スティ・ホーム、というキャッチフレーズを、更に「巣ごもり」「鎖国」と言い換えたり、どうしようもないこの閉塞状況を、何とか工夫して過ごそうと躍起になっている人達がいる。片や、この状態を受け止め静かに暮らすことの喜びを改めて感じている人達もいる。ある人は「この生活が案外好きなことに気がついた」と言っていた。私も後者の組だ。仕事で忙しくしていて人疲れをした時など人間関係の檻から解放されたいと思うことがあり、人と話したくないことも多い。元々の「蟄居」好きでもある。
そんな訳で、自粛生活をそう苦とも思わず過ごしていたのだが、そこにある人から電話。外にも出られず誰とも話さず、退屈で仕方ないと言う。私が今日のひまつぶし相手に選ばれたという訳だ。趣味や考えの合わない人との会話は苦痛でしかない。相手はそれに気がついてはいないのだが、一人の時間の過ごし方を知らないとは可哀想な人だ。
次に来たのは老エッセイスト(本人がそう呼ぶので)のメール、彼からは過去の栄光を綴った老い終いのエッセイが時々送られて来ていた。「勝手に送るので、時間がある時にでも読んでくれれば良いから…」と、次から次へと送られて来ていた。面白ければ苦にならないけれど、返事の仕様もなくそのままにしていた。そんなところへ「送りつけるのは迷惑みたいだから、もう止めようと思う」と、すねたようなメール。つまり、たまには感想を送れということだ。ああ、面倒くさい。歳とってこうはなりたくはない。
ブログを始めたきっかけの一つに、人との付き合いの面倒くささがあった。自分ばかりではなく他人に煩わしさを感じさせたくはない、という理由もあった。他人に煩わしさを感じさせず、返事を強要させないで自分の様子を知らせる良い方法はないか、と考えて、ブログという形にしたのだった。電話の煩わしさは最たるものだが、手紙、メールもどこか返事を期待され、面倒くさい。その点、ブログは気楽だ。気になる人の様子を勝手に見に行けば良いので、ブログは都合も良い。
件の二人は私のブログは読んでいないし、興味もないだろう。読んでくれている人だったら、つまらない連絡は寄こさないはずだ。
久しぶりに会った人からブログの感想を言われて驚くことがある。意外な人が読んでいてくれて恐縮することもある。日常的に読書会や句会で会うSやH、事務所のスタッフのKさん、ミュージシャンのMさん等々、度々ブログの感想を言ってくれ、「見守っているよ」と言われているようで嬉しい。長い付き合いで句会の世話もしてくれているヨシダ君は「見張っているよ」と言ってくれる。シャイな江戸っ子の彼はこんな風にしか言えないのだが、有り難い限りだ。
日本人のソーシャル・ディスタンスて、本当はこんな感じじゃないのかな…