2015年7月31日

73 歌舞伎二題 

歌舞伎座の七月大歌舞伎と新橋演舞場の「阿弖流為(あてるい)」と、7月は2回、歌舞伎を観に行った。
「阿弖流為」は歌舞伎NEXTとかいって歌舞伎を謳っているが、戯曲は現代語の科白の物で台本、演出共に劇団☆新感線の中島かずきといのうえひでのりなので、現代劇というべきだろう。見得を切る、飛び六法を踏んで花道を去る、立ち廻りの後に足を広げてひっくり返り参ったのポーズをさせる等、随所に歌舞伎独特の演出がほどこされているが、照明、音響も現代劇のように作っていて、新感線のようにスピード感があり、笑いもあり、退屈させない。
染五郎は幸四郎によく似てきた。勘九郎も頑張っていたが、何よりも七之助のすらっとした姿の柔らかい美しさは天性の女形としての資質を感じる。会場も大変な熱気で、総立ちのカーテンコールが何度も繰り返される。そもそも伝統芸能にはカーテンコールなどないのだが…それは結構だが、その時に合わせて光るリストバンドを振るようにと、観客の腕になかば強制的に巻かせたのには参った。私も歳をとって少しは丸くなったのだろうか、文句も言わずにただ苦笑いだったが、希望者に配るぐらいにした方が良いのになあと思う。そういうのを嫌って白ける人はいるものだ。しかし、そういうことに興ざめするような人を対象にした舞台でもないか…。

さてさて、本題は歌舞伎座公演だ。今回は格別に面白くて、何日も余韻が残っていた。玉三郎を今の内に観られるだけ観ようという仲間6人と、この暑さにもめげずに出向いたのだが、会場も熱気むんむんの満員御礼、チケットは初日から千秋楽まであっという間に売り切れたらしい。私には猿之助という興味もあるが、世間的に何かと話題の海老蔵、獅童、中車も出演とあっては売切れ御免であろう。
玉三郎はまだまだ美しい。「お富与三郎」のお富の風呂上がりの艶っぽさにはため息が出る。観客も見入っている。そこへ切られ与三の名科白がかかる。「おかみさんへ、お富さんへ、いやさお富、久しぶりだなあ」。勿論、大向こうから「待ってましたっ」がかかる。しかし、海老蔵の与三は今一つ切れがない。それにつけても、数年前に観た仁左衛門の与三が忘れられない。
お富の家に与三を連れてくる、蝙蝠安のずるがしこい小物ぶりが、女物の着物をぞろりと着た獅童の演技で際立った。「南総里見八犬伝」での屋上での立ち廻りや、立ち姿の決まり具合が格好よくて、今回は仲間内でも獅童の評判が良かった。
それに比べて、中車に関しては口をつぐんで誰も何も言わない。香川照之として演技が認められているが故に、落胆の度合いが大きかったのかもしれない。現代劇でどんなに上手い俳優でも簡単にいかないのが伝統の世界だ。長い間に積み重なった約束事、様式美が一朝一夕で身に付くものではないのだ。歌舞伎の影響のせいか、テレビドラマなど現代劇での彼の演技がオーバーになってしまったという話もあるが、それこそ本末転倒というものだろう。
さあ、待ってましたっ、猿之助の登場。この日の観客の拍手は猿之助の為に鳴り響いていたように思える。六変化舞踊の早替りの度に万雷の拍手。とにかく早い。早いだけではなく、踊りの上手いこと!観ていて小気味が好い。本人も心から楽しんでやっているように見える。深紅の着物が美しい禿の愛くるしかったことったらなかった。小柄のせいか、最後の蜘蛛の精まで何だか可愛らしかった。隈取りをほどこした荒々しい姿なのにも拘わらず、何かのゆるきゃらみたいだった。これはご愛嬌。歌舞伎は出雲の阿国の頃は傾奇(かぶき)踊りと言ったという。ケレンたっぷりの猿翁一門はその本質を忘れていないのであろう。
玉三郎は、次は9月の「伽羅先代萩」だそうだ。名優による名作の名場面が今から楽しみだ。