日野原重明先生が105歳で他界された。先生が87歳の時に出会ったので約20年経った訳だが、ほとんどお姿が変わってないような気がする。先生は20年前の当時から知る人ぞ知る著名人ではあったが、その後、いわゆる「ブレイク」されたのには驚かされた。
私の所属する団体の前会長の母が自宅ターミナルの療養に入った時に、日野原先生が主治医として訪問治療にあたって下さったのだが、自ら家々を回って歩かれていたので「こんなに偉い方が…」と驚嘆したものだった。最期も自宅で看取って下さった。悲しみに沈む私たちに「舞台に関わるあなた達にとって、シェックスピアに馴染みがあると思うけど『終わり良ければ全て良し』ってあるでしょ」「そのように大変立派で良い最期でしたよ」と、慰めて下さったのが今でも鮮明に思い出される。
それがきっかけで娘である前会長とも親交が続き、会が主催する「子どものための日本文化教室」にも賛同され、年に一度、特別講師として子ども達に「いのちの授業」を授けて下さっていたのだ。
その後、その前会長が病に倒れ、やはり日野原先生に看取って頂いたのだが、沢山の患者を看たであろう先生にとっても、母娘して最期を見とどけたのは稀有であったに違いない。
最後にお会いしたのは5年前の春だったが、階段を登る先生に手を差しのべた私に「いや、結構」とおっしゃって、手摺りにこそ掴まっていたがトントンと軽い足取りだった。驚異的な100歳だった。
「110歳になった時に会いましょう!」がその時の約束だった。日野原先生だったらあり得ると思っていたが、望みは叶わなかった。先生はハイデッガーの「死は生のクライマックス」という言葉も時折引用されていた。人生を全うし、生き切った人、日野原先生そのものに重なる言葉だ。
日野原先生、ありがとうございました。