2014年2月23日

9 〇

ただ今引越し中。自宅も事務所も月島から千駄ヶ谷へ。

2014年2月16日

8 〇

20年ぶりに大風邪をひいた。
先週の大雪の日に寒い駅構内で立ちつくしたまま、催しの中止の連絡を参加者と関係者にしていて、身体の芯から冷えてしまったのがいけなかったようだ。
いつものようにプロポリスを舐めミネストローネスープを飲んでみたが、遅かりし、二日間寝込むはめになってしまった。一日は祝日なので助かったが、風邪でこんなに休んだのは本当に久しぶりだった。
でも、今日はまあまあ元気。







2014年2月9日

7 〇

今週も忙しかった。
トドメは昨日2月8日の出来事だ。45年ぶりという東京の大雪で、催しを中止せざるを得ず、精神的に疲れが極まった。
でも、まずは元気。





2014年2月2日

6 父の七回忌 / 親を亡くすということ

先日、父の七回忌の法事があり帰省した。この時期の長野はとても寒い。父の亡くなった6年前の冬も殊の外寒く、雪も多かった。父の亡くなる前日からしんしんと雪は降り続き、まるでこの世の汚れを雪ぎつくして旅立とうとしているかのように、世界を真っ白に覆って行った。一回忌も雪、三回忌も雪だった。
だが、この七回忌の日は晴れ渡り、青く深く冴え冴えとした冬の空がどこまでも続いていた。施主である弟は「きっと成仏したに違いない」というような意味のことを挨拶で述べた。そうかもしれないとも思うが、父はとっくに成仏しているとも思う。好きなように生きた人である。この世に未練は無く、持ち前の好奇心で新しい世界を楽しんでいるに違いない。

父は、満州、シベリア生活を体験。戦後の復興期を生き、父の世代の多くの人がそうであったように、それなりに苦労のあった人生だったと思う。しかし、生涯現役で通し、家族にも人にも頼りにされ、病気を得てからも長患いせずに、自宅で家族に見守られて静かに旅立った父の晩年は幸福だったと思う。
主治医とも相談し最後は自宅でとターミナルケアの道を選んだのだが、長年住み慣れた家は本人が一番安心できるところであり、誰かが必ず見守り父を片時も一人にすることが無く過ごした濃密な時間だった。幼い時のように、添い寝もした。

親を亡くすとはどういうことなのかと考え、友人達と話し合ったこともある。
「親との別れは過去を失うことだ。親だけが知っている『私誕生の安堵・喜び・成長の軌跡』などなど、持っていってしまうのだ。」というある友人の言葉に心から共感した。
自分の記憶には無い、幼い日の無垢な喜び。それを語れるのは親だけなのだと。

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