2019年3月12日

206 十句観音経

心身共に健やかで周りの人をも明るくしてくれる人が居る。そういう人の一人で ある能楽師のO師に健康のコツを聞いてみたら、「十句観音経を唱えること」ということだった。こういうことを言ってもヘンな人に見えない程、全てが健全な人だ。風邪をひいてもすぐ治り、とにかく元気だ。難病の疑いがあり体調が優れない私は真似をしてみることにした。
O師は早速昨日、事務局に経典(?)を持って来てくれた。興味を持ったスタッフと同席していたG師の分もコピーする。G師も「言霊の力ってあるものね」とおっしゃる。その通りだ。
全部で十句と短い物で、観音信仰をもっとも簡単に説いたものという。いつでも唱えることができる短い経典だが、その霊験、功徳は、はかり知れないものがあるという。何とズボラな私向きだろう!なんて、最初から言ってちゃダメだ。一日200回唱えると良いらしいが、短いとは言え、結構大変だ。測ってみると2回で1分だから100分かかる。何回かに分けるしかないかと、取りかかる前からあーでもないこーでもないと、いつもの悪い癖。
数えるという事で、ふとある事を思いつく。10年前に父を亡くして身も世もない程に落ち込んでいた私に、「数を数えて指をすべらすだけで心が平らかになるんだって」と、友人からプレゼントされた菩提樹の数珠があったのだ。最近は仕まいっぱなしだった。別に心が平らかであった訳ではないけれど…
33玉あるから、6廻りで約200回だと納得してやり始める。さっさと始めれば良いのに取りかかる前が長い私だ。経は短いから暗記するまでやってみようと、それでも、2廻りやってみただろうか。覚えたつもりが、朝起きたら忘れていた箇所があるので、今日こそは完全に覚えようと、歩きながらも唱える。これで完璧かな。また明日起きたら分かる。忘れたら繰り返すだけだ。
さて、その功徳やいかに。一心に唱えている間は少なくとも無心でいられる。いつも頭の中も胸の中もパンパンなのを空っぽにするのは気持ち良い。「空」という境地にはほど遠いが、捨てて身軽になるのはモノばかりではない。自分自身も同様なのだ。