2018年5月30日

178 休めなかった……

5月は公演も無く今年の中で一番休めそうな月だったので、休養月として休むことを周りにも宣言していたが、駄目だった…
やっぱりね、と鼻で笑う友達、確実に休むには海外にでも行くしかないですよ、と職場のスタッフ。結局は優柔不断な自分が悪いというしかないのだけれど、「身体大丈夫ですか?」と言いながら問題を投げかけてくる人、人。断って休めばいいのだが、人とのつながりを絶って人生は成り立たない。ましてや仕事を続けている以上仕方ないのだ。この先当分働くことになると思うし、このところの体調不良もあり、ここいらでちょっと一休みしてメンテナンスをしておきたかったのだが…
計画を立てるのが好きな私は、休み中にやりたいことの箇条書きをいっぱい書いていた。今考えると、書いていた時が至福の時だった。
月の前半はとにかく休養し、後半は旅に出るなどアクティブな休みにしよう。溜まった本を読もう、映画も沢山観るのだ。ペインクリニックでの検査、歯のクリーニング、眼鏡の調整もしなくっちゃ。たまには買い物もしたい。四国の三十三ヶ寺を一週間くらいかけて回ろうか…
見事に駄目だった。むしろ普段よりひどかった。映画も観なかったし、借りた本を一冊読んだだけ。何もせずにあっという間に過ぎてしまった一ヶ月を振り返ってみると、仕事のトラブルの為に休めなかったとばかりは言えないことに気がついた。まず、休める!と思った途端に、今までの疲れがどっと出て、ただただひっくり返っていることが多く、職場に出た日もソファに横になったりして、休みどころか仕事も中途半端なこと夥しい状態だった。グダグダせずにはいられず、横になっている方が多かった。疲れを出し切る為の休みだったのかなあと今にして思う。
安曇野に行けただけでも良かった。山国のあの緑を思うと心が和む。
これからは一ヶ月休むなんて当分無理なので、月々の中の休みを一日でも二日でも多く取るのだ!とまた力んで笑われ、休みへのせんない夢を見ている。



2018年5月21日

177  安曇野へ

5月16日は女優中島葵の命日だ。今年で27年経ったというのに、昨日のことのようにあの日を思い出す。
葵さんのパートーナーの演出家芥正彦から「今日一日もたないだろう」という電話を受けて、朝一番のバスに飛び乗って安曇野に向かった。命が消えようとする直前「わたし、死んだらあっちの空気のようになるから」と安曇野の空に向かって言った葵さんに会いたくなって、あの日と同じように朝一番のバスに乗った。
松本から上高地線に乗り、臨終の場である波田病院に向かう。上高地線は2両編成で単線、昔と変わらない。車窓から山々が美しい。27年前、命を終えようとしている人の前で山国の春の新緑はあまりにも輝いていたが、今年も長野はあの日と同じように悲しいほど緑が美しかった。
波田町は松本市と合併したそうで、病院名も松本市立病院となっていたが、病院の佇まいは以前とほとんど変らない。葵さんを乗せた車椅子を芥さんが押して散歩した病院脇の線路沿いの小道もそのままだ。山国の春は寒いので、毛糸の帽子をスッポリかぶった葵さんは痩せて小さくなって、まるで少女のようだった。病院に着き、あの病室だったかなと2階を見上げる。玄関脇のベンチに座り、その時間、13時35分に黙祷を捧げたその時、サーッと爽やかな風が吹き抜けた。葵さんだ。「忘れてないよ」と話しかける。そこに葵さんが居ないことも、熊本のお墓に居ないことも私は分かっている。会いたいと思う時、死者はいつでも傍に来てくれ見守ってくれるのだ。
今回の旅の目的に自分の休養ということもあったので、松本から大糸線に乗り、穂高に向かう。大糸線は車窓から雄大な北アルプスを臨みとても景色が美しい路線だ。田植えを終えたばかりの田圃には水が張られて、鏡のように山々や家並みを映してきれいだ。北アルプスの山頂にはまだ雪が積もっている。
穂高では「穂高養生園」に泊まり、休養したのだが、ここも実は葵さんがらみの場所である。彼女は亡くなる2ヶ月前に東京を引き払いここに来たのだったが、病状が急変し、楽しみにしていたここでの生活も何日も出来ずに病院で最後を迎えることとなった。穂高養生園は「食事、運動、休養」の観点から、体調を改善し、自己治癒力を高めるプログラムを提供している。これも当時とちっとも変わっていない。葵さんは少しでも体調を戻し、やりたい芝居のことや小説を書く為に原稿用紙も沢山持ち込んでいたが、それも叶わなかった。この静かな山荘生活をもう少し味わわせたかったものだと改めて思う。
朝は森林浴とヨガ、玄米菜食の食事を一日2回、テレビもラジオも無く、聞こえるのは鳥の鳴き声と自然の音。ここに一週間くらいいたら、今の私の体調もきっと良くなるに違いない。今度は長期滞在で来てみよう。
翌日は池田町まで移動して、カミツレの宿八寿恵荘に泊まる。ここは「安曇野に行ったら、是非、是非」と以前から知人に強く勧められていた宿である。車を降りるとあたり一面にカミツレ畑が広がり、甘い爽やかな香りが漂っている。気持ちい~い!ここもテレビも無くラジオも無い。自然の音だけ。部屋数も少ないからお客さんも少ないので静か。圧巻は、たっぷりのカミツレエキスを溶かした大浴場だ。大きな窓の外は森とカミツレ畑。ああ、癒される~。
養生園と違ってここにはお酒がある。亡くなる前日に葵さんは母親や芥さんと山荘に一泊し、その最後の晩餐で彼女が安曇野ワインをスプーン2杯飲んだことにあやかって、私はグラス2杯のワインを空けたのだった。














2018年5月12日

176 今度は大ダコ‼

タコはタコでも、大空に舞い上がるあの凧である。
昨年生まれた又甥の初節句のお祝いと3歳の又姪のお祝いを兼ねる凧揚げを見に、浜松まで行ってきた。親族として法被を着せてもらい、綱を握らせてもらったので、凧を揚げてきたとも言える。勿論、初体験だ。
このお祭りは江戸時代から続く浜松の風習だそうで、二人の子供の父親であるケンちゃんも30年程前に揚げてもらい、それ以来だと言う。昨年見た屋台の行列と同じように、浜松の場合ラッパの音が特徴的である。凧揚げのラッパ隊は町内の子供達が役割を担っている。そうやって代々継承していくのであろう。言ってしまえば進軍ラッパではあるが、時代を経て意味合いも変わり、単に「応援」の為に吹き鳴らし凧揚げ隊を大いに鼓舞するのだ。その音は何とも懐かしい郷愁を感じる音でもある。
凧の大きさをゴジョウと聞いて、5畳と勘違いしたそそっかしい私は、どうやって揚げるのだと驚愕したが、5帖であることが分かってほっとしたものの、どのくらいの大きさであるか検討もつかない。えーっと、半紙の1帖は20枚だから、かける5倍で、半紙100枚か…やっぱり大きいではないか!親の背よりも高い。凧に書かれた「幸」の字が目出度く感じる。住んでいる町の名だ。
凧揚げの主眼としては、高く上がる程良いのだろう。ましてや子供の成長を願って揚げる凧である。しかし、現実は悲喜こもごも。松林に落ちて引っかかっている物もある。上がらずに失速してしまう物もある。そうかと思うと、高く高く遠くまで上がっている物もある。さて、我がヒカルとサツキの凧やいかに…
1回目、すぐに失速してしまう。これで終わりじゃないよねとやきもきして待つ。絡まった綱を直して体制を整え直して風を待つ。にわかにラッパ隊も色めき立ち、さあっ2回目だ!上がる上がる、綱を持つ手がぐんぐん引っ張られ凄い力が伝わってくる。かなりの高さまで上がったが、隣の凧の綱が絡んできてそこまでだった。たかが凧揚げ、されど凧揚げ、失敗したり成功したり他人からちょっかい出されたり、人生と同じだ。だが、凧揚げの結果を実人生に照らし合わせて考えてはいけない。天まで上がった凧の持ち主が未来の成功を約束される訳ではないのは誰もが分かっている。
子供の幸せと健康を願って、親が設え、祖父母や親族、町内がこぞって応援し、お祝いしてくれることにこそ意味があるのだよ。ヒカルちゃん、サツキちゃん。
二人のおかげで一生にあるかなしかの経験をさせてもらった、この大おばちゃんも二人の健やかな成長を心から祈ってます!











2018年5月1日

175 タコと格闘!

私は自他共に認める蛸好きで、お刺身、唐揚げ、煮物、酢の物、カルパッチョ、マリネ…と、飲み屋や料理屋で頼まないことはない、と言っていいくらいだ。たまに頼まなかったりすると、同行した若いスタッフが気をきかせて「頼まなくていいんですか?」なんて言ってくれたりして、その気遣いに応えて結局は食すことになるのだった。
そんな私が蛸の扱いに難渋することとなった。源氏物語の講読会の仲間達が、定年退職して今は天草に帰郷している友人を訪ねる旅に出て、そのお土産に蛸の干物を送ってくれたのだ。食べることは好きだが料理が得意とは言えない私を心配してか、友人のHがこの蛸の料理の仕方を手ほどきしてくれる。水で戻すのは一晩、いや一昼夜ほどいる、いや炙って裂いてからが良い、水と酒に漬けろ。と何度もメールと電話でご教授たまわる。大層な蛸なんだなあ。もう一人の留守番組で蛸を送ってもらったSは料理が得意なので、流石にそれはないと思ったらメールも電話もあったそうで、二人で「スゴイ蛸なんだねえ」と苦笑。おまけにSは佐島のセカンドハウスに居て、「西の明石、東の佐島といってここは蛸の名産地なのよね」と、更に苦笑い。
有明蛸街道と言って、この天草あたりの蛸も相当な物らしいが、まず折りたたんだ物を広げてみてタコ入道様のそのお姿にビックリ!頭の形を整える竹が口みたいだしうっすらと眼窩のようなへこみもある。ヒェー、コワ~イ!早く食べちゃおう!炙ると柔らかくなると言われたのにそれを忘れて、まず料理バサミで切り分ける。硬くて手が痛い!水と酒に浸し、一昼夜、一昼夜、と唱えて待ち、柔らかくなった蛸を食べやすい大きさに切って、調味料を入れて炊飯、蛸飯の出来上がり!
今日の昼食に職場のスタッフに食べてもらう。お世辞でも「美味しい」と言ってくれたのは嬉しい。歯ごたえがあり、味も濃くて美味しい蛸ではあった。でも、作ってもらって食べるのがやっぱり一番かな。