花房徹が亡くなって4ヶ月が経ってしまった。まだまだ現実味が無い。ごく親しい者だけでいわゆる家族葬で見送ったので、いずれは偲ぶ会のようなことをしなくてはと話し合っていたのだが、花房が最後に一緒に創作活動をしていた若者達が、「花房さんらしく」と思い巡らし企画してくれた。その名も「花房徹を語る会」、会場は下北沢にある本多劇場グループの「小劇場B1」、あたかも公演のように設えた劇場で執り行った。本多グループの若い二代目は、彼の駆け出しの頃から花房のことを慕ってくれていて何かと便宜をはかってくれたものだが、花房を劇場で送ることを快諾してくれ最後の花道を作ってくれた。舞台をこよなく愛した演劇人として、劇場でお別れの会を開けた花房は本当に幸せ者だ。
当日は「立ち見」も出る盛況ぶりで200名もの沢山の人が来てくれた。(以下、敬称略、失礼します)
公演のように前日仕込み、長年の付き合いの舞台監督の小嶋次郎、美術の志田原貴子も駆けつけてくれた。音響の原島正治も久しぶりに顔を見せてくれ、照明の田向澄男は仕事が重なり来られなかったが、亡くなってから自宅での数日の「お別れの日々」に来てくれている。陣頭指揮を取っているのは、花房を師匠と仰いで病気発覚時から何くれとなく花房に仕えてくれた本多ハルで、やはり花房の弟子であることを公言する谷津かおりが進行のあれこれを確認している。メンバーが揃い客席には演出家席が設えられ、まるで公演直前の劇場である。姿が見えないのは花房だけだが、きっと演出家席に座っていたに違いない。
暁星学園、桐朋学園大学、自由劇場、六月劇場、自宅劇場、黒テント、東宝、映画関係、アルバイト仲間…、中丸新将、大石静、朝比奈尚行、綾田俊樹、二瓶鮫一、中村まり子、観世葉子…、今は懐かしい小劇場「ジァンジァン」のシリーズ「夫婦白書」の妻達、あづみれいか、福麻むつ美、有希九美、中山マリ、殊に中山は司会を務めてくれて花房ワールドに一役買ってくれた。参加者の多くは演劇仲間だったが、映画監督の旦雄二も参加してくれた。来られなかったけれど、弔電や言葉を寄せてくれたのは、永井愛、佐藤B作、太川陽介、楠美津香…、柄本明、笹野高史も「お別れの日々」に自宅に来てくれている。
偏屈なところがあった花房だが、広いつき合いだったことがよく分かる。頑固だったがそれは正直な証拠でもあったし、何よりもどこか愛嬌があった。
語る会だから色々なエピソードが話されたが、どの話もあまりご立派では無い話ばかりだった。でもそれが却って花房が愛された証拠であったことを示すものだったように思う。エピソードに事欠かない花房である。語れどもつきない会であった。花房徹の事はこれからもきっとまだまだ語られることだろう。それが彼の生きた証なのだ。
最愛の息子達イツキとセイヤ、糟糠の妻サチコ、最後のパートナーのサチコ、妹のリラに関しては、見ていても辛くて切なくて、私は今はまだ語れない。