通夜に参列したが、その死を悼む人で会場は溢れていた。能楽界の方も沢山みえていたが、列の前後の方々の会話から察するにご近所の方、一般の方も沢山集まっていた。乾之助先生のあたたかで気さくなお人柄であろう。
行きがかり上引き受けざるを得なくて能に関わっていた私が、能をもっと深く知りたいと思ったのは乾之助先生の舞台を拝見したのがきっかけであった。私と同様の人を何人も知っているが、そのくらい人を惹きつけてやまない舞台の数々だった。何よりも姿の美しさ、品の良さがあった。忘れられない舞台がいくつもある。
「鞍馬天狗」前場での牛若とのやり取りに男色的なひそかな色っぽさを漂わせ、ラストでは大天狗の大きさ、スピード感を見せて下さり、その対比には驚かされた。橋掛かりを軽やかに走り去る小柄な乾之助先生がとても大きく見え、もの凄い速さで(大天狗のスピードは飛行機と同じくらいと言われる)疾走していたのだ!
「鷺」のお姿も目に焼き付いている。「鷺」を演じるのは子どもか老人と言われるが、直面で橋掛かりにすっと立たれた姿は鷺そのもので、そこに居るのは一羽の白い鳥でしかなかった。
「盛久」は特筆すべきだろう。乾之助先生の「盛久」を観て、人生観が変わったと言う人を知っているが、そのくらいこれも乾之助先生らしい曲目と言える。この曲のテーマは「熱心な信仰心が命を救う」というものだが、これも直面の能で、元々のきりりとしたお顔立ちもあり、無心に祈る姿の崇高さが舞台の上の凛とした姿から伝わってくる。「盛久」は私は観客としても拝見しているが、何年か前に富山県高岡市での仕事でご一緒させて頂いたこともあった。
信仰心で救われると言えば、乾之助先生の「江口」の謡がお経より有難く、涙がこぼれたことがある。私が所属している伝統芸術振興会の前会長の南部峯希の偲ぶ会でのことだ。仮の宿であるこの世に心を留めるな、という「思へば仮の宿~」の詞章がしみじみと胸にしみる。乾之助先生のことが大好きだった南部にもきっと届いたに違いない。
鎮魂の芸能とも言われる能に長い間関わってこられた乾之助先生である。ご本人の魂が救われないはずは無いだろう。心からご冥福をお祈りしたい。