2019年12月31日

235 喜怒哀楽2019年

今日は大晦日。この数年の習わしで年末と元旦は一人でゆっくり過ごし、来し方行く末を静かに考えることにしており、この時間がとても気に入っている。
今年はとにかくパーキンソン病に終始した年だった。喜怒哀楽の種もこれに尽きる。「喜」もか?と言う人がいるかもいれない。だが、この難病がもたらしたものには喜びもあるのだ。この病気にならなければ見られなかったものが見えてきた。私は常々「病は師だ」と思っているが、今回も全くそうだった。病気にならないと分からないとは情けないけれど、症状に苦しみながらも、私の人生にとってこの病気があると無いとではあって良かったのだと思い始めている。人の罹る病気はやはりその人となりなのだ、とも。
「怒」の感情はもっぱら自分に向かっている。自分の身体の声を聞かず、感情を押し殺し、自分をないがしろにして、結局はかけがえのない自分を虐めてしまった。今日までは、とことん自分を怒ろうと思う。明日からはその分、代わりのないこの自分というものを徹底して大切にしたい。
「哀」は、この身体の不自由さ。老化現象の何年も先を見せられて、老いの哀しみを感じざるを得ないということだ。病気ならずとも、どうせいずれはガタがくる肉体だが、ついこの間まで健康だった身体の記憶がこの鈍い動きについていけず、もどかしく悲しい。ヨガや整体、呼吸法などのお陰で身体の動きも滑らかになってきたので、もう少し齢を溯りたいものだ。
「楽」もこの病気のお陰でこれからは倍増しそうだ。生来のオプティミストの私は、快感ホルモンのドーパミンの不足が原因とされるパーキンソン病とは無縁のはずだった。「余程のストレスだったんだね」と、この数年の私の仕事状況を知る人の言葉であるが、それはともかくとして、ドーパミンが足りないのであれば出せば良い。とにかく楽しいこと、いいことだけを考えるようにしたい。

昨日は、手伝ってもらいお掃除も終わり、気持ちもさっぱりしたので早速楽しいことでもと思い、映画を観に行ってきた。気になっていた「Yesterday」、映画館で観たかった映画だ。イギリス映画らしい良い映画だった。私達ビートルズ世代、ファンは必見。未見の人の為にここには書けないが、ラスト近くのある人の登場で涙が溢れた。



2019年12月22日

234  〇

マル。
今年も残り10日を切った。何とか無事に越せそうだ。

2019年12月12日

233 〇

寒さはP病にとって良くないようで、身体の強張りが増し、冷え性には縁が無かった私も身体が冷える辛さを実感している。
諸々の療法が効いて、ギクシャクしていた身体がせっかく滑らかになってきたのを逆行させてはならない。寝る前のお風呂、身体を温める飲み物、防寒下着を着込む、等、万全にして、冬を乗り切らねば!


2019年12月3日

232 〇

早いもので、もう師走!
ありきたりな言葉だ…
今年は良くも悪くも忘れられない年になった。リハビリのお陰か体調も少し落ち着いてきたので、残りの一ヶ月を締めくくりの月として有益に過ごしたい。

2019年11月22日

231 コピ・ルアック / 猫のコーヒー

姪一家がベトナム赴任中で家族が訪ねて行くことが度々あり、ベトナム土産をもらう事が多くなった。今回は姪の姉夫婦が行って来た。姪達は私の好みをよく分かっていて、形が残るモノなどは決してくれたりはしない。マカデミアナッツ、蓮の実、ジャコウネココーヒーが今回のお土産だ。何ともベトナムらしく、ジャコウネココーヒーとは珍しい!東京の一流ホテルなどでは一杯1万円近くする最高級コーヒーだ。私はまだ飲んだことがない。美味しいばかりではなく、健康にも良いという。
コーヒーを常飲する人と喫煙者にはパーキンソン病に罹る人が少ないと聞き、その気になり易い私は、今は一日一杯はコーヒーを飲むようにしている。最初は成分のカフェインが身体に良いのだろうと思ったが、コーヒーを飲む時間を持てるゆとりが身体に良いのだろうと最近は思う。喫煙もしかりである。(勿論、煙草を吸ったりはしないけど)
パーキンソン病の原因はドーパミン不足。快感ホルモンのドーパミンは報酬ホルモンとも言われ、「良くやったね」「少しゆっくりしなさい」という、自分へのご褒美が必要なのだ。最高級品コーヒーともなれば、そのご褒美ぶりも最大級に違いない。
マタタビがパーキンソン病に効くということで、マタタビ入りの漢方薬をこの間から飲み始めて、「猫にマタタビ」状態であるが、今度はネコ(ジャコウネコは猫でははないというけれど)が排出したコーヒーを飲むことになった。ネコ科の寅年としては因縁を感じるのだった。
私はいつもペーパードリップでコーヒーを淹れているが、それがコーヒーオイルも一緒にろ過してしまって味が落ちてしまうそうで、金属フィルターが豆の良さをしっかり引き出すというので、金属フィルターを買うことにした。それまでしばらくこの最高級品コーヒーはおあずけである。せっかくだから美味しく飲みたい。






2019年11月12日

230 〇

マル!
この数日、気持ちの良い晴天が続いている。まさに小春日和だ。
日光にあたるとドーパミンの働きが良くなるということで、窓辺に椅子を寄せて、毎朝ポカポカの明るい日差しに身を任せている。とても気持ちが良く、確実にドーパミンが増えていそうだ。

2019年11月2日

229 懺悔文

春頃だったか、「十句観音経」について書いたことがあった。全部で十句と短いものでいつでも唱えることができ、その霊験、功徳は、はかり知れないものがあるという、ズボラな私向きだなあと、何とも罰当たりな心掛けで始めたが、直ぐにそらで唱えられるようになった。欲の力はスゴイ!
ブログを読んだ高校時代からの友人Hが「知っている」とのたまう。何と、お祖母ちゃんが毎朝唱えているのを子どもの頃から聞いていたのだという。まさに「門前の小僧」だ。それから、程無くして「あれには続きがある」と言う。気になって調べたが分からない。どうやら、お祖母ちゃんが、十句観音経の後に唱えていたらしい。彼女に尋ねると「懺悔文 さんげもん」と「三帰戒文 さんきらいもん」だと教えてくれた。更に、「懺悔文は今まで生きてきた自分を懺悔する物」なので、オススメだ!と言う。
確かに立派に生きてきたとはとても言えぬ私だが、病を得てから「これからは楽しいことだけを考えよう!」と誓ったのに、やれやれ懺悔かよ…とも思う。
ところが…
懺悔文全文が四句とあまりにも短いことに笑ってしまった。どこまでずぼらな私向きだろう。これがHのオススメたる所以か?!こんな罰当たりな私にも功徳はあるのか?…
観音経の時にも記したが、信心は無くとも経を唱えている時は少なくとも無心でいられる。その先に空や無の境地があるのだろうか。

懺悔文(さんげもん)
自分が犯した罪や過ちを仏さまに悔い改める言葉
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
わたくしは、昔からたくさんの悪をなしてきました。
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
果てしない過去の世から、欲望と怒りと愚かさによって、
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
身の行いと、口にする言葉と、迷いの心から生じ、積み重ねてしまった悪です。
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
それらのすべてを、わたくしは今、懴悔いたします。


2019年10月23日

228 ◯

マル。
やっと涼しくなり、良く眠れるようになった。

2019年10月13日

227 △

文字通りの、台風一過。雲一つない青空。
個人的には気圧の変化のせいで体調悪く、世間的には被害を受けた方々のことを思うと、この空のように心は晴れない。故郷も千曲川の氾濫で大変なことになっている。ひとまず家族は無事だった。

2019年10月3日

226 秋暑し

二ヶ月に一度の句会、ひなせ会を休んでしまった。句会発足の言い出しっぺでもあるし、何よりも楽しみにしていることでもあるので、今までは休むことは無かったが、身体がしんどくて、いつも一万歩は歩く吟行は無理だろうと判断した。10月に入っても30度を超える異常な暑さと朝晩の寒暖差とで、すっかり身体が参ってしまったのだ。もうすぐ秋、もうすぐ涼しくなると堪えていたので、余計にいけない。おまけに病気持ちの身体だ。久しぶりに弱気になっている。先日は整体の先生からも「上半身がのぼせていて下半身が冷え切っている」と言われる。アンバランスな身体だ。
日本には四季は無くなった。「二季になってしまった」と、知人の日本ミツバチの養蜂家のKさんは何年も前から警鐘を鳴らしている。気候と密接な仕事をしている人ならではの見解だ。私のように日本の伝統文化に関わっていると「日本の豊かな四季が日本人の繊細な感性を育む」などと言いがちだが、こんなに暑くてはもうそんな繊細な感性など望むべくもない。私もこの数年はイライラと「暑い!」とばかり怒っていたような気がする。
ところで、吟行、句会には「歳時記」が必須アイテムだ。数年前に辞書類を整理し、文庫本一冊の大きさの電子辞書一つにまとめた。そこには歳時記も入っているのだが、俳句作りにはやはり紙の本の縦書きがしっくりくるので、結局、文庫本の歳時記を改めて買ったのだった。それをパラパラとめくってみると、秋らしい季語が並んでいる。
秋茜、秋入日、秋麗、秋風、秋草、秋桜、秋雨、秋時雨、秋立つ、秋七草、秋夕焼、秋の宵…秋が付く物だけでもまだまだ沢山ある。季節の中に移ろいがあり、一日の中にも移ろいがある。本来の日本の秋はもう歳時記の中にしかないのか…




2019年9月23日

225 パーキンソン病奮闘記 -7 / 猫にマタタビ

今まで何人かの人に何ヶ所かの病院、診療所を紹介されて一通り回ってみたが、後一ヶ所だけ気になる所があった。読み漁った本の中で見つけた医師のクリニックだ。それが何と故郷の佐久にあることが判明。帰省の折に寄ってみようと思っていた。その内、そこに妹が月一回通っていることも分かり、より詳しい情報が入り、益々気持ちが高まっていたところだった。遠方からも訪ねる人も多く予約も取り難そうだったが、ラッキーにもお彼岸の帰省に合わせて予約が取れた。
妹に付き添ってもらって診察室に入ると、そこには写真で見た通りのぽっちゃりした優しそうな先生がニコニコしながら「良い気候になりましたねえ。こちらは寒いくらいですかね?」とおっしゃる。「いつもあんな感じで季節や世間話から始めるんで、最初はびっくりしたんだよ」と、後で妹が言う。時候の挨拶なんて当たり前なのに、それが驚ろかれるくらい世の中の医者は事務的な人が多いということだ。パソコンばかり見て患者の顔をろくすっぽ見ないという話もよく聞くことである。この水嶋先生は関西出身ながら、佐久総合病院にお勤めされたのがきっかけで、佐久が気に入って開業したのだそうだ。
話を伺うと本で読んだ通りの医療方針だった。西洋医学をベースに東洋医学の良い所を導入してその人に合った治療を見つけていくというもので、自然療法一辺倒でもない。私の症状には、鍼灸と漢方薬が良いのではないかと、早速鍼灸を施され漢方薬が処方された。初めての鍼にはドキドキしたが、痛いことは無かった。
漢方薬には「マタタビ」が調合された。あの「猫にマタタビ」である。マタタビにはドーパミンを出す働きがあるそうだ。どうりで猫もポワ~ンとする訳だ。私はネコ科の寅年、効きやすいかも(笑)マタタビは保険がきかないとのことで少し高価。「猫に小判」にならないようにしっかり飲もう。朝晩に一杯ずつ、抹茶碗に淹れてうやうやしく飲んでいるが、ルイボスティーのようでもあり、味はそう悪くない。
今春、大々的な検査をした時にもう検査は二度とご免と思ったが、今回、鍼治療をする為の根拠としてレントゲンを撮らなくてはいけなくなった。結果「きれいな骨ですね」と褒められるような状態だった。春の検査の結果も全体的には完璧に近かった。このドーパミン不足の問題さえ解決すれば、むしろ健康過ぎるくらいなのに、人間の身体の繊細さを文字通り身をもって知るばかりである。
「薬を飲みたくないのです」という私に「いつかきっと手放せますよ。せっかく体調が整ってきたんだから、もう少し整ってから手放しましょう」と、水嶋先生。私は、この言葉が欲しかったのだ。

マタタビ入り妙薬?



2019年9月12日

224 ◯

マル!
終わった、とにかく終わった!
この数年に渡る胸の痞えがおりた。重荷がおりた。
私の手に余る団体との引継ぎが終わり、やっと性悪男(笑)と別れられたのだ。
このけじめに一杯のビールで自分に乾杯!

2019年9月2日

223 土浦狂言公演

年に一度、秋に土浦を訪れるようになって丁度10年になる。城址公園での薪能の為だが、ここは松が良い具合に生えていて天然の鏡板といった風情で、ロケーションが良い。薪能には雨天時の代替会場の用意が必要で、いつも市民会館が押さえられているが、悪天候で使用したのはこの10年で一回という幸運ぶりだった。今年はその市民会館が改修工事の為に使用出来ず薪能は中止になった。
その代わりに「土浦狂言会」が企画され、野村万蔵師を始めとした万蔵家の若手による公演と観客体験の催しとなったが、チケットも売り切れ、満席。万蔵師と子息の万之丞師は昨年のNHK大河ドラマに出演されていたということもあって、能楽ファンばかりではない観客も増えたようである。こうしたことがきっかけで能楽に興味を持つ人が増え、生の舞台に足を運んでくれる人が多くなるのは良いことだ。
公演も無事終了。土浦は東京から一時間ちょっと(特急だと40分)で通勤圏内ではあるが、旅気分になれる距離でもある。毎年一泊していたが今年は日帰りだ。私の体調を心配して付いてきてくれたスタッフのKと、ビールで一日の労働にけじめをつける。



2019年8月22日

222 夏休み親と子の能楽教室

第39回「親と子の能楽教室」が、昨日無事に終了した。その回数が示す通り、40年の長きに渡って続けてきた催しである。私が関わってからも25年になる。私の所属する伝統芸術振興会の前会長の南部峯希が亡くなってからのこの10年は、梅若研能会が引き継いでくれている。
以前、新聞社回りをしていた時に、大人にも難しい能を子どもに見せるなんて拷問にも等しい、と言った新聞記者がいたのを未だに忘れない。新聞記者にしてこうであった。今でこそ子ども向けの能楽の催しも多くなったが、当初は世間の理解を得るのが大変だった。南部の情熱が少しずつ周囲の無理解を解かし、彼女が亡くなる2年前には「能楽堂の正面席を子ども達だけで埋める」という夢の目標が達せられたのだった。幼児も含めた子どもたちが親と離れて能を鑑賞することが可能になったのも、南部の練りに練ったメソッドがあったからだ。一番の目標は「観客を育てる」ということだった。目標を達成する為には観劇マナーの勉強も必要で、その事前学習の内容は濃かった。能を難しいと思って敬遠するのは大人であって、子ども達は難しい事や新しい事へ挑戦するのが好きなのだと分かったのも新鮮だった。その為にも子どもにこそ本物に触れさせるべきなのだと納得もした。
だが、時は過ぎ、提供する側も観る側も価値観が変わった。昨日の公演終了後に主催側の事務長T氏は「初めて安心して見られました。成功と言えるでしょう」と安堵の言葉を述べたが、裏腹に私は「私どもにとっては、ターニングポイントだと思います」と伝えた。ここでは多くを語るまい。このような手間がかかる催しを10年も続けてくれたことには感謝の念があるばかりだ。どこにも価値観の相違は必ずある。その感覚が離れて交わらなくなったらそれぞれの道を行くしかない。自分は何を一番大切にするか? 見失わないようにしたいものだ。
今回、何よりも嬉しかったのは、「子どものための日本文化教室」に何年も通ってくれているユキヒト君とサキヨちゃんが、花見稚児として立派に舞台を務めてくれたことだ。堂々とした足さばきと立ち姿だった。こうやって日頃の教室の成果を見せてくれると、とても感慨深い。教室の一回一回は少しずつなのに、いつのまにか身につけているのだ。子どもの可能性は果てしない。




2019年8月12日

221 疑ひは人間にあり -能楽座自主公演「羽衣」-

夏恒例の能楽座自主公演は、今年は少しずれて9月7日である。約三週間後だが、この猛暑が和らいで来場されるお客様の心地が少しでも良いようにと願う。
流儀を超えて志高く集まった一流の演者たちの団体である能楽座も鬼籍に入る人も多くなり、毎年追善公演が続いている。今年は藤田六郎兵衛師の追善だが、64歳という若さだった。鋭いヒシギで一気に世界を切り開いて異界に連れて行ってくれる笛の力は素晴らしかった。能楽界は貴重な存在をまた一人失った。その六郎兵衛師を悼む為にも、沢山のお客様に来て頂きたいものだ。
能は「羽衣」。能の世界には宇宙の営みを正面から謳いあげた曲がいくつかあるが、「羽衣」はその代表曲と言えるだろう。あの有名な羽衣伝説である。羽衣を返してくれたら御礼に舞を舞おうと言う天女に、返してしまったら舞も舞わずにそのまま帰ってしまうだろうから先に舞ってくれと言う漁師の白龍に対して天女が言う科白が、「いや疑ひは人間にあり、天に偽りなきものを」である。この言葉を聴く度に私は畏怖の念に打たれる。白龍は自分を恥じてすぐに羽衣を天女に返すのだが、人間の卑小さと宇宙の法則とを言い当てた何と本質的な言葉だろうか…
私も若い頃は唯物論者で、目に見える物や頭で理解できる物しか信じなかったが、歳を取りやがて世の中には人知を超えた存在があるのだということに気が付くことになった。宗教めくのが嫌でそれを神とは呼べず、宇宙の法則とか真理とか呼ぶことが多かったのだが、能で「天」という言葉に出会った。古語には味わいがある。このように能の詞章が寓意する普遍的な言葉に出会うのも、能を観ることの新鮮な感動なのだ。
シテは人間国宝・大槻文藏師、今、一曲、一曲を見逃してはならない名人の一人である。
今年は能楽座らしく、観世流の他に金春流櫻間金記師、宝生流武田孝史師、喜多流粟谷明生師、とシテ方四流が揃った。粟谷師は能楽座の二代目代表粟谷菊生師の子息でもあり、能楽座公演にも何度か出演頂いている。今回は、仕舞「熊坂」長裃をお願いしているが、これは喜多流にだけある仕舞ということで、長裃を着けての足さばき、長刀の扱い、難易度も高く、きっと見応えがあるに違いない。







2019年8月4日

220 △


今日は最高気温が、35度だった。高温が止まらない。日本はとうとう熱帯になってしまった。
書く事は沢山あるが、「暑い」という言葉しか浮かんでこない。

2019年7月24日

219 △


久しぶりの快晴。気温は30度を超え、真夏日だ。
晴れると交感神経が刺激され活動的になり、気分も高揚するが、今日はやたらと足が震えて気持ちが悪い。交感神経と副交感神経のバランスが悪いのだろう。
バランスの悪さは、昨日までの天気と今日の天気の落差の影響に違いない。ちっぽけな私は自然の一部に過ぎない。

2019年7月14日

218 ポーランド映画「あの歌、2つの心」

病気の為に長く座っていられないのと脚が震えて隣席に響くのが気になって、ここのところ映画館には遠ざかりがちだが、気になる映画はどうしても映画館で観たい。ポーランド映画、大戦後のヨーロッパ、歌手とピアニストの恋、亡命、と聞いたら、観ない訳にはにはいかないだろう。平日の空いている映画館に出かける。もっともこういう映画は混んだりはしないけど…
ポーランド映画は3年程前に観た「パプーシャの黒い瞳」以来だろうか。この「あの歌、2つの心」と共に第二次大戦後の激しいポーランド現代史の話だ。深いテーマをモノクロの美しい映像と抑制された演出で淡々と見せる手法も共通している。それが却って心に響く。アニメやCGがもてはやされる昨今、極彩色に辟易している目や心にモノクロが優しく心地良い。
「あの歌、2つの心」には、全編を通して魅力的な楽曲が流れる。マイルス・デイヴィス、エラ・フィッツジェラルド、ビリー・ホリディ、グレン・グールド、……そして、ポーランド音楽。繰り返し流れるメインテーマも物悲しく美しい。音楽映画の傑作と言っても過言ではないだろう。
ワイダの「灰とダイヤモンド」などの東欧ヌーヴェルバーグに継承されていく、時代の背景も鮮明に浮かび上がってくる。原題の「Cold War」は、まさに当時の時代背景そのものだが、その時代に翻弄される男女の激しくも哀しいラブストーリーだ。
それにしても、スターリンの圧政とは、と思う。
私が制作に関って20年になる、石橋幸のロシア俗謡コンサートで歌う曲もスターリンの圧政下で禁止された唄が多い。それを庶民やジプシーが密かに歌い継いだ物を石橋が自ら収集して歌っているのだが、その中には、スターリン賛歌を歌わなかった為にシベリア送りになったワジム・コージンの唄もある。彼は「私が歌うのは愛の唄だけです」と、生涯を通じて信念を貫いた。











2019年7月5日

217 パーキンソン病奮闘記 -6 / 主治医

「長い付き合いになるよ」
検査の結果、病名が確定された時の主治医の第一声である。
薄々は予測していたが、病名を宣告されて頭の中を色々な思いがグルグルと巡る中、長い付き合いとは病気?これから飲み始める薬?この目の前の医師?と、ぼんやり考える。結局はその全てなのだけど。
病院には長年行っておらず、これからも無いだろうと思っていた。よもや主治医と呼ぶような関係の医師との付き合いが始まるとは思いもしなかったことだ。S先生は信頼する人の紹介ということもあり、まずは第一段階はクリアしており、第一印象もとても良かった。失礼ながら、気取りが無く軽口を叩けるような方でもあり、私の素っ頓狂な物言いにも軽妙に受けて下さる。
大袈裟に心配する私に「君が急に悪くなる心配より、大地震でも心配した方が現実的だよ。近頃は突発の交通事故もあるしさ」「勉強も良いけど、あまり勉強しないようにね、不安になるから」と、心配を取り除いて下さる。それでも、我慢出来ずににわか勉強をして素人の質問をする私に「また勉強してきたな、仕方ない、教えてやろう」と、脳の模型をパカッと開けて説明して下さる。歩き方も良くなって、病気も治ったがごとく有頂天になっているお調子者の私に「山あり谷ありだよ」と釘を差すのも忘れない。この分野の重要ポストを歴任してきた偉い先生なのに丁寧で思いやりのある診察だ。話もよく聴いて下さり、つまらないことを言っていないで黙って付いてくれば良いんだ、というような高い所に居る方ではない。
「オレ、そんなこと言ったっけ?」なんて、トボけた物言いをすることもあり、笑わせてくれる。キャラクターが豊かでとてもチャーミングだ。「オレにそんなこと聞くの?」って、こんなことを聞けるのは先生だけでしょ?
河合隼雄に「患者は皆、精神科医に恋してしまう」という名言がある。私が通っているのは神経内科だが、人の心を大切にしたS先生の診察はまるで精神科のカウンセリングのようでもあり、弱った時の患者の気持ちが分かるような気がする。私もちょっと恋しているのかもしれない。(笑) 絶対に飲むまいと思っていた薬を飲んでいるのはそのせい? でも、そのお陰で姿勢も歩き方も良くなった。
そんな素敵な先生なので、私の話を聞いて、診てもらいたいという友人が二人も出てきた(ガタがくる年齢なのだ)が、予約が取り難い。先生も「あまり宣伝しないように」とおっしゃる。公人なので実名を出しても問題ないと思うし、ネットで調べればお名前もすぐ分かることだけど、ここでは敢えてS先生とした。宣伝すると、大好きな先生に叱られるので。


ウン年前の? S医師

2019年6月25日

216 パーキンソン病奮闘記 -5 / ヨガの仕上げ

私のヨガの先生の下舘あい先生が、今春、メディカルヨガ学会から発表されたパーキンソン病の為のプログラムを私の為にアレンジして下さった。週2回、8週間の集中プログラムを4月、5月と個人レッスンで鍛えて頂き、この6月は週1で復習と仕上げをして頂いた。
今日でプログラムは終了したが、自分一人だと楽な方に流れがちになるので、時々は先生の通常の教室に伺って矯正して頂かなくてはならない。
このプログラムの主旨は転ぶリスクを少なくするということなので、一生懸命やっただけありバランスがとれてきたような気がする。先日は、ちょっと前だったら転んでいたような場面で、何とかこらえることが出来た。
毎朝約30分のプログラムはほぼルーティン化したが、ヨガは奥が深いのでこれで終わりという事はない。
先生に作って頂いた自習の為の動画とオリジナルの説明文は私の宝だ。頑張った記憶と共に。




2019年6月15日

215 〇

 マル!
今日は雨。結構激しい降りだった。
「子どものための日本文化教室」は茶道。茶道会館の木々の緑がが雨に濡れて美しかった。

2019年6月5日

214 吟行(新宿御苑)

ひなせ会吟行に参加。長い付き合いの気が置けない仲間との、二ヶ月に一回の楽しみだ。楽しいことを沢山やって、身体の為にもドーパミンを増やしたい。
前回行った4月の八重桜の頃に比べて緑が濃くなった新宿御苑を歩く。爽やかな風に吹かれて気持ちが良い。色とりどりの季節の花も咲いている。新宿御苑は自然樹も多いが造形されて手入れの行き届いたスペースもあり、副都心の高層ビルが垣間見える都会的な場所でもある。きれいな広々した芝生に大の字に横たわりたいと思うが、仲間のペースを崩す訳にはいかない。近々また訪れて寝転がり、大地のエネルギーを受けようと思う。
お昼には、俳号麦笑こと我らが万年幹事の吉田君が、皆の為に握ってきてくれたおにぎりと卵焼きを頬張る。そこへ我らが句会のリーダーで、あのなっちゃん(夏井いつき)の弟子でもある俳号なをこと直子さんがサラダや煮物を添えてくれた。白い花が咲くタイサンボクの大樹の下に陣取り、とても美味しく楽しいピクニックのようなお昼休みだった。
午後の句会では句を披露。出来の悪いのはいつもの通り。今回は並選で3首選ばれる。
  「六月」の 詩人の教え 黒ビール
  青芝に 寝ころびたしと 初夏の夢
  初夏の苑 歩き疲れて ソーダ水
私の悪い癖は、季語を重ねる「季重ね」。少ない字数で何かを伝えなければいけない俳句では繰り返しは野暮。季語になっている言葉は多いので、余程吟味しなければいけない。次からは気をつけよう。






 

2019年5月25日

213 パーキンソン病奮闘記 -4  / サプリメント

ほぼ30年間、病院と薬には縁が無かったので、自然療法とサプリメントには詳しいと自負していた。色々と試してもいる。今回とうとう薬を飲む羽目になったが、今まで通り状況に応じてサプリメントも摂取している。食品と同じような物だから薬に影響することは無いと思う。ただ、サプリメントに関して今年から診てもらっている整体師に言われた事があり、これも考え直さなければいけないことかもしれない。「サプリのような栄養のある物をどんなに摂っても、身体が受け入れる状態でないと無駄」「サプリはただの栄養だから摂っても摂らなくても同じ」と言われたのだった。確かに一理ある。試しにしばらく一切のサプリメントも摂らずに受けた血液検査の結果は健康そのものの完璧なデータだった。栄養は、やはり食べ物で摂るのが一番なのだろう。
とは言え、風邪をひいた時に町の薬局で市販の風邪薬を買う気にはなれない。今まで通りにプロポリスかマヌカハニーを舐めて、熱があったら額に濡れタオルで充分。疲れた時にはクエン酸を溶かした水を飲んで寝ると目覚めはスッキリ。お腹の調子が悪い時は、一包でバケツ100杯分のヨーグルトと同じ乳酸菌が摂れるプロテサン。このクエン酸と乳酸菌は故郷の妹達や家族の常備品でもあり、効果も実感している物だ。免疫力を高めるには腸の環境を整えることが大切ということで、癌治療にこの乳酸菌を大量摂取する方法(実際の効果も目の当たりにしている)も取られているが、私達家族にとっては日常の中の補助食品だ。
疲れが溜まると、私のウイークポイントの腎臓は少し腫れて痛みが出てくる。そんな時は松葉の香りのアロマオイルかひまし油を塗って、さっさとやすむことにしている。良い水も沢山飲むことも大切。
そんな感じのサプリメントとの付き合いだが、この半年間程、毎日一包か二包飲んでいるサプリメントがある。ヨガ教室で知り合った、中学校の保健の先生をしている人に紹介されたペプチドという大豆(有機)から作られた物だ。パーキンソン病には大豆製品が良いらしく、何よりもそのペプチド仲間の女性達の変わりよう(病気克服、アレルギー消滅、若返り、etc.)を目の当たりにして、私もあやかりたく毎日せっせと飲んでいるのだ。仲間内では「20年若返りのサプリ」と呼んでいる。上記の整体師の言葉を信じるならば、こんなに毎日飲まなくとも良いのかもしれないが、病気発症前程度には若返りたいものだと思っているのだ。
厳選の結果
これを毎日摂る訳ではない



2019年5月14日

212 パーキンソン病奮闘記 -3 / 自然療法あれこれ 

久しぶりに病院へ行き、薬を飲んで症状が落ち着き始めたが、症状を進ませない為と出来れば病気を完治させる為に、並行して自然療法も続けていきたいと思う。
以前も書いたが、腎盂炎による入院の経験から西洋医学の矛盾と薬の怖さを身をもって知り、抗生物質で弱った身体を回復させるために、東洋医学、自然療法のありとあらゆるものを試した。全てが自己治癒力を高めて自分の力で病気を治すというもので、方法が違うだけで理念はどれもそれぞれに素晴らしいものだった。そして、私がたどり着いたのは仙骨療法で、理念もやり方も気に入り約30年近く続いている。ずっと病院、薬知らずで来たのだが今回の不調である。久しぶりに他の療法も試してみようかという気持ちが動いた。

周りも私の不調ぶりに色々とアドバイスをしてくれ、いくつかのクリニックも紹介してくれた。この機会に信頼できる人の紹介の所に行ってみようと思い、試してみた。六ヶ所あったが、一回で行くのを止めた所が二ヶ所ある。整体を原点にしたAクリニックでは脚を曲げたり引っ張たりグルグル回したりして、その筋肉の動きがヨガをやった時の筋肉の動きと同じだったので、ヨガをやれば済むことだと思い二度と行ってない。若い男性の施術者との相性も良くなかった。料金も内容の割には高い。こういった施術は西洋医学よりは高いものだが、適正価格というものがあるはずだ。もう一ヶ所の東洋医学のTクリニックは何の検査もなく血圧さえも計らず、問診も僅かで納得のいく説明もなく、更年期向きの漢方薬を出してくれただけだった。しかも大手薬品会社の顆粒状の物だった。以前に試した漢方薬は個人の症状に合わせた煎じるタイプの本格的な物だったので、今回の漢方薬もどきには拍子抜けしてそのクリニックへ行くのを止めた。その薬は即刻捨てた。
昨年の春から通い始めたMTSは月1で続いている。実は、今日も行ってきたところだ。初診の際に、脳からの神経伝達さえ治せばいくらでも歩けるとのことだったので、脳の病気であるパーキンソン病だと判明してからは尚更に期待しているところだ。柔和な笑顔のU先生は「薬を飲みながらやって行きましょう」と、西洋医学も決して否定しない。先生の柔軟な姿勢とお人柄で、安心しながら通えるクリニックだ。
他に整体の二ヶ所にも数回ずつ行ったが、小休止している。施術者は二人共女性で人柄も良く、身体を触られるのに安心感があるが、何しろ施術が痛い。痛いくらいじゃないと物足りないと言う友人もいるが、私は痛いのは苦手だ。O先生の所には昨年亡くなりその人生哲学が再認識されている女優のKKが通っていたそうだし、もう一つのT先生の所にはインテリ落語家のKが通っており、こだわりがある人も納得する理念があるので、また行きたいとは思っているのだが…
今はヨガの集中プログラムを受けていることだし、これを身につけ日常に活かすことに目標を置き、一つ一つ納得できるまで経験して自分に合った物を見つけたいと思う。
ひとまずは、週2回のヨガと月1回ずつ、仙骨療法のMRT(Magnetic Reading Technique)と脳神経伝達療法のMTS(Muscle Testing Socius)の治療を続けてみようと思う。




2019年5月4日

211 パーキンソン病奮闘記 -2 / ヨガ療法 

抵抗していた薬を飲み始めて一ヶ月余り。僅かな頭痛と眠気の副作用の割には歩き方、姿勢が良くなったので、許容の範囲だ。震えはまだある。他が良くなったせいか以前より気になるが、酷くなったというわけではないように思う。食後の強い倦怠感にも時々襲われる。難病と呼ばれる病気がそんなに直ぐに治るはずもないし、治らないから難病なんだけど…
せめて絶対にこれ以上症状を進ませてはならない。並行して、この1、2年で試した自然療法の内で良かった物を続けたいと思う。
何よりもまずヨガである。週1回通っている教室の下舘あい先生が、折しもメディカルヨガの学会で、パーキンソン病の為のメソッドが発表されたのを受けて、私の為にプログラムを作って下さった。週2回8週間の集中プログラムで、私の症状に合わせて細かに調整してくれた。最終的には日常に活かせる物だ。この4月5月の2ヶ月間は週2回の個人レッスンで、みっちり鍛えられている。
あい先生が始めに私に聞いたのは「日常生活のどんな時に不自由を感じるか?」だった。震えと身体の強張りが特徴の病気であるから、他人から見たら笑えるようなことも多々ある。もうコートを着る季節ではないが、コートの脱ぎ着には難儀した。袖に通した腕が途中で固まって、強風の日の傘のオチョコのような状態で身動きがとれない。結局は手助けがないと駄目で、このシーズンは最初から人に頼んで助けてもらった。そんな話をしたら「秋には一人でスッとコートを着られるようにしましょうね!」と、あい先生。楽しみな目標が出来た。
快感ホルモンのドーパミンの不足が原因でもある病気だから、楽しみを増やしてドーパミンの分泌量を増やすのも一考なのだ。






2019年4月24日

210  パーキンソン病奮闘記-1 / 30年ぶりの薬

とうとう薬を飲むこととなった。30年ぶりである。厳密には、一切の薬を止めてからの25年ぶりになる。
今までは薬無しでも何の問題も無かったのだが、身体がおかしくなり、この1、2年でやったいくつかの治療のこれといった効果も無く、身体が辛くなるばかりなので、一時的にでも楽になりたかったのだ。主治医も信頼でき、まずは従ってみようという気にさせられたのだった。何といっても、テキは難病、かつてない対戦相手なのだし…
とは言え、長い間薬無しの生活だったので、飲み始めるのに2日程逡巡した。整体師やカウンセラーにも相談してみるが、一旦は飲んでみたら良い、とのアドバイスだった。身体が健康だった頃の状態を細胞が思い出すのは重要だとのこと。そうだ、身体をまっすぐに伸ばし、大股でがしがし歩くあの感覚を思い出すのだ!

恐る恐る飲みだしたが、心配した副作用はあまり無いような気がする。飲み始めてから数日は、頭痛、激しい腹痛、嘔吐、起き上がれなかったりしたが、その嵐が過ぎたら、姿勢が良くなったり、すり足が無くなったり、むしろ良い効果の方が目につくようになった。取りあえず今は、少ないデメリットよりメリットを選ぶしかない。どうせ飲み始めたのだ。九仞の功を一簣に欠いてはならないのだ。と、いつも詰めの甘い自分に発破をかける。
今日の診察の血液検査の結果も良好。副作用の影響も出ていないとのこと。この一番弱い薬を1日1錠、もうしばらく続けるようにとのことだった。
それにしても、一番弱い薬の1日1錠のこの効果だ。クスリはやっぱりコワイなあ、とも思う。




2019年4月14日

209 難病騒ぎの顛末 / 検査の結果

難病だった…
色々と疑われたが、検査の結果は紛れもないパーキンソン病だった。やっぱりか…素人考えでも自分で最初に疑った病気だったのだ。
思えば昨年くらいから、傍目にも異常が分かる私の姿を見た家族や友人、周りの者から「せめて検査を」の声が高まった。親友のSは「あなたの主義で化学的な治療をしないで薬も飲まないのも良いけれど、検査だけはして現状を知っておいた方がいいんじゃないの?」と心から心配して言ってくれた。この頃からさすがに検査に心が動いた。でも、どこの何科に行けばいいんだ?病院は行き慣れていない。
とそこへ、私の尊敬する能楽師M師の奥様S夫人が、見るに見かねてM師の主治医を紹介してくれたのだった。S夫人もなるべく薬には頼らない主義なので、私の気持ちをよく分かってくれている。治療をどうするか自分の考えでやれば良いけれど、まずは自分の身体の現状を知るのは大切で、その為には信頼できる医者をということで、S先生に話をつけてくれたのだ。運が良いことに病院は近所にある東海大学付属病院だ。S先生は神経内科のベテラン、専門医として長年の経験を積んでいる。白衣の胸元から見えるワイシャツもネクタイもいつも素敵でおしゃれな紳士だ。お茶目なところもある魅力的な人で、人の心を大切しており思いやりのある診察をしてくれる。
初期検査から難しい病気が疑われ、結局は最新機器で徹底的な検査をしようということになり、先生が院長を務めあげ、今でも時々現場に出られる立川病院に二日間出かけることとなった。
立川病院は建物も新しく立派な病院だ。
検査は完全予約性のせいか、検査室の近辺には人がおらず、閑散として、不気味な(と、私は思う)機械音が低く響いているだけだ。コワイ…
噂のMRI(経験はなくともそのくらいは知っているのだ)の筒(!)に入る前にうるさいからと耳栓をさせられる。それは想像以上の騒音だったが、電子音だから、今時のノイズミュージックのようでもある。そう思って我慢をしようとノイズに曝される。ギュイイーン、ガガガガガ、ジジジ、ビビーン、何ともウルサイ。その内、トントントントン、カンカンカンとパーカッション音。あっ、噂の輪切りが始まったなと思う(このくらいも知っているのだ)これが後に断面図となって示されるのだな。
MRIの他に、CT、ダットスキャン、アイソトープetc.…放射能系の物にも身をさらす。
日本人は検査のし過ぎで被曝して却って被癌率も高いという話も聞くが、私は10年以上も検査をしていないし、そんな調子でこれを人生最後の検査としたいものだと、放射能入りだという注射を刺されながらも思う。心臓は苦しくないか、頭は痛くないか、気持ち悪くはないかと色々聞かれて、そのくらい危ないのか?と却ってコワくなる。もう後戻りは出来ないけれど…医療事故防止とは言え検査の前のチェック項目も多く、驚く。
薬はもう30年来飲んでいないが、この際、まっさらな状態で身体の現状を知りたくもあり、検査の前の半月程は一切のサプリメントも止めて検査に臨んだのだったが、結果は難病という嬉しくないものだった。だが、不幸中の幸いというべきか、血液検査のデータだけ見ると見事な健康体なのである。2件程数値が少し高いだけで、後はしっかり基準値内におさまっている。ある意味、これまでの健康志向は間違っていなかったとも言えるのだ。他の病気は一切心配ないと医師も言う。難病持ちの健康体という変な身体だなあと思う。
脳内の黒質からのドーパミンの放出が少なくなり、たった2㎝程の線条体の異常で身体全体の動きに影響が出るという、脳の働きと身体の不思議。
難病とは、原因が分からず治療方法が見つかっていない物を言うそうである。一生の付き合いになり、治すのではなく進行を止め現状を維持するのがせめてもの治療だという。
そうかなあ、と天邪鬼な私は思う。今まで信じてやってきた事、自然治癒力や免疫力を高める方法が血液検査の良好な結果に出たのだとするのであれば、難病にだって効果があるような気がするのだ。とはいえ、そうやって身体に気をつけていたのに厄介な病気にかかってしまったのも事実。まずは一番弱い物で1日1錠ということなので、取りあえずは薬を飲み始めたが、自然療法もしっかりとやっていこうと思っている闘志満々の私である。











2019年4月4日

208 句会で初特選

ひなせ会吟行には参加出来ずに句会から途中参加した。仲間達は新宿御苑の桜を満喫したようだが、私は遅れて神楽坂まで街中の一人吟行である。
頭をよぎるのは病気のことばかり。いくつか詠んだ句の一つが特選をもらえた。
 
病ひ得て 春の息吹に 身をまかす

どんなに嘆いたところで現状を変えることは出来ない。このちっぽけな身体も自然の一部。せめて春の生命のエネルギーに身をゆだねてみようと思う。

2019年3月23日

207 佐藤愛子はまだまだ元気だ! / 燐光群のアフタートークを聴いて

燐光群の芝居を観に行く。中山マリが、自分自身と母親中山あい子の二役をやる一人芝居だ。自由で飾り気のない性格は似ているけれど、外見は違うタイプの母娘だと思っていたが、実は見た目も似ていることを今回は実感した。顔形というより、声、話し方、笑い方、仕草といったようなものがそっくり。世間の親子でも、そういうことがある。似てないと思っていたのにやっぱり親子なんだなあと思わせる人達がいる。特に歳を取るとそういう傾向になり、驚かされることがあるものだ。
マリさんはあい子先生のお下がりを着て舞台に登場、見覚えのあるような格好だ。きっと、あい子先生のお気に入りだった洋服に違いない。二人は親子なのに戸籍上では姉妹になっている、というような聞き及んでいたエピソードの他にも家庭の複雑さが垣間見える挿話もあったが、舞台では明らかにはされない。しかし、作家や女優を生み出すような家庭の事情がここにもあったのだなあと納得させられたのだった。中山あい子がまるでそこにいるようで、とても懐かしい気持ちになった。

この日は舞台の後にサプライズがあった。中山あい子と同世代で仲が良かった佐藤愛子がアフタートークに登壇して、思い出を語ってくれたのだ。2年前くらいにこのブログにも書いたが、佐藤愛子は私の好きな作家の一人である。明るいブルーのスーツ姿でしゃきっとしたお姿。とにかくきれいで素敵だ。怒るのは体力が要るので最近は怒っていないと言うが、やや低音でさばさばした口調、媚びないで生きてきた人そのものの姿がそこにはある。中山あい子と二人で田辺聖子の家を訪ねた時、誰もが知るあのスヌーへの通過儀礼を「フンッ!こんなもの!」と言ったとか言わないとか、中山あい子らしくもあるし、爆笑エピソードであった。
とても元気がもらえた。御年95歳! もっともっと元気で長生きして下さい。





2019年3月12日

206 十句観音経

心身共に健やかで周りの人をも明るくしてくれる人が居る。そういう人の一人で ある能楽師のO師に健康のコツを聞いてみたら、「十句観音経を唱えること」ということだった。こういうことを言ってもヘンな人に見えない程、全てが健全な人だ。風邪をひいてもすぐ治り、とにかく元気だ。難病の疑いがあり体調が優れない私は真似をしてみることにした。
O師は早速昨日、事務局に経典(?)を持って来てくれた。興味を持ったスタッフと同席していたG師の分もコピーする。G師も「言霊の力ってあるものね」とおっしゃる。その通りだ。
全部で十句と短い物で、観音信仰をもっとも簡単に説いたものという。いつでも唱えることができる短い経典だが、その霊験、功徳は、はかり知れないものがあるという。何とズボラな私向きだろう!なんて、最初から言ってちゃダメだ。一日200回唱えると良いらしいが、短いとは言え、結構大変だ。測ってみると2回で1分だから100分かかる。何回かに分けるしかないかと、取りかかる前からあーでもないこーでもないと、いつもの悪い癖。
数えるという事で、ふとある事を思いつく。10年前に父を亡くして身も世もない程に落ち込んでいた私に、「数を数えて指をすべらすだけで心が平らかになるんだって」と、友人からプレゼントされた菩提樹の数珠があったのだ。最近は仕まいっぱなしだった。別に心が平らかであった訳ではないけれど…
33玉あるから、6廻りで約200回だと納得してやり始める。さっさと始めれば良いのに取りかかる前が長い私だ。経は短いから暗記するまでやってみようと、それでも、2廻りやってみただろうか。覚えたつもりが、朝起きたら忘れていた箇所があるので、今日こそは完全に覚えようと、歩きながらも唱える。これで完璧かな。また明日起きたら分かる。忘れたら繰り返すだけだ。
さて、その功徳やいかに。一心に唱えている間は少なくとも無心でいられる。いつも頭の中も胸の中もパンパンなのを空っぽにするのは気持ち良い。「空」という境地にはほど遠いが、捨てて身軽になるのはモノばかりではない。自分自身も同様なのだ。

2019年3月3日

205 △

バツに近いサンカク。
前回、私の俳号の名付け親である高井松男さんのことを書いたばかりだが、彼から連絡があり、盟友でもありいわば戦友でもあった舞台プロデューサーの旅川雅治さんが亡くなったことを知る。高井さんの悲嘆ぶりは言葉に表せないほどだ。
旅川さんはこの数年は闘病しながらも現場に出ていたので、気さくで冗談好きな彼を囲んでまた皆で大笑いしながら酒を呑むこともあるだろうと思っていた。大変なショックだ。
彼もまた、私より若い。心から冥福を祈りたい。
私といえば、一昨日の検査に続き明日も朝から検査。気分は良くない。

2019年2月20日

204 俳号披露 / その名は稀里

先週は句会グループ「ひなせ会」の第5回吟行があった。今回は皇居東御苑、私にとっては何と初めての場所であった。新宿御苑は庭のような(!?)ものだし、北の丸公園から日比谷まで若い頃はよく歩いた。赤坂御所は仕事絡みで何度か上がった。東御苑は、他の御苑に比べてやや緑が少ないような気がするが、その代り大きな城門や石垣を間近に見ることが出来て、城跡らしい趣が面白い。
梅の花の盛りで匂いも香しく漂っている。北風が冷たかったが空は晴れ渡り、陽射しには春を感じる。吟行には寒さ対策が必至。そこは抜かりないニーサンネーサン達だ。元気に歩き回る。吟行の日は1万歩どころではないのだ。
吟行の後の句会では、一人5句を提出して選考に入る。私は3句選ばれたが、悲しいかな、今回もひどい句だ。
 如月の黄色の花が春を告げ
 金色のヒレナガゴイが春を呼ぶ
 春めきて梅の香かほる御苑かな

ところで、俳句に俳号はつきものだが今まで発表しそこねており、今回やっと披露することになった。
稀里(まれり)である。
以前、語りの会の制作をしたことがあり、主宰者の高井松男さんから芸名をつけてもらった出演者達の、本人の特徴が活きた芸名に感心していた私に、高井さんが制作の私にまで芸名をつけてくれたのだった。この名前を聞いて「鄙には稀な、のあれですかね?」と図々しくも尋ねる私に「稀なのは里」と笑う。つまり、大変な田舎(の者)ということだ。私の出身地の長野の佐久を田舎の中の田舎と思っている(実際そうだけど)彼は、常日頃、冗談まじりに私と佐久のことをからかっていたのだ。何を隠そう、彼は新潟出身だけどね。メクソ、ハナクソ…
真意はともかくとして、この名前を結構気に入っていた私は、何かで使えないかなあと思っていたが、詩も小説も書かず、舞台に上がることも無い。俳号と聞いていいチャンスだ!と思ったのだ。本名以外の名前を持つのは楽しいものだ。




2019年2月11日

203 小さな時の流れと大きな時の流れ

右手の人差し指の血豆が先の方に伸びてきて、マニキュアの剥がしそこないのように見える。叔母の急死の報を受けて急ぎ帰郷した私を迎えに来てくれた妹の車のドアに挟んだのだ。昨年11月末のことだったから、2ヶ月半になる。もう2ヶ月半かと思う。この血豆が伸び切って無くなるまで、手を見る度に叔母の死を思うことになるだろう。どんなに長引いたところで後三ヶ月程か…こうやって悲しみも薄れていくのだろうなあと思う。爪が伸びる間の小さな時の流れ。
ふと、啄木のようにじっと手を見る。何と歳を取ったことだろう!
皺も増え、血管も浮き、指の節も高くなっている。それはそうだ。何十年という時の流れが積み重なっているのだから仕方ない。だが、年輪を誇れる程の仕事も、生き方もして来なかった私は今はこの醜さを嘆くばかりだ。いつの日か更に老いた手を見つめながら、大きな時の流れを許容して、まあまあ生きたよねと自分に言えるように時を重ねたいものである。

2019年1月31日

202 〇

マル!
今年も一ヶ月が(無事に)(ともかくも)終った。

2019年1月20日

201 2019年年賀状事情

虚礼廃止で年賀状のつき合いを止めたいのにその勇気がない私は、昨年よりfacebookで繋がっているお友達には「投稿」で新年の挨拶に代えさせてもらって、賀状を送って下さった方にはお返事として出すことにした。
そんな訳でどうしても寒中見舞いになってしまう。一昨年は出しそびれて余寒見舞いまでズレ込んでしまったので、せっかく早めに下さった方にはとても失礼だった。
この無精者の私に早々と下さった真面目な方は、今年は22名だった。今日はせっかくの休日なのだからお返事は今日中に出したいものだと思う。
さて、facebookも年賀状もやり取りのない方はこちらをご覧ください。
今年もどうぞよろしくお願い致します。

2019年1月11日

200 〇

今年、初マル!
〇ばかりの年になりますように。自分にとっても、皆にとっても。