2019年8月22日

222 夏休み親と子の能楽教室

第39回「親と子の能楽教室」が、昨日無事に終了した。その回数が示す通り、40年の長きに渡って続けてきた催しである。私が関わってからも25年になる。私の所属する伝統芸術振興会の前会長の南部峯希が亡くなってからのこの10年は、梅若研能会が引き継いでくれている。
以前、新聞社回りをしていた時に、大人にも難しい能を子どもに見せるなんて拷問にも等しい、と言った新聞記者がいたのを未だに忘れない。新聞記者にしてこうであった。今でこそ子ども向けの能楽の催しも多くなったが、当初は世間の理解を得るのが大変だった。南部の情熱が少しずつ周囲の無理解を解かし、彼女が亡くなる2年前には「能楽堂の正面席を子ども達だけで埋める」という夢の目標が達せられたのだった。幼児も含めた子どもたちが親と離れて能を鑑賞することが可能になったのも、南部の練りに練ったメソッドがあったからだ。一番の目標は「観客を育てる」ということだった。目標を達成する為には観劇マナーの勉強も必要で、その事前学習の内容は濃かった。能を難しいと思って敬遠するのは大人であって、子ども達は難しい事や新しい事へ挑戦するのが好きなのだと分かったのも新鮮だった。その為にも子どもにこそ本物に触れさせるべきなのだと納得もした。
だが、時は過ぎ、提供する側も観る側も価値観が変わった。昨日の公演終了後に主催側の事務長T氏は「初めて安心して見られました。成功と言えるでしょう」と安堵の言葉を述べたが、裏腹に私は「私どもにとっては、ターニングポイントだと思います」と伝えた。ここでは多くを語るまい。このような手間がかかる催しを10年も続けてくれたことには感謝の念があるばかりだ。どこにも価値観の相違は必ずある。その感覚が離れて交わらなくなったらそれぞれの道を行くしかない。自分は何を一番大切にするか? 見失わないようにしたいものだ。
今回、何よりも嬉しかったのは、「子どものための日本文化教室」に何年も通ってくれているユキヒト君とサキヨちゃんが、花見稚児として立派に舞台を務めてくれたことだ。堂々とした足さばきと立ち姿だった。こうやって日頃の教室の成果を見せてくれると、とても感慨深い。教室の一回一回は少しずつなのに、いつのまにか身につけているのだ。子どもの可能性は果てしない。