2019年3月23日

207 佐藤愛子はまだまだ元気だ! / 燐光群のアフタートークを聴いて

燐光群の芝居を観に行く。中山マリが、自分自身と母親中山あい子の二役をやる一人芝居だ。自由で飾り気のない性格は似ているけれど、外見は違うタイプの母娘だと思っていたが、実は見た目も似ていることを今回は実感した。顔形というより、声、話し方、笑い方、仕草といったようなものがそっくり。世間の親子でも、そういうことがある。似てないと思っていたのにやっぱり親子なんだなあと思わせる人達がいる。特に歳を取るとそういう傾向になり、驚かされることがあるものだ。
マリさんはあい子先生のお下がりを着て舞台に登場、見覚えのあるような格好だ。きっと、あい子先生のお気に入りだった洋服に違いない。二人は親子なのに戸籍上では姉妹になっている、というような聞き及んでいたエピソードの他にも家庭の複雑さが垣間見える挿話もあったが、舞台では明らかにはされない。しかし、作家や女優を生み出すような家庭の事情がここにもあったのだなあと納得させられたのだった。中山あい子がまるでそこにいるようで、とても懐かしい気持ちになった。

この日は舞台の後にサプライズがあった。中山あい子と同世代で仲が良かった佐藤愛子がアフタートークに登壇して、思い出を語ってくれたのだ。2年前くらいにこのブログにも書いたが、佐藤愛子は私の好きな作家の一人である。明るいブルーのスーツ姿でしゃきっとしたお姿。とにかくきれいで素敵だ。怒るのは体力が要るので最近は怒っていないと言うが、やや低音でさばさばした口調、媚びないで生きてきた人そのものの姿がそこにはある。中山あい子と二人で田辺聖子の家を訪ねた時、誰もが知るあのスヌーへの通過儀礼を「フンッ!こんなもの!」と言ったとか言わないとか、中山あい子らしくもあるし、爆笑エピソードであった。
とても元気がもらえた。御年95歳! もっともっと元気で長生きして下さい。





2019年3月12日

206 十句観音経

心身共に健やかで周りの人をも明るくしてくれる人が居る。そういう人の一人で ある能楽師のO師に健康のコツを聞いてみたら、「十句観音経を唱えること」ということだった。こういうことを言ってもヘンな人に見えない程、全てが健全な人だ。風邪をひいてもすぐ治り、とにかく元気だ。難病の疑いがあり体調が優れない私は真似をしてみることにした。
O師は早速昨日、事務局に経典(?)を持って来てくれた。興味を持ったスタッフと同席していたG師の分もコピーする。G師も「言霊の力ってあるものね」とおっしゃる。その通りだ。
全部で十句と短い物で、観音信仰をもっとも簡単に説いたものという。いつでも唱えることができる短い経典だが、その霊験、功徳は、はかり知れないものがあるという。何とズボラな私向きだろう!なんて、最初から言ってちゃダメだ。一日200回唱えると良いらしいが、短いとは言え、結構大変だ。測ってみると2回で1分だから100分かかる。何回かに分けるしかないかと、取りかかる前からあーでもないこーでもないと、いつもの悪い癖。
数えるという事で、ふとある事を思いつく。10年前に父を亡くして身も世もない程に落ち込んでいた私に、「数を数えて指をすべらすだけで心が平らかになるんだって」と、友人からプレゼントされた菩提樹の数珠があったのだ。最近は仕まいっぱなしだった。別に心が平らかであった訳ではないけれど…
33玉あるから、6廻りで約200回だと納得してやり始める。さっさと始めれば良いのに取りかかる前が長い私だ。経は短いから暗記するまでやってみようと、それでも、2廻りやってみただろうか。覚えたつもりが、朝起きたら忘れていた箇所があるので、今日こそは完全に覚えようと、歩きながらも唱える。これで完璧かな。また明日起きたら分かる。忘れたら繰り返すだけだ。
さて、その功徳やいかに。一心に唱えている間は少なくとも無心でいられる。いつも頭の中も胸の中もパンパンなのを空っぽにするのは気持ち良い。「空」という境地にはほど遠いが、捨てて身軽になるのはモノばかりではない。自分自身も同様なのだ。

2019年3月3日

205 △

バツに近いサンカク。
前回、私の俳号の名付け親である高井松男さんのことを書いたばかりだが、彼から連絡があり、盟友でもありいわば戦友でもあった舞台プロデューサーの旅川雅治さんが亡くなったことを知る。高井さんの悲嘆ぶりは言葉に表せないほどだ。
旅川さんはこの数年は闘病しながらも現場に出ていたので、気さくで冗談好きな彼を囲んでまた皆で大笑いしながら酒を呑むこともあるだろうと思っていた。大変なショックだ。
彼もまた、私より若い。心から冥福を祈りたい。
私といえば、一昨日の検査に続き明日も朝から検査。気分は良くない。