2018年12月31日

199 喜怒哀楽2018年

誰もが「一年が早過ぎる!」と嘆くこの頃、私も同様な気持ちでいっぱいだ。今日は大晦日、この数年は大晦日と元旦は自宅でゆっくり休めて、来し方行く末に思いをはせる良い機会になっている。
今年も様々な事に翻弄させられた。今年ほど体調が悪かった年もない。ブログもそんな内容の物が多くて情けない限りだった。
喜ばしい事ですぐに浮かんだのは、夏に又姪(甥の娘)が誕生したことだ。これで、又姪が2人、又甥が3人と孫の世代が計5人になった。親族が集まると何とも賑やかだ。しばらくの間はこれが続くかと思うと嬉しく、子どもたちに元気をもらえて幸せだ。
怒ることは、例年のごとく沢山あった。例年以上にあったと言うべきか…
マスコミのニュースがもたらす情報を始め、電車に乗っても街を歩いていても腹立たしいことに出くわす毎日ではある。だが、仕事関係のいわば内部的な要素で血管が切れそうな程に怒った経験は初めてのことだった。ここでは多くは語れない。一言で言うならば「人間不信がもたらす悪意の醜さ」を嫌というほど見せつけられたのだった。しかし、これも終息に向かう(はず)。どんなにか気が晴れ、体調も戻ることだろうか!
哀しみの出来事は、叔母が急死したことに尽きる。妹が産まれて両親と寝られなくなった私と3才の時から8才まで一緒に寝てくれ、可愛がってくれた叔母だった。裁縫や編物が得意な叔母が編んでくれたセーターを着て行っては学校で先生や友達にほめられて、叔母も喜んでくれたものだった。裁縫や編物は趣味としてずっと続けていたので、綺麗な袋物は姪の私達も幾つかもらっているが、会葬者にも見てもらおうと葬儀会場にも展示してもらったが、本当に器用な人だった。
その昔、叔母のお嫁入りの日、花嫁行列の後を追いかけながら「おばちゃん、行かないで~!おばちゃん~」叫んでも、胸が張り裂けそうなほど悲しくて声にならなかった。何十年も前のことなのに昨日の事のように覚えている。今度は「行かないで!」と言っちゃいけないんだね、とあの幼い日の胸の痛みが蘇る。さようなら。ありがとう、おばちゃん。

そんなこんなの一年の中にも、楽しかった事も幾つかあって、このブログにも一度書いたが、句会を始めたのは楽しく、正解だった。句会には以前、2回程誘われたこともあったが、メンバーがすごくて尻込みしたのと、若かったのでやりたいことが他にあって、俳句に興味を持ちつつも今になった。今で良かったとも思う。
「なにもしないオヤジよりの脱却と何か始めるオヤジの美学」と、Y君。「いや~、皆がはまるの分かるよ~」と、Aさん。男性方がえらく意欲を見せている。今のところは都内の吟行。都心にも素敵な緑の場所があることを改めて知ることも新鮮。今年最後の吟行は小石川後楽園だった。地方吟行の話も出ており、なかなか楽しみなことである。










2018年12月21日

198 〇

可。

2018年12月10日

197 〇

仕事もしたし、今日のところは一応マルというところかな…
明後日は、川中島の決戦か巌流島の戦いか…
勝っても負けても、もめ事から離れられたら、御の字。

2018年12月2日

196 休み

一回休み。

2018年11月21日

195 ヨガの効果 / 見よ!この勇姿を

体調を整える為に再開したヨガも10ヶ月近く経った。先生が3ヶ月NYに滞在した時もラインによるプライベートレッスンを受けた。どんなに熱心かと思われるかもしれないが、週一(休む時もあった)その時のみで、まだ日常生活には活かされてはいない。
昨日も家の近くの隠れ家的一軒家(このシチュエーションも気に入っている)の教室で指導を受ける。以前も一度書いたが、ここの教室はインド系で、内面、内部に向かうタイプで、細かい神経が目覚める感覚が気持ち良い。ストレッチスポーツ系のようなクネクネの恰好はしない。最初は物足りなさも感じたが、足の親指を小さく回すと股関節に響くというような神経伝達の繊細さを感じることもあり、今の私の自律神経系の症状にも合っているように思う。
ところで、ヨガの効用は様々の所でいくらでも聞くことはあるが、先日、かなり直接的な話として聞いて、とても励まされた話があった。
神戸で活躍中のジャズのゴールデン・シニア・トリオのピアノの大塚善章さんの体験談だ。バンドの名前通り皆さんシニアもいいところで平均年齢86歳(本年2018年現在)、当の大塚さんは御年84歳!最年長のビブラフォン鍋島さんは92歳だ!
大塚さんは腰痛をヨガで治したという話を、あるパーティで身振り手振りで熱心に話して、皆に喝采を浴びていたそうである。高齢になってケガや病気になると寝たきりが心配されるが、こういう例もあるのだ。youtubeで観るとしゃきっとしたお姿が若々しく素敵!このトリオの素晴らしいところは、世界最高齢トリオという話題でとどまっておらず、アルバムの制作、コンサートの回数も多く、素晴らしい演奏で、現役中の現役だということだ。
このお歳で、不調をヨガで乗り切ったなんてカッコいいなあ!







2018年11月11日

194 ◯

だいたいマル!
今週は久しぶりに昼夜とビッシリのスケジュールだった。
この後に及んでもワーカーホリックか!と、友人に叱られる。分かっているよ!いや、分かってない、その内、廃人だよ。と、やり合う。こんな生活状態が健康に悪いことくらい、私も頭では分かっているのだ。
体調もなかなか回復せず、本当にここいらで仕事をすっぱりと整理しなければいけない。後1ヶ月半で今年も終わる。年内にははっきりさせて、気持ち良く新しい年を迎えたい。
疲労困憊で駆けつけた昨夜の観能では、すっかり寝てしまった。心地よい謡と囃子の調子に能浴をたっぷりして、それはそれで癒されたのだった。

2018年10月31日

193 整体治療を受ける

西洋医学の怖さ(主に薬の副作用)を身をもって経験してから、東洋医学、自然療法に目覚め、以来30年はほとんど病院には行ったことがない。自然療法のありとあらゆるものを試して、最終的には仙骨を調整する療法にたどり着いたことは以前にも書いた。そのやり方が良いと今でも思っていて、健康維持の為に月に一度は通っている。ところが、この不調である。
使い慣れた化粧品を時には変えてみるのも良い、食べ慣れた物を変えてみるのも身体の細胞の刺激になるらしい。そんな流れで私のまだ知らない療法を試してみたいと思った。私のひどい様子を見て色々と紹介してくれる人もいる。信頼できる人が紹介してくれたクリニックを一通り訪ねてみようと思い立ち、今日で4ヶ所目。後一ヶ所となった。
今日行ってきたのは、古い友人のMさんの紹介の整体だ。Mさんは私と同じく自律神経失調症で日常生活もままならず大変苦労したようだったが、今はいつもの彼女らしく柔和な笑顔でゆったりとしている。そんな彼女が良いモデルだ。行ってみたくなる。
施術者は同年代の女性なので、身体を触られるのに安心感がある。その小川先生はNYで日本語教師をしていたことがあり、滞在時期も私が頻繁に訪れていた頃と一致し話も盛り上がる。施術をしながら、NYや、音楽、絵画、ダンスなどの話、身体に関する話は勿論のこと、穏やかな口調で話して下さる。カウンセリングをしながらの施術といった感じで一時間半、非常に贅沢な時間だった。施術の方は、気功、手当て、マッサージ、指圧を組み合わせしたようなものだ。この整体の創始者である野口晴哉氏は「これしかない、というのではなく、良いものは全部やれば良い」とおっしゃったそうである。野口氏の談話や随筆が載った機関誌を何冊か頂いたが、はっとするような身体論が展開されており、これから読むのが楽しみだ。
これからは整体体操も少しずつ教えて下さるそうで、今日教えて頂いたのは、酒を呑んだ後にやると次の日にスッキリ、酒が残らないという体操。(笑)
こんな時ですら、どこまでも呑んべえ話がつきまとう私である。こんなにノーテンキなんだから、ストレスとは無縁のはずなのに…








2018年10月20日

192  誕生日の自分へのプレゼント

昨日は誕生日だった。このところ、出来れば一人で過ごす ことにしている。誕生日くらいは、来し方行く末を静かに考えたい。
誕生日の自分へのプレゼントはまずは身体のメンテナンス。仙骨の調整をしに恵比寿のMRTに行く。
もう一つのご褒美は、能「姨捨」の鑑賞。まったく仕事を離れての純粋な観劇である。大好きな梅若万三郎師の舞台であり、「姨捨」には最近思うところもある。
まず、解説の馬場あき子の話が素晴らしかった。
時間は速やかに過ぎ去って行くが、人間の背負うもので一番重いのは時間。時間の積み重ねと、精神と肉体とのせめぎ合いが生きるということ。というような趣旨の話だった。肉体が衰えた時、心の純粋さ、美しさが表出する。歳をとって「姨捨」を観たいという自分の心の動きはそういったことに繋がるとも。
能「姨捨」には老人遺棄の悲惨さはなく、月の光の精のような老女が舞うことで、浄化された清らかな世界を見せてくれる。人の世の無残さを超えて、解脱した者の神々しさがそこにはある。
万三郎師の舞には、聖俗を超えた透明な哀しみがあり、そこには崇高性が漂っていた。肉体の衰えさえも老女そのものであった。涙を禁じ得ず、一生忘れることがないであろう舞台となった。
歳を取ることが決して悪いことばかりではないと教えてくれるのは、こういった優れた作品である。




2018年10月10日

191 〇

マル!
やっと、秋めいて来た。シーズン真只中で、何かと忙しい。
体調も未だ良いとは言えぬが、昨日あたり、わずかな快復の兆しの感覚があった。心地良い秋の内に元気を取り戻したいものだ。

2018年9月30日

190 ラジオ体操を一年やった!

「一日3分が取れないはずがない」「三ヶ月やれば何かが変わる」という、大阪の整体師ヒロ先生の言葉をおまじないのようにして、ラジオ体操を続けてとうとう一年経った。何事にも飽きっぽい私には珍しいことだ。なので、達成感はあり気持ちが良い。勿論、具合が悪かったりして休んだこともあるが、月に3日あったかないかで、我ながら優秀だ。旅行中も休まなかったくらいだ。
電子辞書に入っていたので、旅先に持参してはエッチラオッチラやっていたが、携帯をスマホに変えてからはYouTubeのラジオ体操をダウンロードしたので、スマホ一台を持ち歩くだけで済んでいる。YouTube にはラジオ体操に関する様々な情報が入っていて面白い。軍隊みたいにキチキチっとやっている男子校の動画を見ていると、私がやっているいい加減な体操と同じものとはとても思えない。
毎日続けられたのには「明日こそきちんとやろう」「床に手がつくまではやろう」「よろけなくなるまでやろう」という目標があったこともある。そのくらい久々のラジオ体操はきつかった。たかが体操と侮れない。最初から二番目と最後から二番目にある屈伸運動は未だによろけずピタッと出来ないでいる。最後の方の跳躍もまともに出来ないテイタラクだ。それだけ今は体調が悪いとも言え、ラジオ体操は健康のバロメーターでもある。これくらいはちゃんと出来るようになるまでは止める訳にはいかないだろう。やれるようになったらそれはそれで楽しいに違いない。甘くみていたラジオ体操だが、なかなか奥が深い。


2018年9月21日

189 善人なおもて往生を遂ぐ いわんや悪人をや  - 石橋幸コンサート -

毎年恒例の「僕の呼ぶ声」石橋幸コンサート(於:紀伊國屋ホール)が、来週9月25日に迫ってきた。
チラシ裏のエッセイは、このところ山本萠さんに書いてもらっている。テーマを投げかけている訳ではないが、その内容はいつも見事に石橋の唄の世界に共鳴する。今回は萠さんの身近に起きたショッキングな事件を書いてくれたが、人間の業の深さ、運命の悲しさ、人生のやりきれなさが、まるで石橋の歌う囚人たちの世界のようである。



2018年9月10日

188 〇

一応、マル!

今日から気温も少し下がるということで、予報通りだったが、ただ今湿度70パーセント。台風もまた近づいているようで、我慢ならない不快さだ。気を抜いたら今まで「もう少し、もう少し」と耐えていたガマンがどっと崩れ、倒れてしまいそうだ。

大阪腰痛館のヒロ先生がブログで警告。
 気圧が下がると途端に忙しくなります。多くの人は気づいていませんが自然の力は人の身体に大きく影響します。ほとんどの方にはそういう意識はありませんが、人間もまた自然の一部であることを忘れてはいけません。

その通り。こういう時は、無理をしないことに尽きる。

2018年8月31日

187 ビール讃歌

まだまだ続くこの暑さには参るが、暑さで唯一良いことは、一日の終わりに飲む冷えたビールの美味しさだ。今年の夏もどのくらい飲んだことだろう!
そんなところにぴったりの詩が届いた。詩人高田真さんの新しい詩集「猫のねているあいだに」の中にビールへの賛歌が込められている一篇があった。難解になりがちな現代詩の中で、平易な言葉で素朴でノスタルジックな世界を創出する高田さんは、私が好きな詩人の一人である。
さあ、これを読んで、今日も美味しいビールを飲むことにしよう!

    一日の仕事の終わりには  
 一杯のビール
 まず一杯
 詩人の教えに従って
 今日の労働に けじめを付ける

 そこからひとりの食卓で
 二匹の猫たちと
 ささやかな晩餐会がはじまる
 
 多くを望みはしないが
 この穏やかな生活が続くように

 夜空に
 ふたつみつと星星が輝きはじめると
 いとおしいものたちのことがこみあげてくる
 この胸の中には 私が死ぬまで在るのだろう
 故郷の消えた村の名も 愛する人たちも

 (根っこを張り
 巨木のように枝葉をひろげ)

 一日の秩序から解き放たれて
 ふかく根を下ろしていく
 地の底 水底 の声を聞く

 また ふうわりと
 根を引きずりながらも
 まだ知らない土地を夢みる

 いつか うたたねの心地良さ
 猫がザラザラの舌で
 卓にうつ伏せたほろ酔いの
 私の頬を舐めている

冒頭の詩人とは、茨木のり子である。
「六月」は、私も大好きな詩だ。
 
   どこかに美しい村はないか
 一日の仕事の終わりには
 一杯の黒ビール
 鍬を立てかけ 籠をおき
 男も女も大きなジョッキをかたむける


 

2018年8月21日

186 〇


一応、マル。
なかなか言葉を書く気力が出ない。
昨日、ここのところの一番のお荷物だった案件に少し進展が見られ、もう少しの辛抱だろうか。

2018年8月11日

185 ◯


マル!
夏の二大イベントである公演が終わり、心から安堵している。
かつてない体調不良とかつてない暑さで、こんなに苦戦した夏はなかった。
無事に終わったのは奇跡的。◯どころか◎と言っても良いだろう。

2018年7月31日

184 老いらくの恋 ー能楽座自主公演「恋重荷」ー

夏恒例の能楽座自主公演の公演が5日後に迫ってきた。この公演は年間の仕事の中でも最重要の物であり、〇や✕などと言っているヒマはないのだ。
流儀を超えて志高く集まった一流の演者たちのこの団体の公演は以前はキャンセル待ちが出るくらいの人気だったが、鬼籍に入る演者も多くなり、加えて顧客も高齢化、集客もなかなか難しくなった。だが、これだけの舞台である。残り少ない日々だけど一人でも多くのお客様にお声をかけなければならない。
能は世阿弥作「恋重荷」、シテは人間国宝・大槻文藏師、大変な名人である。文藏先生は数年前に「鵜飼」を演じられたが、鵜飼の老人が生まれながらに持っている業、死後も業を背負い続ける者の悲劇、老人が語る自分の人生の悲惨さが凄惨な美しさで伝わってくる。観る者の心をつかんで離さない忘れられない舞台となった。そんな文藏先生が若い女に翻弄される老人の怨霊を演じるのだから見逃してはならない。
「やりきれない、やだね」と老ボーイフレンドは言う。最後には、自分をもてあそんだ女の守り神になるという結末が特に気に入らないのだと言うのだ。「老いらくの恋」物では他に「綾鼓」があるが、こちらは女を責めて怨みを残したまま老人は地獄に落ちるのだが、三島由紀夫も近代能楽集に「綾鼓」を入れている。悲劇は悲劇のままが良いのか、女を救う必要はないというのか…解釈は色々だ。
ところで、「老いらくの恋」の逸話でよく語られる例に、良寛と貞心尼の恋がある。男は70歳、女は30歳である。吉本隆明は二人の関係をほぼプラトニックなものと断定していて驚いたことがあった。二人は激しい相聞歌のやり取りをしていて、上の句は忘れたが、「恋のおもにをいまはつみにけり」という良寛の歌があった。明らかにエロスは介在しているのである。良寛は学術に秀でながらも、赤ちゃんや子どものような無垢な心を持っていた。そんな男がもてないはずはない。女ならず、人は良寛の面倒をみたがったという。
これは別の「恋のおもに」の話。



2018年7月20日

183 △

こうも△が続くと、✕のようなものかも…

2018年7月11日

182 △

✕でないだけマシかも…

2018年6月30日

181 △

今日で6月も終り。今年も半年が過ぎたことになる。もう半年、とは言うまい。まだ半年ある。
昨日で東京も梅雨明け、今朝は雲一つなくピーカン!この青空のようには心も身体もまだ晴れぬ。

2018年6月20日

180 △

どうも、マル!と言えない状態が続いている。身体も仕事も…今の梅雨空のよう…
スカッと梅雨明けしたいものだ。


2018年6月10日

179  句会を始める

句会を発足、初の吟行をする。そんなヒマはあるのか!と怒る人もいるだろうが、二ヶ月に一回の集まりでリフレッシュするのは、むしろ今の私には必要なのだ。以前から俳句には興味があり、句会にも二回程誘われたことがあるが、どちらもメンバーが凄すぎて尻込みした。
今回のメンバーは日生劇場のアルバイト仲間で、学生時代から30年以上の付き合いの気が置けない連中ばかりだ。時々集まってはワイワイ呑んでいるが、ただ呑んでるより何かしようよ、と仲間内の俳句の20年選手に相談して発足の運びとなった。
「ひなせ会」と命名。私達の出会いの場所の日生と同じ字を書いて、「ひなせ」と読ませる町が岡山備前にあるということで、響きも良いしあやかることになった。提案したのは、一番年下のせいで幾つになってもどんなに偉くなっても、この仲間内では幹事をやらされているヨシダ君だ。流石に気がまわるね。
初の吟行は荻窪。大田黒公園、角川幻戯山房と、音楽家、俳人絡みの文化的施設だ。杉並の住宅街にあり静かで他の人に会うこともなかった。6月に入り新緑の緑が深くなった木々が美しい。
句会の選考では私は3句選ばれた。
    夏の日の水琴窟の涼やかさ
    蚊に刺され初吟行の勲章か
    水無月の季語を求めて吟行す
自分ながら何とも幼稚で恥ずかしい。山頭火、放哉と憧れる俳人はいるが、遠い遠い道のりだ。
句会の後の一杯は勿論、お約束。いつにも増して美味しく感じるのも皆同じ。万歩計を見て1万歩以上を確認して、更に満足。歩いて身体を使い、季節の中の美を感じ、言葉をひねって頭を使い、はまる人がいるのも頷ける。








2018年5月30日

178 休めなかった……

5月は公演も無く今年の中で一番休めそうな月だったので、休養月として休むことを周りにも宣言していたが、駄目だった…
やっぱりね、と鼻で笑う友達、確実に休むには海外にでも行くしかないですよ、と職場のスタッフ。結局は優柔不断な自分が悪いというしかないのだけれど、「身体大丈夫ですか?」と言いながら問題を投げかけてくる人、人。断って休めばいいのだが、人とのつながりを絶って人生は成り立たない。ましてや仕事を続けている以上仕方ないのだ。この先当分働くことになると思うし、このところの体調不良もあり、ここいらでちょっと一休みしてメンテナンスをしておきたかったのだが…
計画を立てるのが好きな私は、休み中にやりたいことの箇条書きをいっぱい書いていた。今考えると、書いていた時が至福の時だった。
月の前半はとにかく休養し、後半は旅に出るなどアクティブな休みにしよう。溜まった本を読もう、映画も沢山観るのだ。ペインクリニックでの検査、歯のクリーニング、眼鏡の調整もしなくっちゃ。たまには買い物もしたい。四国の三十三ヶ寺を一週間くらいかけて回ろうか…
見事に駄目だった。むしろ普段よりひどかった。映画も観なかったし、借りた本を一冊読んだだけ。何もせずにあっという間に過ぎてしまった一ヶ月を振り返ってみると、仕事のトラブルの為に休めなかったとばかりは言えないことに気がついた。まず、休める!と思った途端に、今までの疲れがどっと出て、ただただひっくり返っていることが多く、職場に出た日もソファに横になったりして、休みどころか仕事も中途半端なこと夥しい状態だった。グダグダせずにはいられず、横になっている方が多かった。疲れを出し切る為の休みだったのかなあと今にして思う。
安曇野に行けただけでも良かった。山国のあの緑を思うと心が和む。
これからは一ヶ月休むなんて当分無理なので、月々の中の休みを一日でも二日でも多く取るのだ!とまた力んで笑われ、休みへのせんない夢を見ている。



2018年5月21日

177  安曇野へ

5月16日は女優中島葵の命日だ。今年で27年経ったというのに、昨日のことのようにあの日を思い出す。
葵さんのパートーナーの演出家芥正彦から「今日一日もたないだろう」という電話を受けて、朝一番のバスに飛び乗って安曇野に向かった。命が消えようとする直前「わたし、死んだらあっちの空気のようになるから」と安曇野の空に向かって言った葵さんに会いたくなって、あの日と同じように朝一番のバスに乗った。
松本から上高地線に乗り、臨終の場である波田病院に向かう。上高地線は2両編成で単線、昔と変わらない。車窓から山々が美しい。27年前、命を終えようとしている人の前で山国の春の新緑はあまりにも輝いていたが、今年も長野はあの日と同じように悲しいほど緑が美しかった。
波田町は松本市と合併したそうで、病院名も松本市立病院となっていたが、病院の佇まいは以前とほとんど変らない。葵さんを乗せた車椅子を芥さんが押して散歩した病院脇の線路沿いの小道もそのままだ。山国の春は寒いので、毛糸の帽子をスッポリかぶった葵さんは痩せて小さくなって、まるで少女のようだった。病院に着き、あの病室だったかなと2階を見上げる。玄関脇のベンチに座り、その時間、13時35分に黙祷を捧げたその時、サーッと爽やかな風が吹き抜けた。葵さんだ。「忘れてないよ」と話しかける。そこに葵さんが居ないことも、熊本のお墓に居ないことも私は分かっている。会いたいと思う時、死者はいつでも傍に来てくれ見守ってくれるのだ。
今回の旅の目的に自分の休養ということもあったので、松本から大糸線に乗り、穂高に向かう。大糸線は車窓から雄大な北アルプスを臨みとても景色が美しい路線だ。田植えを終えたばかりの田圃には水が張られて、鏡のように山々や家並みを映してきれいだ。北アルプスの山頂にはまだ雪が積もっている。
穂高では「穂高養生園」に泊まり、休養したのだが、ここも実は葵さんがらみの場所である。彼女は亡くなる2ヶ月前に東京を引き払いここに来たのだったが、病状が急変し、楽しみにしていたここでの生活も何日も出来ずに病院で最後を迎えることとなった。穂高養生園は「食事、運動、休養」の観点から、体調を改善し、自己治癒力を高めるプログラムを提供している。これも当時とちっとも変わっていない。葵さんは少しでも体調を戻し、やりたい芝居のことや小説を書く為に原稿用紙も沢山持ち込んでいたが、それも叶わなかった。この静かな山荘生活をもう少し味わわせたかったものだと改めて思う。
朝は森林浴とヨガ、玄米菜食の食事を一日2回、テレビもラジオも無く、聞こえるのは鳥の鳴き声と自然の音。ここに一週間くらいいたら、今の私の体調もきっと良くなるに違いない。今度は長期滞在で来てみよう。
翌日は池田町まで移動して、カミツレの宿八寿恵荘に泊まる。ここは「安曇野に行ったら、是非、是非」と以前から知人に強く勧められていた宿である。車を降りるとあたり一面にカミツレ畑が広がり、甘い爽やかな香りが漂っている。気持ちい~い!ここもテレビも無くラジオも無い。自然の音だけ。部屋数も少ないからお客さんも少ないので静か。圧巻は、たっぷりのカミツレエキスを溶かした大浴場だ。大きな窓の外は森とカミツレ畑。ああ、癒される~。
養生園と違ってここにはお酒がある。亡くなる前日に葵さんは母親や芥さんと山荘に一泊し、その最後の晩餐で彼女が安曇野ワインをスプーン2杯飲んだことにあやかって、私はグラス2杯のワインを空けたのだった。














2018年5月12日

176 今度は大ダコ‼

タコはタコでも、大空に舞い上がるあの凧である。
昨年生まれた又甥の初節句のお祝いと3歳の又姪のお祝いを兼ねる凧揚げを見に、浜松まで行ってきた。親族として法被を着せてもらい、綱を握らせてもらったので、凧を揚げてきたとも言える。勿論、初体験だ。
このお祭りは江戸時代から続く浜松の風習だそうで、二人の子供の父親であるケンちゃんも30年程前に揚げてもらい、それ以来だと言う。昨年見た屋台の行列と同じように、浜松の場合ラッパの音が特徴的である。凧揚げのラッパ隊は町内の子供達が役割を担っている。そうやって代々継承していくのであろう。言ってしまえば進軍ラッパではあるが、時代を経て意味合いも変わり、単に「応援」の為に吹き鳴らし凧揚げ隊を大いに鼓舞するのだ。その音は何とも懐かしい郷愁を感じる音でもある。
凧の大きさをゴジョウと聞いて、5畳と勘違いしたそそっかしい私は、どうやって揚げるのだと驚愕したが、5帖であることが分かってほっとしたものの、どのくらいの大きさであるか検討もつかない。えーっと、半紙の1帖は20枚だから、かける5倍で、半紙100枚か…やっぱり大きいではないか!親の背よりも高い。凧に書かれた「幸」の字が目出度く感じる。住んでいる町の名だ。
凧揚げの主眼としては、高く上がる程良いのだろう。ましてや子供の成長を願って揚げる凧である。しかし、現実は悲喜こもごも。松林に落ちて引っかかっている物もある。上がらずに失速してしまう物もある。そうかと思うと、高く高く遠くまで上がっている物もある。さて、我がヒカルとサツキの凧やいかに…
1回目、すぐに失速してしまう。これで終わりじゃないよねとやきもきして待つ。絡まった綱を直して体制を整え直して風を待つ。にわかにラッパ隊も色めき立ち、さあっ2回目だ!上がる上がる、綱を持つ手がぐんぐん引っ張られ凄い力が伝わってくる。かなりの高さまで上がったが、隣の凧の綱が絡んできてそこまでだった。たかが凧揚げ、されど凧揚げ、失敗したり成功したり他人からちょっかい出されたり、人生と同じだ。だが、凧揚げの結果を実人生に照らし合わせて考えてはいけない。天まで上がった凧の持ち主が未来の成功を約束される訳ではないのは誰もが分かっている。
子供の幸せと健康を願って、親が設え、祖父母や親族、町内がこぞって応援し、お祝いしてくれることにこそ意味があるのだよ。ヒカルちゃん、サツキちゃん。
二人のおかげで一生にあるかなしかの経験をさせてもらった、この大おばちゃんも二人の健やかな成長を心から祈ってます!











2018年5月1日

175 タコと格闘!

私は自他共に認める蛸好きで、お刺身、唐揚げ、煮物、酢の物、カルパッチョ、マリネ…と、飲み屋や料理屋で頼まないことはない、と言っていいくらいだ。たまに頼まなかったりすると、同行した若いスタッフが気をきかせて「頼まなくていいんですか?」なんて言ってくれたりして、その気遣いに応えて結局は食すことになるのだった。
そんな私が蛸の扱いに難渋することとなった。源氏物語の講読会の仲間達が、定年退職して今は天草に帰郷している友人を訪ねる旅に出て、そのお土産に蛸の干物を送ってくれたのだ。食べることは好きだが料理が得意とは言えない私を心配してか、友人のHがこの蛸の料理の仕方を手ほどきしてくれる。水で戻すのは一晩、いや一昼夜ほどいる、いや炙って裂いてからが良い、水と酒に漬けろ。と何度もメールと電話でご教授たまわる。大層な蛸なんだなあ。もう一人の留守番組で蛸を送ってもらったSは料理が得意なので、流石にそれはないと思ったらメールも電話もあったそうで、二人で「スゴイ蛸なんだねえ」と苦笑。おまけにSは佐島のセカンドハウスに居て、「西の明石、東の佐島といってここは蛸の名産地なのよね」と、更に苦笑い。
有明蛸街道と言って、この天草あたりの蛸も相当な物らしいが、まず折りたたんだ物を広げてみてタコ入道様のそのお姿にビックリ!頭の形を整える竹が口みたいだしうっすらと眼窩のようなへこみもある。ヒェー、コワ~イ!早く食べちゃおう!炙ると柔らかくなると言われたのにそれを忘れて、まず料理バサミで切り分ける。硬くて手が痛い!水と酒に浸し、一昼夜、一昼夜、と唱えて待ち、柔らかくなった蛸を食べやすい大きさに切って、調味料を入れて炊飯、蛸飯の出来上がり!
今日の昼食に職場のスタッフに食べてもらう。お世辞でも「美味しい」と言ってくれたのは嬉しい。歯ごたえがあり、味も濃くて美味しい蛸ではあった。でも、作ってもらって食べるのがやっぱり一番かな。







2018年4月20日

174 無関心にもほどがある!

今日私が怒っているのは大きな社会問題でも何でもないけれど、今朝の出来事にはちょっと驚いた。
ジリジリジリジリ~~と大きな非常ベルの音が鳴り響いたのは、朝の8時半くらいだろうか…びっくりした私は廊下に飛び出た。どうやら隣のマンションのベルらしい。凄まじい音が鳴り響いている。結構長く鳴っているのでドキドキしながら様子を見ていたが、誰一人出てこない。と、二軒隣のお兄ちゃんが出しなに「あー、びっくりしたあー」と言う。ベルの音に驚いたのではなく、ドアを出たとたんに私が立っていたからなのだ…「スゴイ音よね。隣みたいだけど大丈夫かしら?」と聞く私に「ハァー」と気の無い返事。関心がなさそうに出かけって行ったのだった。通りがかりの人が不審な顔をして隣のマンションを見上げたりはするが、立ち止まる人はいない。
二つのマンションを合わせれば100世帯はあるだろうに、廊下にもベランダにも人っ子一人出ない。こんな現象に驚くのは私だけ?
ボタンの押し間違いということも結構ある話ではあるが、そうと決まった訳でもないのに、あの音を聞いて心配そうに顔を出す人もいないのには本当に驚いた。何の為の非常ベルなんだ!?とも思う。本当だったらどうするんだ!?
様々な問題で現代人の無関心が取り沙汰されるが、こんな身近なところでも気づかされるのだった。勿論、今朝のベルはやがて止まったが、原因は分からない。

朝の8時に非常ベル鳴り響いても誰も出て来ない!



















2018年4月11日

173 〇


新しい方法で身体の調整を始めて一ヶ月経った。
少しずつだが、良い方向に向かっている。病院通いもせず、薬も飲まないでいられるのは、マル!と言うしかないだろう。有難いことだ。

2018年4月1日

172 ラジオ体操とヨガ / プロの裏付け

アコーディオニストの後藤ミホコさんから、タイ秘境旅行の話を聞きたくて久しぶりに会う。
彼女とは私の関係するコンサートやライヴで以前は月に1回2回は会っていて、仕事の合間によもやま話をしていたのだが、バンド編成が変わってしまったのでなかなか会えなくなってしまった。ミホコさんとは、健康、食事、環境の事など、価値観が似ており、いつも話が盛り上がるのだ。そこで、たまには会いましょうということで、3、4ヶ月に一度くらいはと、二人の中間地点の代々木で会うことにしている。二人共、新宿とか渋谷のごちゃごちゃした所は嫌いなのだ。美味しい店をいつもミホコさんがみつくろってくれて、今回はパスタ自慢のイタリアン。勿論、無化学調味料理で、野菜もたっぷり。美味しい物を食べながらの楽しいおしゃべりは何よりもストレス解消になる。今の私はとにかくストレスを退散させなけらばならない。
そこで早速、今の私の身体の話になる。彼女も自然療法派なので私の考え方には共感してくれる。そう、それに彼女の勧めによるラジオ体操も丁度半年やったのだ。彼女の友人の大阪腰痛館のヒロ先生の言葉「1日3分が取れないはずがない」「3ヶ月やれば何かが変わる」をおまじないにしてやり続けたのだ。(続けたなんて言えないような時間だけれど)
私の様子をミホコさんから聞いたヒロ先生の感想も聞けた。
私のような人が増えてくることは何よりの喜びだと言ってくれたそうだ。必死で1年間筋トレするよりも毎日3分のラジオ体操を10年続けた方が健康面では有効に作用するとも。先生の常連さんで毎日のウォーキングとラジオ体操を60歳から始めて、現在90歳を超えて一切病院に行ったことがないというツワモノがいるそうだ。その方は身体が元気なものだから精神的にも穏やかで落ち着いているそうだ。これこそ、万人の理想なのではないだろうか。私も目標にしたいところだ。
その後、ヒロ先生がラジオ体操の意味を専門的に説明してくれた文(私にも伝えてと)を、ミホコさんが送ってくれた。
「ラジオ体操が近年見直されてきているのは、スポーツ界でダイナミックストレッチがパフォーマンスを引き出すのに有効だといわれていますが、大昔からあるラジオ体操がダイナミックストレッチそのものだからです。Jリーガーが「ブラジルダンス」というエクササイズをやって、すごく広がりましたがあれもダイナミックストレッチなんです。古い古いラジオ体操が最も新しいトレーニング理論に当てはまるというのも面白いです」
納得だ! 一見ダサい(?)ラジオ体操もカッコよく見えるではないか!
そして、ヨガのこともこのようにおっしゃっている。
「意識を自分の内側に向ける作業はとても重要です。年をとればとるほど身体の変化に敏感になっておきたいのです。そうすることで異変にいち早く対応できて病気やケガを防ぎたいと考えています」
素晴らしいではないか!
このところの不調もあって潜在意識の欲求によるのか、ラジオ体操とヨガを始めたのにも意味があったのだとつくづく思うのだった。
人には「それで良いんだよ」と言ってくれる人の存在が必要だ。それに救われて生きることが出来るのだ。ましてや、プロの言葉の力強さには説得力がある。

ラジオ体操の動画は電子辞書に入っており、いつでも出来る









2018年3月22日

171 スワ! 難病か?!

このところの足の衰えはこの間も書いた通りだ。ヨチヨチとした前のめりの歩きぶりは自分のみならず周囲も認めるところとなった。ついこの間、一ヶ月に一、二度は行く西荻窪の居酒屋のお姉さんから「今日は珍しく酔ってますね」と言われる。何のことはない。足がよろけていたのだ。一ヶ月前まではそうは見えなかったのだ。秋にはひょいと登れたカウンターバーの高いスツールにも座れず、一緒に行った職場のスタッフとバーテンさんとに手助けしてもらって這い登った。酔っぱらっていたとは言え、平らな所で転んで起き上がれず、通りがかりの若い男の子に助け起こしてもらった。(酒飲みがらみの話ばかりだなあ~情けない限りだ)
ただの酔っ払い話だと思って、親しい友人達は「まったく恥ずかしいわね~」と呆れる。姪も「ここんとこ急だよね!」と衰えぶりに驚く。そうだよなあ、老化にしては早いし、寝たきりにしている訳ではないのに、と考えている内に足の震えが始まった。ネットで調べたり、素人考えで、「パーキンソン病」「リュウマチ」「脳梗塞の後遺症」等々を疑う。気が付かない内に小さい脳梗塞はおきていると聞いたことがある。
そんな中、久しぶりに会った少し年上の友人Sさんが、私の様子を見つつ話の内容を聞いて「私の病気の初期症状にそっくり」と、言う。「繊維筋痛症」と、初めて聞く病気だ。世の中には本当に色々な病気があるものだ。いわゆる難病の一つで、日本人には少なく、あのレディ・ガガも闘病中であるという。(だから何?なのだけど…)
鬱病が併発していることが多いそうで、 症状が進むとガラスの破片が身体中を流れるような激痛や、止まらない震え、疲労感に悩まされるという。恐ろしい! 弱虫の私には耐えられようもない。そうならない内に対処しないといけない。西洋医学では難病とされ、これと言った治療法もなく、痛み止めの薬も副作用が酷く、彼女も余計に具合が悪くなったそうだ。痛み止めは痛みをごまかすだけで根本の治療にはならない。
私は以前、入院したことをきっかけに、西洋医学の矛盾と薬の怖さを身をもって知り、退院後は抗生物質で弱った身体を回復させるために、東洋医学、自然療法のそれこそありとあらゆるものを試した。漢方薬、サプリメント、熱いもの(灸)から冷たいもの(-160℃の水素ガス)、リフレクソロジー、カイロプラクティック、ヒーリング、痛いものから無痛のもの、etc. これらの療法の理念は共通している。薬や化学的な物に頼らず、人間が本来持っている自己治癒力を高めて自分の力で病気を治すというものだ。その為の方法が違うだけで、どれもそれぞれに素晴らしい。3年程のジプシーの結果、私がたどり着いたのは仙骨療法だった。無痛、瞬間で仙骨だけを調整するというシンプルなやり方、考え方が気に入り、勿論、身体の調子が良くなったからだが、以来30年近く続いている。その間、病院へ行ったのは3回程か…、薬もほとんど飲んでいない(というか、強い薬は吐いてしまうようになった)。それなのに…
今回の不調は、健康過信とストレス過剰が招いた結果に他ならない。
繊維筋痛症のことを教えてくれたSさんも、この病気は「原因はストレスでしかない」と言う。医師も「身体の鬱病」と言ったそうである。私の場合は、精神的なものより物理的なストレス(休まない)なので、休めば良いことである。2年前の唾石症騒ぎの折にも、休むと宣言したのに三日坊主に終わったので、職場のスタッフは私を「オオカミ少年」扱いだ。でも、今度こそ休むぞ! こんなに不調じゃ仕事の効率も悪いし、元気になって頑張ればいいものね!(って、リキむなってば)
さて、難病で苦しんだSさんがたどり着いたのは、やはり自然療法のMTSという療法だ。これもカイロプラクティックを原点とした療法で、神経の伝達機能が阻害された結果が病気を生むという理論で、その機能を高める治療である。治療も短時間で無痛だと言う。主宰のU先生に診てもらいたいという患者は引きも切らず、予約もびっしり、さらにU先生は高齢ということもあって新規の患者は診ないというところを、Sさんが私の為に頼み込んでくれ予約を取ってくれた。有り難いことだ。1回目の治療後から歩幅が大きくなったような気がする。「筋肉があるから心配ない。脳からの神経伝達さえ治せばいくらでも歩ける。」とのことで、心から安心した。柔和な笑顔のU先生から「大丈夫」と言ってもらっただけで、元気が出る。施術者の人間性と患者との相性は大切だ。週1回、連続3回は続けた方が良く、私程度の症状だと後は時々で良いだろうということ。楽しみだ。
病院へ行ってないので繊維筋痛症と特定された訳ではないが、こういった種類の病気にはストレス軽減と共に筋肉を動かすリハビリが重要だと言う。思えば昨秋から足の衰えを感じ、運動不足とばかり思い、ラジオ体操を始めた。やっていなかったらどうなってしまっただろうと思う。身体を守ろうという潜在意識が働いたのだろう。ラジオ体操を始めてそろそろ半年だ。とにかく続けてみよう。











2018年3月12日

170 〇


明後日14日には、東京能楽囃子科協議会の「三月定式能」昼公演があり、土曜日は「子どものための日本文化教室」13期修了式がある。結構忙しい。
ラジオ体操は休まず続けている。

2018年3月2日

169 運動再開 / ラジオ体操にヨガ

そろそろ本気で身体を動かさなければいけないと思っていた。
街を歩くと、道路に写る影法師やビルのガラスの街鏡に、ヨタヨタとした情けない我が姿が映る。身体の衰えを自覚せざるを得ない。運動の必要性を実感していたのだ。
年齢もあり、以前のようにスポーツクラブへ行って激しい運動をする気はない私に周りがこぞって勧めたのが、C....Sとかいう高齢女性向けの、格安で月に何度でも行けて、適度な運動をするクラブだった。妹二人、叔母もそれぞれ長野県のクラブに通っていて効果の程を熱心に話す。友人の母親(90歳過ぎ)も、私にどうかと勧める。それではと住まいの近くを捜すと西早稲田と初台にあったので、乗換え無しで行ける西早稲田へ下見に出かけた。
スーパーマーケットの上にあるそのクラブには、お年頃のお姉さまたちが沢山集まって楽しそうに体を動かしている。スタッフの女性たちはお客さんを「何々子さん」とか「ナニナニエさん」とかファーストネームで呼ぶ。ロッカーも無く、代わりに荷物置きとしてカラーボックスが幾つか並べられている。お客さんへのお知らせは画用紙にカラーペンや色紙を使って貼り出している。何処かで見た光景だ。そう、母が入っている特養なのだ。私は、シャワーが無い理由や、ファーストネームで呼ぶ理由を聞いたりして、もうすっかり意気消沈して、その(老人ホーム)クラブを後にした。
帰路つらつら考えながら、商売上手だなあと感心しきりだった。これから高齢女性は増えるし、ターゲットにしたのはまず正解だ。会員もスタッフも女性だけなのも高齢女性の心理をついている。クズレ気味の身体に汗かきかき、イケメンにコーチされたくないものね。会場も、青山とか渋谷のお洒落な場所に無いのが気楽。(西早稲田や初台の人ごめんなさい!)設備投資も少なくて済む。店舗は地方に多く、何百という日本一の数を誇るのも頷ける。
ここで色々言ったところで、「お前もそういう歳だろう!」と言われるのが関の山だ。でも、楽しみに通えないような所には行きたくないのだ。
そうこうする内に、昨年の秋、アコーディオニストの後藤ミホコさんから良い話を聞いて、ラジオ体操を始めた。10キロ以上の重い楽器を弾きこなすミホコさんの身体はほっそりしながらしなやかで、ずっと何年も体形も変わらず、食べることが好きなので我慢せずぱくぱくと気持ちよく食べる健啖家でもある。代謝の良い身体とはこういうことかと目の当たりにしている。以前から感心していたのだが、やはりそういう人は身体に気をつけていて、努力をしていたのだ。かといって激しい運動をする訳でもなく、やっているのは毎日のラジオ体操と週一のヨガだという。ラジオ体操を始めたきっかけは、彼女のラジオ番組のスポンサーでもあり関西での親しい交友関係にある、大阪の腰痛館というクリニックのヒロ先生の勧めだったそうだ。
「一日に3分ぐらい時間を取れないはずはない」「まず三ケ月やれば何かが変わる」とヒロ先生はおっしゃったそうだ。改めてそう聞くまで、ラジオ体操を大層なもののような気がして重い腰を上げられなかった私も早速始めたのだった。10月だったので、三ケ月やれば丁度年末だし区切りもも良いなと、ヒロ先生のこの二つの言葉をおまじないにしてやってみた。旅行中も続けられたし、休んだのは3日もなかったろうか…
そして、年明けて二ヶ月続けて3月に入った。今月末で半年間続けたことになる。半年!これを同じ時間続ければ、1年だ。時の過ぎるのは早く、過ぎてしまった半年や一年を振り返る時、もう…、とネガティヴな気持ちになりがちだが、何か具体的な行動の毎日の積み重ねの結果だと思うと、その時間の長さに充足を覚えることに気がついたのだった。もう30年もラジオ体操を続けているんですよ、なんて自慢になるよね。(そんなに生きる気か!?)
もう一つ、やりたかったヨガだが、近所に良い教室が見つかった。千駄ヶ谷の緑の中のひっそり隠れ家的一軒家で少人数制だ。シニアミドルコースがあり、そのゆるゆる加減が今の私向きでもある。ヨガも幅広く、行者みたいな人もいるが、私が以前やっていたヨガはストレッチスポーツ系に近かった。この教室はインド系で内面、内部に向かうタイプで、細かい神経が目覚める感覚が気持ち良い。
ヨガもいずれルーティンになれば良いなあと思っている。そうなった時に、積み重ね、過ぎた時間が愛おしく思えれば尚のこと幸福だ。
緑の中ひっそりと














2018年2月21日

168 スマホを買う

片付けの基本は、まずモノを増やさないこと、買わないことなのに、ドライヤーに続き連続して買物をしてしまった。
使っている携帯電話が古くなり、そろそろスマホに変えなくてはいけないと思っていた矢先、携帯電話が急に壊れ電話が突然かけられなくなった。後に携帯会社のシステム障害のせいでかけられなかったのだと判明したのだが、良い機会だから新しいのを買った。
携帯電話を変える時は今まではいつも姪に付いて行ってもらっていた。メカに弱い上に面倒くさがりの私は、店の人の言いなり、勧められるままに高いものを買ってしまう傾向があるので、心配されていたのだ。でも大丈夫。こんな私だってリサーチをして勉強して(結局は姪にあーでもないこーでもないと聞いたのだけど)、短気さえ起こさなければ良いのだ。
店の担当者はすこぶる良心的に対応してくれた。どうやら前日からのシステムトラブルのフォローの気持ちが顧客に対して働いていたようである。
店の人に、電話で話すこととメールを送受信できるところまで教わって、やれば出来るじゃん!なんて意気揚々と引き揚げてきたものの、一晩明けてスマホを手に取ってみると、画面がどんどん変わって訳わからず、手も足も出ない。おまけに私の声を拾ったこの機械が変な声まで出してきて、「それは出来ません」とかほざく。その内、「うるさい!」と大きな声で言うと、停止することに気がついた。これホント。機械はやっぱり厄介だ。慣れるまで時間がかかるだろうなあ…
本当は携帯電話なんて持ちたくないのだ。周りの人は「あなたのような仕事だと持たないわけにはいかないわよね」と言ってくれ、私もそう確信しているのだが、果たしてどうだろう。私の身近なところで携帯電話を持たない人が三人いる。三人共、創作活動をして社会にも発信しているのに、携帯電話なんて不要だ言う。そして、まさにそれを証明してくれているのだ。軟弱な私は真似もできない。
古い方にはサヨナラ


2018年2月9日

167  ドライヤーを買う

壊れた訳でもないのに新しく物を買うこともある。大事な一日、一日、より快適になる為だったら厭わない。
ずっと気になっていたドライヤーを今回は思い切って買った。
20年程前のある日、ドライヤーが火を吹いて(危ない!)故障。慌てて量販店で新しい物を買った。3000円くらいの安いものだったが、全く不自由は感じなかった。そうこうする内に15年ほど前だったろうか、今度はイオン発生機能付きの髪ツヤツヤ効果という魅力的な謳い文句に惹かれ、一般売りはしていないプロ仕様の物を、友人Sの関係で割引までしてもらって買い、今に至っていた。このドライヤーは丁寧に長く当てれば当てるほど髪に艶が出るという優れものだったが、せっかちの私にとっては宝の持ち腐れに近い使いっぷりだったかもしれない。
今まで生きてきて何本も買ってはいないが、ドライヤーの消耗度はどのくらいなのだろうか?今回買った究極の(と、私は思っている)ドライヤーは最後の物になりそうだ。そんな訳で、まだ使えるとは言えこの古い2本を処分することにした。お役目は充分果たしてくれたと思うので、感謝してサヨナラ。
新しいこのドライヤーに惹かれたのは、ふんわり仕上げられるところだ。歳をとって毛が細くなったせいかペチャッとした髪型になってしまいがちなので、何とかボリュームを出したかったのだ。こんな私だが30年ちょっと通っている美容室の店長に言わせると「うちの店で一番髪の量が多いですよ」というくらい、髪の毛が多いのだ。20代30代の人も含めてだから、どうよ!と言う感じ。(そんなことしか自慢できないのか! )何とかスコープとかいう毛穴、地肌が見える機械で見せてもらったが、人よりも毛が太い上に一つの毛穴に生えている量も多かった。
思えば、今まで容貌の中で褒められることがあったとしたら、髪のことだった。平安時代だったらもてただろうなあ…。子どもの頃から髪の黒さを「烏の濡れ羽色」とか褒められ、せっかくだから「染めてはいけない」と言われ続け、それが心の掟のようになって今の今まで髪は染めたことがない。そろそろ白髪染めかなと思うが、件の店長に言わせると「まだまだ」と、目立たなくしてくれている。理想は自然の白髪スタイルだが、私は白髪が少なく中途半端なようだ。白髪を素敵なショートカットにして似合う友人もいるが、私には無理かもしれない。何故なら、今90歳を過ぎた母の髪を見ると遠目にはまだ黒髪で、私の髪はどうやら母の遺伝らしいのだ。








長い間ありがとう。バイバイ!






2018年1月29日

166 〇


記録的な寒さが続いているが、長野生まれの私は平気。元気だ。

2018年1月20日

165 「勧進帳」と「安宅」

2018年のお正月は歌舞伎座130年、松本幸四郎家・高麗屋三代の襲名披露公演で目出たく幕を開けた。「勧進帳」をはじめ古式ゆかしい口上など、新年の襲名公演ならではの華やかな舞台だ。「勧進帳」は能「安宅」から題材を取った、いわゆる松羽目物だが舞台装置も装束も能から取った物らしい要素がふんだんに残っている。松羽目、切戸口(歌舞伎では臆病口というのも面白い)も能を模している。
「勧進帳」は人気演目で、私も色々な役者で何回も観ている。義経役で良かったのはやはり玉三郎、弁慶もやっぱり吉右衛門(今回は富樫を好演)だった。今回の12歳染五郎は言うまでもなく、最年少だ。本家の能では義経は子方がやるので、能を見慣れた人には少年染五郎の義経に違和感がなかったであろう。私もついこの間、能「安宅」を観ており、その時の義経は子方の10歳長山凛三君で、その名の通り凛として初々しい演技であった。凛三君の少年としての美しさはこの数年しかなく、追っかけのように舞台を観に行ったものだったが、いよいよ子方は卒業のようである。だが、持って生まれた華は大人になって更に開花することであろう。次世代に期待できる逸材の一人である。
高麗屋三代の襲名披露は37年ぶりということで、次は30年後くらいかというので、時代のトピックスに立ち会えたのはラッキーだった。口上も当代人気役者が20人近くも裃姿でズラッと並び、トザイトーザイ!
襲名の三人との関係性をしみじみと、あるいは面白おかしく述べ、観客を笑わせる。
歌舞伎は、デフォルメと誇張の世界だ。こうやって時々歌舞伎を観て非日常にたっぷりと浸り、日常をリセットしパワーを充電するのだ。
















見よ、我らが凛三君の勇姿を!

2018年1月9日

164 2018年賀状事情

虚礼廃止で年賀状のつき合いは止めていた時期がある。そうもいかなくなって(何故?)、この何年かはやり取りをしており、出すのを厭うわりには工夫された物を頂くと楽しく、写真の子どもの成長ぶりに目を細めたりしていた。しかし、歳のせいかまた面倒くさがりが頭をもたげてきていて、昨年はとうとう出しそびれて余寒見舞いまでズレ込んだ。
年賀状をすっかり止めてしまう程の勇気がなく(何故?)、今年からfacebookで繋がっているお友達には「投稿」で新年の挨拶に代えさせてもらった。どうせ私の年賀状なんて工夫のない印刷だから、ネットでも同じようなものだ。そして、年賀状を下さった方にだけ返事を出すことにした。
そう決めたらとても気が楽になった。そうしたら可笑しなもので、私と同様のズボラ精神の持ち主を主人公にしたCMが流れ出した。
年賀状を出す人が激減してやっきになっている郵便局の宣伝ではなく、印刷屋のものなのだが、とぼけた味の安田顕の演技と相まって笑わせてくれる。「うちの会社は早い印刷で仕上げるから、まだまだ間に合うのですよ」という印刷屋のアッピールなのだが、それを冷静な妻が説明し、ジタバタあがく夫がだんだんその気になるというものだ。テレビで見た人もいるだろう。真面目に投函の締切を守る人以外は皆、図星で苦笑いしたのではないだろうか。
自分のズボラを棚に上げ、妻に八つ当たりしてうろたえる夫。「どうせ遅れるなら今年から止める!」「大体さあ、何でよりによって忙しい年末に!日本中で!」「無理無理無理」…
もう私なんか大笑いだ!虚礼廃止というのも正直な気持ちだが、CMのこの情けない夫に近い心理も否定できない。
それにしても、いつの頃から年賀状のやり取りが日本中の正月の年中行事になったのであろうか…