2019年2月20日

204 俳号披露 / その名は稀里

先週は句会グループ「ひなせ会」の第5回吟行があった。今回は皇居東御苑、私にとっては何と初めての場所であった。新宿御苑は庭のような(!?)ものだし、北の丸公園から日比谷まで若い頃はよく歩いた。赤坂御所は仕事絡みで何度か上がった。東御苑は、他の御苑に比べてやや緑が少ないような気がするが、その代り大きな城門や石垣を間近に見ることが出来て、城跡らしい趣が面白い。
梅の花の盛りで匂いも香しく漂っている。北風が冷たかったが空は晴れ渡り、陽射しには春を感じる。吟行には寒さ対策が必至。そこは抜かりないニーサンネーサン達だ。元気に歩き回る。吟行の日は1万歩どころではないのだ。
吟行の後の句会では、一人5句を提出して選考に入る。私は3句選ばれたが、悲しいかな、今回もひどい句だ。
 如月の黄色の花が春を告げ
 金色のヒレナガゴイが春を呼ぶ
 春めきて梅の香かほる御苑かな

ところで、俳句に俳号はつきものだが今まで発表しそこねており、今回やっと披露することになった。
稀里(まれり)である。
以前、語りの会の制作をしたことがあり、主宰者の高井松男さんから芸名をつけてもらった出演者達の、本人の特徴が活きた芸名に感心していた私に、高井さんが制作の私にまで芸名をつけてくれたのだった。この名前を聞いて「鄙には稀な、のあれですかね?」と図々しくも尋ねる私に「稀なのは里」と笑う。つまり、大変な田舎(の者)ということだ。私の出身地の長野の佐久を田舎の中の田舎と思っている(実際そうだけど)彼は、常日頃、冗談まじりに私と佐久のことをからかっていたのだ。何を隠そう、彼は新潟出身だけどね。メクソ、ハナクソ…
真意はともかくとして、この名前を結構気に入っていた私は、何かで使えないかなあと思っていたが、詩も小説も書かず、舞台に上がることも無い。俳号と聞いていいチャンスだ!と思ったのだ。本名以外の名前を持つのは楽しいものだ。




2019年2月11日

203 小さな時の流れと大きな時の流れ

右手の人差し指の血豆が先の方に伸びてきて、マニキュアの剥がしそこないのように見える。叔母の急死の報を受けて急ぎ帰郷した私を迎えに来てくれた妹の車のドアに挟んだのだ。昨年11月末のことだったから、2ヶ月半になる。もう2ヶ月半かと思う。この血豆が伸び切って無くなるまで、手を見る度に叔母の死を思うことになるだろう。どんなに長引いたところで後三ヶ月程か…こうやって悲しみも薄れていくのだろうなあと思う。爪が伸びる間の小さな時の流れ。
ふと、啄木のようにじっと手を見る。何と歳を取ったことだろう!
皺も増え、血管も浮き、指の節も高くなっている。それはそうだ。何十年という時の流れが積み重なっているのだから仕方ない。だが、年輪を誇れる程の仕事も、生き方もして来なかった私は今はこの醜さを嘆くばかりだ。いつの日か更に老いた手を見つめながら、大きな時の流れを許容して、まあまあ生きたよねと自分に言えるように時を重ねたいものである。