2014年3月3日

10 月島を去る

今日はマンションの引き渡しをし、いよいよ月島を離れることになった。
事務所として7年通い3年住んで、都合10年の月島との付き合いだった。今日は郵便物や忘れ物の最後の確認の為にマンションに行ったのだが、広々としたエントランス、吹き抜けのロビー、ホテルのようなフロント、月島の町が高層化を始めた頃に建った高級マンションは、管理の良さもあって、10年経ったとは思えないほど新しくきれいだ。でも、私には似合わない。いずれにしてもこの3年が限度だっただろう。
10年前までは月島には一度も行ったことが無かったが、住んでみるとなかなか面白いところがある街だった。銀座から歩いてゆける距離にあって、2本の地下鉄で都内のどこにでもすぐに行けるのに、東京にあるけどどこか地方という感じもあった。以前は、地下鉄の出口を出ると目の前には古い長屋が並び、鉢植えが所狭しと並ぶ細い路地を通り抜けるとマンションに突き当たった。長屋の隙間から高層マンションが見える不思議な光景。路地に椅子を出して通りを眺めている老人。ゆうゆうと歩く野良猫も多かった。
月島は空襲を逃れたということで戦前の建物が残っているので、懐かしい趣がある。だが、明治に埋め立てられ造られた土地ともあり、同じく下町といっても、江戸情緒の深川や浅草とは趣を異にする。どこか近代的なモダンな面影が残っていたりするのだ。もんじゃストリートと称する何ともチープな名称の商店街の、新しい看板の上の方を見るとかつての商店の意匠をこらした看板が見える。結構バラエティに富んでいておしゃれで、文化度の高さを感じる。いわゆる「町の書店」や古書店も多かったが、この頃は大分少なくなった。
今やもんじゃ焼を食べる為に訪れる観光客の数は大変な数だが、そういった豊かさとは別の「豊かさ」があった時代もあったのだろう。月島にゆかりのある文化人も魅力的だ。吉本隆明、大岡昇平、石川淳、島崎藤村、小津安二郎、等々。四方田犬彦は『月島物語』で素晴らしい文学論、都市論を展開している。長屋がごっそり撤去されたのを見て彼が驚愕したその空き地に建ったマンションこそ我がマンションであった。縁があって住むことになったが、選択の余地があるのだったら、自分から進んでそこに住むことは無かったであろう。長屋の路地を歩きながら、こちらこそ私が住みたい所であるなあと思っていたものである。今はその長屋も撤去され、更に高いマンションが建設中だ。路地に居た猫たちは何処に行ったのだろう。

とは言え、高層マンションならではの楽しみもあった。天気の良い日は、光る運河と海の向うに房総半島が望め、風の向きによっては潮の匂いがし、山国出身の私にとって海の近くで暮すことは新鮮な体験だった。
また、雨の日には隅田川に架かる橋や人影が墨で描いたようにけぶって見え、浮世絵にある橋の図のようだった。高層マンション群が歌川国芳の描いた高い櫓のように見える。
夏の東京湾花火はとても良く見えた。レインボーブリッジ、湾岸の高層ビルの向うに上がる花火はまさに都会的な風景だ。スカイツリー、東京タワーも近く、永代橋、勝鬨橋のライトアップと相まって、美しい都会の夜景は堪能した。
もう良いだろう。これからはまた、地べたに近い暮しをしたいと思う。

月島