2017年2月24日

132 二代目イヤシ部長就任

今日から「プレミアムフライデー」が始まり、マスコミも盛んに取り上げていた。働き方改革、消費増大を狙って経済産業省が提唱し官民一体となって推し進めているらしい。過剰労働を避けつつ、早く終わるなり休みになった金曜日にどこかで出かけてお金を落とすという算段のようである。このプレミアムフライデーで空いた時間に何か舞台や映画でも観ようか、旅行にでも行こうか、買い物でもしようか…、そういうコトにお金を使ってもらうんだとお上は言うだのだろうが、それ程単純なことでは無いような気がする。場当たり的だと思うのは私だけだろうか。
我々のようなアート、エンターティメント関係の仕事は人が休みの時に催しを開くので、サービスを提供する側ということになるだろうか。しかし、少なくとも私の回りではこのフライデーの盛り上がりは一つとしてない。劇場にお客さまを呼ぶ際に「時間が余ったら」という誘いの言葉はないからだ。人を呼ぶには面白いと思うことをやるしかないのである。

働き方改革といえば、事務局に新しいスタッフが来てくれることになったが、このHさんは1歳8ヶ月の男児付きである。このところ子連れ通勤者が続いている。殊更に子連れ通勤を推進している訳ではないが、こちらの条件がこの業界の仕事の経験者で週2、3回位来てくれる人で、このくらいの時給でというのに合致するのは、こういった小さい子を持つ母親くらいになってしまうのかもしれない。まだ常勤では働けないが、少しづつ働き始めたいという希望がある年齢でもある。
先日まで来てくれていたイヤシ部長のサツキちゃんが来なくなって、スタッフが「サツキちゃんロス」に陥っていたところにこのチビちゃんシュン君がまた皆の心を和ましてくれることになった。早速二代目イヤシ部長に任命された。
事務局で会議など重要な事がある時はシュン君を置いてきてもらわなくてはいけないが、幸いなことに近くに実家がありHさんのお母さんに預かってもらえるとのことであり安心だ。保育所付きの大企業からは鼻で笑われるような改革だろうが、働き方改革はこういった形でも出来るのだ。



2017年2月15日

131 イヤシ部長地方栄転

職場のイヤシ部長として週1、2回、2年間程頑張ってくれた又姪のサツキちゃんが、父親(私の義理の甥)の帰郷に伴って東京を離れることになった。
この義理の甥のケンちゃんは一流国立大学大学院の建築科を出て、都市開発事業に力を入れている一大企業のMビルに就職、多くの高層ビルの中でも一際異彩を放っている六本木ヒルズの中のオフィスに勤務していた。拡大、拡大で来た日本の不動産業界の代表格のMビルの役目はそろそろ終わりだろうと私は思っている。ケンちゃんも「Mビルはもう大きい物しか造れないでしょうね」と言う。真新しい高層ビルばかりでは街の魅力は損なわれ、古い物が残っている街に人は惹かれ始めている。故郷の浜松で再スタートするというケンちゃんの決意を聞いてとても共感した。
これからは地方創生の時代だ。感性が豊かな人ほど既に地方に着目している。ケンちゃんには建築家としての経験と知識を大いに活用して、地元を活気付け、地方と都会の新しい関係作りに力を入れて欲しいものだ。私は、子どもがまだ小さい若い家族には東京の環境はあまり良くないと常々思っていた。第二子が7月に生まれる予定の若い夫婦にとって、地方に移るのは丁度良い時期でもあろう。
サツキちゃんとはゼロ歳児から2歳ちょっとまで、日々目覚しく成長する一番可愛い時期に共に時間を過ごすことが出来て実に幸福だった。所詮幼児なので、ぐずったり泣いたりしていよいよ駄目な時は早く帰すことにしていたが、帰したのは3、4回だった。立派な勤務ぶりであった。実際に仕事をしたのはあなたの「オカアシャン」だけど、サツキちゃんは職場のスタッフの皆を笑わせ、元気にし、癒してくれるという任務を充分に果たした。ご苦労さま、ありがとう。
最近は2歳児の反抗期の冷たい態度をとって私を悲しませていたが、別れが分かるのか、最後に抱き上げたら彼女の方からギュッと抱きしめてくれ、ほっぺもスリスリしてくれた。もう私は泣くしかない。





2017年2月5日

130 余寒見舞い

とうとう年賀状を出し損ねてしまった。
寒中見舞いさえ日が過ぎた。年賀状を早々とお送り下さった方、失礼しました。
こんな時が来るとは思っていた。元々、社交辞令というか虚礼を好まないので年賀状のつき合いは止めていた時期がある。その内そうもいかなくなって人並に年賀状を出したりもらったりするようになり、何年か経った。出すのを厭う割には受け取ってみると嬉しくもあり、中には工夫された楽しい物もあり、新年から心和ませてもらったものだ。
一昨年だったろうか、友人のSさんから年賀状交換の取りやめの宣言があり、自由に生きる彼らしくもあり、その潔さに感嘆した。わざわざ言わなくても良いのにと思う人もいるだろうが、これは残りの人生を人付き合いに煩わされずに、より自由に大切に生きようという宣言でもあり、年賀状はその象徴に過ぎない。
私にはまだそんな勇気はない。せめて、年賀状を下さった方々には余寒見舞いを出そうと思う。