2017年12月31日

163 前に進むしかない / 喜怒哀楽2017年

喜怒哀楽の感情は万遍なく使った方が良い、と聞いたことがある。感情豊かに生きよということか。それでも、怒や哀のネガティヴな気持ちに襲われた時は必死で振り払ってきたものだ。確かに「怒」の感情からは改革や進歩が生まれ、「哀」に襲われて泣き疲れた後にはカタルシスに救われる、という経験は誰にでもあり、効用も認められるところではあるが…
今年も様々な感情に支配されて右往左往したものだと思う。その中で思い出される喜怒哀楽を挙げてみよう。
「喜」は、まあまああっただろうか、一年笑って過ごした方だろう。
新しい生命の誕生はとにかく喜ばしく目出度い。夏に又甥(姪の子)が産まれ、プクプクぽっちゃり、元気な子で何よりだ。その名も「輝」、ひかると読ませる。この子が笑って過ごせるような、それこそ輝ける未来でありますように、と祈る。
「怒」に関しては、今年は何だか一年中「暑い!」と騒いでいたようね気がする。このブログにも何度も書いていた。自然のことをそんなに怒ったって仕方ないだろう、と笑う友人がいる。「暑い暑いっ」てコーネンキじゃねえのか、と呆れる友人もいる。私が怒っているのは目の前の暑さの不快さばかりではない。異常な暑さの先に透けて見える経済というモンスターにやられっ放しの政治姿勢や企業姿勢なのだ。
「哀」はついこの間亡くなられた観世元伯先生のことに尽きる。事務局のスタッフも私も気落ちがひどく、それが誘発したのか重い風邪をひく者が出たり(私も)、肋骨を折る者がいたりで、事務局は壊滅状態だった。そこへ若手小鼓奏者のIさんが所要で現れ、泣き言を言う私や落ち込んでいるスタッフに、そして誰ともなく言い聞かせるようにこうおっしゃった。
「能楽界は、大泣きしたんです。だからこれからは前を向いて進むしかないんです。元伯先生だったらきっとそうしたはずなんですから…」
そう、いつまでも嘆いてばかりでは、元伯先生ご自身が悲しむだろう。
今年も喪服を着るような機会が何度かあった。「死者はいつでも私達を見守っている」と実感することも最近は多くなった。だから、前に進むしかないのだ。
「楽」は何といっても初めての沖縄旅行だ。しかも初沖縄でいきなり竹富島というディープさである。以前から友人のSから竹富島の「種取祭」の魅力を教えられており、興味はあったものの日程がなかなか合わずに今までは諦めていたが、ついにその時が来た。百聞は一見に如かず、本当に見ごたえがある祭りであった。豊作への祈りが芸能になり、収穫、奉納という流れが能楽の源流としてあるのがよく分かる。伝統芸能に関わる者は一度訪ねてみるのも良いだろう。噂のミルク様にも近くご対面できた。夜に入ると島の家々を回って夜通し行われるユークイ(世乞い)の儀式があり、ニンニク蛸とお神酒を振る舞ってもらい我々は2軒程付いて回って、種取祭の神髄とも言われる儀式をかいま見た。掛け合いで歌うユークイ唄も素晴らしい。沖縄の人が芸能に秀でているのは、こういった原点にあるのではないかと思う。旅行ライターとして何度も何日も沖縄に滞在し、その芸能にも惹かれて沖縄の踊りを習っているSならではの案内であったので、充実した旅であった。
石垣島の南端から海を望むと東側は東シナ海だという。海の色といい樹木といい家並みなど、見慣れた日常と異なり遠くへ来たものだと思う。この感情は、旅の趣をより強くする。もっと旅をして新しい空気を自分の中に入れようと思う。






2017年12月26日

162  〇


と言うべきだろう。後5日で無事に今年も終わるのだから。
実のところ、ひどい喉風邪をひいてしまって、ゴホゴホゴホゴホ…身体もやせ細りそう。いっそ細ってでもくれれば良いのだけど、そう都合よくはいかない。苦しいだけ。ゲホゲホゲホ…止まらない。
後5日で治して気持ち良く新年を迎えたいものだ。

2017年12月16日

161 〇


師走も今日から後半戦!
毎年この頃に襲われる焦燥感が無くなるのはいつのことだろう?!

2017年12月6日

160 さようなら元伯先生

能楽太鼓方観世流の観世元伯師が亡くなり、昨日は通夜に列席した。
お清めの日本酒をいただいたこともあり、泣き顔を明るい照明の下にさらしたくもなく、青山から自宅まで小一時間程、寒空を歩きながら元伯先生を偲ぶ。
思えば51歳という若さであった。技量にも優れ信頼できる人柄で、これからの能楽界を中心になって引っ張っていくはずの存在でもあった。本当に残念だ。親族席には奥様、年若い二人のお嬢様、年配のご両親が並んでいらっしゃる。逆縁の辛さ、如何ばかりであろう。
伝統の家に生まれた人の中には若い頃に寄り道をしたり、よそ見をする人は少なくないが、元伯先生の場合はそういうこともなく、能の世界が好きで真っ直ぐに歩いて来られたようだ。それでいて能楽の狭い世界に留まらず、社会的な目を持って世の中を観ていて博識だったので話も豊富だった。
能楽の囃子方はひな祭りの五人囃子に例えて説明されることがあるが、元伯先生のお顔を「お雛様のよう」とは、スタッフがよく言っていたが、お公家さん顔のスッとしたお顔で冗談を言うお茶目な所もあった。気取った所はなく、本当のお坊っちゃんとはこういう人なのだろうなと思わせた。
公演終了後、「もう終ったから早く迎えに来てもらうようにノロシを上げなくっちゃ」ととぼけた言い訳をしながら喫煙所に向かって行ったが、「ノロシを上げ過ぎるとテキに見つかってエライ目に会いますよ!」と言う私に、煙草の入ったポケットを、大丈夫!と言わんばかりにポンポンと叩いていらしたが、食道癌というテキには勝てなかった。
心から感謝を捧げ、ご冥福を祈ります。

2017年11月25日

159 ビデオデッキ、テープの処分

事務所のビデオデッキが壊れた。流派を越えた一流の能楽師の団体である能楽座の、上演史に残るであろう貴重な公演記録を観て勉強する為に、このデッキを前の担当者が購入したと聞いている。購入した頃は既にビデオの時代では無かったので、テープをDVDにコピーする目的もあったらしい。今となっては私しかやる者は無く、もう先延ばしも出来ないだろうと時間さえあればコピーし続け、やっと終わった。80本程あった。
ついでに個人的な物で残しておいたテープもコピーしようとしたら、1本コピーした途端にデッキが壊れてしまった。ちょっと前からイヤな音がしていたが、古いテープばかりを再生させられたんじゃデッキも具合が悪くなるというものだろう。
何年か前に自分のビデオテープもそれこそ何十本と処分したが、残しておいたのが15本程あった。好きなミュージシャンのライヴ、好きな俳優のインタビュー等、ビデオ屋では借り難い物(と思い込み)を未練がましく捨てられないでいた。既にビデオデッキも処分したというのに…
先日亡くなったジャンヌ・モローのインタビュー(これが素晴らしい!)と、ついこの間カズオ・イシグロがらみで思い出したアンソニ―・ホプキンスのインタビューをコピーしたが、次のテープを入れた途端にギリギリガシャガシャと壊れてしまった。
未練は残すなということだと解釈した。それにこのご時世、ビデオ屋に限らずネットを捜してみれば何でも見られるのだ。しかも、これらのテープを「いつか…」と思いながら、一度たりとも見てはいなかったのだから、尚更である。やはり、残しておかなければいけない物など何一つ無いのだ。









2017年11月15日

158 日の名残り 

ノーベル文学賞がカズオ・イシグロに決まり、今年こそとばかりに書店の一番上の棚に並べられていたハルキに取って代わってカズオが並べられた。ハルキは無冠の帝王となるか?…それの方が文学者としてかっこいいと思うな。
カズオ・イシグロといったら何といっても『日の名残り』が思い浮かぶ。映画化もされ、アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンの二人のシェイクスピア俳優の名演技が忘れ難い作品である。この機会に改めて観てみようと思ったら、同じ事を考えている人が多いらしくDVDを借りるまでに大分待たされてしまった。
久しぶりに観たがやはり名作だ。そして、この映画を映画として名作たらしめているのは、アンソニー・ホプキンスに他ならない。驚くべき演技力だ。繊細な心の動きを微妙な表情で描写する。改めて心から感心した。
『日の名残り』という邦題も美しい。ほとんど直訳だが、きれいな日本語だ。映画の場合、とてつもなくヒドイ邦題があり、内容が良ければ良いほど失望させられる。最近でガッカリさせられた物に『おみおくりの作法』があった。これもイギリス映画だが、内容が素晴らしかったが故にこの題には本当に失望した。原題は主人公の小役人の人生そのものを言い当てているシンプルな題であったのに、まるでかけ離れているし、こんなセンスで邦題をつける人が映画産業に関わっていることすら嘆かわしい。





2017年11月5日

157 秋の贈物

先日、誕生日プレゼントに素敵な贈物をもらった。
「子どものための日本文化教室」に5年も通ってくれている7歳のサキヨちゃんからだ。彼女の母親のヨシカさんは結婚前は優秀なスタッフとして私の舞台を手伝ってくれた。そのご縁で私の強引な誘いにも拘わらず気持ち良く二人のお子さんを教室に通わせてくれている。お兄ちゃんは中学生になり文化教室には通っていないが、折々の催しには元気な顔を見せてくれている。そのお兄ちゃんの好物でもある「椎の実」を今回はプレゼントしてもらったのだ。
実はこの歳にして椎の実を食すのは生まれて初めての経験だが、とても美味だった。栗のような、ピスタチオのような、香ばしくて美味しい木の実だ。ヨシカさんの実家の庭に椎の木があり、孫が秋を楽しみしているので木を伐れないとお祖母ちゃんは言っているという。とても良い話だ。
手作りが上手な母娘がきれいに作ってくれた箱入りの贈物。どこにも売っていない世界で唯一の物。心から嬉しい。
私のワガママを知っている母親は「消え物ですよ」と半分笑いながら、箱を差し出す。いえいえ、形が残る物だって嬉しい。小さな女の子が心を込めて手作りしてくれた物だもの、去年のネックレスもちゃんと取ってありますよ。




2017年10月26日

156 〇

気分は✕
言わずもがな、選挙の結果だが、この国は一度とことん駄目になってみないと分からないのかもしれない。その時はもう遅いのだけど…
ちょっと寒くなった途端に、電車に暖房が入り、汗ダラダラの暑さである。こんな無駄使いをしておいて、電気が足りない、さあ原発だ、という構造は見えている。日本は唯一の被爆国であり、反核を最も強く押し出す義務も権利もあるというのに…


2017年10月16日

155 〇


やっと涼しくなった。
寒いと言う人もいるけれど、それは今まであまりにも暑かったから。
今の内に体調を整えておかないと!

2017年10月5日

154  〇


昨日、今日と、やっと秋らしい気温で、とても爽やかだ。
寒くならない内に夏の疲れを取って、身体の調整をしなければ…

2017年9月26日

153 △


お彼岸も過ぎたというのに、昨日も今日も気温は29度とか30度とか言っている。
ここでも何度も書いているが、もう日本には四季が無くなってしまった。
四季が育む感性もどこへやら…
暑さに疲れて、行動も大雑把になってしまった。また転ばないように気をつけなくっちゃ…


2017年9月15日

152 〇?

〇  マル!
と言いたいところだが、マルい穴につまずいて転んでしまい、ペケな感じ。
いきなりバタッと地面に這って、自分でも何が起こったか最初は分からなかった。これが歳をとったということか。ちょっと前だったら、引っかかってオットットの後にこらえられた気がする。
マンション内の歩きなれた場所だ。何があったのか?駐車場の片隅に大小2個の穴が開いている。何が原因で開いたのかも分からないような穴だ。結構危ない。
歳をとったらとにかく転ぶなという。どの道、これからは下を向いて歩くしかないのか…やれやれ…



2017年9月5日

151 モノはいらない!

「お母さんからのベトナムのお土産」と、コーヒーと木の器を差し出す姪に、「モノは要らないんだよね…」と、コーヒーだけ受け取り、我ながら身も蓋もないことを言う私。
「やっぱりね。おばちゃんがそうい言うと思ってお母さんにも言ったんだけどね…」と、渋い顔の姪。ここは大人になって知らんぷりでもして、もらっておいてくれよとでも言いたそうだ。私だって親しくなければこんなことは言わない。
どのくらい前から「モノは要らない」と周りに言い続けているだろうか。私の性格や生活信条を知っている姪達は本当に良く分かっていて「おばちゃんは消え物が良いんだよね」と、美味しいお菓子や趣味のいい花をプレゼントしてくれる。私をよく知っている親しい友人も然りである。食べてしまえば物は残らないが、美味しかった記憶はいつまでも忘れられない思い出を残してくれたりするものだ。旅行のお土産も何も要らない。文字通り「土産話」が聞ければ、それが一番楽しい。それか、その土地のちょっとしたチョコレートでももらえれば充分嬉しい。だが、何十年つき合っても分かってくれない人もいる。「何も要らないからね~」という私の言葉を遠慮だと思っているのだろうか。何かと買ってきてくれるが、人にもらったモノは捨てにくく、残るモノは正直言って本当に困るのだ。
今は片づけという目標があるから尚更だが、以前から物をもらうのは苦手だった。なかなか自分の好みに合う物はないもので、「ヘタなモノは要らない」という、物に拘るあまりの我儘な結果でもあるのだ。自分の好みの物だけに囲まれて生活する幸せは何ものにも代えがたい。片付けが進行中の今は本当に大切な物が明確になってきた喜びが大きいが、好きな物ばかりに囲まれた中で最後の絞り込みに入る時にはやっぱり悩むだろうなあと正直思う。そういう意味でも新しい物はもう増やしたくないのだ。
最近もらって困ったモノの最たるものは、ある人の亡くなった母親の形見のアクセサリーだ。私が会ったこともない人のモノだが「あなたの好みに合うと思うし、捨てられないから、もらってくれると嬉しい」とのことだった。う~ん…。まあ、ここでは多くを語るのは止めよう。
逆に最近もらって嬉しかったのは、アコーディオニストの後藤ミホコさんのフィンランド土産の紅茶だ。今年の暑い夏にアイスティーとして重宝し、ほのかなレモンフレーバーが事務所の皆を癒してくれた。こういった配慮がヘタなモノより心に残るのだ。
もう少し涼しくなってきたら、妹のくれたベトナムコーヒーも楽しもう。コンデンスミルクでも用意して、あま~いベトナムコーヒーも久しぶりに良いかも。



2017年8月25日

150 〇

だけど、ジタバタ。
オノマトペ辞書によると、
じたばた
忙しすぎて落ち着かない様子。
悪い事態に無駄な抵抗をする様子。
[類]ばたばた、どたばた
[例文]今ごろじたばた(と)したってもう遅い。

明後日は、いよいよ能楽座自主公演の本番だ!

2017年8月16日

2017年8月5日

148 さらば青春

ジャンヌ・モローが亡くなったことを嘆いている私に、サム・シェパードも亡くなってしまったことを知らせてくれた友人のSが「さらば青春、という感じよね」と言う。彼女はかつて映像の勉強をしていたので、時代的にもヌーベルバーグの影響を少なからず受けており、若い頃彼女と、マル、トリフォー、ブニュエル等、熱く語ったのを思い出す。『死刑台のエレベーター』はマイルスディビスのトランペットも素晴らしく、『マドモアゼル』『小間使いの日記』等々、ジャンヌ・モローには斬新で衝撃的な作品が多かった。『突然炎のごとく』は忘れられない作品だ。かつての女優は正統派の美人でなければならなかったが、彼女はそういう枠組みから離れて個性を発揮した女優のはしりのような人だろう。顔が整っていなくともとても魅力があった。口がへの字に曲がっているのも却って色っぽくアンニュイだった。その口元の表情に自分を持っている人の意志の強さも出ていた。
歳を取ってからの作品『海を渡るジャンヌ』も好きな作品だ。ハリウッド女優のように顔を引っ張り上げたりしなかった彼女は「皺の2、3本が増えたからってそれが何?老いることで問題にすべきは心。心のあり様が表情に出るのだから」「生きることと自由が大好き」と日頃言っていた通り、『海を渡るジャンヌ』では皺も体形も隠さず、若い男を翻弄する堂々たる女詐欺師を演じていた。70歳近かっただろうか。かっこよかった!
サム・シェパードも実にかっこいい男だった。彼も正統派の美男子というタイプではないが、知的で野性的、孤独の影と包容力、相反する要素が共存し何とも魅力的だった。『女優フランシス』では、主人公を理解しどこまでも見守る懐の深い男を演じていて、「こんな恋人がいたらなあ!」と思ったものだった。それにしても感動的で胸が痛む作品だった。
彼には劇作家、脚本家としても幾つもの作品があるが、『パリテキサス』はヴィム・ベンダースを世に知らしめた作品でもあり、荒涼として孤独感漂うこのロードムービーは、忘れがたい作品だ。『天国の日々』『ライトスタッフ』の彼も素敵だった。時々、エンターティメント系の軽い(?)映画にも出ていたが、そんな中でも彼らしく存在感を示していた。
大好きな二人が亡くなってしまいとても悲しいが、映画という永続性のある素晴らしい文化のお蔭で、二人にはこれからもスクリーンの中で会えるのだ。
二人に感謝。心から冥福を祈ります。










2017年7月25日

147 さようなら日野原重明先生

日野原重明先生が105歳で他界された。先生が87歳の時に出会ったので約20年経った訳だが、ほとんどお姿が変わってないような気がする。先生は20年前の当時から知る人ぞ知る著名人ではあったが、その後、いわゆる「ブレイク」されたのには驚かされた。
私の所属する団体の前会長の母が自宅ターミナルの療養に入った時に、日野原先生が主治医として訪問治療にあたって下さったのだが、自ら家々を回って歩かれていたので「こんなに偉い方が…」と驚嘆したものだった。最期も自宅で看取って下さった。悲しみに沈む私たちに「舞台に関わるあなた達にとって、シェックスピアに馴染みがあると思うけど『終わり良ければ全て良し』ってあるでしょ」「そのように大変立派で良い最期でしたよ」と、慰めて下さったのが今でも鮮明に思い出される。
それがきっかけで娘である前会長とも親交が続き、会が主催する「子どものための日本文化教室」にも賛同され、年に一度、特別講師として子ども達に「いのちの授業」を授けて下さっていたのだ。
その後、その前会長が病に倒れ、やはり日野原先生に看取って頂いたのだが、沢山の患者を看たであろう先生にとっても、母娘して最期を見とどけたのは稀有であったに違いない。
最後にお会いしたのは5年前の春だったが、階段を登る先生に手を差しのべた私に「いや、結構」とおっしゃって、手摺りにこそ掴まっていたがトントンと軽い足取りだった。驚異的な100歳だった。
「110歳になった時に会いましょう!」がその時の約束だった。日野原先生だったらあり得ると思っていたが、望みは叶わなかった。先生はハイデッガーの「死は生のクライマックス」という言葉も時折引用されていた。人生を全うし、生き切った人、日野原先生そのものに重なる言葉だ。
日野原先生、ありがとうございました。



2017年7月15日

146 暑い夏! そしてサムイ夏!

仕事仲間達が今、ロシアとフィンランドに行っており、早速SNSに涼しげな映像があげられている。ロシア組の一人ギタリスト小沢あき君によるとやはり夜は涼しいと。フィンランド組のアコーディオニストの後藤ミホコさんによれば午前中は寒いくらいで上着をはおったとのこと。この猛暑の東京からするとその寒さが恋しい。
それにしても何という暑さだろう。33度34度があたり前のように続いている。今更ながらだが、もう日本の気候は完全に変わってしまった。夏が長くなりもう何年も春と秋が無い。「四季が育む日本人の感性」なんてものは養われようもないから、老若男女問わず皆繊細さが失われイライラとして世知辛くなってしまった。大きな災害も増えた。熱帯、亜熱帯に生息する毒虫も蠢き出した。気候の乱れは日本に限らず世界規模で起きており、これは地球温暖化の影響に他ならない。
対策が急がれるこの時期に、トランプ政権はパリ協定を離脱して、アメリカの良識人からも批判を浴びている。かと言って、日本も含めて他の国が目を見張る程の対策を立てているふうでも無い。災害が起きた時に泥縄式対処はするが、災害そのものが起きないようにする為の本質的問題には向き合っていないように見える。
そんな状況の中で更に失望感を味わうのは、この季節に電車に乗った時だ。異常に寒い!冷房のきかせ過ぎなのは明らかだ。先日も地下鉄に乗った時にあまりの寒さにショールをかけたが、隣の女性もカーディガンをはおっている。快適な温度なのであればまだしも、とにかく寒いのだ。この無駄遣いにいつも失望感と喪失感を覚える。そこへ追い打ちをかけるようなアナウンスが入る。「車内が涼しく感じる方は弱冷房車へお移り下さい」だと!「涼しく」感じるではなく「寒く」だろ!それに、なんという本末転倒だろう。乗客サービスのつもりかもしれないが、こう寒くてはちっともサービスになっていないではないか。電車といえば毎日何百万人と利用する機関だ。その大規模な機関が、過剰な冷房を止めて快適な温度にするだけでもどのくらいの節電になることだろう。
ああ、またサムイ季節がやって来たなあという所以である。
今日のロシア・ウランウデ





2017年7月5日

145 第23回能楽座自主公演

能楽座自主公演のDM、1200通余りを発送する。
いつも2日はかかるが、優秀なスタッフの頑張りで、1日で出せた!
能楽座の座員には重鎮も多く、近頃は亡くなる方もあり追悼公演が続いたが、今年は久しぶりに追悼ではない公演だ。沢山のお客様が来て下さいますように!



2017年6月25日

144 天才棋士の勝負メシ

14才の天才棋士、藤井聡太君がとうとう連勝記録トップタイの偉業を成し遂げた。いよいよ明日は単独トップの記録更新をかけた試合だ。暗いニュースばかりの中、こういった話題は心浮き立ち楽しい。
中学生とは思えない彼の言葉使いも話題になった。「僥倖」「望外」「醍醐味」等々、それが彼の口から出ると不自然ではない。大変な読書家ということだが、将棋界という日本文化の世界ではそういった日本語も違和感なく使われるのだろうか。「チョー何とか!」なんて絶対言わないし、受け答えも思慮深い。ちょっとタレ目で親しみが持てる風貌だから、ただ堅苦しい優等生という雰囲気でもないところが感じ良い。
記録をかけた明日の試合は、東京の将棋会館で行われる。この将棋会館というのが、我々の事務所に近いものだから、彼が出前を取る店も共通していて「私達と同じよね!」と、にわかに色めき立った。ここがまったく凡人たる所以である。
天才少年の影響で出前が殺到し、いつもすぐ来るお蕎麦屋も何十分待ち、お店も大混雑だそうだ。もう一つの中華屋も藤井君メニューを値引きサービスしていて、早速取ったりしているミーハーの私だ。

「みろく庵」の味噌煮込みうどん








「紫金飯店」の五目焼きそば

2017年6月15日

143 やっぱりスティングは最高!

武道館で行われたスティングのコンサートに行く。6年ぶりだそうだ。その時行った姪と今回も一緒だ。コンサートから一週間経つがまだ感動が鮮やかに残っている。
最新アルバムの“57th &9th”の世界観そのもののロック感に満ちたステージだった。確かな演奏と、研ぎ澄まされたサウンド、派手な演出もなく巧みな構成で硬質なロックっぽいステージであった。ジャズやクラシックなどに傾倒した趣向の時のスティングも素敵だったが、ロックミュージシャンとして素のスティングが清々しい。声も体力もまったく衰えていない。新曲ばかりではなく、代表曲も何曲もやってくれて、舞台も客席もどんどん盛り上がる。見事だ!スティング!
名曲と名演奏でエネルギッシュに駆け抜けたステージだったが、アンコールではアコースティックギターに持ち替えて名曲中の名曲“Fragile”でしっとりと閉めた。座席が東側サイドだったので、全てを終えて舞台袖に静かに退場するスティングの後姿が目に焼き付いている。
そんなかっこいいスティングだが、彼も人の子(人の親と言うべきか)、親バカチャンリンの一面を見せた。息子のJoeを紹介し、“my son!”と3、4回は呼んだかな。前座で何曲も歌わせた。JoeはスティングのDNAを感じさせるところもあり悪くはないが、良くもない。とにかく魅力がない。42才というが、65才の父親スティングよりオジサンぽい。42才といえばスティングが一番かっこよかった年頃だ。Joeは「ニホンジン、ヤサシイ」と言う。当たり前だ!オメエの歌を文句も言わず静かに聞いているのは日本人くらいだ!そんな気持ちで彼の歌を聞いていた私はイライラしてもう少しで爆発しそうだった。隣の席の姪は「おばちゃんがいつ怒り出すかひやひやしてた」と休憩の時に言う。後が良ければいいさ。休憩後の本番の素晴らしいノンストップパフォーマンスで、そんなものは払拭された。むしろ、バックコーラスのJoeは上手いし感じも良かった。
今6月だが、今年一番のステージだ!と言い切る音楽家もいるくらいだから、一生の中でも上位に入るステージになるに違いない。それに立ち会えたのは、それこそ僥倖であるというべきだろう。










規制しようが無いらしく、今やスマホ撮影は許可されているのだ!姪に撮らせた。

2017年6月5日

142 もうすぐStingのコンサートだ!

昨日6月4日は待ちに待った完全OFF日だった。5月14日以来だ。殊にこの2週間は夜のお座敷(付き合いの芝居やコンサート、勿論飲み会も) がびっしり入っており、数日前から休みが待ち遠しかった。休みを心待ちするなんてかつてはあまり無かったことだ。こんな時は心から年取ったなあと思う。
何時までも心ゆくまで眠ろうと思うが、悲しいかな7時前にはいつものように目が覚める。こんなことも若い頃は無かったものだ。つくづく年取ったと思う。だが、前夜はバッタンキューでかなり熟睡したのでそんなに疲労感は無い。せっかくの(?)休みだ。午前中はベッドの上でグダグダする。昼食には勿論、ビールをグッとやる。そして昼寝をしたりまたグダグダ…これが私にとっては休みらしい休みであり、ちっとも建設的では無いが、テキパキと何かをやったりするのは仕事日で充分だ。
そして、グダグダしながら一日中Stingを手当たり次第聴く。いよいよ明後日はStingの来日公演だ。何年振りだろうか。楽しみで仕方ない!以前にも書いたことがあるが、Stingにあやかってこのブログの表題「ラストシップ」をつけたくらい大好きなミュージシャンなのだ。
The  Soul  Cages”やThe Last Ship”など、叙事詩的な文学作品とも思えるアルバムを聞いていると彼が哲学者のようにも見えてくる。人生と向き合うStingの中心的テーマは、いつも「自己発見」だ。風貌も知的で繊細だし、これからどうなっちゃうのって感じだが、それらの作品を越えて作った最近の“57th & 9th”は、ポリス時代を彷彿させるものがありロック魂は健在だ。全体的にどのアルバムにも散りばめられている物悲しい楽曲はStingならではだし、かっこいい!の一言に尽きる。同世代としていつまでも活躍して欲しいと切に願う。








2017年5月26日

141 私のふるさと自慢 / 初めてのラジオ投稿

アコーディオニストの後藤ミホコさんから、彼女がパーソナリティを務めるラジオ番組「情熱タイム」への投稿を誘われて初めて投稿というものをしてみた。
2才の又姪が私に付けたニックネーム(口が回らないのでおばちゃんと呼べなかっただけだけど)を、そのままラジオネームに使ってみた。
後藤さんとユニットを組んでいるヴァイオリニストの天野紀子さんと、二人合わせて127才の熟女パーソナリティの番組は、却って初々しく新鮮だ。毎週月曜日21時~1時間。私の投稿が読まれる(はず)のは、来週29日。スマホ、PCで聴ける。時間があったら聴いてみて下さい。

http://palau-links.com/palau-new/radio-2-8-ten.html

投稿内容は、以下の通り。

私のふるさと自慢                     ラジオネーム おっぱあ 

私のふるさと長野県は長寿日本一です。日本は世界一の長寿国ともあり、長野は世界一の長寿を誇る訳です。長野の中でも私の生まれ育った佐久は長野の中で更に一位ということで、私の母や叔母達、叔父達、近所のおばあさん、おじいさんはその代表格ともいえるでしょう。確かに大変元気です。うるさいくらい元気。昔から信州人は理屈っぽいと言われてきましたが、お茶を何杯も飲んで、結構硬い話も口角泡を飛ばして議論します。お茶も身体に良いんですよね。議論は脳も活性化するし…
何故、長野県、特に佐久が長寿なのか、色々な検証がされています。医療の見地からは,
功労者として佐久総合病院の院長を長年勤められた故若月俊一先生がよく挙げられますが、予防医学の考え方を広めた素晴らしい方で、訪問医療のシステムも推進しました。医師、看護師達のフォローも見事で、私の父も叔父も自宅で最期を迎えました。長年住み慣れた家は本人にとっても安心する場所で、常に家族が一緒ということでどんなにか心強かったでしょう。これは、訪問医療のシステムが余程しっかり整ってないと実現は難しいと思います。
そういった考えがベースになって、食生活の改善など健康指導も熱心に行われ、元々理屈っぽくて勉強家の信州人としては学習したんですね。意欲や好奇心で脳は若返りするとも言いますよね。
こういった努力の結果のものとは別に、高地で気圧が低い、年間の日照時間が多い、寒暖差の激しい所で採れた野菜や果物の栄養価は高い、等の立地条件が揃っているという説があります。もうこれは、佐久に住むしかないということでしょうか()
今まではあまり考えることもなかったけれど、老後はふるさとで生活することも視野に入れることになりそうです。「帰りたくなるふるさと」これは自慢の種かもしれません。





2017年5月17日

140 〇

だけど、ヘロヘロ。
ちなみに、オノマトペ辞書によると、
へろへろ
気力体力ともに消耗しきって弱々しい様子。[類]へとへと
[例文]渡り鳥もへろへろ。ここはそんなに遠い街。

2017年5月6日

139  初めての浜松

浜松は今まで何十遍と通過しながら、下車したことはなかったが、今春引っ越していった可愛い又姪のサツキちゃんに会う為に出かけてみた。新幹線のひかりで1時間ちょっと、気軽に日帰り出来る距離だ。東京は快晴で、こういう時は富士山がどう見えるか楽しみにしながら出発する。だが、どんなに晴れていてもはっきり見えるとは限らないのが富士山。今回も残念ながら「頭を雲の上に出し」状態の富士山だった。全貌が見えるのは余程の幸運だ。
さて、そうこうする内にあっという間に浜松到着。姪一家が出迎えてくれた。2ヶ月会わなかった内に2歳児サツキのボキャブラリーは驚くほど増えて、たどたどしくもオシャマな口をきいて私を喜ばせる。
初浜松での私の要望、「昼にウナギでビール一杯」「夜に餃子でビール!」に合わせて見繕ってくれた店で舌鼓を打つ。浜松の料理は関東風だが、ウナギに関しては珍しく関西風の物もあるということでそちらを選んでくれていたが、蒸していないので、こくがあり皮も香ばしくてとても美味しかった。ウナギそのものが良い物だから出来るワザだろう。
姪達若夫婦の新居を見させてもらって、又姪と戯れ(それが目的なので)ゆっくりする。東京のマンションと違い、かなりゆったりしたスペースのワンフロアーから、浜松城の天守閣が見える。折しも今年の大河ドラマで話題の若かりし頃の家康の居城であることから「出世城」の別名も持つらしい。そもそも彼らのマンションは家臣鳥居何某の屋敷跡に建っているようだが、歴女でもない私は知る由もない。城址が公園になっており、散歩がてら行ったものの、連休と相まって大河ファンで大変な混雑であった。
またこの日は浜松祭りの日でもあり、夕方から屋台が50台も出て町を練り歩くというので、見物するのも楽しみの一つだったが、屋台という呼名から想像し難い程の立派な山車に何人もの囃子方が乗り、何十人もの人が曳き回す堂々たるお練りであった。どこにでもある「ピーヒャラチャンチキドンドン」の笛、太鼓の囃子にラッパの音が重なるのは浜松だけらしいが、不思議な郷愁があった。
勿論、餃子も忘れてはいない。今や浜松は消費量が日本一だということで、どこの店も長い行列だ。野菜たっぷりが浜松の特徴だそうで、2歳児サツキもむしゃむしゃと食すくらい食べ易い。つまみというよりも食事という感じで、ビールもほどほどに…
次は7月に、姪の第二子出産のお祝いに行くことになろうが、今まで行ったこともなかった浜松が、縁あってこれからは近しい町になりそうだ。




2017年4月26日

138 辞書を一冊買ってしまった  

「これチョキチョキしてパッチンしてくれない?」
何と40代のスタッフに向かって、私の口から思わず出た言葉だ。家族や事務所のスタッフのにわかのベビーブームで、このところ赤ちゃんや小さい子に触れる機会が多いせいか、無意識に赤ちゃん言葉が出てしまった。その上最近オノマトペ辞書を買ってしまい、面白がってパラパラやっていたせいかもしれない。この辞書の正式名は「ぎおんごぎたいごじしょ」という。
辞書類は随分前に処分して文庫本一冊分の大きさの電子辞書にしたものだったが、電子辞書は使い慣れると大変便利で、何十冊分の辞書辞典類を内蔵しており、本棚の40センチメートル程を占めていた場所もすっきりした。しかし、何でも入っているようでオノマトペ辞書だけは入っていなかった。ある時、書店のオノマトペ辞書のコーナーで何冊かをパラパラやっている内にとても愉快になって、中でもイラストや写真を多用して見ためも楽しいこの辞書を購入した。「あたふた」~「わんわん」まで、遊び心がいっぱいだ。「ねちねち」には細々とびっしり4ページを割いており、「ぱらぱら」にはパラパラマンガを22ページも使っている。辞書というより楽しい読み物だ。せっかく辞書類は処分したが、より良い生活や楽しみの為に新たに物を購入するのは厭わない。
日本語はオノマトペも豊富だという。表現の豊かさに一役も二役も買っているのに違いない。だが、冒頭の私のようにややもすると幼児語になってしまうので使い方に注意も必要だ。どの道大人の言葉を覚えなければいけないので、子どもには幼児語を使わせるべきではないという意見があると聞いて驚いたことがあるが、大人の言葉を教えても、口が回らない結果、たどたどしくなってしまうのが幼児語だ。まして幼い子の口から聞けば誰だって顔がほころんでしまうだろう。
言葉は豊富な方が良い。




2017年4月16日

137 春が来た! /「子どものための日本文化教室」開講

4月は何かと始まりの月だ。
「子どものための日本文化教室」第13期も始まった。3才からの子どもを預かる教室なので、色々な意味で気遣いが必要だ。今年は泣く子も一人もいなかったので、やれやれだった。親と離れてのお稽古だから、子ども達も皆最初は緊張気味だ。そこへ泣く子が一人でも出てくると、我慢の糸が切れてつられて泣く子も出てくる。そうなると大変なので、こちらの講師もスタッフも油断はできない。特に初日が勝負だ。とにかく飽きさせないこと、興味を持たせることでお稽古に集中させると、親と離れることにも慣れてくる。
例年、第一回目は「ご挨拶の作法」で、玄関の上がり方、襖の開け閉めから習い、和室での振る舞いを身につけるのだ。正座の仕方、足のくずし方、立ち方も学ぶ。大人でも大変なことを子どもに強いるなんて拷問にも等しいと言った人もいるが、体重が軽くて邪念のない子どもの方がピタッと座れるのだ。
正座とは正しく座ると書くように、正しく座りさえすれば実は楽な姿勢だとも言われている。寝る前に一日一回で良いから、目を閉じて一分くらい座ると心が落ち着き安眠できると教えられたが、ほぼ毎夜ベロンベロンでは正座の前に足がもつれてネンザでもしかねない私である。
幼児の初日としては上出来!若い先生の方が辛そう(笑)



2017年4月5日

136 〇


春が来た! 桜が咲いた!

2017年3月26日

135 おめでとう佐々木譲さん / 日本ミステリー文学大賞受賞

作家の佐々木譲さんが日本ミステリー文学大賞を受賞し、帝国ホテルで行われた祝賀パーティに仲間と共にわいわいとお祝いに駆けつけた。
譲さんとは、共に寅年の演出家の高橋征男、舞台監督の島洋三郎、制作の私とで「グループ虎」という演劇ユニットを組んでおり、譲さん原作の演劇を上演してきた仲である。初演は20年ほど前になるが、「新宿のありふれた夜」だった。これはもう何回も再演している名作で、「我撃つ用意あり」という題名で若松孝二監督が原田芳雄主演で映画化している。混沌としたディープな街新宿を舞台とした、路地裏の小さな飲み屋の学生運動くずれの中年の店主とベトナム難民の少女の物語である。
最近は譲さん原作のサスペンスドラマも放送されることが多くなったが、初期の頃の冒険小説の世界は壮大で、簡単に舞台化、映像化出来るような物ではなかった。男性ファンが多かったのもその頃だろう。その後、歴史、警察、法廷小説とジャンルを広げてきて、それぞれが譲さんらしく掘り下げた視点で描かれている。
何年か前に直木賞も受賞しており堂々のベテランであるといえるのに、ご本人は以前と変わらずいつも謙虚だ。受賞スピーチも「例によってあがってしまった」との弁だが、慣れきってしまうことがない生真面目な人柄だ。破天荒な作家ばかりを見てきた私は、そういう佇まいの譲さんがどうやって小説を書くのかとても興味があり、ある日稽古帰りの電車の中でたまたま二人きりになった時に思い切って聞いた。
それはどこからか降りてくるのだそうだ。何者とも呼べないものに書かされるのだと。それは大抵夜中だということだった。それを聞いて私は、「やっぱり作家なんだなあ」と感心したことを思い出す。

2017年3月15日

134 △

✕というほどではないが、あまり調子が良くない。△といったところか…
一年を通していつも3月がよろしくない。バイオリズムが低調だ。春よ来い!早く来い!

2017年3月6日

133 平日に休む楽しみ 

業界的に土日祝日は仕事のことも多く、もういい歳なんだし、平日に休日を作りたいと常々思っていた。水木と休めたら理想的だ。昨年身体の調子をくずした時から周りのスタッフにもブツブツと言っており、そろそろ浸透した頃でもあり、いよいよ決行だと先月は意気込んで休んだものの一回で頓挫した。スタッフにも笑われるばかりだ。木曜日に出勤してくれるKさんは安心して任せられるようになったことでもあるし、今月に入ってから、せめて木曜日だけでもと頑張って(笑)休んだ。
意気込んだり、頑張らないと休めない程の、私はワーカーホリックであったとも言えるだろう。私が休んだからといって誰もそう困ることはないはずなのに…
これからは木曜日の休みには自分の身体と心が喜ぶことをしようと思う。この間はまず歯の治療を再開し、仙骨の調整に行って、ゆっくりとランチを食べた。
そして午後は映画を観に行く。以前は忙しくても年に5、60本は観ていたものだがとんと減ってしまった。久しぶりの映画は軽く明るい物がいいなあと「ラ・ラ・ランド」にする。予告で流れているメイン曲も踊り出したくなるような楽しさだし、タイトルからして歌うように軽やかではないか!今年の賞レースで話題なので、噂の垢がつかない内にさっさと観ておこうとも思う。売れないジャズピアニストと女優の卵の恋物語という魅力的な話にも惹かれる。チャゼル監督は少し前に「セッション」で注目を浴びて作品もそれなりに面白かったが、鬼教官が何故このような鬼にならざるを得なかったかの説明が足りず、主人公の若い俳優に魅力がなく、少し物足りなかった。「ラ・ラ・ランド」の二人、エマ・ストーンとライアン・ゴズリングは決して美男美女ではないが、とてもチャーミングだ。ネタバレになってしまうといけないので、あまりここには書けないが、単純なハッピーエンドでないのが良い。どんでん返しかと見せるラストシーンの演出に異論を唱える人もいるだろうが、何もかも受け入れたセバスチャン(ゴズリング)の笑顔で終わるラストに胸がいっぱいになる。
この映画の何よりも素敵なところは、映画とジャズへのオマージュに溢れているところだ。映画を観ていればいるほど、ジャズが好きであればそれなりに、科白や背景の小道具にニヤッとさせられることだろう。私も好きで持っているビル・エヴァンスのLPジャケットなんかが出てきた時はニンマリだった。映像、音楽がとても良いので映画館で観たい映画の一つに違いない。

平日に休むことのメリットは、どこへ行っても比較的空いていること。ゆったり過ごして気持良く終えた休日の翌日は多少のことでは動じない。スタッフにも優しく出来る(かな?)。皆の為にもなるのだ。これからは絶対休むぞ! 
って、リキむなってば。


2017年2月24日

132 二代目イヤシ部長就任

今日から「プレミアムフライデー」が始まり、マスコミも盛んに取り上げていた。働き方改革、消費増大を狙って経済産業省が提唱し官民一体となって推し進めているらしい。過剰労働を避けつつ、早く終わるなり休みになった金曜日にどこかで出かけてお金を落とすという算段のようである。このプレミアムフライデーで空いた時間に何か舞台や映画でも観ようか、旅行にでも行こうか、買い物でもしようか…、そういうコトにお金を使ってもらうんだとお上は言うだのだろうが、それ程単純なことでは無いような気がする。場当たり的だと思うのは私だけだろうか。
我々のようなアート、エンターティメント関係の仕事は人が休みの時に催しを開くので、サービスを提供する側ということになるだろうか。しかし、少なくとも私の回りではこのフライデーの盛り上がりは一つとしてない。劇場にお客さまを呼ぶ際に「時間が余ったら」という誘いの言葉はないからだ。人を呼ぶには面白いと思うことをやるしかないのである。

働き方改革といえば、事務局に新しいスタッフが来てくれることになったが、このHさんは1歳8ヶ月の男児付きである。このところ子連れ通勤者が続いている。殊更に子連れ通勤を推進している訳ではないが、こちらの条件がこの業界の仕事の経験者で週2、3回位来てくれる人で、このくらいの時給でというのに合致するのは、こういった小さい子を持つ母親くらいになってしまうのかもしれない。まだ常勤では働けないが、少しづつ働き始めたいという希望がある年齢でもある。
先日まで来てくれていたイヤシ部長のサツキちゃんが来なくなって、スタッフが「サツキちゃんロス」に陥っていたところにこのチビちゃんシュン君がまた皆の心を和ましてくれることになった。早速二代目イヤシ部長に任命された。
事務局で会議など重要な事がある時はシュン君を置いてきてもらわなくてはいけないが、幸いなことに近くに実家がありHさんのお母さんに預かってもらえるとのことであり安心だ。保育所付きの大企業からは鼻で笑われるような改革だろうが、働き方改革はこういった形でも出来るのだ。



2017年2月15日

131 イヤシ部長地方栄転

職場のイヤシ部長として週1、2回、2年間程頑張ってくれた又姪のサツキちゃんが、父親(私の義理の甥)の帰郷に伴って東京を離れることになった。
この義理の甥のケンちゃんは一流国立大学大学院の建築科を出て、都市開発事業に力を入れている一大企業のMビルに就職、多くの高層ビルの中でも一際異彩を放っている六本木ヒルズの中のオフィスに勤務していた。拡大、拡大で来た日本の不動産業界の代表格のMビルの役目はそろそろ終わりだろうと私は思っている。ケンちゃんも「Mビルはもう大きい物しか造れないでしょうね」と言う。真新しい高層ビルばかりでは街の魅力は損なわれ、古い物が残っている街に人は惹かれ始めている。故郷の浜松で再スタートするというケンちゃんの決意を聞いてとても共感した。
これからは地方創生の時代だ。感性が豊かな人ほど既に地方に着目している。ケンちゃんには建築家としての経験と知識を大いに活用して、地元を活気付け、地方と都会の新しい関係作りに力を入れて欲しいものだ。私は、子どもがまだ小さい若い家族には東京の環境はあまり良くないと常々思っていた。第二子が7月に生まれる予定の若い夫婦にとって、地方に移るのは丁度良い時期でもあろう。
サツキちゃんとはゼロ歳児から2歳ちょっとまで、日々目覚しく成長する一番可愛い時期に共に時間を過ごすことが出来て実に幸福だった。所詮幼児なので、ぐずったり泣いたりしていよいよ駄目な時は早く帰すことにしていたが、帰したのは3、4回だった。立派な勤務ぶりであった。実際に仕事をしたのはあなたの「オカアシャン」だけど、サツキちゃんは職場のスタッフの皆を笑わせ、元気にし、癒してくれるという任務を充分に果たした。ご苦労さま、ありがとう。
最近は2歳児の反抗期の冷たい態度をとって私を悲しませていたが、別れが分かるのか、最後に抱き上げたら彼女の方からギュッと抱きしめてくれ、ほっぺもスリスリしてくれた。もう私は泣くしかない。





2017年2月5日

130 余寒見舞い

とうとう年賀状を出し損ねてしまった。
寒中見舞いさえ日が過ぎた。年賀状を早々とお送り下さった方、失礼しました。
こんな時が来るとは思っていた。元々、社交辞令というか虚礼を好まないので年賀状のつき合いは止めていた時期がある。その内そうもいかなくなって人並に年賀状を出したりもらったりするようになり、何年か経った。出すのを厭う割には受け取ってみると嬉しくもあり、中には工夫された楽しい物もあり、新年から心和ませてもらったものだ。
一昨年だったろうか、友人のSさんから年賀状交換の取りやめの宣言があり、自由に生きる彼らしくもあり、その潔さに感嘆した。わざわざ言わなくても良いのにと思う人もいるだろうが、これは残りの人生を人付き合いに煩わされずに、より自由に大切に生きようという宣言でもあり、年賀状はその象徴に過ぎない。
私にはまだそんな勇気はない。せめて、年賀状を下さった方々には余寒見舞いを出そうと思う。






2017年1月25日

129 〇


寒い、サムイ! 熱燗、アツカン!

2017年1月15日

128 下着整理

今日は今年初めての完全OFF日、月に一度のグダグダ日にする。誰とも会わず話さず、グダグダのんびりする日が月に一日くらいは欲しい。生憎というか丁度というか、今日はとても寒くて外出には向かない天気だ。
そうこうしながら一つだけ片付けをしようと思い立つ。下着類だが、消耗品に近いので折に触れ少しずつ処分してきているから、すぐに出来るはずだとも思ったのだ。予想通り、自分の決めた基本数を揃えることが出来た。処分するのは12点あった。
元々、若い頃から締め付けの強い物は嫌いだった。ガードルなんて物は今まで数回穿いたかどうかで、30代中頃の身体の線が気になりだした頃、結婚式に招かれて着た薄いドレスの時は久しぶりにきつくないガードルを買って穿いたものだったが、せっかくの高級料理もゆったりと食べられずに途中で脱いでとうとうトイレのゴミ箱に捨ててきたくらいだ。ヒッピー文化などの影響で時代の空気もあって、若い頃はノーブラで過ごしたこともあった。時の経過と老化と重力の法則で他人様に見苦しい物を見せる訳にも行かなくなり、自分でも落ち着かず、ブラジャーは着けるようになったが、何よりも着け心地優先だった。そうこうする内にブラ付キャミソールという便利な物が出だし、ずぼらな私はすぐ飛びついた。ところが、若い子たちが行くような店の物は、ブラの位置が高くカップが厚く、どうもしっくりこない。ちょっとダサいデザインだが中高年向きのメーカーの物を試したら、何とも楽ちんではないか! とっくに中高年なんだからあたり前なんだけど…
若い頃は歳をとってもババ臭い下着だけは絶対身に着けたくはないと思っていたが、こうやって自覚させられるのだ。

ババ臭いと言えば、オバサン、オバアチャンの原宿と言われて久しい巣鴨には、健康増進、厄除けの為の「赤いバンツ」があるということは以前から知っていたが、勿論買うつもりなどこれっぽっちも無かった。ところがある日、もらってしまったのだ! 仕事のスタッフの I は本業は女優だが、まだまだ食べられず合間に私の手伝いをしてくれているのだが、舞台衣装であるモンペを買いに行った(巣鴨にはあるのだろうなあ)ついでに赤パンツを買って来たのだそうだ。彼女は私の事を「ボス」と呼ぶ。「ボス!腰を冷やさないで健康に気をつけて下さいね!厄除けにもなるんですよ!」
ウ~ン、男の厄なら欲しいくらいだってば。オバサン扱いされてガックリする私に、彼女は自分の分も買ってきたのだと慰めにもならないことを言う。彼女はほぼ20歳程私より年下なので、まだまだオバサンなどではない。その後彼女が言うには、彼女は舞台に立つ時は必ずこの巣鴨赤パンツを穿いているのだそうだ。まさにある意味「勝負パンツ」なのだ。舞台の彼女を観る度に「このモンペの下はあの赤パンツか」「このセクシーなドレスの下も赤パンツか」と、想像力がかき立てられる。赤パンツの効果か、舞台の上の彼女はいつもはち切れんばかりに元気だ。

今回残した物は、ブラジャーがいらないカップ付キャミソールを9枚、締め付けないショーツを18枚、きちんとした格好をする時のブラジャーを念の為に3枚、真冬用の発熱下着を3組。着心地が良くて便利で、コットンかシルクのオーガニックな物を厳選した。これで下着の整理は終わり。丁度、引き出し一杯に収まった。他のグッズと同じで、ワンアウト、ワンイン、一つ捨てたら一つ補充するだけだ。
ブログ用に写真を撮ったら、肌身に着けた物はどうも生々しいので、同じ物のカタログ写真を載せることにした。自分の着る下着の写真を撮るなんてことは滅多にはあるものではない。(巣鴨パンツは実物)(笑)





2017年1月5日

127 2017年正月

また新しい年が始まった。
何も始められないとしても、新しい年がやって来ると気持ちが改まって、何か出来そうにな気分になるのは嬉しい。
元旦は一人でのんびり過ごして、一年の計画、目標などに頭を巡らすのが恒例となった。大したことがない計画なのに何故かバタバタになってしまう毎日を今年こそ改善したいものである。
2日は、特養から母を連れ出し、実家で新年会をするのがこの数年続いたが、インフルエンザの流行を懸念した特養側が外出を禁止、面会も玄関脇でしか出来ないということなので、今年は諦めた。少し暖かくなったら会いに行こうと思う。母不在の実家には行く気にもならず、2日も夕方まで一人でゆっくりする。のんびりした正月もとても良いものだった。
翌3日は、やはり恒例の伊勢詣りなので、2日の夕方から名古屋経由で伊勢へ。年によって参拝時間が違うということで、昨年と同様に今年も早朝(夜中)3時に集合して外宮から内宮へと回る。まだ外は真っ暗で空気が澄み、空には星がまたたいている。外宮は私達一行のみで、内宮も人影は少なく、ゆったりとお詣りが出来た。実に清々しかった。年毎にお詣りが充実してきたような気がする。