ブログを読んだ高校時代からの友人Hが「知っている」とのたまう。何と、お祖母ちゃんが毎朝唱えているのを子どもの頃から聞いていたのだという。まさに「門前の小僧」だ。それから、程無くして「あれには続きがある」と言う。気になって調べたが分からない。どうやら、お祖母ちゃんが、十句観音経の後に唱えていたらしい。彼女に尋ねると「懺悔文 さんげもん」と「三帰戒文 さんきらいもん」だと教えてくれた。更に、「懺悔文は今まで生きてきた自分を懺悔する物」なので、オススメだ!と言う。
確かに立派に生きてきたとはとても言えぬ私だが、病を得てから「これからは楽しいことだけを考えよう!」と誓ったのに、やれやれ懺悔かよ…とも思う。
ところが…
懺悔文全文が四句とあまりにも短いことに笑ってしまった。どこまでずぼらな私向きだろう。これがHのオススメたる所以か?!こんな罰当たりな私にも功徳はあるのか?…
観音経の時にも記したが、信心は無くとも経を唱えている時は少なくとも無心でいられる。その先に空や無の境地があるのだろうか。
懺悔文(さんげもん)
自分が犯した罪や過ちを仏さまに悔い改める言葉
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
わたくしは、昔からたくさんの悪をなしてきました。
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
果てしない過去の世から、欲望と怒りと愚かさによって、
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
身の行いと、口にする言葉と、迷いの心から生じ、積み重ねてしまった悪です。
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
それらのすべてを、わたくしは今、懴悔いたします。
わたくしは、昔からたくさんの悪をなしてきました。
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
果てしない過去の世から、欲望と怒りと愚かさによって、
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
身の行いと、口にする言葉と、迷いの心から生じ、積み重ねてしまった悪です。
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
それらのすべてを、わたくしは今、懴悔いたします。