今日は大晦日。この数年の習わしで年末と元旦は一人でゆっくり過ごし、来し方行く末を静かに考えることにしており、この時間がとても気に入っている。
今年はとにかくパーキンソン病に終始した年だった。喜怒哀楽の種もこれに尽きる。「喜」もか?と言う人がいるかもいれない。だが、この難病がもたらしたものには喜びもあるのだ。この病気にならなければ見られなかったものが見えてきた。私は常々「病は師だ」と思っているが、今回も全くそうだった。病気にならないと分からないとは情けないけれど、症状に苦しみながらも、私の人生にとってこの病気があると無いとではあって良かったのだと思い始めている。人の罹る病気はやはりその人となりなのだ、とも。
「怒」の感情はもっぱら自分に向かっている。自分の身体の声を聞かず、感情を押し殺し、自分をないがしろにして、結局はかけがえのない自分を虐めてしまった。今日までは、とことん自分を怒ろうと思う。明日からはその分、代わりのないこの自分というものを徹底して大切にしたい。
「哀」は、この身体の不自由さ。老化現象の何年も先を見せられて、老いの哀しみを感じざるを得ないということだ。病気ならずとも、どうせいずれはガタがくる肉体だが、ついこの間まで健康だった身体の記憶がこの鈍い動きについていけず、もどかしく悲しい。ヨガや整体、呼吸法などのお陰で身体の動きも滑らかになってきたので、もう少し齢を溯りたいものだ。
「楽」もこの病気のお陰でこれからは倍増しそうだ。生来のオプティミストの私は、快感ホルモンのドーパミンの不足が原因とされるパーキンソン病とは無縁のはずだった。「余程のストレスだったんだね」と、この数年の私の仕事状況を知る人の言葉であるが、それはともかくとして、ドーパミンが足りないのであれば出せば良い。とにかく楽しいこと、いいことだけを考えるようにしたい。
昨日は、手伝ってもらいお掃除も終わり、気持ちもさっぱりしたので早速楽しいことでもと思い、映画を観に行ってきた。気になっていた「Yesterday」、映画館で観たかった映画だ。イギリス映画らしい良い映画だった。私達ビートルズ世代、ファンは必見。未見の人の為にここには書けないが、ラスト近くのある人の登場で涙が溢れた。