2015年2月25日

53 本の処分-3

最後の日曜日も休みになって、2月は奇跡的に全日曜日が連続で休めた。こんなことは本当に何年ぶりだっただろうか。ガンジーは週一日誰にも会わない沈黙の日を作ったという。一人で居る時間を持つことは大切だ。来月はとても無理なので、せっかくの休日をどっぷり静寂に浸ろうと思う。こんな時はやっぱり本の整理だろう。
本の整理に関して、取りあえず2、3ページ読んでから処分するという方法は、我ながらグッドアイデアだったと思う。読まずに処分するのはどうも性分に合わないので、ちょっとでも読むと、確認したという満足感が得られる。本の整理をしていて思わず読み込んでしまって整理にならなかったという話はよく聞くが、この2回程の試みでは何も引っかかる本は無かった。そうなるのが心配なので、今のところ面白そうな本は避けつつ整理をしているというのが実情ではあるが…

モノを減らしこそすれ増やさないと決心したのに、実は小さな棚を2つ(セット販売だったので!)購入してしまった。さすがに本だけはすぐにスッキリとはいかないようなので、仮置き場用に求めた。この棚だったら棚自体もすぐに処分出来る物だ。とにかく当分はこの棚に収まりきるくらいの本の数に減らすことを目標にしたい。今回処分するのは、雑誌20冊、単行本と文庫本で30冊、このくらいのペースで後5、6回やれば床置き分は無くなるだろう。




2015年2月17日

52 さようなら徹ちゃん-2 / 花房徹を語る会

花房徹が亡くなって4ヶ月が経ってしまった。まだまだ現実味が無い。ごく親しい者だけでいわゆる家族葬で見送ったので、いずれは偲ぶ会のようなことをしなくてはと話し合っていたのだが、花房が最後に一緒に創作活動をしていた若者達が、「花房さんらしく」と思い巡らし企画してくれた。その名も「花房徹を語る会」、会場は下北沢にある本多劇場グループの「小劇場B1」、あたかも公演のように設えた劇場で執り行った。本多グループの若い二代目は、彼の駆け出しの頃から花房のことを慕ってくれていて何かと便宜をはかってくれたものだが、花房を劇場で送ることを快諾してくれ最後の花道を作ってくれた。舞台をこよなく愛した演劇人として、劇場でお別れの会を開けた花房は本当に幸せ者だ。

当日は「立ち見」も出る盛況ぶりで200名もの沢山の人が来てくれた。(以下、敬称略、失礼します)
公演のように前日仕込み、長年の付き合いの舞台監督の小嶋次郎、美術の志田原貴子も駆けつけてくれた。音響の原島正治も久しぶりに顔を見せてくれ、照明の田向澄男は仕事が重なり来られなかったが、亡くなってから自宅での数日の「お別れの日々」に来てくれている。陣頭指揮を取っているのは、花房を師匠と仰いで病気発覚時から何くれとなく花房に仕えてくれた本多ハルで、やはり花房の弟子であることを公言する谷津かおりが進行のあれこれを確認している。メンバーが揃い客席には演出家席が設えられ、まるで公演直前の劇場である。姿が見えないのは花房だけだが、きっと演出家席に座っていたに違いない。
暁星学園、桐朋学園大学、自由劇場、六月劇場、自宅劇場、黒テント、東宝、映画関係、アルバイト仲間…、中丸新将、大石静、朝比奈尚行、綾田俊樹、二瓶鮫一、中村まり子、観世葉子…、今は懐かしい小劇場「ジァンジァン」のシリーズ「夫婦白書」の妻達、あづみれいか、福麻むつ美、有希九美、中山マリ、殊に中山は司会を務めてくれて花房ワールドに一役買ってくれた。参加者の多くは演劇仲間だったが、映画監督の旦雄二も参加してくれた。来られなかったけれど、弔電や言葉を寄せてくれたのは、永井愛、佐藤B作、太川陽介、楠美津香…、柄本明、笹野高史も「お別れの日々」に自宅に来てくれている。
偏屈なところがあった花房だが、広いつき合いだったことがよく分かる。頑固だったがそれは正直な証拠でもあったし、何よりもどこか愛嬌があった。

語る会だから色々なエピソードが話されたが、どの話もあまりご立派では無い話ばかりだった。でもそれが却って花房が愛された証拠であったことを示すものだったように思う。エピソードに事欠かない花房である。語れどもつきない会であった。花房徹の事はこれからもきっとまだまだ語られることだろう。それが彼の生きた証なのだ。
最愛の息子達イツキとセイヤ、糟糠の妻サチコ、最後のパートナーのサチコ、妹のリラに関しては、見ていても辛くて切なくて、私は今はまだ語れない。



2015年2月9日

51 トランクへ入れる物-7 / 日本国憲法

2月は暗い日曜日で始まった。やり切れない思いを抱きながら一週間が過ぎた。先週に続き完全OFFの休みが一日出来たので、遠い国で起きた凄惨な出来事に思いをはせながら家で静かに過ごすこととする。
一週間しか経っていないのに、この健忘症国家では何も無かったようにテレビなどではガハハとふざけた番組を流し続けている。安部政権の発した「こんな大変な時に政権批判など控えて下さい」という自粛ムードにまんまと乗せられているようにさえ見える。

先週の本整理の中で、最後まで残す物の候補に「日本国憲法」があった。正確には「子どもにつたえる日本国憲法」(著・井上ひさし)である。何冊かあった憲法、特に9条がらみの本の中でこの本が突出していた。著者自身が戦争の苦しさを経験し、子どもの時に公布されたこの日本国憲法を享受した喜びがひしひしと伝わってくる。また子ども向けに書いているので、基本理念が分かり易く、著者が常々標榜している「難しいことを分かりやすく」の精神にももとらない。分かりやすいことは浅い、単純ということではないのであり、子どもにも分かる程の素晴らしい「憲法」であることが、解き明かされているのだ。
憲法公布に、井上少年は「日本はもう二度と戦争で自分の言い分を通すことはしないという覚悟に、体がふるえてきた」と言う。「二度と武器では戦わない。これは途方もない生き方ではないか。勇気のいる生き方ではないか。度胸もいるし、智恵もいるし、とてもむずかしい生き方ではないか。」「なんて誇らしくて、いい気分だろう。」と。
そうやって井上ひさしに導かれて、日本国憲法を読み進んでみる。まず、憲法のエッセンスとも言える「前文」が素晴らしい!その理念の高さもあるのだろうが、格調高い名文である。
「この国の生き方を決める力は私たち国民だけにある  私たちは代わりに国会へ送った人たちに二度と戦をしないようにと しっかりことづけることにした」「私たちは代わりの人たちに国を治めさせることにした その人たちに力があるのは私たちが任せたからであり その人たちがつくりだした値打ちは 私たちのものである」という趣旨が盛り込まれた「前文」だけでも、今の政治家はしっかりと読むべきだろう。
もう二度と戦争はしない、という第9条ができてから70年近く、日本は国として戦争はしていない。そんな国は稀であり、誇って良いことである。日本は平和と豊かさを世界に示すことで、戦争がもたらすものは恐怖と貧困でしかないということを改めて証明しているのである。「何があっても武力では解決しない」「戦争はしない」という日本国憲法は人類の歴史からの私たちへの贈り物であり、しかも最高傑作だ、と井上は言う。そして世界の人々のあこがれである日本国憲法の精神をつらぬいていきたいと提言する。
そうなのだ。日本の代表である首相は宣戦布告のような発言をしてはいけないのである。その代償が、かの地で果てた日本人の命では、あまりにも悲しく情けない。