2019年2月11日

203 小さな時の流れと大きな時の流れ

右手の人差し指の血豆が先の方に伸びてきて、マニキュアの剥がしそこないのように見える。叔母の急死の報を受けて急ぎ帰郷した私を迎えに来てくれた妹の車のドアに挟んだのだ。昨年11月末のことだったから、2ヶ月半になる。もう2ヶ月半かと思う。この血豆が伸び切って無くなるまで、手を見る度に叔母の死を思うことになるだろう。どんなに長引いたところで後三ヶ月程か…こうやって悲しみも薄れていくのだろうなあと思う。爪が伸びる間の小さな時の流れ。
ふと、啄木のようにじっと手を見る。何と歳を取ったことだろう!
皺も増え、血管も浮き、指の節も高くなっている。それはそうだ。何十年という時の流れが積み重なっているのだから仕方ない。だが、年輪を誇れる程の仕事も、生き方もして来なかった私は今はこの醜さを嘆くばかりだ。いつの日か更に老いた手を見つめながら、大きな時の流れを許容して、まあまあ生きたよねと自分に言えるように時を重ねたいものである。