だが、この七回忌の日は晴れ渡り、青く深く冴え冴えとした冬の空がどこまでも続いていた。施主である弟は「きっと成仏したに違いない」というような意味のことを挨拶で述べた。そうかもしれないとも思うが、父はとっくに成仏しているとも思う。好きなように生きた人である。この世に未練は無く、持ち前の好奇心で新しい世界を楽しんでいるに違いない。
父は、満州、シベリア生活を体験。戦後の復興期を生き、父の世代の多くの人がそうであったように、それなりに苦労のあった人生だったと思う。しかし、生涯現役で通し、家族にも人にも頼りにされ、病気を得てからも長患いせずに、自宅で家族に見守られて静かに旅立った父の晩年は幸福だったと思う。
主治医とも相談し最後は自宅でとターミナルケアの道を選んだのだが、長年住み慣れた家は本人が一番安心できるところであり、誰かが必ず見守り父を片時も一人にすることが無く過ごした濃密な時間だった。幼い時のように、添い寝もした。
親を亡くすとはどういうことなのかと考え、友人達と話し合ったこともある。
「親との別れは過去を失うことだ。親だけが知っている『私誕生の安堵・喜び・成長の軌跡』などなど、持っていってしまうのだ。」というある友人の言葉に心から共感した。
自分の記憶には無い、幼い日の無垢な喜び。それを語れるのは親だけなのだと。
