2016年9月23日

116 古いハガキの処分

ハガキ、手紙類も片付け難い物だ。
私は以前は筆まめでよく手紙を書き、やり取りを沢山していたので、大量に残っている。先日処分したプログラム類と同じで「懐かしさのあまり読みふけってしまったら、片付けにならないのではないか」と思い込み、手がつけられなかったのだが、プログラム類が思いの外あっさり片付けられたので、今回はハガキに手を付けることにした。ハガキは短文でもあるし、読んだとしても時間もかからないだろう。この大量の物も、私のことだからハガキファイルにきちんと整理してある。一冊400枚で三冊、ざっと1000枚!よくもまあ溜め込んだものだ。だが今までファイルを開いたことも無かった。やはり「いつか」は無いのだ。
ファイルをパラパラとめくると、長いつき合いの人、今はもうあまりつき合いの無い人、懐かしい人々がそこに居る。亡くなった人も何人か居る。年賀状に家族写真を使う人も多い。他人の家の子どもの写真なんて見たくもないと言う人もいるが、私は大好きだ。子どもの成長を見るのは楽しい。子どもが大きくなり自我が芽ばえると嫌がるせいか、自然消滅していくのもこの「家族の肖像」の特徴だ。
外国から届いた珍しい風景の絵ハガキや、きれいな絵や写真の物は画集のように見ようとまとめてあったが、結局はゆっくり見返すことは無かった。印象的なものは見るまでも無く、心に残っている。やはり、モノをよすがにする必要は無いのだ。

それでも残したいと思った物がいくつかあった。私が落ち込んでいた時に励まし慰めてくれた心温まる物、幼い頃の姪や甥たちの可愛らしい字や文、既成の絵ハガキには無い個人的な写真の物、等々…これは時々見ても良いかな…私に元気をくれそうだ。さて、それをどうするか?
世の片付け名人達の助言に従うならば、スキャンをするという方法が良いようだ。なるほど、場所を取らない。同じく、写真もそうした方が良いようだが、まだまだ片付けの道は遠い。