2014年3月31日

14 休む!

右膝が痛く、原因は色々考えられるが、つまるところ過労である。
気になる事は多いが、昨日は思い切り休んだ。先月大風邪をひいて2日休んで以来の休みだ。具合が悪くならないと休めないとは情けない。今年に入って休みらしい休みはまだ無かった。
昨日は雨が降っていて、咲き始めた桜の花には可哀そうだったが、何もせず静かに休むにはぴったりの休日だった。

つらつらと考えるに、この数年は「休む!休まなければ!」と言い続けたような気がする。忙しがるのはその「忙」の字ごとく心を亡くすこと。自分をコントロール出来ないことでもあり、恥ずかしい限りだ。舞台製作という、曜日に無関係な仕事に携わっていると、ついついメリハリが無く時が過ぎる。そうこうする内に一ヶ月はあっという間に過ぎ、一年も矢のごとくである。
そもそも読書や映画や舞台が好きで、その延長上でこの仕事に就いたというのに、本をゆっくり読む時間も無く、映画、演劇も付き合いで観るばかりで、それこそ本末転倒である。かつてのように、我を忘れるほどの本や映画に出会い、没頭する時間が欲しい。そういう時間を作らないでうかうかしていると、人生の最終章もあっという間に終わってしまうだろう。
ガンジーは、週に一日、誰とも話さない日を作ったそうだ。確かに、静寂と孤独は、安息と豊かさをもたらす。たまには、ひとり静かにもの想う時間を作り、自分を見失わないようにしたいものだと思う。
明日から学校も会社も新年度。この機会に休みのある生活を始めよう。エイプリルフールにだけはならないようにしなければ…






2014年3月24日

13 ○

△に近い○。とにかく休まないとダメだ。






2014年3月17日

12 読書会 / れれれの会

今二つの読書会に参加している。二つとも発起人でもある。
昨日は今年4年目に入った「れれれの会」があった。この会は、明治大学の名物先生で逸話には事欠かなかった津田洋行先生の退職を期に、かつての教え子達が集まって始めたものだ。すっかり様変わりをしてしまったが、懐かしい母校に月一回集まってはワイワイとやっている。
参加者が順番に発表をするゼミ形式をとっているので、発表者は結構真剣だ。皆、現役の時より熱心だったりするので可笑しいくらいだ。よくある話だが、大人になってからの方が学ぶ喜びを実感するようである。何の利害も無い学生時代の仲間ともあり、忌憚のない意見を出し合えるのも嬉しい場だ。
れれれの会とは一見ふざけた名前のようだが、意味はあるのだ。かつて明大で出会った縁を再び生かして、人生を生き直すという思いを込めて、rebirth、refresh、rejoin、restart、return 等、さらにはreport、research など勉強に関係する言葉の接頭辞のreをくっつけてrerereとし、さらにそれをひらがなに変換したという訳で、手が込んでいるのだ。真面目な津田先生も「歌うようなリズムがあって、戯れているようで、深遠だ」と気に入って下さり、名前から連想される赤塚不二夫の「天才バカボン」の「レレレのおじさん」へも思い巡らし、レレレという言葉に仏教的な意味があることまで調べ上げて下さった。近代文学の専門家の先生がである!
奇しくも先生が住まわれている青梅には赤塚不二夫記念館があり、後日、案内までして下さった。参加者の一人によると「レレレのおじさん」には悲しい過去があるということで、ふざけているようでなかなか深いのである。






2014年3月9日

11 子どものための日本文化教室

昨日は「子どものための日本文化教室」第9期の修了式が無事に終り、安堵している。この教室は私の最も大切にしている仕事の一つでもあり、私自身学ぶことも多い。
主催である伝統芸術振興会の専門が能楽ということもあり、能楽を中心として、茶道、三味線長唄、文様等の日本文化の一流の講師を招いて少人数制で行っている、かなり贅沢な教室だ。事業としては効率が悪いが、しっかりと丁寧に伝えるということでは少人数制をとるしかないのだ。人数が少ないので色々な意味で密度が濃く、あらゆる感覚の成長期にある子どもたちの変化が細やかに分かり、本当に貴重な一時を一緒に過ごさせてもらっているのだなあという感慨も深い。子どもたちの一年の成長ぶりには目を見張るものがあり、子どもから教えられることも多い。

国際化が進む中、また7年後の東京オリンピック開催を見越して、英語教育の強化が叫ばれているが、手段としての英語を身につけるばかりではなく、その伝える中身が大事ではないだろうか。自国の文化を知り、広く他国の人々に伝えていくことが重要だ。
日本には豊かな四季が育んだ素晴らしい文化があり、季節の移ろいを楽しむ日本人の感性がつくりあげた日本人らしいふるまいがある。3年前の東日本大震災では、被災者の秩序立った言動が世界の人々を驚かせた。そうした静けさをたたえた佇まいは、我が国固有の文化が基にあるからに違いない。

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2014年3月3日

10 月島を去る

今日はマンションの引き渡しをし、いよいよ月島を離れることになった。
事務所として7年通い3年住んで、都合10年の月島との付き合いだった。今日は郵便物や忘れ物の最後の確認の為にマンションに行ったのだが、広々としたエントランス、吹き抜けのロビー、ホテルのようなフロント、月島の町が高層化を始めた頃に建った高級マンションは、管理の良さもあって、10年経ったとは思えないほど新しくきれいだ。でも、私には似合わない。いずれにしてもこの3年が限度だっただろう。
10年前までは月島には一度も行ったことが無かったが、住んでみるとなかなか面白いところがある街だった。銀座から歩いてゆける距離にあって、2本の地下鉄で都内のどこにでもすぐに行けるのに、東京にあるけどどこか地方という感じもあった。以前は、地下鉄の出口を出ると目の前には古い長屋が並び、鉢植えが所狭しと並ぶ細い路地を通り抜けるとマンションに突き当たった。長屋の隙間から高層マンションが見える不思議な光景。路地に椅子を出して通りを眺めている老人。ゆうゆうと歩く野良猫も多かった。
月島は空襲を逃れたということで戦前の建物が残っているので、懐かしい趣がある。だが、明治に埋め立てられ造られた土地ともあり、同じく下町といっても、江戸情緒の深川や浅草とは趣を異にする。どこか近代的なモダンな面影が残っていたりするのだ。もんじゃストリートと称する何ともチープな名称の商店街の、新しい看板の上の方を見るとかつての商店の意匠をこらした看板が見える。結構バラエティに富んでいておしゃれで、文化度の高さを感じる。いわゆる「町の書店」や古書店も多かったが、この頃は大分少なくなった。
今やもんじゃ焼を食べる為に訪れる観光客の数は大変な数だが、そういった豊かさとは別の「豊かさ」があった時代もあったのだろう。月島にゆかりのある文化人も魅力的だ。吉本隆明、大岡昇平、石川淳、島崎藤村、小津安二郎、等々。四方田犬彦は『月島物語』で素晴らしい文学論、都市論を展開している。長屋がごっそり撤去されたのを見て彼が驚愕したその空き地に建ったマンションこそ我がマンションであった。縁があって住むことになったが、選択の余地があるのだったら、自分から進んでそこに住むことは無かったであろう。長屋の路地を歩きながら、こちらこそ私が住みたい所であるなあと思っていたものである。今はその長屋も撤去され、更に高いマンションが建設中だ。路地に居た猫たちは何処に行ったのだろう。

とは言え、高層マンションならではの楽しみもあった。天気の良い日は、光る運河と海の向うに房総半島が望め、風の向きによっては潮の匂いがし、山国出身の私にとって海の近くで暮すことは新鮮な体験だった。
また、雨の日には隅田川に架かる橋や人影が墨で描いたようにけぶって見え、浮世絵にある橋の図のようだった。高層マンション群が歌川国芳の描いた高い櫓のように見える。
夏の東京湾花火はとても良く見えた。レインボーブリッジ、湾岸の高層ビルの向うに上がる花火はまさに都会的な風景だ。スカイツリー、東京タワーも近く、永代橋、勝鬨橋のライトアップと相まって、美しい都会の夜景は堪能した。
もう良いだろう。これからはまた、地べたに近い暮しをしたいと思う。

月島