都営住宅抽選の何度もの落選に諦めがついたという訳では ないが、急遽引越しした。
引越し願望が強かったのは2年前の春くらいだったが、良い所が見つからず延び延びになっていた。その折に、高齢の独り者にとって家を借りるのはどのくらい難しいか身をもって知らされたこともあり、取り敢えずは、身体を横にしゆっくり眠ることが出来る場所もあることだし、頭の片隅には都営当選(当たりっこ無いのに)がチラチラしていたので、家探しを怠けていた。
そうこうしている内に「一緒に暮らさないか」という誘いがあった。それは50年近いつき合いの仕事仲間の一人だが、彼も肺気腫を患い私はP病という難病に罹ったので、助け合わないかということだったのだ。老老介護ならぬ病病介護。「倒れても何日も分からなかった」というのはちょっと嫌なんだよね。と言う。だが、私には帰郷願望もあるし、仕事も後4、5年はする予定がある。それでも、古い友達なのだから一年ぐらいは共同生活を試してみても良いだろう、と早々の引越しとなった。先は短いのだ!とあっという間の出来事だった。
引越し願望が強かったのは2年前の春くらいだったが、良い所が見つからず延び延びになっていた。その折に、高齢の独り者にとって家を借りるのはどのくらい難しいか身をもって知らされたこともあり、取り敢えずは、身体を横にしゆっくり眠ることが出来る場所もあることだし、頭の片隅には都営当選(当たりっこ無いのに)がチラチラしていたので、家探しを怠けていた。
そうこうしている内に「一緒に暮らさないか」という誘いがあった。それは50年近いつき合いの仕事仲間の一人だが、彼も肺気腫を患い私はP病という難病に罹ったので、助け合わないかということだったのだ。老老介護ならぬ病病介護。「倒れても何日も分からなかった」というのはちょっと嫌なんだよね。と言う。だが、私には帰郷願望もあるし、仕事も後4、5年はする予定がある。それでも、古い友達なのだから一年ぐらいは共同生活を試してみても良いだろう、と早々の引越しとなった。先は短いのだ!とあっという間の出来事だった。
同じ仲間の一人であるMが、会社で契約してくれたので、私達は何もしないで済んだ。会社のシェアハウスに住むという体である。
千駄ヶ谷に良い所が見つかったので、またもや近距離の引越しだった。結果的にまた住勤接近になった。とても助かる。同じ千駄ヶ谷でも以前のマンションの辺りとは雰囲気が違い、当然、裏窓の様子も違って興味深い。千駄ヶ谷には、以前、文化人が住んでいた一角があったと聞いているが、ここいら辺がそうではないかと思うような所だ。実際、村上春樹が経営していた店もすぐ近くにある。
引越しも手伝ってくれたスタッフのKさんが、「アルゼンチンみたいですね」と言い、私も「そうね」と言ったもののアルゼンチンには行ったことがない。映画で見たくらいだが、そんな感じがしないでもない。決して高級ではない異国情緒の懐かしさ。周りの何軒かの建物の屋上では洗濯物を干していたりする。そんなところが南米的なのかな。
引越しも手伝ってくれたスタッフのKさんが、「アルゼンチンみたいですね」と言い、私も「そうね」と言ったもののアルゼンチンには行ったことがない。映画で見たくらいだが、そんな感じがしないでもない。決して高級ではない異国情緒の懐かしさ。周りの何軒かの建物の屋上では洗濯物を干していたりする。そんなところが南米的なのかな。