2018年5月21日

177  安曇野へ

5月16日は女優中島葵の命日だ。今年で27年経ったというのに、昨日のことのようにあの日を思い出す。
葵さんのパートーナーの演出家芥正彦から「今日一日もたないだろう」という電話を受けて、朝一番のバスに飛び乗って安曇野に向かった。命が消えようとする直前「わたし、死んだらあっちの空気のようになるから」と安曇野の空に向かって言った葵さんに会いたくなって、あの日と同じように朝一番のバスに乗った。
松本から上高地線に乗り、臨終の場である波田病院に向かう。上高地線は2両編成で単線、昔と変わらない。車窓から山々が美しい。27年前、命を終えようとしている人の前で山国の春の新緑はあまりにも輝いていたが、今年も長野はあの日と同じように悲しいほど緑が美しかった。
波田町は松本市と合併したそうで、病院名も松本市立病院となっていたが、病院の佇まいは以前とほとんど変らない。葵さんを乗せた車椅子を芥さんが押して散歩した病院脇の線路沿いの小道もそのままだ。山国の春は寒いので、毛糸の帽子をスッポリかぶった葵さんは痩せて小さくなって、まるで少女のようだった。病院に着き、あの病室だったかなと2階を見上げる。玄関脇のベンチに座り、その時間、13時35分に黙祷を捧げたその時、サーッと爽やかな風が吹き抜けた。葵さんだ。「忘れてないよ」と話しかける。そこに葵さんが居ないことも、熊本のお墓に居ないことも私は分かっている。会いたいと思う時、死者はいつでも傍に来てくれ見守ってくれるのだ。
今回の旅の目的に自分の休養ということもあったので、松本から大糸線に乗り、穂高に向かう。大糸線は車窓から雄大な北アルプスを臨みとても景色が美しい路線だ。田植えを終えたばかりの田圃には水が張られて、鏡のように山々や家並みを映してきれいだ。北アルプスの山頂にはまだ雪が積もっている。
穂高では「穂高養生園」に泊まり、休養したのだが、ここも実は葵さんがらみの場所である。彼女は亡くなる2ヶ月前に東京を引き払いここに来たのだったが、病状が急変し、楽しみにしていたここでの生活も何日も出来ずに病院で最後を迎えることとなった。穂高養生園は「食事、運動、休養」の観点から、体調を改善し、自己治癒力を高めるプログラムを提供している。これも当時とちっとも変わっていない。葵さんは少しでも体調を戻し、やりたい芝居のことや小説を書く為に原稿用紙も沢山持ち込んでいたが、それも叶わなかった。この静かな山荘生活をもう少し味わわせたかったものだと改めて思う。
朝は森林浴とヨガ、玄米菜食の食事を一日2回、テレビもラジオも無く、聞こえるのは鳥の鳴き声と自然の音。ここに一週間くらいいたら、今の私の体調もきっと良くなるに違いない。今度は長期滞在で来てみよう。
翌日は池田町まで移動して、カミツレの宿八寿恵荘に泊まる。ここは「安曇野に行ったら、是非、是非」と以前から知人に強く勧められていた宿である。車を降りるとあたり一面にカミツレ畑が広がり、甘い爽やかな香りが漂っている。気持ちい~い!ここもテレビも無くラジオも無い。自然の音だけ。部屋数も少ないからお客さんも少ないので静か。圧巻は、たっぷりのカミツレエキスを溶かした大浴場だ。大きな窓の外は森とカミツレ畑。ああ、癒される~。
養生園と違ってここにはお酒がある。亡くなる前日に葵さんは母親や芥さんと山荘に一泊し、その最後の晩餐で彼女が安曇野ワインをスプーン2杯飲んだことにあやかって、私はグラス2杯のワインを空けたのだった。