巴旦杏(はたんきょう)、何十年ぶりかで聞いた。懐かしい響きだ。
故郷の古い友人Sちゃんから届いた歌集のタイトルだが、本はそれに相応しく淡々しく綺麗な装丁だ。その果物の瑞々しさまでも伝わってくる。スモモのことを巴旦杏と呼んでいたのは祖母、曾祖母だっただろうか、母も少しは言っていた時代があったかもしれない。ともかくも遠い遠い昔のことだ。
その頃の故郷には、スモモの樹を植えていた家が多かったような気がする。茱萸の樹なども。すぐりや桑の実、あけびも食べた。食べ頃を楽しみにしている内に近所の悪ガキどもに盗まれてしまって、地団駄を踏むのもよくある話だった。そのガキどもを叱りつけるのは祖母や曾祖母の役目だった。懐かしくもこの風景を詠んだ歌が一首ある。
ふるさとの本家の庭に茱萸ありき婆婆様睨みを利かせていたり
これは時代の歌でもある。家族が皆一緒に暮らし、それぞれの役目を担い、死ぬまで家で暮らした時代。
作者の彼女とは、同郷で同世代という共通点があるので共感する歌が多い。今を詠んだ物にも根底に原点が宿っているから、何十年という時空も一挙に超えてしまうのだ。シンプルながら、激しく共感したのは次の歌だった。
ふるさとの山と呼びたき八ヶ岳わが魂の帰りゆく山
他にも涙無しには読めない歌がいくつかあったが、ここには書くまい。この胸に留めておこう。
この歌集にインスパイアーされて出来た拙句。丁度、投稿句会の締切ともあり。
「巴旦杏」友の歌集に里想う