2020年11月23日

267 〇

 マル。
二三日前の定期検診の結果は上々だった。元々、血液検査の結果はとても良い。コルステロールと中性脂肪の数値がちょっとだけ高いが、主治医に「悪くなれば薬を出すよ!」と脅かされて、結構気を付けているのだ。こういう適度な脅し(先生、ごめんなさい!)は結果的には有り難い。そんな訳で、病状も悪化せずP病の一日一錠の薬で済んでいるのは御の字だ。


2020年11月12日

266 公演も無事に終了

能楽座の自主公演も無事に終わった。このコロナ禍での公演はどの団体も苦労している。劇場でのクラスター発生も何件かあった。無事に終わったものの、今後一ヶ月の間に感染者が出なかったという結果を見てやっと終了だ。当日売りで入った方のお名前と電話番号を聞き、チェックシートの束に加える。事務局からお買い上げのお客様は連絡が取れる。出演者は楽屋口で体温を測り消毒して、やはりチェックシートに加える。玄関も楽屋口も入口を一つに絞り、鼠一匹も逃さないという体である。今後このチェックシートが役に立たないことを祈るばかりだ。国立能楽堂もスタッフの数を増やして臨んでいる。受付はロビーの奥に設置、アクリル板越しの対応でお互いマスクも付けているので、聞こえ難くて何度も聞き直し。「疲れました~」とはスタッフの弁。
入場者数は250名。この状況の中でよく入ったと言ってくれる人もいるが、キャパの半分以下とは寂しい。開演直前にモニターで客席を確認するが、スカスカの客席が寒々しい。でも、休演の憂き目も見ず、公演が出来てお客様も足を運んでくれたのには感謝の念ばかりだ。
これだけ対策をしているのだから感染者が出ずに、一ヶ月後には心から清々したいものだ。








2020年11月1日

265 幕末の蕎麦猪口

 他人が使った古い物はあまり好きでは無く、古本、古着、骨董には興味が無かった。特に雑器類は、実家の古い家の物置に積み上げられていていつでも手に入るし、見飽きていた。
ところが、何てことがない古いキズ入りの蕎麦猪口を買ってしまった。書家で詩人の山本萠さんの個展会場の片隅にそっと置かれた幾つかの猪口と小皿。萠さんもそろそろ終い支度を考えているらしく、少しずつ少しずつ大事に集めていた骨董の陶器などを個展の際に、最近はお客様に安価に譲っていたのだ。その一つにふと惹かれ、時代を聞くと「幕末」とのこと。つい最近読んだ本に、江戸時代から明治期に江戸に訪れた海外の人達が日本人をどう評してたか書かれていて、そのイメージとこの蕎麦猪口が直結してしまったのだ。

・日本人ほど愉快になりやすい人種はあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子どものように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである。
・この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。
・日本は貧しい。しかし、高貴だ。世界でどうしても生き残ってほしい民族をあげるとしたら、それは日本人だ。(何とこれは、ポール・クロデールの言!)等々。

その頃の日本は、とても貧しかった時代だ。にもかかわらず、日本人はいつも笑いこけていて、日本人ほど愉快になりやすい人種はいないと、海外の人は口々に評しているのだ。落語の世界を見れば分かる。全くその通りじゃないか。
歌舞伎の魚屋宗五郎も泥酔しながら、お上に対する恨みつらみをぶつけるが、その科白の後半は庶民の暮らしの楽しさを訴え、笑って楽しく暮らしたことを大笑いする。ハハハハハハ、ハハハハハハ、ハハハハハハ、ワハハハハハハ、ああ面白かったね。と、名場面がある。
そんな陽気な江戸時代の日本人が何人この蕎麦猪口を手に取っただろうか。今に至る150年という歳月では大変な数になる。そういう時間や人に思いを馳せることが、骨董ならではの楽しみなのだろうと改めて思う。
そしてつくづく思うに、私自身、この自分のオプティミストぶりは、確実にこの陽気な日本人のDNAの賜物に違いない。ドーパミンを沢山出せる資質があるのだから、これからは江戸人のように毎日笑って暮らすのだ。