2017年7月25日

147 さようなら日野原重明先生

日野原重明先生が105歳で他界された。先生が87歳の時に出会ったので約20年経った訳だが、ほとんどお姿が変わってないような気がする。先生は20年前の当時から知る人ぞ知る著名人ではあったが、その後、いわゆる「ブレイク」されたのには驚かされた。
私の所属する団体の前会長の母が自宅ターミナルの療養に入った時に、日野原先生が主治医として訪問治療にあたって下さったのだが、自ら家々を回って歩かれていたので「こんなに偉い方が…」と驚嘆したものだった。最期も自宅で看取って下さった。悲しみに沈む私たちに「舞台に関わるあなた達にとって、シェックスピアに馴染みがあると思うけど『終わり良ければ全て良し』ってあるでしょ」「そのように大変立派で良い最期でしたよ」と、慰めて下さったのが今でも鮮明に思い出される。
それがきっかけで娘である前会長とも親交が続き、会が主催する「子どものための日本文化教室」にも賛同され、年に一度、特別講師として子ども達に「いのちの授業」を授けて下さっていたのだ。
その後、その前会長が病に倒れ、やはり日野原先生に看取って頂いたのだが、沢山の患者を看たであろう先生にとっても、母娘して最期を見とどけたのは稀有であったに違いない。
最後にお会いしたのは5年前の春だったが、階段を登る先生に手を差しのべた私に「いや、結構」とおっしゃって、手摺りにこそ掴まっていたがトントンと軽い足取りだった。驚異的な100歳だった。
「110歳になった時に会いましょう!」がその時の約束だった。日野原先生だったらあり得ると思っていたが、望みは叶わなかった。先生はハイデッガーの「死は生のクライマックス」という言葉も時折引用されていた。人生を全うし、生き切った人、日野原先生そのものに重なる言葉だ。
日野原先生、ありがとうございました。



2017年7月15日

146 暑い夏! そしてサムイ夏!

仕事仲間達が今、ロシアとフィンランドに行っており、早速SNSに涼しげな映像があげられている。ロシア組の一人ギタリスト小沢あき君によるとやはり夜は涼しいと。フィンランド組のアコーディオニストの後藤ミホコさんによれば午前中は寒いくらいで上着をはおったとのこと。この猛暑の東京からするとその寒さが恋しい。
それにしても何という暑さだろう。33度34度があたり前のように続いている。今更ながらだが、もう日本の気候は完全に変わってしまった。夏が長くなりもう何年も春と秋が無い。「四季が育む日本人の感性」なんてものは養われようもないから、老若男女問わず皆繊細さが失われイライラとして世知辛くなってしまった。大きな災害も増えた。熱帯、亜熱帯に生息する毒虫も蠢き出した。気候の乱れは日本に限らず世界規模で起きており、これは地球温暖化の影響に他ならない。
対策が急がれるこの時期に、トランプ政権はパリ協定を離脱して、アメリカの良識人からも批判を浴びている。かと言って、日本も含めて他の国が目を見張る程の対策を立てているふうでも無い。災害が起きた時に泥縄式対処はするが、災害そのものが起きないようにする為の本質的問題には向き合っていないように見える。
そんな状況の中で更に失望感を味わうのは、この季節に電車に乗った時だ。異常に寒い!冷房のきかせ過ぎなのは明らかだ。先日も地下鉄に乗った時にあまりの寒さにショールをかけたが、隣の女性もカーディガンをはおっている。快適な温度なのであればまだしも、とにかく寒いのだ。この無駄遣いにいつも失望感と喪失感を覚える。そこへ追い打ちをかけるようなアナウンスが入る。「車内が涼しく感じる方は弱冷房車へお移り下さい」だと!「涼しく」感じるではなく「寒く」だろ!それに、なんという本末転倒だろう。乗客サービスのつもりかもしれないが、こう寒くてはちっともサービスになっていないではないか。電車といえば毎日何百万人と利用する機関だ。その大規模な機関が、過剰な冷房を止めて快適な温度にするだけでもどのくらいの節電になることだろう。
ああ、またサムイ季節がやって来たなあという所以である。
今日のロシア・ウランウデ





2017年7月5日

145 第23回能楽座自主公演

能楽座自主公演のDM、1200通余りを発送する。
いつも2日はかかるが、優秀なスタッフの頑張りで、1日で出せた!
能楽座の座員には重鎮も多く、近頃は亡くなる方もあり追悼公演が続いたが、今年は久しぶりに追悼ではない公演だ。沢山のお客様が来て下さいますように!