昨年生まれた又甥の初節句のお祝いと3歳の又姪のお祝いを兼ねる凧揚げを見に、浜松まで行ってきた。親族として法被を着せてもらい、綱を握らせてもらったので、凧を揚げてきたとも言える。勿論、初体験だ。
このお祭りは江戸時代から続く浜松の風習だそうで、二人の子供の父親であるケンちゃんも30年程前に揚げてもらい、それ以来だと言う。昨年見た屋台の行列と同じように、浜松の場合ラッパの音が特徴的である。凧揚げのラッパ隊は町内の子供達が役割を担っている。そうやって代々継承していくのであろう。言ってしまえば進軍ラッパではあるが、時代を経て意味合いも変わり、単に「応援」の為に吹き鳴らし凧揚げ隊を大いに鼓舞するのだ。その音は何とも懐かしい郷愁を感じる音でもある。
凧の大きさをゴジョウと聞いて、5畳と勘違いしたそそっかしい私は、どうやって揚げるのだと驚愕したが、5帖であることが分かってほっとしたものの、どのくらいの大きさであるか検討もつかない。えーっと、半紙の1帖は20枚だから、かける5倍で、半紙100枚か…やっぱり大きいではないか!親の背よりも高い。凧に書かれた「幸」の字が目出度く感じる。住んでいる町の名だ。
凧揚げの主眼としては、高く上がる程良いのだろう。ましてや子供の成長を願って揚げる凧である。しかし、現実は悲喜こもごも。松林に落ちて引っかかっている物もある。上がらずに失速してしまう物もある。そうかと思うと、高く高く遠くまで上がっている物もある。さて、我がヒカルとサツキの凧やいかに…
1回目、すぐに失速してしまう。これで終わりじゃないよねとやきもきして待つ。絡まった綱を直して体制を整え直して風を待つ。にわかにラッパ隊も色めき立ち、さあっ2回目だ!上がる上がる、綱を持つ手がぐんぐん引っ張られ凄い力が伝わってくる。かなりの高さまで上がったが、隣の凧の綱が絡んできてそこまでだった。たかが凧揚げ、されど凧揚げ、失敗したり成功したり他人からちょっかい出されたり、人生と同じだ。だが、凧揚げの結果を実人生に照らし合わせて考えてはいけない。天まで上がった凧の持ち主が未来の成功を約束される訳ではないのは誰もが分かっている。
子供の幸せと健康を願って、親が設え、祖父母や親族、町内がこぞって応援し、お祝いしてくれることにこそ意味があるのだよ。ヒカルちゃん、サツキちゃん。
二人のおかげで一生にあるかなしかの経験をさせてもらった、この大おばちゃんも二人の健やかな成長を心から祈ってます!