第39回「親と子の能楽教室」が、昨日無事に終了した。その回数が示す通り、40年の長きに渡って続けてきた催しである。私が関わってからも25年になる。私の所属する伝統芸術振興会の前会長の南部峯希が亡くなってからのこの10年は、梅若研能会が引き継いでくれている。
以前、新聞社回りをしていた時に、大人にも難しい能を子どもに見せるなんて拷問にも等しい、と言った新聞記者がいたのを未だに忘れない。新聞記者にしてこうであった。今でこそ子ども向けの能楽の催しも多くなったが、当初は世間の理解を得るのが大変だった。南部の情熱が少しずつ周囲の無理解を解かし、彼女が亡くなる2年前には「能楽堂の正面席を子ども達だけで埋める」という夢の目標が達せられたのだった。幼児も含めた子どもたちが親と離れて能を鑑賞することが可能になったのも、南部の練りに練ったメソッドがあったからだ。一番の目標は「観客を育てる」ということだった。目標を達成する為には観劇マナーの勉強も必要で、その事前学習の内容は濃かった。能を難しいと思って敬遠するのは大人であって、子ども達は難しい事や新しい事へ挑戦するのが好きなのだと分かったのも新鮮だった。その為にも子どもにこそ本物に触れさせるべきなのだと納得もした。
だが、時は過ぎ、提供する側も観る側も価値観が変わった。昨日の公演終了後に主催側の事務長T氏は「初めて安心して見られました。成功と言えるでしょう」と安堵の言葉を述べたが、裏腹に私は「私どもにとっては、ターニングポイントだと思います」と伝えた。ここでは多くを語るまい。このような手間がかかる催しを10年も続けてくれたことには感謝の念があるばかりだ。どこにも価値観の相違は必ずある。その感覚が離れて交わらなくなったらそれぞれの道を行くしかない。自分は何を一番大切にするか? 見失わないようにしたいものだ。
今回、何よりも嬉しかったのは、「子どものための日本文化教室」に何年も通ってくれているユキヒト君とサキヨちゃんが、花見稚児として立派に舞台を務めてくれたことだ。堂々とした足さばきと立ち姿だった。こうやって日頃の教室の成果を見せてくれると、とても感慨深い。教室の一回一回は少しずつなのに、いつのまにか身につけているのだ。子どもの可能性は果てしない。
2019年8月22日
2019年8月12日
221 疑ひは人間にあり -能楽座自主公演「羽衣」-
夏恒例の能楽座自主公演は、今年は少しずれて9月7日である。約三週間後だが、この猛暑が和らいで来場されるお客様の心地が少しでも良いようにと願う。
流儀を超えて志高く集まった一流の演者たちの団体である能楽座も鬼籍に入る人も多くなり、毎年追善公演が続いている。今年は藤田六郎兵衛師の追善だが、64歳という若さだった。鋭いヒシギで一気に世界を切り開いて異界に連れて行ってくれる笛の力は素晴らしかった。能楽界は貴重な存在をまた一人失った。その六郎兵衛師を悼む為にも、沢山のお客様に来て頂きたいものだ。
能は「羽衣」。能の世界には宇宙の営みを正面から謳いあげた曲がいくつかあるが、「羽衣」はその代表曲と言えるだろう。あの有名な羽衣伝説である。羽衣を返してくれたら御礼に舞を舞おうと言う天女に、返してしまったら舞も舞わずにそのまま帰ってしまうだろうから先に舞ってくれと言う漁師の白龍に対して天女が言う科白が、「いや疑ひは人間にあり、天に偽りなきものを」である。この言葉を聴く度に私は畏怖の念に打たれる。白龍は自分を恥じてすぐに羽衣を天女に返すのだが、人間の卑小さと宇宙の法則とを言い当てた何と本質的な言葉だろうか…
私も若い頃は唯物論者で、目に見える物や頭で理解できる物しか信じなかったが、歳を取りやがて世の中には人知を超えた存在があるのだということに気が付くことになった。宗教めくのが嫌でそれを神とは呼べず、宇宙の法則とか真理とか呼ぶことが多かったのだが、能で「天」という言葉に出会った。古語には味わいがある。このように能の詞章が寓意する普遍的な言葉に出会うのも、能を観ることの新鮮な感動なのだ。
シテは人間国宝・大槻文藏師、今、一曲、一曲を見逃してはならない名人の一人である。
今年は能楽座らしく、観世流の他に金春流櫻間金記師、宝生流武田孝史師、喜多流粟谷明生師、とシテ方四流が揃った。粟谷師は能楽座の二代目代表粟谷菊生師の子息でもあり、能楽座公演にも何度か出演頂いている。今回は、仕舞「熊坂」長裃をお願いしているが、これは喜多流にだけある仕舞ということで、長裃を着けての足さばき、長刀の扱い、難易度も高く、きっと見応えがあるに違いない。


流儀を超えて志高く集まった一流の演者たちの団体である能楽座も鬼籍に入る人も多くなり、毎年追善公演が続いている。今年は藤田六郎兵衛師の追善だが、64歳という若さだった。鋭いヒシギで一気に世界を切り開いて異界に連れて行ってくれる笛の力は素晴らしかった。能楽界は貴重な存在をまた一人失った。その六郎兵衛師を悼む為にも、沢山のお客様に来て頂きたいものだ。
能は「羽衣」。能の世界には宇宙の営みを正面から謳いあげた曲がいくつかあるが、「羽衣」はその代表曲と言えるだろう。あの有名な羽衣伝説である。羽衣を返してくれたら御礼に舞を舞おうと言う天女に、返してしまったら舞も舞わずにそのまま帰ってしまうだろうから先に舞ってくれと言う漁師の白龍に対して天女が言う科白が、「いや疑ひは人間にあり、天に偽りなきものを」である。この言葉を聴く度に私は畏怖の念に打たれる。白龍は自分を恥じてすぐに羽衣を天女に返すのだが、人間の卑小さと宇宙の法則とを言い当てた何と本質的な言葉だろうか…
私も若い頃は唯物論者で、目に見える物や頭で理解できる物しか信じなかったが、歳を取りやがて世の中には人知を超えた存在があるのだということに気が付くことになった。宗教めくのが嫌でそれを神とは呼べず、宇宙の法則とか真理とか呼ぶことが多かったのだが、能で「天」という言葉に出会った。古語には味わいがある。このように能の詞章が寓意する普遍的な言葉に出会うのも、能を観ることの新鮮な感動なのだ。
シテは人間国宝・大槻文藏師、今、一曲、一曲を見逃してはならない名人の一人である。
今年は能楽座らしく、観世流の他に金春流櫻間金記師、宝生流武田孝史師、喜多流粟谷明生師、とシテ方四流が揃った。粟谷師は能楽座の二代目代表粟谷菊生師の子息でもあり、能楽座公演にも何度か出演頂いている。今回は、仕舞「熊坂」長裃をお願いしているが、これは喜多流にだけある仕舞ということで、長裃を着けての足さばき、長刀の扱い、難易度も高く、きっと見応えがあるに違いない。


2019年8月4日
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