2020年12月21日

270 〇

今日は冬至。
今更言いたくもないが、今年も後10日で終わる。
毎年この時期になると、年内にはアレとコレとやって…と、指折り数えるのだが、今年はそれも馬鹿らしくてやる気がおきない。今年ほど予定が立てにくく思い通りにいかなかった年はなかった。自分の意志でやれることの範囲も思い知らされた。
ある意味、「諦め」や「お任せ」の境地を学んだとも言える。どうせなら極めたいものだ。楽になるだろうなあ。

2020年12月11日

269  〇

一応、マル!としよう。寝込むことも無く、仕事にも出ているのだから…
ただ、寒い。
いつも暑い暑いと騒いで、温暖化がどうだと言ってるのだから、寒いのなんか我慢しろ!と叱られそうだ。それに、寒い季節に寒いのなんか当たり前だし、寒い所で生まれた私は寒さにも強い。
ところが、コロナ禍の影響で事務所は換気の為に窓を閉めきれず、防寒用にショールなどを持ち込んでいるが、間に合わない寒さだ。キーボードを打つ手もかじかんで冷たい。デスクワークが捗らない。もっと寒さ対策をしなければ、一日震えっぱなしだ。P病の震えも誘発するので落ち着かない事おびただしい。
 

2020年12月1日

268 晩秋の贈物

 私の所属している団体の代表の家は田園調布にあり、庭には四季の花々や樹々が植えられていて、目を楽しませてくれる。年20回ある「子どものための日本文化教室」の床の間の花は、四季に渡って彼女の家の花が彩りを添えてくれている。それだけの樹木があるということだ。
そしてこの時期には柿と柚子がたわわに実り、私達スタッフも秋の味覚を楽しませてもらっている。自宅の庭なので当然無農薬だ。世の中では売る為に粒をそろえたり、ワックスで磨きをかけたりしているが、この通り形も色も様々で自然そのもので好感が持てる。そして、美味しい。
頂くようになって何年になるだろう。今や、晩秋の楽しみとなっている。


2020年11月23日

267 〇

 マル。
二三日前の定期検診の結果は上々だった。元々、血液検査の結果はとても良い。コルステロールと中性脂肪の数値がちょっとだけ高いが、主治医に「悪くなれば薬を出すよ!」と脅かされて、結構気を付けているのだ。こういう適度な脅し(先生、ごめんなさい!)は結果的には有り難い。そんな訳で、病状も悪化せずP病の一日一錠の薬で済んでいるのは御の字だ。


2020年11月12日

266 公演も無事に終了

能楽座の自主公演も無事に終わった。このコロナ禍での公演はどの団体も苦労している。劇場でのクラスター発生も何件かあった。無事に終わったものの、今後一ヶ月の間に感染者が出なかったという結果を見てやっと終了だ。当日売りで入った方のお名前と電話番号を聞き、チェックシートの束に加える。事務局からお買い上げのお客様は連絡が取れる。出演者は楽屋口で体温を測り消毒して、やはりチェックシートに加える。玄関も楽屋口も入口を一つに絞り、鼠一匹も逃さないという体である。今後このチェックシートが役に立たないことを祈るばかりだ。国立能楽堂もスタッフの数を増やして臨んでいる。受付はロビーの奥に設置、アクリル板越しの対応でお互いマスクも付けているので、聞こえ難くて何度も聞き直し。「疲れました~」とはスタッフの弁。
入場者数は250名。この状況の中でよく入ったと言ってくれる人もいるが、キャパの半分以下とは寂しい。開演直前にモニターで客席を確認するが、スカスカの客席が寒々しい。でも、休演の憂き目も見ず、公演が出来てお客様も足を運んでくれたのには感謝の念ばかりだ。
これだけ対策をしているのだから感染者が出ずに、一ヶ月後には心から清々したいものだ。








2020年11月1日

265 幕末の蕎麦猪口

 他人が使った古い物はあまり好きでは無く、古本、古着、骨董には興味が無かった。特に雑器類は、実家の古い家の物置に積み上げられていていつでも手に入るし、見飽きていた。
ところが、何てことがない古いキズ入りの蕎麦猪口を買ってしまった。書家で詩人の山本萠さんの個展会場の片隅にそっと置かれた幾つかの猪口と小皿。萠さんもそろそろ終い支度を考えているらしく、少しずつ少しずつ大事に集めていた骨董の陶器などを個展の際に、最近はお客様に安価に譲っていたのだ。その一つにふと惹かれ、時代を聞くと「幕末」とのこと。つい最近読んだ本に、江戸時代から明治期に江戸に訪れた海外の人達が日本人をどう評してたか書かれていて、そのイメージとこの蕎麦猪口が直結してしまったのだ。

・日本人ほど愉快になりやすい人種はあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子どものように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである。
・この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。
・日本は貧しい。しかし、高貴だ。世界でどうしても生き残ってほしい民族をあげるとしたら、それは日本人だ。(何とこれは、ポール・クロデールの言!)等々。

その頃の日本は、とても貧しかった時代だ。にもかかわらず、日本人はいつも笑いこけていて、日本人ほど愉快になりやすい人種はいないと、海外の人は口々に評しているのだ。落語の世界を見れば分かる。全くその通りじゃないか。
歌舞伎の魚屋宗五郎も泥酔しながら、お上に対する恨みつらみをぶつけるが、その科白の後半は庶民の暮らしの楽しさを訴え、笑って楽しく暮らしたことを大笑いする。ハハハハハハ、ハハハハハハ、ハハハハハハ、ワハハハハハハ、ああ面白かったね。と、名場面がある。
そんな陽気な江戸時代の日本人が何人この蕎麦猪口を手に取っただろうか。今に至る150年という歳月では大変な数になる。そういう時間や人に思いを馳せることが、骨董ならではの楽しみなのだろうと改めて思う。
そしてつくづく思うに、私自身、この自分のオプティミストぶりは、確実にこの陽気な日本人のDNAの賜物に違いない。ドーパミンを沢山出せる資質があるのだから、これからは江戸人のように毎日笑って暮らすのだ。









2020年10月21日

264 〇

 マル!
可もなく不可もなし。

2020年10月12日

263 〇

マル!
ラジオ体操の続き。ラジオ体操アドバイザー(肩書を勝手に付けてしまった!)の大阪腰痛館のヒロ先生がおっしゃるには、老化は短期間に進まないので、同じ時間をかければラジオ体操による若返りも可能だと。歯磨きするようにあたり前の習慣に落とし込めばこっちのものだ、と励まして下さった。
うんと若返らなくとも、体操を始めた前、病気が始まった前ぐらいまでの身体に戻れば充分な若返りというものだ!

2020年10月1日

262 新しい朝が来た

ラジオ体操を三年やった。 具合悪い時に月に2、3日は休んだが、ほぼ毎日、飽きっぽい私にしては上出来だ。「一日3分が取れないはずがない」という、大阪の整体師ヒロ先生の言葉をおまじないにして、頑張ったのだ。頑張る程のことでは無いだろうと思う人もいるだろう。私自身、ラジオ体操というとちょっとなめてかかっていたところがある。三年やって、最後から三番目の跳躍は未だにまともに出来ない。この跳躍と、前屈の時には床に掌をつけるのを目標にしたのだが叶わず、これはこれからの目標になった。掌は駄目だが指先はつくようになったのだから、いつかはと思っているが、その進化のスピードを老化が越えないように、これからも毎日のラジオ体操を続けたい。 
ところで、先日、テレビから「新しい朝が来た 希望の朝だ」とナレーションが聞こえてきた。アレッ何の詩だったっけ?と考える。妙に懐かしい響きだ。続けて「この香る風に開けよ それ 一二三」で、思い出す。ラジオ体操の歌だ。メロディーでしか聞いたことがなかったので、とても新鮮だ。何のCMだったか覚えていないが、草刈正雄の朗読だった。こうやって歌詞だけを聞いてみると、何と爽やかな言葉だろう。歌詞は二番もあるというので確かめたくて、youtubeを見る。朝の一日の始まりの歌詞そのもので清々しい。 
ラジオ体操も今日から4年目に突入、まさに「新しい朝」を迎えたのだ。こうやって、毎日の新しい朝を新鮮に受け止めることが出来たらどんなに幸福だろう。 動画にアップされたラジオ体操にはとても激しい動きのものがある。私がやっているラジオ体操とはとても同じ物には見えない。本気でやれば大変な運動なのだ。こういうのは見るだけに限る。




2020年9月22日

261 〇

マル!
久々の爽快感。晴天、気温21度。湿気も無く秋らしい気候で気持良い。
自然の中のちっぽけな人間。かくも自然に影響される。ましてや半病人である。
昨日までは暑くてジメジメした嫌な気候だったせいか、P病の震えの不快感が続いていたが、今日はそれも無い。こんな日が続くと良いのだけれど、自然に振り回されない程度の強固な心身を取り戻すのが先決ではある。

2020年9月11日

260 第26回能楽座自主公演

今日は能楽座自主公演のチケット発売開始日だった。コロナ禍の影響で8月公演の予定をずらして11月11日に延期したのだが、色々な心配が頭をよぎる。 お客さまの反応が無かったらどうしようと、これは毎回
の心配事。どんな公演でもチケットが売れるか売れないかは、一番の心配事だ。それに今年はコロナ感染防止の為に客席も前後左右一席おきの市松模様で、キャパは半分だ。それなのにパンクする心配が無いほど、お客様の反応は悪かった。能のお客様は高齢の方が多いので仕方がないことでもある。
この公演はいつも発売開始日には電話が鳴りっぱなしの人気公演で、DMのお得意様だけでいっぱいになる公演だったが、鬼籍に入られる座員や顧客も多く、この数年は空席も目立つようになった。今日はお昼までは電話が続いたが、あとはボチボチ。予約者はキャパの三分の一というところか…
今回は半分のキャパなのだから、せめてそれはいっぱいにしたい。そして、能楽座ならではの他流の名人達の競演を一人でも多くの人に楽しんでもらいたいものだ。





2020年9月2日

259 シコふんじゃった。  

能楽ワキ方高井松男さんが、能楽師としての長年の経験とご自身の病気の経験を経て大成したメソッド「真呼吸」を習い始めて1年経った。事務局のスタッフKさんにつき合って(付き添って?)もらって、月一度、高井さんの指導を受けている。ヨガでも「呼吸」を大切にしているが、やり過ぎるとだるくなったり、目まいをするほど、呼吸は身体を左右することがよく分かる。
今回は、応用編として「四股を踏む」パターンを教えてもらった。あの相撲の四股である。なるほど、動きの中にストレッチはあるし、スクワットもある。自然に丹田の腹式呼吸が出来る動きだ。元々、祭祀として始まった相撲には、邪気を払う儀式的動きが色々あるが、四股を踏むのも足元を踏み固めて清めて、五穀豊穣、天下泰平を祈念しているのだそうだ。コロナ禍の今こそ、悪疫を踏み固めて、退散してもらわないといけない。

四股と言えば、「シコふんじゃった。」という面白い映画がある。周防正行監督作品で、その前作には「ファンシイダンス」があり、両作共それぞれ相撲、禅宗の日本の伝統をきちんとふまえた上でのコメディなので大変面白かった。そして、両作共に主演は大好きなモッくん!イケメンで格好いいし、品がある。ちょっとした哀愁もあるし、シャイでお茶目だ。スターの要素を全て兼ね備えている。演技派になんてなる必要は無いのに、今年の大河はいけない。マムシの斎藤道三なんて、ミスキャスト。
モッくんの裸の勇姿(?)を見ようとネットを開くと、本物の力士の四股を踏む姿が!すごい足の高さだ。この迫力にはさすがの悪疫も退散してくれそうだ。場所が早く通常に戻ることを願うばかりだ。






2020年8月22日

258 月に一度は鰻の日

ここのところ、鰻を食べる事が多くなって嬉しい限りだ。昔から言われていることでもあるが、食べるとやはり元気になる。P病の不調もあり、コロナ禍と猛暑でゲンナリしている身体に 栄養と幸福感が染み入っていく。食べ物で滋養を摂るのがやはり一番だ。今や、鰻仲間となったO氏、Kさんと三人で連れ立って美味しいと評判の店に出かける。大概はお店に詳しいO氏が予約してくれた店に行くことになるのだが、いつも外れは無い。今回は入谷の「のだや」、二度目である。5時半開店の店には既に行列が出来ている。予約はしてあるので入れるが、売り切れ御免なので食べたい物を食べるには早く行くに限る。今回はお目当ての物もあり、大満足。お酒もちょっとで丁度良い具合。

それにしても、美味しい鰻屋は下町方面に多いような気がする。日比谷線で入谷に向かう途中の駅も築地を過ぎると八丁堀、茅場町、人形町、小伝馬町、…と江戸情緒の名前の駅が続き、鰻を食べる気分も盛り上がる。さて、次は何処のお店だろう。




2020年8月11日

257 〇

マル。
生きてるだけで御の字。何しろ「命に拘る危険な暑さ」だそうである。
体温より暑い気温とは!
気候のことを言い出したら憤死でもしかねないので、今日はこのくらいにしておこう。

2020年7月30日

256  能浴で元気回復

今朝は起床時の身体の調子が良く、気分も爽快だった。左指の強張りが無いのは何ヶ月ぶりだろう。昼食後の強い倦怠感が無かったのも嬉しいことだった。こんな風に調子が良い時は、何がよかったのかなあ?と検証するのが最近の癖になっている。少しでも早く良くなりたい一心で、この一、二年は散々、色々な療法やサプリメントを試してみた。この頃は自分に合った物、効く物に絞りつつある。自分の身体を使って実験をしているようなものだ。
昨日は能を観に行ってきた。ご多分に漏れずコロナ禍の影響で公演もしばらく休止されていたので久しぶりだった。「東京2020オリンピック・パラリンピック能楽祭」として行なわれるはずだったこの公演は、「新型コロナウィルス終息祈願」と銘打って二週間行うことになった。昨日は、尊敬する大槻文藏師の「葵上」。共演の観世喜正師とも相俟って、素晴らしい舞台だった。
能は鎮魂の芸とも呼ばれ、人の心を癒す力を持っている。私は人知れず「能浴」と言う言葉を使うことがあるが、美しい詞章とその場の清々しい空気にこの身を浸すことによって、森林浴ならぬ能浴をして身を清めるのだ。
今日の体調の良さは、そのお陰か?





2020年7月20日

255 〇

久しぶりの青空。
でも梅雨明けはまだだという。
コロナ騒ぎのツユアケはいつになるのかなあ…

2020年7月11日

254  奇妙なソーシャルディスタンス

クリニックへ向かう途中、代官山駅ホームのエレベーターの前で体操をしているオジサマ(70代?)に遭遇。近付いてみると、それは体操では無かった。広げた両手を前後にブンブン振り回しているのだった。私をギロッと見ながら自分の手を示す。この手の内に入るなよ、と誰にも分かるパフォーマンスである。こういう主張もあるのかと、感心しながらも内心笑ってしまった。残念ながら、手があまり上がってなかったのでディスタンスが狭目だった。
勿論、エレベーターは一台遅らせて、オジサマにお譲りした。彼はマスクをしていなかった(したくなかった?)ので、声を出さないでメッセージを伝える方法を考えたのかもしれないが、睨んだりせずにせめて笑顔でして欲しかったな。却って不気味か…

2020年6月30日

253 〇

マル。
今日で今年の半分が終る!
コロナ禍という前代未聞の変事があったというのに、この半年間はあっという間に過ぎてしまった。家に籠っていたのが多かったせいか代わり映えのしない半年だったように思う。同じように感じている人もきっと多いだろう。
だが、逆にこの自粛期間をチャンスと捉えて、勉強したり、身体を鍛えたり、片付けをした人がいる。スゴイなあ!さぞや充実したことであろう。怠け者で半病人の私など真似も出来ない。でも、今はグダグダしていたい身体でもあり、自粛のお陰で「堂々と」怠けられたのは、私にとっては都合の良いことであった。

2020年6月21日

252  病院はガラガラ

自粛要請が全面的に解かれ、この週末から街中や観光地に人が出てきたようである。だが、これだけの自粛の後だから、まだ二の足を踏んでいる慎重派もいて、さすがに満杯とまではいかないようだ。
久しぶりに病院に行ってきたが、人はまばらだった。コロナの感染者が出たので来ないように、薬は送るのでと病院から電話があってから、S先生の診察は3ヶ月ぶりだ。「今日も来なくて良かったのに」と、意地悪を言う先生。次も9月で良いと。そんな殺生な!先生に会いたくて、話したくて、嫌いな病院にも来ているというのに!次はせめて8月にしてもらった。
私のような者は不急の患者に入るらしい。他の病院でもコロナ患者の為に不急な病人は後まわしにされているらしく、結構空いてるというような話も聞く。今までの混み具合は何だったんだろうと思う。今更だが、それこそ不要不急な患者も多いのだろうか…
「パーキンソンで苦しんでいる人から見たら、君なんて、どこが具合悪いんだろう?と思われるくらい軽いんだから、気持ちを明るくね。辛くなったら、僕にそう言われたなあと思い出して明るくするんだよ。」
そう、そんな言葉を聞きたくて、たまには先生に会いたいのだ。手術や薬の為ばかりの病院じゃないのだ。






2020年6月10日

251 〇

暑い!
まだ6月だというのに気温は30度を超えた。自然相手なのだからどうしようもない、騒ぐなと言われる。
そして、世の中は対症療法ばかり、クーラーがんがんで放熱が増え、益々気温が上がる一方だ。副産物でスコールや台風も激しさを増すばかり。病気と同じで根本治療をしないと悪化するばかりなのに…
コロナもまだ収まらない。こんな状況の中、生きているだけでマルだわね。

2020年6月1日

250 鰻を食べて元気

体調が悪くなり始めた2年前くらいに、カウンセラーから「鰻が良い」と勧められた。
鰻は好きな割にはそうは食べない。月一でも、何なら週一でも、デパートの売り物でも、沢山食べて。と言われ、治療の帰りにはデパートの食品売り場で買ってきたのを食べていたものだ。時々はお店にも出向いて、この2年程、こんなに鰻を食べたのは初めてだ。好きな物で良かった。
そこへ、能楽師のO師登場。以前に一度「十句観音経」を教えてくれた人として書かせてもらった人だ。美味しい物好きで、かなりのワインコレクターでもあり、私と事務局のスタッフのKは時々お相伴にあずかっている。話題も豊富で一緒に食事していてもとても楽しい。お店もよくご存じでその店の料理に合わせたワインを数日前に預けておくという念の入れようだ。イタリアンとか中華とか。鰻の場合はワイン無しだが、このところは鰻屋へ行くことがが多く、鰻仲間という感じ。
私もそれなりにお店は知っているが、O師の幅広いこと!新しい所も知りたいのでO師に任せているがいつも外れが無い。今回は横浜大倉山のお店だ。そもそも大倉山なんて降りたことも無かった。店も駅から離れていて知る人ぞ知るという風情だ。目の前で割いて焼いてもらった鰻の美味しいこと!肉厚でふっくらと柔らかい。下の御飯がチラッとも見えない程、縦に並べてびっしり。都心の有名店だったら倍はするだろうお値段にもお得感。同行のKも「遠出した甲斐がありました」と納得。思い込みだと言う人がいるけれど、やっぱり鰻を食べた翌日はとっても元気だ。






2020年5月22日

249 ソーシャル・ディスタンスの距離

スティ・ホーム、というキャッチフレーズを、更に「巣ごもり」「鎖国」と言い換えたり、どうしようもないこの閉塞状況を、何とか工夫して過ごそうと躍起になっている人達がいる。片や、この状態を受け止め静かに暮らすことの喜びを改めて感じている人達もいる。ある人は「この生活が案外好きなことに気がついた」と言っていた。私も後者の組だ。仕事で忙しくしていて人疲れをした時など人間関係の檻から解放されたいと思うことがあり、人と話したくないことも多い。元々の「蟄居」好きでもある。
そんな訳で、自粛生活をそう苦とも思わず過ごしていたのだが、そこにある人から電話。外にも出られず誰とも話さず、退屈で仕方ないと言う。私が今日のひまつぶし相手に選ばれたという訳だ。趣味や考えの合わない人との会話は苦痛でしかない。相手はそれに気がついてはいないのだが、一人の時間の過ごし方を知らないとは可哀想な人だ。
次に来たのは老エッセイスト(本人がそう呼ぶので)のメール、彼からは過去の栄光を綴った老い終いのエッセイが時々送られて来ていた。「勝手に送るので、時間がある時にでも読んでくれれば良いから…」と、次から次へと送られて来ていた。面白ければ苦にならないけれど、返事の仕様もなくそのままにしていた。そんなところへ「送りつけるのは迷惑みたいだから、もう止めようと思う」と、すねたようなメール。つまり、たまには感想を送れということだ。ああ、面倒くさい。歳とってこうはなりたくはない。
ブログを始めたきっかけの一つに、人との付き合いの面倒くささがあった。自分ばかりではなく他人に煩わしさを感じさせたくはない、という理由もあった。他人に煩わしさを感じさせず、返事を強要させないで自分の様子を知らせる良い方法はないか、と考えて、ブログという形にしたのだった。電話の煩わしさは最たるものだが、手紙、メールもどこか返事を期待され、面倒くさい。その点、ブログは気楽だ。気になる人の様子を勝手に見に行けば良いので、ブログは都合も良い。
件の二人は私のブログは読んでいないし、興味もないだろう。読んでくれている人だったら、つまらない連絡は寄こさないはずだ。
久しぶりに会った人からブログの感想を言われて驚くことがある。意外な人が読んでいてくれて恐縮することもある。日常的に読書会や句会で会うSやH、事務所のスタッフのKさん、ミュージシャンのMさん等々、度々ブログの感想を言ってくれ、「見守っているよ」と言われているようで嬉しい。長い付き合いで句会の世話もしてくれているヨシダ君は「見張っているよ」と言ってくれる。シャイな江戸っ子の彼はこんな風にしか言えないのだが、有り難い限りだ。
日本人のソーシャル・ディスタンスて、本当はこんな感じじゃないのかな…

2020年5月11日

248 〇

暑い~!
連休が終わった途端、夏日だ。もう何年も前からこんな感じで、日本には四季が無くなってしまった。コロナ禍で自粛が続き空がきれいになったりはしてるが、そう簡単に自然環境が戻るはずはない…
それにしても、半病人にはこの寒暖差はキツイ。
でも、何か困った事があった訳では無いし、〇マルとしなければね!

2020年5月1日

247 タケノコ御飯

相模原に住む友人Sから、タケノコを送ってくれるという連絡があり、それならば取りに行くよと出かけてきた。この時期には彼女の庭に出るタケノコを楽しみにしている人も沢山いるくらいだが、もらいに行くのは不要不急の用事ではある。だが、とにかく出かけるなという日々が続き、買物は3日に1回どころか全く出かけてないし、人との8割の接触も何も誰にも会ってないし、自粛にも疲れ少しは動きたく、小一時間というあまり遠くない場所だし、三密では無いし、注意深い行動するということで許してもらった(誰に?)。こんなに言い訳しなければ、出かけることが出来ないというような事態がこの現代に起きるなんて誰が想像しただろうか。
旅行も出来ずに読書をするしかないという、この自粛をもてあましぎみの若い友人Kさんを誘って、ガラガラの電車に乗って、ゆるりと行ってきたが、すれ違うロマンスカーもスカスカだ。間引き運転でも充分だろうに、こういうところがバランスが悪い。世界では、コロナ騒ぎの副産物で空気がきれいになり遠くの山が見えたり、海に生き物が戻ってきたりしている。ある意味、せっかくの自粛とも言えるのだ。自然現象ばかりでは無く、コロナからのメッセージは沢山あり見せつけられている。考えなければいけないことは多い。
Sとは句会、読書会で月に1、2回は会っているのに、ここのところの集りの中止で大分会ってなかった。彼女の近所には、やはり長い付き合いの友人Rちゃんが居るので誘った。集まれば話も盛り上がる。4人では密にならないわよね?と、このご時世の冗談とも言えない冗談を交わす。
タケノコはドーパミンを作ってくれるそうなので、今年は沢山食べようと思っていたので、嬉しい。アク抜きの糠煮までしてもらって、薬味の山椒も庭からもいでもらい、至れり尽くせりだ。
早速、今日はタケノコ御飯にして楽しんだ。旬の採りたて、美味しい!ドーパミン倍増!


2020年4月21日

246 巴旦杏

巴旦杏(はたんきょう)、何十年ぶりかで聞いた。懐かしい響きだ。
故郷の古い友人Sちゃんから届いた歌集のタイトルだが、本はそれに相応しく淡々しく綺麗な装丁だ。その果物の瑞々しさまでも伝わってくる。スモモのことを巴旦杏と呼んでいたのは祖母、曾祖母だっただろうか、母も少しは言っていた時代があったかもしれない。ともかくも遠い遠い昔のことだ。
その頃の故郷には、スモモの樹を植えていた家が多かったような気がする。茱萸の樹なども。すぐりや桑の実、あけびも食べた。食べ頃を楽しみにしている内に近所の悪ガキどもに盗まれてしまって、地団駄を踏むのもよくある話だった。そのガキどもを叱りつけるのは祖母や曾祖母の役目だった。懐かしくもこの風景を詠んだ歌が一首ある。
  ふるさとの本家の庭に茱萸ありき婆婆様睨みを利かせていたり
これは時代の歌でもある。家族が皆一緒に暮らし、それぞれの役目を担い、死ぬまで家で暮らした時代。
作者の彼女とは、同郷で同世代という共通点があるので共感する歌が多い。今を詠んだ物にも根底に原点が宿っているから、何十年という時空も一挙に超えてしまうのだ。シンプルながら、激しく共感したのは次の歌だった。
  ふるさとの山と呼びたき八ヶ岳わが魂の帰りゆく山
他にも涙無しには読めない歌がいくつかあったが、ここには書くまい。この胸に留めておこう。

この歌集にインスパイアーされて出来た拙句。丁度、投稿句会の締切ともあり。
  「巴旦杏」友の歌集に里想う





2020年4月11日

245  〇

自分も家族も友人も、仕事仲間も、不調無し。
それだけでも、まずは御の字。

2020年4月1日

244 〇

今日はエイプリルフール。
昨今の忌わしいウィルス騒ぎは、「嘘でした」と消し去りたい程だ。世界にはSF映画のような風景さえ見せる都市もある。先も全く見えない。
こんな時に、半病人とは言え生きているのが奇跡のように思える。いや、全くもって生命あることだけで「マル!」なのだ。

2020年3月21日

243 自信を持ちなさい!

パーキンソン病と診断されて丁度一年経った。
主治医のS先生とは月一度お会いして、血液検査をして血圧を測って、あーでもないこーでもないと問診、治療というよりカウンセリングのような時間を持ってきた。S先生は大変偉い方なのに権威ぶらず、軽妙な会話をされる方で、お顔を見るとほっとする。ここにも何回も書いたが、検査の結果はいつもとても良い。血圧なんて自分や他の病院で測ると危ないくらい高いが、S先生に測って頂くと理想的な数値だ(70~120)。S先生に対しては白衣プレッシャーが無いのだ。「君も変わっているよね~普通は逆だよ」とからかわれる。
「自信を持ちなさい」先生がこのところおっしゃる言葉だ。「初期に病気を発見し、症状も進まないから薬も増えない、もっと自信を持って笑顔でいなさい。今の君はスキップして帰ったっていいくらいなんだよ。」と。確かにそうだ。P病に似た症状の病気は他にも色々あるので、病名を特定できずに何年も病院通いをした人がいるのも知っている。精神科に入院させられた人もいる。誤診のせいで、よりによってP病には良くない薬を飲み続けた人もいる。私の姿を見て心配になって、この分野のオーソリティであるS先生を紹介してくれたS夫人。ご主人はやはり何年間か病名が特定されなかったし、S先生に出会うまでには数名の医師を経たようだ。私の場合は全て直球で、病院にも医師にも出会えた。私はとてもラッキーなのだ。S先生がおっしゃるようにスキップしたいような気分でいて良いのだ。お調子者の私は、実際にスキップを試みたのだが、足が上がらず駄目だった。それどころか足がもつれて転びそうなった。危ない、危ない。でも、スキップなんて、この歳じゃ病気じゃなくても無理かもね。

天気も良く暖かなので、病院の帰りに明治神宮に寄る。病院の近くあるので、時々は寄ろうと思っていたのだが、この一年はその余裕も無かった。余裕というより、歩く元気が無かったのだ。徒歩15分が辛く、タクシーで往復したことが多かった。でも、久々に歩いてみようという気持ちになった。S先生の励ましの言葉のお陰




2020年3月10日

242 啓蟄の力

世のウィルス騒ぎの中で、不要不急で出かけてはいけない人種は、我ら高齢者だ。
句会なんてとんでもない。吟行でふらふら歩きまわるし、選句や打上げ飲み会では口角泡を飛ばして熱く語るし、それこそ濃厚接触なのだ。でも、せっかく生活の一部になった句会を中止するのは残念だ。
という訳で、最年少のせいで永久幹事の吉田君の提案で郵送投稿で句会をすることとなった。今日が締め切り、一人5句ずつ集めた句を吉田君が清記して、皆に送付、それぞれ選句してまた彼に郵送、選句の結果を待つのだ。彼には面倒をかけるが、句会が成立するのは嬉しい限りだ。歳時記を読み季語を捜し、季節について考えるのは楽しい。
以下は私の5句の中の1句だ。(これが一番良いという訳ではない)
 啓蟄の蠢き感受発熱す
このご時世で「発熱」は禁句だが、そのくらい、今年は啓蟄のパワーに影響された感じがする。
私は、3月に具合が悪くなる事が多かった。入院したことがあったのも3月だった。それでも今までは春の芽生えのパワーにあやかろうとしたものだったが、こんなちっぽけな人間が自然のエネルギーに同調出来ようはずもない。啓蟄のパワーはとても強く、気候にも多大な影響を及ぼすと言う。だから具合が悪くなるのも当然なのだ。
今年の啓蟄は、3月5日~3月19日だそうで、この間は静かにやり過ごすしかない。



2020年3月1日

241 肺も完璧!

このコロナウィルス騒動のせいもあり、妹が長引く咳を気にし出し、気にし出したら居ても立ってもいられないのが、人の心理。少し前にはベトナムにも滞在したし、羽田空港も経由したし、と心配の種は尽きない。大した咳とも思えないし熱もないし、「大丈夫だよう」と娘たちも慰めるが、心配の渦に入ってしまった妹の耳には届かない。世のコロナ情報は怖いものばかりだし…
私とは旅行中ずっと一緒だったし、同じ部屋で寝起きしたし(いわゆる濃厚接触)、と心配は私の事にまで及び、長野のクリニックに行った日に流れでとうとう私も胸のレントゲンを撮ることになってしまった。私はどう見てもピンピンしているんだけど。(P病はともかくも)
案の定、「きれいな肺ですね〜、肺炎も肺癌の疑いもありませんよ!」と、写真を示しながら笑顔の先生。お騒がせ致しましたと身を縮める。去年の大検査と毎月の血液検査、その後の背中と腰のレントゲン、いつも褒められるくらいの完璧さだが、脳のたった2、3ミリの黒質の異常のせいでこの身体の不自由さがうまれており、脳の世界は複雑だ。とは言え、肺もバッチリとなれば、それはそれで嬉しいものだ。
件の妹は「気管支炎」だった。


2020年2月21日

240 三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

旧知の演出家、芥正彦が三島由紀夫と激論した記録が入っているドキュメンタリー映画が完成し、試写会に芥と行く。これは50年前の東大全共闘と三島の対決を記録した物で、何年か前に秘蔵映像が見つかって、一部公開されたり、本に再録されたりもしている物だ。5年前にも三島没後45年ということで、その激論が行われた駒場の900番教室で特別講演が行われて、出かけて行った。パネリストの中にはまだお元気だったドナルド・キーンさんもいらして、そのお姿とお話の内容には感激したものだった。

今回の映画は、50年前そこに居た生き証人である芥達東大生、盾の会会員、数人の記者、そこへ4人の識者(平野啓一郎、内田樹、小熊英二、瀬戸内寂聴)が加わった計13人の解説、証言によって言葉の真実が紐解かれる。例によって寂聴は不要。どうしてこうも軽佻浮薄になってしまうのだろう。それはさて置き、一言で言って「面白い」映画に仕上がっていた。難解で理解できない所もあるが、時折笑いが起こるほど、ユーモアに裏打ちされた温かい映画でもある。懐かしさか…
今の時代には有り得ない熱さもある。あの時代、ノンポリであっても政治的な意識は高かった。時代の空気がそうさせたのだ。

内田樹はあの時代を「政治の季節」と呼ぶ。そして、こう述べる。
<政治的な季節の若者たちは時々ずいぶんひどい勘違いをしたけれど「自分には果たすべき使命がある」と思い込んでいたせいで、総じて自分の存在理由については楽観的であった。その点では非政治的な時代の若者たちよりもずいぶん幸福だったのではないかと思う。>

そうに違いない。


2020年2月11日

239  霧のハノイ

ベトナムは今は梅雨時。小雨か霧か世界一汚れているというスモッグの空。六日間滞在して一度も青空は見なかった。
でも暗い感じはしない。実にエネルギーに溢れているのだ。若者が多く、街は喧騒と猥雑さに満ちて、とても魅力的だ。クラクションの音が響きわたり、聞きしに勝るバイクの群れ!まるで曲乗りのバイク隊が車すれすれを縦横無尽に追い越し、横切る。見ほれるばかりだ。後ろに乗る者も運転手にしがみついたりしない。ポケットに手をつっこんだまま軽々と乗り慣れたものだ。真ん中に子どもを乗せたりしている家族もいる。山のように荷物を積んだ人もいる。毎日飽きずに見とれていた。
一方、郊外に行くと田圃が広がり、農耕牛がいて昔の耕運機があり、手植えで田植えをしている。日本の50年前の田園風景だろうか。
新旧混在。発展途上の魅力とはこういったところにあるのだろうなあと思う。

そして、とうとう本物のコピ・ルアックを飲んだ。150000ドン。やっぱり高い?いえいえ、日本円だと750円。勿論、ベトナムでは高い。確かに美味しかったが、日本で1万円は出せないな。
料理は何でも美味しかった。フォーなんて毎朝食べに行ったものだ。ベトナム人は外食好きで朝からフォーを食べに出かけるそうだ。

どの国に行っても何か舞台を観に行くが、今回は伝統芸能を観たかったので、水上人形劇に行った。内容は豊作豊漁を寿ぎ国の発展を願うという、伝統物として万国共通のテーマの物であった。浄瑠璃ならぬ京劇風な語りや古めいた楽器がオリエンタル情緒を醸し出していた。

次は青空が見える季節に、もう一度訪ねてみたいものだと思う。






2020年1月31日

238 〇

明日からベトナムだ!
ハノイに赴任していた姪一家の帰国が決まり、滞在している間に行こうということになった。姪達の住いにあるコンドミニアムが快適で、大変安価で泊まれるらしい。姪にしたら、両親、叔母夫婦、伯母(私)とジジババ集団を引き受ける訳だから大変に違いない。
いずれにしても、一度は行ってみたいと思っていた国だから、とても楽しみだ。

2020年1月21日

237  〇

昨日は整体、今日はヨガ、明日は呼吸法。
いつもはこんなに毎日連続ではないけれど、リハビリ方法が自分に合った物に集約されてきて、迷いがなくなってきたのは気持ちが良い。

2020年1月11日

236 コピ・ルアックを飲む

とうとう、というか、やっとコピ・ルアックを飲んだ。ペーパードリップではコーヒーオイルも一緒にろ過してしまい味が落ちてしまうからと、わざわざ金属フィルターまで買ったのだ。
カップを温めて用意万端、期待に胸躍らせて粉の袋をカット。おや何だこのツブツブは、白いのも入っているぞ。慌てて箱の説明を読む。カップに入れてお湯を注ぎ、かき混ぜろとある。何だよう、インスタントコーヒーじゃないか!しかも、ミルク入り。東京だと一杯1万円もする最高級コーヒーがインスタントコーヒーで売られようが無い、というまさかの思い込みだった。味は不味くはないが、ただのコーヒー。キレが無く、ミルクや砂糖で甘くまったりした風に飲む、いわゆるベトナムコーヒーではあった。
「猫の糞から取るんですよね」と、東南アジアのお土産としてこのコーヒーを何度ももらったことがあるというスタッフの I は「フン、フン、フン」としつこく繰り返す。つまり、自分は飲みたくないということなのだ。ジャコウネコの糞からコーヒー豆を製造する過程を調べると、あまり汚くはないが、生理的に受け付けない人はいるだろうと思う。こんなに料金が高いのはひとえに収穫量が少ないかららしいが、その味、香りの良さ、コクの深さなど、高い料金を払うに値する絶品らしい。今のところ、私も含めて周りには本物のコピ・ルアックを飲んだ人間は一人も居ないので、らしいと言うしかない。まさに「幻のコーヒー」なのだ。

映画「かもめ食堂」では、美味しいコーヒーを淹れる為のおまじないとして言葉だけ「コピ・ルアック」が出てきた。短いシーンだが、印象的な場面だった。
「最高の人生の見つけ方」(これも邦題がセンスない)では、ジャック・ニコルソン演じる大金持がこのコピ・ルアックを愛飲しており、秘書が金ピカのサイフォンをうやうやしく持ち運んでいる。金は無いが知識の豊富な役のモーガン・フリーマンが、最高級品コーヒーも所詮は猫の糞から取るんだとユーモアたっぷりに揶揄するが、爆笑しつつ二人の距離が縮まり人生最後の友になる、というきっかけの小道具にこのコーヒーが使われていた。象徴的な使われ方だった。ジャック・ニコルソンがデミタスカップのコーヒーを気取って仰々しく飲む姿が忘れられない。

そんな訳で、本物のコピ・ルアックは幻に終わったが、一生に一度くらいは飲んでもいいかな…飲めるかな…
ドーパミンを出す為にも、自分へ最高級品コーヒーの「ご褒美」を、と思っていたが、今回は金属フィルターが思わぬ褒美になった。こんなことがないと買う事もなかったであろう。