2015年10月13日

81 夏服は足りたか?

連休最後の日は私も休みがとれた。久しぶりの休みは勿論誰とも会わず、話さない。
例年9月には夏服の整理をして保管クリーニングに出すのに、それも遅れているので夏服の整理をした。ところで、昨年あんなにバサッと処分してしまった夏服は足りたか?
足りたどころか、一度も着なかった服がまだ結構あった。充分だったのである。正直に言うと買ってしまった物も何点かある。ガウチョパンツ2枚にチュニックシャツ3枚だ。このアイテムからバレバレだろうが、楽そうで体形が隠せるという理由でつい手がのびてしまった。だが、この5点よりも着なかった服の数の方が多いのだから、量的にはまったく問題が無かったのである。この新しい5点の代りに着なかった物から5点減らせば、全体量は増えない。夏は汗っぽいからとインナーは少し多めに取っておいたが、どうやらそれも不要のようだ。一シーズン試してみて、まだまだ減らせるという確信が持てたのだ。仕事の場にはそれなりの恰好が求められるので今は仕方がないが、現役を退いたらドッと洋服は減ることだろう。
さて、処分する服はどうするか。私とてまだまだ着れそうな服をゴミ箱行きにするのは忍びない。
都合の良いことに、私の住んでいる渋谷区には拠点回収というシステムがあって、再利用目的で洋服やバッグを回収する所があるのだ。その近所にはリサイクルショップがあって、それらを安く販売している。提供者にとってお金にはならないが、ただのゴミにしたくないという気持ちは少し慰められる。それにしても、処分する服を並べてみると同じような物ばかりで、がっかりだ。

私は洋服が大好きで沢山買っては飽きて、それを人にあげていた。主な犠牲者は妹たちだった。だが、人が不要になった物を喜んでもらうはずがないことに気が付いたのは、逆のことを人にされた時だった。上質な物、高かった物だからただ捨てられないのだろうが、いかに良い物か、私の方が似合うかを強調する相手を見て、わが身を振り返った。不思議なことにどんな人も同じように、くれようとしているその洋服の良さを強調する。だったら自分で着れば良いのにね。もったいなくて捨てられないだけなのに、決してへんな物を押し付けているんじゃないのだという言い訳を、無意識にでも伝えたいのだろう。私にも覚えがあるのでよく分かる。どうあれ、所詮、自分が着なくなった物なのだ。そんな訳で私は、ねだられた洋服以外は人にはあげないことにしたのだった。何十年も前に妹に譲ったコートを、姪が今風に可愛らしく着ていたのはとても嬉しかったけれど、そういうのは稀だろう。
大好きな洋服と辛い別れをしない為には、とにかく増やさないことだ。服を減らした分、一つ一つに愛情を注ぎ充分に着尽くせば、使い切ったという充足感も生まれるに違いない。