2017年5月26日

141 私のふるさと自慢 / 初めてのラジオ投稿

アコーディオニストの後藤ミホコさんから、彼女がパーソナリティを務めるラジオ番組「情熱タイム」への投稿を誘われて初めて投稿というものをしてみた。
2才の又姪が私に付けたニックネーム(口が回らないのでおばちゃんと呼べなかっただけだけど)を、そのままラジオネームに使ってみた。
後藤さんとユニットを組んでいるヴァイオリニストの天野紀子さんと、二人合わせて127才の熟女パーソナリティの番組は、却って初々しく新鮮だ。毎週月曜日21時~1時間。私の投稿が読まれる(はず)のは、来週29日。スマホ、PCで聴ける。時間があったら聴いてみて下さい。

http://palau-links.com/palau-new/radio-2-8-ten.html

投稿内容は、以下の通り。

私のふるさと自慢                     ラジオネーム おっぱあ 

私のふるさと長野県は長寿日本一です。日本は世界一の長寿国ともあり、長野は世界一の長寿を誇る訳です。長野の中でも私の生まれ育った佐久は長野の中で更に一位ということで、私の母や叔母達、叔父達、近所のおばあさん、おじいさんはその代表格ともいえるでしょう。確かに大変元気です。うるさいくらい元気。昔から信州人は理屈っぽいと言われてきましたが、お茶を何杯も飲んで、結構硬い話も口角泡を飛ばして議論します。お茶も身体に良いんですよね。議論は脳も活性化するし…
何故、長野県、特に佐久が長寿なのか、色々な検証がされています。医療の見地からは,
功労者として佐久総合病院の院長を長年勤められた故若月俊一先生がよく挙げられますが、予防医学の考え方を広めた素晴らしい方で、訪問医療のシステムも推進しました。医師、看護師達のフォローも見事で、私の父も叔父も自宅で最期を迎えました。長年住み慣れた家は本人にとっても安心する場所で、常に家族が一緒ということでどんなにか心強かったでしょう。これは、訪問医療のシステムが余程しっかり整ってないと実現は難しいと思います。
そういった考えがベースになって、食生活の改善など健康指導も熱心に行われ、元々理屈っぽくて勉強家の信州人としては学習したんですね。意欲や好奇心で脳は若返りするとも言いますよね。
こういった努力の結果のものとは別に、高地で気圧が低い、年間の日照時間が多い、寒暖差の激しい所で採れた野菜や果物の栄養価は高い、等の立地条件が揃っているという説があります。もうこれは、佐久に住むしかないということでしょうか()
今まではあまり考えることもなかったけれど、老後はふるさとで生活することも視野に入れることになりそうです。「帰りたくなるふるさと」これは自慢の種かもしれません。





2017年5月17日

140 〇

だけど、ヘロヘロ。
ちなみに、オノマトペ辞書によると、
へろへろ
気力体力ともに消耗しきって弱々しい様子。[類]へとへと
[例文]渡り鳥もへろへろ。ここはそんなに遠い街。

2017年5月6日

139  初めての浜松

浜松は今まで何十遍と通過しながら、下車したことはなかったが、今春引っ越していった可愛い又姪のサツキちゃんに会う為に出かけてみた。新幹線のひかりで1時間ちょっと、気軽に日帰り出来る距離だ。東京は快晴で、こういう時は富士山がどう見えるか楽しみにしながら出発する。だが、どんなに晴れていてもはっきり見えるとは限らないのが富士山。今回も残念ながら「頭を雲の上に出し」状態の富士山だった。全貌が見えるのは余程の幸運だ。
さて、そうこうする内にあっという間に浜松到着。姪一家が出迎えてくれた。2ヶ月会わなかった内に2歳児サツキのボキャブラリーは驚くほど増えて、たどたどしくもオシャマな口をきいて私を喜ばせる。
初浜松での私の要望、「昼にウナギでビール一杯」「夜に餃子でビール!」に合わせて見繕ってくれた店で舌鼓を打つ。浜松の料理は関東風だが、ウナギに関しては珍しく関西風の物もあるということでそちらを選んでくれていたが、蒸していないので、こくがあり皮も香ばしくてとても美味しかった。ウナギそのものが良い物だから出来るワザだろう。
姪達若夫婦の新居を見させてもらって、又姪と戯れ(それが目的なので)ゆっくりする。東京のマンションと違い、かなりゆったりしたスペースのワンフロアーから、浜松城の天守閣が見える。折しも今年の大河ドラマで話題の若かりし頃の家康の居城であることから「出世城」の別名も持つらしい。そもそも彼らのマンションは家臣鳥居何某の屋敷跡に建っているようだが、歴女でもない私は知る由もない。城址が公園になっており、散歩がてら行ったものの、連休と相まって大河ファンで大変な混雑であった。
またこの日は浜松祭りの日でもあり、夕方から屋台が50台も出て町を練り歩くというので、見物するのも楽しみの一つだったが、屋台という呼名から想像し難い程の立派な山車に何人もの囃子方が乗り、何十人もの人が曳き回す堂々たるお練りであった。どこにでもある「ピーヒャラチャンチキドンドン」の笛、太鼓の囃子にラッパの音が重なるのは浜松だけらしいが、不思議な郷愁があった。
勿論、餃子も忘れてはいない。今や浜松は消費量が日本一だということで、どこの店も長い行列だ。野菜たっぷりが浜松の特徴だそうで、2歳児サツキもむしゃむしゃと食すくらい食べ易い。つまみというよりも食事という感じで、ビールもほどほどに…
次は7月に、姪の第二子出産のお祝いに行くことになろうが、今まで行ったこともなかった浜松が、縁あってこれからは近しい町になりそうだ。