2017年12月31日

163 前に進むしかない / 喜怒哀楽2017年

喜怒哀楽の感情は万遍なく使った方が良い、と聞いたことがある。感情豊かに生きよということか。それでも、怒や哀のネガティヴな気持ちに襲われた時は必死で振り払ってきたものだ。確かに「怒」の感情からは改革や進歩が生まれ、「哀」に襲われて泣き疲れた後にはカタルシスに救われる、という経験は誰にでもあり、効用も認められるところではあるが…
今年も様々な感情に支配されて右往左往したものだと思う。その中で思い出される喜怒哀楽を挙げてみよう。
「喜」は、まあまああっただろうか、一年笑って過ごした方だろう。
新しい生命の誕生はとにかく喜ばしく目出度い。夏に又甥(姪の子)が産まれ、プクプクぽっちゃり、元気な子で何よりだ。その名も「輝」、ひかると読ませる。この子が笑って過ごせるような、それこそ輝ける未来でありますように、と祈る。
「怒」に関しては、今年は何だか一年中「暑い!」と騒いでいたようね気がする。このブログにも何度も書いていた。自然のことをそんなに怒ったって仕方ないだろう、と笑う友人がいる。「暑い暑いっ」てコーネンキじゃねえのか、と呆れる友人もいる。私が怒っているのは目の前の暑さの不快さばかりではない。異常な暑さの先に透けて見える経済というモンスターにやられっ放しの政治姿勢や企業姿勢なのだ。
「哀」はついこの間亡くなられた観世元伯先生のことに尽きる。事務局のスタッフも私も気落ちがひどく、それが誘発したのか重い風邪をひく者が出たり(私も)、肋骨を折る者がいたりで、事務局は壊滅状態だった。そこへ若手小鼓奏者のIさんが所要で現れ、泣き言を言う私や落ち込んでいるスタッフに、そして誰ともなく言い聞かせるようにこうおっしゃった。
「能楽界は、大泣きしたんです。だからこれからは前を向いて進むしかないんです。元伯先生だったらきっとそうしたはずなんですから…」
そう、いつまでも嘆いてばかりでは、元伯先生ご自身が悲しむだろう。
今年も喪服を着るような機会が何度かあった。「死者はいつでも私達を見守っている」と実感することも最近は多くなった。だから、前に進むしかないのだ。
「楽」は何といっても初めての沖縄旅行だ。しかも初沖縄でいきなり竹富島というディープさである。以前から友人のSから竹富島の「種取祭」の魅力を教えられており、興味はあったものの日程がなかなか合わずに今までは諦めていたが、ついにその時が来た。百聞は一見に如かず、本当に見ごたえがある祭りであった。豊作への祈りが芸能になり、収穫、奉納という流れが能楽の源流としてあるのがよく分かる。伝統芸能に関わる者は一度訪ねてみるのも良いだろう。噂のミルク様にも近くご対面できた。夜に入ると島の家々を回って夜通し行われるユークイ(世乞い)の儀式があり、ニンニク蛸とお神酒を振る舞ってもらい我々は2軒程付いて回って、種取祭の神髄とも言われる儀式をかいま見た。掛け合いで歌うユークイ唄も素晴らしい。沖縄の人が芸能に秀でているのは、こういった原点にあるのではないかと思う。旅行ライターとして何度も何日も沖縄に滞在し、その芸能にも惹かれて沖縄の踊りを習っているSならではの案内であったので、充実した旅であった。
石垣島の南端から海を望むと東側は東シナ海だという。海の色といい樹木といい家並みなど、見慣れた日常と異なり遠くへ来たものだと思う。この感情は、旅の趣をより強くする。もっと旅をして新しい空気を自分の中に入れようと思う。






2017年12月26日

162  〇


と言うべきだろう。後5日で無事に今年も終わるのだから。
実のところ、ひどい喉風邪をひいてしまって、ゴホゴホゴホゴホ…身体もやせ細りそう。いっそ細ってでもくれれば良いのだけど、そう都合よくはいかない。苦しいだけ。ゲホゲホゲホ…止まらない。
後5日で治して気持ち良く新年を迎えたいものだ。

2017年12月16日

161 〇


師走も今日から後半戦!
毎年この頃に襲われる焦燥感が無くなるのはいつのことだろう?!

2017年12月6日

160 さようなら元伯先生

能楽太鼓方観世流の観世元伯師が亡くなり、昨日は通夜に列席した。
お清めの日本酒をいただいたこともあり、泣き顔を明るい照明の下にさらしたくもなく、青山から自宅まで小一時間程、寒空を歩きながら元伯先生を偲ぶ。
思えば51歳という若さであった。技量にも優れ信頼できる人柄で、これからの能楽界を中心になって引っ張っていくはずの存在でもあった。本当に残念だ。親族席には奥様、年若い二人のお嬢様、年配のご両親が並んでいらっしゃる。逆縁の辛さ、如何ばかりであろう。
伝統の家に生まれた人の中には若い頃に寄り道をしたり、よそ見をする人は少なくないが、元伯先生の場合はそういうこともなく、能の世界が好きで真っ直ぐに歩いて来られたようだ。それでいて能楽の狭い世界に留まらず、社会的な目を持って世の中を観ていて博識だったので話も豊富だった。
能楽の囃子方はひな祭りの五人囃子に例えて説明されることがあるが、元伯先生のお顔を「お雛様のよう」とは、スタッフがよく言っていたが、お公家さん顔のスッとしたお顔で冗談を言うお茶目な所もあった。気取った所はなく、本当のお坊っちゃんとはこういう人なのだろうなと思わせた。
公演終了後、「もう終ったから早く迎えに来てもらうようにノロシを上げなくっちゃ」ととぼけた言い訳をしながら喫煙所に向かって行ったが、「ノロシを上げ過ぎるとテキに見つかってエライ目に会いますよ!」と言う私に、煙草の入ったポケットを、大丈夫!と言わんばかりにポンポンと叩いていらしたが、食道癌というテキには勝てなかった。
心から感謝を捧げ、ご冥福を祈ります。