくことにしよう。
直径5mmからして、自然に出ることは無いと医者は言っていた。普通はそうであろう。でも私は出てくるだろうと信じていた。身体を整えれば、身体が異物だと判断した物は排出するようになる。それは自然治癒力と言っても良いかもしれない。それにしても思ったより早かった。健康回復の為に7つの項目を立てて、エッチラオッチラとやり始めたばかりだった。でも、まだちっこい石が2つある。このやり方で良いと確信が持てたので、このまま続けるとしよう。
炎症が酷い時に一週間近くゼリーと蜂蜜で過ごさざるを得ず、2キロ体重が減った。これを好機と捉えて歩くのにもモチベーションが高まり、今や正月太りの最大値より4キロも減った。でもまだまだなんだけど…
三つ子の石の残りが出る頃には、すっかり健康かな?と楽観している。
とにかく、転んでもただでは起きたくない私ではある。
2016年2月3日
93 入院騒ぎの顛末
CTで見つかった石が光って(どんな宝石だ!?)よく分からない部分があるので、腫れも引いてきたところで超音波で詳しく見てみましょうということで検査をし、その結果が出た。大きさが違う小さな石が三つ程重なりあっている。「唾石症」というのだそうだ。
石は自然に出てしまうということはまずは無い、と医者は言う。直径1mmの唾液腺は開いたとしても3mmがせいぜいだということで、私の直径5mmの石が出るというのは、普通に考えても無理ではある。薬で溶かすということも出来ない。場所が場所だけに、衝撃が強い超音波で粉砕するのも勧められない。外科手術は全身麻酔で首から切除してやるが、周辺の血管や神経や細かい腺を考えると危険も多い。顔面麻痺が残った人もいるという。勿論、首に傷も残る。
そんな訳で、しばらくは様子を見ましょうということで御赦免に。手術を強く勧める医者でなくて、本当に良かった。例え勧められても、私の選択肢に手術は無いが。
以前、入院したのをきっかけに健康に目覚め、体質改善をして、薬も飲まず、病院にも行かず、20年以上は健康に問題は無かった。身体から注意信号が出ると、それなりの処置をしてそれで何とかやり過ごしてきたが、ここのところ無理がきかない歳になったのにも拘わらず、健康を過信していたきらいがあったような気がする。ここらで見直さなければいけないのだ。何をするか?よくよく考えて項目を立ててみた。しばらくはこれを厳守したい。
1、休む (月に6日は休む)
2、よく歩く (日に1時間は歩く)
3、よく噛む (30回とはとかく言われるが 口の中で溶けるくらいまで噛む 相当根気が要る)
4、仙骨の調整を集中的にする (健康維持の為に月1の調整だったのを 週1にする)
5、禁酒 (腫れがひけるまで)
6、掃除の徹底 (風水的には建物と身体の部位は一致すると言う 喉がどこかは分からないが
結局全部きれいにすれば全身健康ということだ(笑))
7、早寝早起き (言わずもがなのこと お酒つきあえなくてごめんね~(笑))
7、早寝早起き (言わずもがなのこと お酒つきあえなくてごめんね~(笑))
まあ非科学的ではあるが、これを徹底すれば、何かは変わるだろうと思う。
2月に入り、明日は立春。ノートにはOFFを6個書き入れ、休む目標にする。
歩くことは既に始めた。病院の帰り道に明治神宮の北参道口があるので、病院で触れた粗い気を浄化する為に明治神宮を一回りして帰ったものだった。一回り30分、一週間は歩いたので下準備は出来た。近所には歩くのに相応しい場所が沢山ある。
そして今日は、仙骨の調整にMRT恵比寿に行く。久しぶりに橋田先生とも話し、今回の事をシミュレーションする。MRT的には、必要あっての病気であり石である。この石も私の一部だ。何かのメッセージとしてここに居るのだから、それを検証しつつ、同じ事を繰り返さない為にも自分の日常生活を振り返らなければならない。
帰路、恵比寿から明治通りを歩くのが常だが、今日は代官山経由で帰宅する。歩くのにこれから良い季節だ。コースを変えて目先の変化を楽しみ、どんどん歩きたい。
片付けするのは物ばかりでは無い、とはついこの間言ったばかりだが、またしてもその通り、この三年間でどっと付いてしまった脂肪とこの喉の石を、身体から片付けなければいけない。
2月に入り、明日は立春。ノートにはOFFを6個書き入れ、休む目標にする。
歩くことは既に始めた。病院の帰り道に明治神宮の北参道口があるので、病院で触れた粗い気を浄化する為に明治神宮を一回りして帰ったものだった。一回り30分、一週間は歩いたので下準備は出来た。近所には歩くのに相応しい場所が沢山ある。
そして今日は、仙骨の調整にMRT恵比寿に行く。久しぶりに橋田先生とも話し、今回の事をシミュレーションする。MRT的には、必要あっての病気であり石である。この石も私の一部だ。何かのメッセージとしてここに居るのだから、それを検証しつつ、同じ事を繰り返さない為にも自分の日常生活を振り返らなければならない。
帰路、恵比寿から明治通りを歩くのが常だが、今日は代官山経由で帰宅する。歩くのにこれから良い季節だ。コースを変えて目先の変化を楽しみ、どんどん歩きたい。
片付けするのは物ばかりでは無い、とはついこの間言ったばかりだが、またしてもその通り、この三年間でどっと付いてしまった脂肪とこの喉の石を、身体から片付けなければいけない。
2016年1月24日
92 スワッ!入院か!?
「一週間程、入院できますか?」目の前の白衣の女医さんが、事も無げに言う。えっ、こんなに元気なのに!?
朝晩と2回点滴をした方が良く、通院だと一回になってしまい効果が薄くなるからと言う。家から徒歩10分だから朝も晩も何回だって通いますよと言うと、衛生的な理由から通院での点滴は日に1回という規則なんだそうだ。よく分からないけど、今の状況で入院はあり得ない。
私には、ちょっと無理をした時などになる「唾液腺炎」という持病がある。病気と言う程の物では無く、注意信号のような物だ。疲れて抵抗力が弱った時などに唾液腺の出口が詰まり、喉が腫れ、飲食物の通りが悪くなり、唾を飲み込むのも痛くなる。そういう症状が出た時は、ゆっくり休んだり、いつものように仙骨の調整をして、身体のバイブレーションを高めて2、3日で治して来た。ところが今回はそうも行かず、大変な炎症になってしまっていたのだ。顔の左側がお多福のように腫れて痛い。白血球は10000を超える数値で、明らかに大きな炎症がおきていることを示している。CTによると左の唾液腺に5㎜の石が見つかった。だが、医者が検査前に脅かした「何か腫瘍でも」の疑いは晴れ、少なくとも首から上はきれいなものだった。「何か血液をサラサラにする薬を飲んでますか?」と言われる程、血液はサラサラ、血圧もほぼ平常値、体温も全くの平均値。頭も痛くなく、だるくもない。
30年前に「腎盂炎」で入院したことがあるが、その時は40度を超える高熱でガタガタと震える私を父と母が両側から抱えてくれ、座ることさえままならず、頭は朦朧としていた。入院とはそういった状態にでもならないとあり得ないだろうというイメージの私には、唐突でしかない入院の勧めである。
今の私は喉が痛く、喋ることも不自由で唾もまともに飲み込めないような状態ではあるが、一人でさっさと歩けるし、朦朧ともしていない。
結局、検査の結果が思ったより良かったせいか、最後はそう強くは入院を勧められることは無かった。職場のスタッフの中には「いっそ入院した方が休めたんじゃないですか?」と言う者もいる。私も一瞬考えない訳では無かったが、ホテルではあるまいし、病院での休暇はあり得ない。
そんな訳で、この土日も休日診療で点滴を受けて来た。休日の病院の外来待合室はがらんとして暗く静かだった。いつも病人がそれぞれの苦しみや辛さを抱えて蠢いている空間も、休日が安息の時間なのかもしれない。
熱い日本茶をすする、冷たいビールをごくごくと飲む、こんな些細な楽しみがどんなに幸福なことか!誰でもそうだろうが、病気をした時に改めて健康の有難さを実感する。この数日はゼリーとマヌカハニーだけしか口に入れていない。あれも食べたい、これも食べたいで、街を歩くと誘惑だらけだ。治ったら、熱々のラーメンをふうふうしながら思いきりすすりたい。
朝晩と2回点滴をした方が良く、通院だと一回になってしまい効果が薄くなるからと言う。家から徒歩10分だから朝も晩も何回だって通いますよと言うと、衛生的な理由から通院での点滴は日に1回という規則なんだそうだ。よく分からないけど、今の状況で入院はあり得ない。
私には、ちょっと無理をした時などになる「唾液腺炎」という持病がある。病気と言う程の物では無く、注意信号のような物だ。疲れて抵抗力が弱った時などに唾液腺の出口が詰まり、喉が腫れ、飲食物の通りが悪くなり、唾を飲み込むのも痛くなる。そういう症状が出た時は、ゆっくり休んだり、いつものように仙骨の調整をして、身体のバイブレーションを高めて2、3日で治して来た。ところが今回はそうも行かず、大変な炎症になってしまっていたのだ。顔の左側がお多福のように腫れて痛い。白血球は10000を超える数値で、明らかに大きな炎症がおきていることを示している。CTによると左の唾液腺に5㎜の石が見つかった。だが、医者が検査前に脅かした「何か腫瘍でも」の疑いは晴れ、少なくとも首から上はきれいなものだった。「何か血液をサラサラにする薬を飲んでますか?」と言われる程、血液はサラサラ、血圧もほぼ平常値、体温も全くの平均値。頭も痛くなく、だるくもない。
30年前に「腎盂炎」で入院したことがあるが、その時は40度を超える高熱でガタガタと震える私を父と母が両側から抱えてくれ、座ることさえままならず、頭は朦朧としていた。入院とはそういった状態にでもならないとあり得ないだろうというイメージの私には、唐突でしかない入院の勧めである。
今の私は喉が痛く、喋ることも不自由で唾もまともに飲み込めないような状態ではあるが、一人でさっさと歩けるし、朦朧ともしていない。
結局、検査の結果が思ったより良かったせいか、最後はそう強くは入院を勧められることは無かった。職場のスタッフの中には「いっそ入院した方が休めたんじゃないですか?」と言う者もいる。私も一瞬考えない訳では無かったが、ホテルではあるまいし、病院での休暇はあり得ない。
そんな訳で、この土日も休日診療で点滴を受けて来た。休日の病院の外来待合室はがらんとして暗く静かだった。いつも病人がそれぞれの苦しみや辛さを抱えて蠢いている空間も、休日が安息の時間なのかもしれない。
熱い日本茶をすする、冷たいビールをごくごくと飲む、こんな些細な楽しみがどんなに幸福なことか!誰でもそうだろうが、病気をした時に改めて健康の有難さを実感する。この数日はゼリーとマヌカハニーだけしか口に入れていない。あれも食べたい、これも食べたいで、街を歩くと誘惑だらけだ。治ったら、熱々のラーメンをふうふうしながら思いきりすすりたい。
2016年1月14日
2016年1月4日
90 2015年大晦日 / 2016年正月
今年も大晦日と元旦が休みになって、一年の最後の日に一年を振り返り、最初の日にこの一年の予定など考えるというパターンが出来つつあり、気に入っている。ちょっとした時間だが、これが大切。2015年も忙しく、訳わからずに年末になだれ込んだという感じだが、2014年のように海外旅行に行ったり、親しい人との別れとか、大きな出来事は少なかったような気がする。悲しいことも幾つかあったが、楽しかったことの方が多かった。(ような気がする)
まったくもって、生来のオプティミストではある。
このところ姪や甥が年頃ともあり、結婚、出産が続いていて、2015年も又甥誕生という嬉しい出来事があった。愛くるしく笑う赤ちゃんを抱っこしながら、この子たちの将来が幸福であるようにと願わずにはいられない。
さて、我が命題である片付けだが、2015年はあまり進まなかった。だが、一つ大きな決心をして処分したモノがあり、それだけで今回は満足しているところがある。それは運転免許を更新せずに手放したことだ。元より筋金入りのペーパードライバーでもあり、老害事故が頻発し問題になっているこのご時世に、私にとって「いつか」の可能性は最も無いものだった。それなのに、手放さない理由には「また取得するのは大変」「お金がかかっている」「身分証明として最適」等々で、現実味はあまり無い。やはりペーパーの同い年の友人に聞いてみたが、皆、もう一回くらいは更新したいと言う。更新手続きはそう大変では無いが、熟慮の末に私は更新するのを止めた。
片付けするのは物だけでは無い、とつくづく思う。物を手放さない理由は良くも悪くも「拘り」という精神的なモノに他ならない。免許を手放した途端に気持ちがとても軽くなった。爽やかでさえあった。それは手放したものの意味の大きさ故に違いない。
2016年元旦は一人のんびり、一杯やりながら、今年のことを考える。より一層、片付けに邁進したいところだ。運転免許のことで学習した「片付けするものは物では無い」という確信は、仕事にも当てはまる。今やっているのは本当にやりたい事だけか?義理に縛られていないか?そう考えると手放すモノが明らかに見えてくる。人が介在しているだけに難しいが、何とか一歩進んで身軽になりたいものだ。
2日は昨年と同様、帰省して特養から母を連れ出し、実家で家族で新年会。生後4ヶ月の又甥が皆の笑いを誘う。母も自分のひ孫とは認識出来ないが、「いい子だ、いい子だ」とニコニコしながら抱っこすることが出来た。母の病状は進んでいるので、長いこと同じ所に居られなくて「帰りたい」と言うのが早くなった。帰る家はここしか無いのにと思うが、気持ちを荒立てては可哀そうなので、妹二人と特養まで送りとどける。
そして東京に戻り、その足で東海道新幹線に乗り、名古屋経由で伊勢神宮参拝。これも年中行事になった。先導者がいるので、正しい参拝が出来る。まず月讀宮より参拝、内宮には8時頃到着。沢山の参拝客で溢れんばかりだが、あまり滞ることなく列は粛々と進む。今年は殊に清々しく素晴らしいお参りであった。
参拝後は同行者の御縁で、伊勢志摩の温暖な静かな湾を臨む割烹旅館「橘」で牡蠣づくしの美味しいお料理を頂く。鳥羽まで送ってもらい、近鉄、新幹線で帰京。一見、慌ただしい行程だが、とてもゆったり過ごした気分だった。あたり前だが、結局、大事なのは精神の持ちようということなのか。今年は一年こうありたいものだ。
まったくもって、生来のオプティミストではある。
このところ姪や甥が年頃ともあり、結婚、出産が続いていて、2015年も又甥誕生という嬉しい出来事があった。愛くるしく笑う赤ちゃんを抱っこしながら、この子たちの将来が幸福であるようにと願わずにはいられない。
さて、我が命題である片付けだが、2015年はあまり進まなかった。だが、一つ大きな決心をして処分したモノがあり、それだけで今回は満足しているところがある。それは運転免許を更新せずに手放したことだ。元より筋金入りのペーパードライバーでもあり、老害事故が頻発し問題になっているこのご時世に、私にとって「いつか」の可能性は最も無いものだった。それなのに、手放さない理由には「また取得するのは大変」「お金がかかっている」「身分証明として最適」等々で、現実味はあまり無い。やはりペーパーの同い年の友人に聞いてみたが、皆、もう一回くらいは更新したいと言う。更新手続きはそう大変では無いが、熟慮の末に私は更新するのを止めた。
片付けするのは物だけでは無い、とつくづく思う。物を手放さない理由は良くも悪くも「拘り」という精神的なモノに他ならない。免許を手放した途端に気持ちがとても軽くなった。爽やかでさえあった。それは手放したものの意味の大きさ故に違いない。
2016年元旦は一人のんびり、一杯やりながら、今年のことを考える。より一層、片付けに邁進したいところだ。運転免許のことで学習した「片付けするものは物では無い」という確信は、仕事にも当てはまる。今やっているのは本当にやりたい事だけか?義理に縛られていないか?そう考えると手放すモノが明らかに見えてくる。人が介在しているだけに難しいが、何とか一歩進んで身軽になりたいものだ。
2日は昨年と同様、帰省して特養から母を連れ出し、実家で家族で新年会。生後4ヶ月の又甥が皆の笑いを誘う。母も自分のひ孫とは認識出来ないが、「いい子だ、いい子だ」とニコニコしながら抱っこすることが出来た。母の病状は進んでいるので、長いこと同じ所に居られなくて「帰りたい」と言うのが早くなった。帰る家はここしか無いのにと思うが、気持ちを荒立てては可哀そうなので、妹二人と特養まで送りとどける。
そして東京に戻り、その足で東海道新幹線に乗り、名古屋経由で伊勢神宮参拝。これも年中行事になった。先導者がいるので、正しい参拝が出来る。まず月讀宮より参拝、内宮には8時頃到着。沢山の参拝客で溢れんばかりだが、あまり滞ることなく列は粛々と進む。今年は殊に清々しく素晴らしいお参りであった。
参拝後は同行者の御縁で、伊勢志摩の温暖な静かな湾を臨む割烹旅館「橘」で牡蠣づくしの美味しいお料理を頂く。鳥羽まで送ってもらい、近鉄、新幹線で帰京。一見、慌ただしい行程だが、とてもゆったり過ごした気分だった。あたり前だが、結局、大事なのは精神の持ちようということなのか。今年は一年こうありたいものだ。
登録:
投稿
(
Atom
)