2019年8月12日

221 疑ひは人間にあり -能楽座自主公演「羽衣」-

夏恒例の能楽座自主公演は、今年は少しずれて9月7日である。約三週間後だが、この猛暑が和らいで来場されるお客様の心地が少しでも良いようにと願う。
流儀を超えて志高く集まった一流の演者たちの団体である能楽座も鬼籍に入る人も多くなり、毎年追善公演が続いている。今年は藤田六郎兵衛師の追善だが、64歳という若さだった。鋭いヒシギで一気に世界を切り開いて異界に連れて行ってくれる笛の力は素晴らしかった。能楽界は貴重な存在をまた一人失った。その六郎兵衛師を悼む為にも、沢山のお客様に来て頂きたいものだ。
能は「羽衣」。能の世界には宇宙の営みを正面から謳いあげた曲がいくつかあるが、「羽衣」はその代表曲と言えるだろう。あの有名な羽衣伝説である。羽衣を返してくれたら御礼に舞を舞おうと言う天女に、返してしまったら舞も舞わずにそのまま帰ってしまうだろうから先に舞ってくれと言う漁師の白龍に対して天女が言う科白が、「いや疑ひは人間にあり、天に偽りなきものを」である。この言葉を聴く度に私は畏怖の念に打たれる。白龍は自分を恥じてすぐに羽衣を天女に返すのだが、人間の卑小さと宇宙の法則とを言い当てた何と本質的な言葉だろうか…
私も若い頃は唯物論者で、目に見える物や頭で理解できる物しか信じなかったが、歳を取りやがて世の中には人知を超えた存在があるのだということに気が付くことになった。宗教めくのが嫌でそれを神とは呼べず、宇宙の法則とか真理とか呼ぶことが多かったのだが、能で「天」という言葉に出会った。古語には味わいがある。このように能の詞章が寓意する普遍的な言葉に出会うのも、能を観ることの新鮮な感動なのだ。
シテは人間国宝・大槻文藏師、今、一曲、一曲を見逃してはならない名人の一人である。
今年は能楽座らしく、観世流の他に金春流櫻間金記師、宝生流武田孝史師、喜多流粟谷明生師、とシテ方四流が揃った。粟谷師は能楽座の二代目代表粟谷菊生師の子息でもあり、能楽座公演にも何度か出演頂いている。今回は、仕舞「熊坂」長裃をお願いしているが、これは喜多流にだけある仕舞ということで、長裃を着けての足さばき、長刀の扱い、難易度も高く、きっと見応えがあるに違いない。