2016年7月24日

110 さようなら永さん

永六輔さんが、先日亡くなられた。82歳だったということだが、歳を取ってもおじいさんぽくはならず、生涯お姿があまり変わらない方だった。最後にお姿を拝見したのは5年程前だったが、病み上がり(パーキンソン病)と聞いていたほど、衰えた感じはなかった。
私がお世話になったのは若い頃のほんの数年だったが、思い出は尽きない。永さんは多才な方なので、放送、出版、舞台とその活動は多岐にわたっていた。そして、毎日日本中を旅していて、手帳には予定がびっしり書き込んであってまっ黒だった。どこへでも出かけていって、有名無名を問わず各分野の名人を発見する名人でもあった。各地の美味しい物も沢山教えて頂いた。舞台の打ち上げ会場には、差し入れなどの美味しい物が並んでいて、黒柳徹子も「ここはいつも美味しい物がいっぱいあるわね!」と言って、その健啖家ぶりを見せていたこともあった。

私が関わっていた舞台関係では「中年御三家コンサート」が傑出していた。小沢昭一、野坂昭如と共に永さんは、あの武道館を1万人で満杯にしたのだった。何と、ダフ屋も出た。私の決して短くない舞台制作の経験の中でもダフ屋が出た公演は、後にも先にもこのコンサートだけだ。私はチケットの係りで、ダフ屋ともやり取りして少し怖い思いもしたが、今となっては懐かしい。ダフ屋も出たコンサートということでチラシも取っておいたはずなので、ごそごそと捜し出した。1974年ですって!40年も前だ!お三方とも若かった。確か40代前半だったが、今だったら「中年」とは言わないだろう。武道館の舞台袖から客席を見ると、人がびっしりと詰まった壁のようで驚くべき景色だった。珍しく永さんも緊張していたのを昨日のことのように思い出す。
このコンサートの事もそうだが、追悼番組などで取り上げられなかったエピソードに永さんの物真似がある。当時皇太子であった現天皇の物真似である。何のことは無い、声がよく似ていたので「第〇回、〇〇大会を開催致します」とゆっくりと話すとそれが物真似になっていた、という話である。テレビ、ラジオでは出来ない生の舞台ならではのパフォーマンスだった。

奥様を自宅で看取られたが、ご自身も自宅で最後を迎えたのは、永さんらしいまさに「大往生」の人生だったと思う。
永さん、ありがとうございました。