2016年11月27日

123 観劇マナー

月に10本くらい舞台を観ることはあるが、1週間に5本というのはちょっと過密かもしれない。
能2本「烏帽子折」「道成寺」、歌舞伎「忠臣蔵」、演劇「天使も噓をつく」「零れる果実」の5本を今週は観た。それぞれに素晴らしく、そういう意味でも密度の濃い1週間だった。
だが、マナーが悪いというか、変わった人達をこれほど見かけたことがない1週間でもあった。

「烏帽子折」は子方の集大成とも言われる能だが主役の義経を演じる長山凛三君がその名の通り、凛々しく美しい。国立能楽堂の脇正面2列目で職場のスタッフと2人で鑑賞する。普段はあまりこんなに前方では観ないが、席はその時の運と出会いなので近くから観ることを楽しむことにした。ところが、私達の丁度前の席の老年夫婦のご主人らしき人がキョロキョロと客席を見回し、頭を動かすので視界に入って落ち着かない。奥さんらしき女性は着物のせいにしろかなり前のめりで、しかも時々こっくりこっくりとうたた寝して頭を動かす。こういう人は何も一番前で観なくても良いのになあと思うが、休憩の時に「あれは病気に違いない」(チックとか、前を向いていられない症状)とスタッフと結論に達して、そう考えると気の毒でもあり、気分を変えて舞台に集中した。凛三君の10歳というこの年齢の美しさは今しか観られないのだ。
「道成寺」のシテは観世喜正師。芸は元より人柄も含めてこれからの能楽界を背負って立つ方だと私は信じている。社会性もあり、従来の能ファンだけではない一般のお客様も呼ぶことが出来る方なので、この日も国立能楽堂は満員御礼であった。能楽堂ではちょっと前までは謡本を見ながら観劇をしている人をよく見かけたものだが、最近はそういう人は少なくなり、まして喜正師の公演では見かけなかったものだが、何と隣と前に居た! 隣の男性はずっと謡本に目を落としている。舞台を観て!と心の中で叫ぶ。何てもったいないことだろう。前の席の中学生くらいの女の子は席にズルッともたれて謡本を顔の前に掲げている。時々振り向き、後ろの席で私の隣席の祖母らしき女性に内容を聞いている。演能中である! おまけに、ささやき声の発声が出来ないので、丸聞こえで邪魔で仕方ない。その祖母たるや一度もきちんと座りもせず、その孫娘らしき子の席の背もたれに肘を乗せてちょっかいを出している。その女の子の隣の席の二人は時々祖母の方を振り返りながら抗議の視線を送っていたが、老女は知らんぷりであった。こんな調子では堪らないので、見所の乱拍子が始まる前に注意しようと思っていたら、さすがに芸の力は凄い。迫力ある乱拍子に客席が水を打ったようにシーンとなっている時は件の二人も舞台に集中していた。そのうち謡本に目を落とそうとした孫娘に「そろそろ鐘入りだよ、しっかり観なさい」とオババがのたまう。教えているつもりか?!やれやれ…
女の子はきっと祖母の勧めで謡の稽古を始めたのだろう。それ自体は結構なことではあるが、その前に教えることがあるのではありませんか!と言いたくなるような一件であった。

「忠臣蔵」を観に行った国立劇場でもやれやれだった。まず隣席の女性がずっとプログラムを読んでいて舞台を観ない。菊五郎が勘平の名科白をはく名場面も、菊之助のお軽の美しい所作事もほとんど観ない。他人の事ながら何しに来たんだ!?と残念だ。今回は「とちり席」の花道寄りが取れていて、特等席なので料金だってお高いのだ。もったいないことだ。
その女性の前の席の人も笑える。ささやき声が出来なくて、隣の友人らしき人に大声で喋りかける。松緑に大向うから「紀尾井町!」声がかかると「今でも紀尾井町に住んでいるのかね?」とか、そんな調子である。ただ、この女性はお昼休みの後は、ほとんど眠っていたので、後は静かだった。その隣の女性がまた凄い。静かな場面で皆が集中しているところに何かを捜し始めたのか、レジ袋の音をガサゴソし始めた。これが結構響くのだ。周りの人は皆イラっとしたはずで、振り向く人もいる。すぐ止めるだろうと我慢していたが、ガサガサガサガサ、ゴソゴソゴソゴソ、…と永遠に続くかと思うほどだ。さすがに、彼女の前の席の人が「ウルサイですよ!」と注意してくれた。

能や歌舞伎はオバサンが多いので、こういった事もままあるが、社会派を標榜し演劇好きの人が集まる劇団燐光群の公演にはまさかそんな人はいないだろうと出かけた「天使も嘘をつく」だったが、来ました!隣に。歳は20代中頃か、長い黒髪の背の高い女性だ。この女性が開演前から落ち着かない。足を何度も組み換え、その度に床に足をドンと下す。会場の座高円寺の客席は可動式なので動きによっては結構揺れる。暗いし照明機具も沢山ぶら下がっており、劇場は地震に出会いたくない場所の一つである。だから、貧乏ゆすりをする人が隣に座ったりすると最悪だ。隣の彼女がドンドンと足を下す度に席が揺れてやな感じだ。開演してからも同じようにする。おまけに長い髪を手ぐしで何度もすくい頭を前後左右に揺らす。とにかく落ち着かない。さらに膝の上にノートを置き、時々何やら書いている。書くより観ろよ!あまり身体を動かすので後ろの人も邪魔だったらしく、時々小さな咳払いして注意していたが、聞く耳を持たない彼女だった。これも多動性の病気に違いないと思って途中から諦めたが、心落ち着かせて観劇出来ないのは残念である。
まあ、世の中には色々な人がいるので、こういった場合は早々に諦めて、舞台に没入するに限る。
今週観た物は、集中に価する物ばかりだったので、それは幸福なことであった。










2016年11月17日

122 タオル整理 / 目からウロコのタオル術

もらって困る物にタオルがある。気に入った物ならともかくも、使う気にもならない物がどんどん増えてしまう。消耗品でもあるタオルは、贈りやすい物の一つなのだろう。通販のおまけに付いてきたりもする。台拭きでも雑巾にでも使えば良いのではないかというが、雑巾ばかりそうも要らない。増えてしまったタオルは前回の引越しの折に犬の救援センターに寄付をして使ってもらったが、今回の整理でまた、余備の物をいれるプラスチックケースがいっぱいになってしまった。
今回は、念願だった「タオルはフェイスタオルだけにする」という目的を果たした。バスタオルは使わないのだ。これは数年前に職場のスタッフが母親の教えだと言って話してくれたのがきっかけだった。大きくて使い難いバスタオルを使うよりフェイスタオルを2枚使った方が合理的であることを教えてくれたのだ。目からウロコであった。私たちの世代は特に西洋的な生活の憧れの物の一つとして「バスタオル幻想」があると思うが、元はと言えば「手拭い一本」で済ませていたのが日本人ではないのか。ちょっと前までは温泉旅館に泊まると手拭い(薄いタオル)一本が用意されているだけだった。温泉の脱衣所に風情が無くなったのは、バスタオルのせいではないかと思うくらいだ。
バスタオルよりフェイスタオルをという提唱は、日本的発想だと思いきや、ドイツのカリスマ主婦と言われる女性も同じことを勧めているのをその後知り、合理性は洋の東西を問わないのだと感心したものだった。
手拭いはすぐ乾くし場所も取らない便利な物だが、柔らかなタオルに顔をうずめる幸福感も捨てがたく、私は気に入りのタオルを少しだけ手元に残すことにした。今一番の気に入りはオーガニックコットンの「天衣無縫」だ。軽くて肌触りが素晴らしく、吸水性も良い。超長綿という特別の品種が原料で製造過程もオーガニックにこだわった物だから安心でもある。大量生産が出来ないので、販売店に行っても品切れのこともある。先日ついでがあった折に売り場を覗くとたまたまあったので、2枚購入して新調した。他に残す物としては、良い物をよく知っている人からの贈物である今治タオルの「エコモコタオル」など、どれも使い心地が良くオーガニックの物ばかりをチョイスして計10枚。これだと丁度、整理タンスの引き出し一杯に収まる。

タオル術でもう一つ感心したことに、「首にタオルを巻いて寝る」ということがある。御年93歳で歌舞伎ワークショップを主催している塩崎浩先生が推奨していて、奥様と共にこれを実行して以来20年間は風邪一つひいたことはないそうで、実際かくしゃくとして大変お元気だ。真似をして始めたものの、タオルでは何となくおしゃれじゃないような気がして(寝姿など見せる人は誰もいないのだけど)、スカーフにしたり、ネックウォーマーなる物を試したりしたが、いずれもグズグズと丸まってしまい肌が露出した所がスースーして寒い。結局、タオルが一番適していることにも気がついたのであった。






















2016年11月8日

121 〇


この数年この時期、毎年恒例になった出雲参りに明日の早朝から出かける。旧暦神無月の今月は出雲では神在月で、八百万の神が出雲に参集すると言う。明日9日は神々が集まり始める日だそうで、今年は特別な年でもあるらしい。先導者が同行してくれるので、従っていれば間違いがない。