歌舞伎座の七月大歌舞伎と新橋演舞場の「阿弖流為(あてるい)」と、7月は2回、歌舞伎を観に行った。
「阿弖流為」は歌舞伎NEXTとかいって歌舞伎を謳っているが、戯曲は現代語の科白の物で台本、演出共に劇団☆新感線の中島かずきといのうえひでのりなので、現代劇というべきだろう。見得を切る、飛び六法を踏んで花道を去る、立ち廻りの後に足を広げてひっくり返り参ったのポーズをさせる等、随所に歌舞伎独特の演出がほどこされているが、照明、音響も現代劇のように作っていて、新感線のようにスピード感があり、笑いもあり、退屈させない。
染五郎は幸四郎によく似てきた。勘九郎も頑張っていたが、何よりも七之助のすらっとした姿の柔らかい美しさは天性の女形としての資質を感じる。会場も大変な熱気で、総立ちのカーテンコールが何度も繰り返される。そもそも伝統芸能にはカーテンコールなどないのだが…それは結構だが、その時に合わせて光るリストバンドを振るようにと、観客の腕になかば強制的に巻かせたのには参った。私も歳をとって少しは丸くなったのだろうか、文句も言わずにただ苦笑いだったが、希望者に配るぐらいにした方が良いのになあと思う。そういうのを嫌って白ける人はいるものだ。しかし、そういうことに興ざめするような人を対象にした舞台でもないか…。
さてさて、本題は歌舞伎座公演だ。今回は格別に面白くて、何日も余韻が残っていた。玉三郎を今の内に観られるだけ観ようという仲間6人と、この暑さにもめげずに出向いたのだが、会場も熱気むんむんの満員御礼、チケットは初日から千秋楽まであっという間に売り切れたらしい。私には猿之助という興味もあるが、世間的に何かと話題の海老蔵、獅童、中車も出演とあっては売切れ御免であろう。
玉三郎はまだまだ美しい。「お富与三郎」のお富の風呂上がりの艶っぽさにはため息が出る。観客も見入っている。そこへ切られ与三の名科白がかかる。「おかみさんへ、お富さんへ、いやさお富、久しぶりだなあ」。勿論、大向こうから「待ってましたっ」がかかる。しかし、海老蔵の与三は今一つ切れがない。それにつけても、数年前に観た仁左衛門の与三が忘れられない。
お富の家に与三を連れてくる、蝙蝠安のずるがしこい小物ぶりが、女物の着物をぞろりと着た獅童の演技で際立った。「南総里見八犬伝」での屋上での立ち廻りや、立ち姿の決まり具合が格好よくて、今回は仲間内でも獅童の評判が良かった。
それに比べて、中車に関しては口をつぐんで誰も何も言わない。香川照之として演技が認められているが故に、落胆の度合いが大きかったのかもしれない。現代劇でどんなに上手い俳優でも簡単にいかないのが伝統の世界だ。長い間に積み重なった約束事、様式美が一朝一夕で身に付くものではないのだ。歌舞伎の影響のせいか、テレビドラマなど現代劇での彼の演技がオーバーになってしまったという話もあるが、それこそ本末転倒というものだろう。
さあ、待ってましたっ、猿之助の登場。この日の観客の拍手は猿之助の為に鳴り響いていたように思える。六変化舞踊の早替りの度に万雷の拍手。とにかく早い。早いだけではなく、踊りの上手いこと!観ていて小気味が好い。本人も心から楽しんでやっているように見える。深紅の着物が美しい禿の愛くるしかったことったらなかった。小柄のせいか、最後の蜘蛛の精まで何だか可愛らしかった。隈取りをほどこした荒々しい姿なのにも拘わらず、何かのゆるきゃらみたいだった。これはご愛嬌。歌舞伎は出雲の阿国の頃は傾奇(かぶき)踊りと言ったという。ケレンたっぷりの猿翁一門はその本質を忘れていないのであろう。
玉三郎は、次は9月の「伽羅先代萩」だそうだ。名優による名作の名場面が今から楽しみだ。
2015年7月31日
2015年7月22日
72 第21回能楽座自主公演
8月30日に国立能楽堂で行われる「能楽座自主公演」のDM発送作業をした。1200通あるので、アルバイト二人で丸二日かかった。去年は四人にやってもらって一日で一斉に出したものだった。
今年は、金春惣右衛門師、片山幽雪師、近藤乾之助師とお三人の追悼公演である。沢山のお客様にお出で頂き、名人達を偲んで頂きたいものだ。
2015年7月15日
71 新宿御苑で打ち合わせ
石橋幸がロシアから昨日帰国した。彼女は毎朝、新宿御苑でジョギングをしていて、こんな時でも欠かさない。休むのは雨の日と休苑日の月曜日だけだ。そんな感じで10年以上は続けているだろうか。舞台人として身体を鍛え節制するのは素晴らしいことだが、誰にでも出来ることでは無い。その継続力には頭が下がるばかりだ。
お互いに新宿御苑を挟んであっちとこっちに住んでいるので、いつか突然行って彼女を驚かせてやろうと、走るコースを何気なく聞いていたりしたのだが、怠惰な私はウォーキングにさえなかなか出かけられないでいた。彼女の不在中に溜まった仕事の整理をしなければならず、ふと思い立ち今日は御苑で打ち合わせをすることにした。
今日も朝から猛暑の中を10分程歩き、千駄ヶ谷門から御苑に入った途端、すっと気温が下がるのが分かる。少し歩いただけで都会の騒音も消え、そこが東京の新宿であることを忘れさせてくれるような深閑とした緑だ。ところが、歩いていると時々西口の高層ビル群が見え隠れして、ニューヨークのセントラルパークと見まがうばかりである。NTTドコモタワーがエンパイヤステートビルみたいだ。都会の公園らしいそんな一面もある。それにしても広大で自然樹が多くて素晴らしい公園だ。
石橋との待ち合わせ場所の新宿門の休憩所まで半周、帰りは残りを半周して、今日は外周を一周したことになる。縦、斜めの路も歩いてみたい。平日のせいか、人もあまり多くなくて実に贅沢だった。せっかくこんな近くにあるのだから、もっと来なくてはと思う。歩く!という課題もそのままだし…
お互いに新宿御苑を挟んであっちとこっちに住んでいるので、いつか突然行って彼女を驚かせてやろうと、走るコースを何気なく聞いていたりしたのだが、怠惰な私はウォーキングにさえなかなか出かけられないでいた。彼女の不在中に溜まった仕事の整理をしなければならず、ふと思い立ち今日は御苑で打ち合わせをすることにした。
今日も朝から猛暑の中を10分程歩き、千駄ヶ谷門から御苑に入った途端、すっと気温が下がるのが分かる。少し歩いただけで都会の騒音も消え、そこが東京の新宿であることを忘れさせてくれるような深閑とした緑だ。ところが、歩いていると時々西口の高層ビル群が見え隠れして、ニューヨークのセントラルパークと見まがうばかりである。NTTドコモタワーがエンパイヤステートビルみたいだ。都会の公園らしいそんな一面もある。それにしても広大で自然樹が多くて素晴らしい公園だ。
石橋との待ち合わせ場所の新宿門の休憩所まで半周、帰りは残りを半周して、今日は外周を一周したことになる。縦、斜めの路も歩いてみたい。平日のせいか、人もあまり多くなくて実に贅沢だった。せっかくこんな近くにあるのだから、もっと来なくてはと思う。歩く!という課題もそのままだし…
2015年7月6日
70 コスタリカの亡命ロシア人
ロシアのアウトカーストの唄を歌う石橋幸に会いたい、是非コスタリカに来て歌って欲しいと、コスタリカの亡命ロシア人が言ってきている。と、コーディネーターのエレーナからの言付けがあり、近々来日するとも。折悪しくロシアに行って日本を留守にしている石橋から、代理に私が話を聞くように頼まれていた。勿論、私はロシア語などしゃべれない。敬語も正しく使えるくらい日本語ペラペラのエレーナが間を取ってくれる。コスタリカから来日したロシア人夫婦は昨日、日本に着いたばかりで、私は夕方まで仕事で会えないし、エレーナは今夜の深夜発の便でモスクワに発つという合間に会うことになった。そもそもの主要人物である石橋はロシアだ。人が聞いたら、どんな国際派で忙しい人たちなんだ!なんて思うくらい不思議な出会いの時間だった。
全員が初対面。だが、待ち合わせ場所の寿司屋(築地!)に入った途端にすぐに分かった。エレーナは絵に描いたようなぽっちゃりロシア女、コスタリカ組もある種のロシア人の典型的な顔だ。ご主人のセルゲイ(なんとベタな名前!)はタルコフスキーに似ている。奥さんはオルガという名前だ。太郎と洋子というような感じかな。
よくよく聞くと、彼らは亡命者ではなかった。ペレストロイカの行先が見えない不安で業を煮やしていた頃には「亡命」が頭をかすめていたが、結局は正当に出国しているのだった。二人とも医者のインテリ夫婦だ。「コスタリカの亡命ロシア人」の表題を変えなかったのは、これがまるで小説か映画のタイトルみたいで、言葉の響きと共にちょっと気に入ったから…
実は、コスタリカと聞いた時に、石橋と「行きたいね!」という話になった。コスタリカは戦争を放棄して豊かになった国だ。対照的に隣国のドミニカ共和国などはいまだに戦争の恐怖と貧困にあえいでいる。コスタリカは、戦争がもたらすものは悲惨と空虚でしかないことを、戦争を放棄することによって改めて知らしめてくれたのだ。太平洋にも大西洋にも面していて、海も山も自然が大変豊かだという。反共の国ではあるが、共産主義の洗礼を受けているロシア人にもなじみやすい文化と人情があるのだそうだ。
行きたい国が一つ増えた。勿論、トランクひとつになって出かけるのだ。
全員が初対面。だが、待ち合わせ場所の寿司屋(築地!)に入った途端にすぐに分かった。エレーナは絵に描いたようなぽっちゃりロシア女、コスタリカ組もある種のロシア人の典型的な顔だ。ご主人のセルゲイ(なんとベタな名前!)はタルコフスキーに似ている。奥さんはオルガという名前だ。太郎と洋子というような感じかな。
よくよく聞くと、彼らは亡命者ではなかった。ペレストロイカの行先が見えない不安で業を煮やしていた頃には「亡命」が頭をかすめていたが、結局は正当に出国しているのだった。二人とも医者のインテリ夫婦だ。「コスタリカの亡命ロシア人」の表題を変えなかったのは、これがまるで小説か映画のタイトルみたいで、言葉の響きと共にちょっと気に入ったから…
実は、コスタリカと聞いた時に、石橋と「行きたいね!」という話になった。コスタリカは戦争を放棄して豊かになった国だ。対照的に隣国のドミニカ共和国などはいまだに戦争の恐怖と貧困にあえいでいる。コスタリカは、戦争がもたらすものは悲惨と空虚でしかないことを、戦争を放棄することによって改めて知らしめてくれたのだ。太平洋にも大西洋にも面していて、海も山も自然が大変豊かだという。反共の国ではあるが、共産主義の洗礼を受けているロシア人にもなじみやすい文化と人情があるのだそうだ。
行きたい国が一つ増えた。勿論、トランクひとつになって出かけるのだ。
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