2018年12月31日

199 喜怒哀楽2018年

誰もが「一年が早過ぎる!」と嘆くこの頃、私も同様な気持ちでいっぱいだ。今日は大晦日、この数年は大晦日と元旦は自宅でゆっくり休めて、来し方行く末に思いをはせる良い機会になっている。
今年も様々な事に翻弄させられた。今年ほど体調が悪かった年もない。ブログもそんな内容の物が多くて情けない限りだった。
喜ばしい事ですぐに浮かんだのは、夏に又姪(甥の娘)が誕生したことだ。これで、又姪が2人、又甥が3人と孫の世代が計5人になった。親族が集まると何とも賑やかだ。しばらくの間はこれが続くかと思うと嬉しく、子どもたちに元気をもらえて幸せだ。
怒ることは、例年のごとく沢山あった。例年以上にあったと言うべきか…
マスコミのニュースがもたらす情報を始め、電車に乗っても街を歩いていても腹立たしいことに出くわす毎日ではある。だが、仕事関係のいわば内部的な要素で血管が切れそうな程に怒った経験は初めてのことだった。ここでは多くは語れない。一言で言うならば「人間不信がもたらす悪意の醜さ」を嫌というほど見せつけられたのだった。しかし、これも終息に向かう(はず)。どんなにか気が晴れ、体調も戻ることだろうか!
哀しみの出来事は、叔母が急死したことに尽きる。妹が産まれて両親と寝られなくなった私と3才の時から8才まで一緒に寝てくれ、可愛がってくれた叔母だった。裁縫や編物が得意な叔母が編んでくれたセーターを着て行っては学校で先生や友達にほめられて、叔母も喜んでくれたものだった。裁縫や編物は趣味としてずっと続けていたので、綺麗な袋物は姪の私達も幾つかもらっているが、会葬者にも見てもらおうと葬儀会場にも展示してもらったが、本当に器用な人だった。
その昔、叔母のお嫁入りの日、花嫁行列の後を追いかけながら「おばちゃん、行かないで~!おばちゃん~」叫んでも、胸が張り裂けそうなほど悲しくて声にならなかった。何十年も前のことなのに昨日の事のように覚えている。今度は「行かないで!」と言っちゃいけないんだね、とあの幼い日の胸の痛みが蘇る。さようなら。ありがとう、おばちゃん。

そんなこんなの一年の中にも、楽しかった事も幾つかあって、このブログにも一度書いたが、句会を始めたのは楽しく、正解だった。句会には以前、2回程誘われたこともあったが、メンバーがすごくて尻込みしたのと、若かったのでやりたいことが他にあって、俳句に興味を持ちつつも今になった。今で良かったとも思う。
「なにもしないオヤジよりの脱却と何か始めるオヤジの美学」と、Y君。「いや~、皆がはまるの分かるよ~」と、Aさん。男性方がえらく意欲を見せている。今のところは都内の吟行。都心にも素敵な緑の場所があることを改めて知ることも新鮮。今年最後の吟行は小石川後楽園だった。地方吟行の話も出ており、なかなか楽しみなことである。