2016年5月30日

105 オバマ大統領広島訪問 / ある老人の感慨

オバマ大統領の広島訪問は歓迎一色で、演説は一大叙事詩とまで絶賛された。確かに称賛に価することに違いないとは思うのだが、私は多少の違和感を持った。歓迎ムードに押されて、核に対する恐怖感が薄れてしまっていたように思うのだ。この訪問で一件落着とされてしまう恐れはないのだろうか。日米同盟の強化に役立った、中国を牽制できるなど、メディアの論評も気になっていた。
そこへ、旧知のHさんからメールが来た。彼は今、咽頭癌を患い闘病生活を送っている。
Hさんのお父様は「マッカサーが探した男」として、本やドキュメンタリーの素材にもなった人で、ハーバード大学出の日系2世のエリートだ。戦争が無かったら、Hさんも日系3世のアメリカ人として日本で暮らすこともなく、私たちと出会うことも無かったに違いない。日米関係にはずっと複雑な思いもあったことだろう。
日頃、社会批判をしシニカルな物言いをするHさんだが、今回のことに対してこんな風に言ってきた。

久しぶりに素直に響きます。
大統領の人柄とスピーチも心に響きます。被爆者には深い謝罪を求める気持ちはあるだろうが、歴史的にも政治的にも現状ではここ迄でしょう。それでも、世界史的価値あるメッセージには違いない。
実は、私の本籍地は広島市本町、爆心地の近くです。投下の一週間前に、母に連れられて実家(ハワイ移民以前)を訪ねる予定だった、と聞かされていました。6才でしたが、疎開先で何人もの被爆者に会っています。
戦後史の中で、長崎・広島は象徴的な意味を持っています。現実的な課題は沖縄でした。今回の広島訪問は、「核軍縮」と「核なき時代」を現実の課題に再浮上してくれました。内政に行き詰まり、外交に悩む疲れきった大統領の姿に同情しつつも、深い感謝の念を覚えます。
過去を知る、七十過ぎた無力な老人にも、何がしか未来への希望を与えてくれた出来事でした。
私の戦後史もこれで決着します。七十年は長かったが、いい終幕でした。

実体験からの素直な言葉は、私にも素直に届いた。
Hさん、長きにわたって待っていたこの瞬間を、お元気で見届けることが出来て良かったですね!この先を見る為にも長生きしなければいけませんね!
70年という年月をかけ、やっとここまで来たのだ。一件落着では無く、希望への一歩として捉えて、このことを素直に受け止めたいと思い直したのだった。



2016年5月20日

104 〇


明日は「子どものための日本文化教室」今期2回目。
今期は珍しく母親と離れられなくて泣いてしまった子どもが2人いた。2回目の今回が勝負。果たして明日はどうなることやら…

2016年5月10日

103 トランクへ入れる物-その10 / 靴下

連休は休みのような休みでは無いような日々だったが、合間に近頃滞りがちだった片付けの続きをする。
今回は靴下を徹底的に整理しようと、例によってある物全てを放り出してみる。88足あった。比較する対象が無いので、多いのか少ないのか判らないが、少なくとも母よりは少ない。靴下は比較的安価だし消耗品に近いので、手軽に贈れる物の一つとして贈ったり贈られたりすることも多いのではないだろうか。私にも覚えがあり、母も例外では無く溢れるように靴下があって、妹と片付けをした時に、せめて引出し一杯に入るぐらいにしようと大分処分したものだった。
私も同じように引出し一杯くらいにはしたいものだが、私には自分で決めた3の倍数原則がある。それに沿うと夏物9足、3シーズン物9足、予備が各3足で合計24足になる。
最近の自分のファッションアイテムを考えると、靴はフォーマル用に低いパンプスを1足残しただけなので、パンティストッキングの出番は少ない。新品の物が6足あったので、これだけ残せば充分だ。後の古い物は全て処分する。
今、もっぱら愛用しているのが、ギロファの着圧式ハイソックスだ。夏用に薄い生地のものもあるが、やはりハイソックスは暑いのでこれは予備用に3足として、後の9足は短めの物を残す。日本文化に関わる仕事をしているので、和室に入る時の白ソックスも必要だが、これも3足で充分だろう。残す物は全て合わせて33足だ。勿論、まだ新しくて残す基準に入る物は、予備として残す。15足あった。今回は丁度半分を処分することになった。
自宅で履こうと持ち帰った温泉旅館の足袋ソックスも、家では履かないということも分かった。結局は捨てるのだから、これからはむやみに持ち帰らないことだ。足首のきつい物も不要、踵がぴったりしない物も不快だ。これらにはバイバイする。
靴下のみならず全ての物に共通することだが、身に着けて心地が良い物だけを選り分けて、徹底的に使うことが物に対する愛情だとも思うのだ。捨てないことが愛情なのでは無い。