2015年5月18日

64 熊本へ鎮魂の旅

5月16日は女優中島葵の命日、今年は25回忌である。もうあれから24年も経ったのかと、昨日のことのようにあの日を思い出す。泊まり込みで看病を続けていた葵さんのパートーナーの演出家芥正彦から「もう今日一日もたないだろう」という電話を受けて、朝一番のバスに飛び乗って安曇野に向かった。もうすぐ命を終えようとしている人の前で山国の春の新緑はあまりにも輝いていた。
先日久しぶりに葵さんの夢をみた。考えてみると25回忌にあたるし、ふと墓参りに行こうかと思いつく。と、そこに芥正彦からの電話があり同じように夢を見て墓参りを思いたったのだと言う。これは葵さんが呼んでいるに違いない。
中島葵というと、森雅之の娘にして有島武郎の孫である系譜で語られることが多いが、母方の家は唄にも歌われ全国で5本の指に入ると言われたあの東雲楼である。葵さんの生まれた時は遊郭の時代ではなくなっていたが、丸窓の大きな家と立派な築山のある広い庭で近所の子どもたちと遊んでいたそうだ。乳母日傘で育った葵さんの母親が一家の為に意を決して宝塚の娘役になり、葵さんの祖父、伯母二人のために仕送りしては時々顔を見せに熊本に帰っていたが、家族は一緒にいなくてはいけないと当時の宝塚の社長に諭されて家族を神戸に呼び寄せたと聞いている。葵さんは10才くらいまではこの遊郭跡に暮らしていたのだ。一家が神戸に移り住んでからしばらくは廃屋として残っていたが、その後は長い間さら地であったらしい。あまりにも広くて買い手がつかなかったそうだ。今回、その二本木遊郭の東雲楼の跡地に行ってみると熊本朝日放送が建っていた。
昔この辺りを葵さんも歩いたのだねと、芥と歩く。当時の建物ではないだろうが、祖父や伯母たちと行っていたという「東庵」という蕎麦屋は今もあった。そぞろ歩きの後に白川の橋から振り返ると二本木遊郭跡は二本の川に挟まれた三角地帯で独特の地形だ。
中島一家が時々出かけたという島原湾にも足を延ばしてみた。晴れた日は向うに普賢岳が見えるというが、曇りがちで雨粒もポツリポツリの天気である。「葵は雨女だったからなあ、葵の涙さ」と、芥らしい。
中島家のお墓は町の中心地に近い花岡山の中復にあり、熊本駅あたりの街並みが見下ろせる絶好の場所だ。新幹線の駅舎など、何年か前に訪れた時には無かった現代的な建物がこれからもどんどん増え、街並は変わることだろう。葵さんの好きだった向日葵とお母さんが好きだった紫陽花の花をあげて、鎮魂の旅を終えた。

葵さんもその昔お祖父ちゃんに連れて行ってもらい、買物の後にソフトクリームを食べさせてもらったという「鶴屋デパート」は地元の老舗としてまだ健在で、その前からは高台にそびえている熊本城が見える。石畳の通りには路面電車も走っている。熊本は現代的な物と古い物が調和していて文化度が高い町と見える。
今時はゆるきゃらとか言ってご当地キャラクターがどこへ行っても目につき、カンベンしてくれと思うが、熊本は何と言っても一番人気の「くまもん」がいるので、そこかしこにあふれていたらどうしようかと思ったが、それほどでも無いのでほっとした。大人の町なんだなあ。この間生まれた又姪の為にぬいぐるみを買ってしまったけれど…