西洋医学の怖さ(主に薬の副作用)を身をもって経験してから、東洋医学、自然療法に目覚め、以来30年はほとんど病院には行ったことがない。自然療法のありとあらゆるものを試して、最終的には仙骨を調整する療法にたどり着いたことは以前にも書いた。そのやり方が良いと今でも思っていて、健康維持の為に月に一度は通っている。ところが、この不調である。
使い慣れた化粧品を時には変えてみるのも良い、食べ慣れた物を変えてみるのも身体の細胞の刺激になるらしい。そんな流れで私のまだ知らない療法を試してみたいと思った。私のひどい様子を見て色々と紹介してくれる人もいる。信頼できる人が紹介してくれたクリニックを一通り訪ねてみようと思い立ち、今日で4ヶ所目。後一ヶ所となった。
今日行ってきたのは、古い友人のMさんの紹介の整体だ。Mさんは私と同じく自律神経失調症で日常生活もままならず大変苦労したようだったが、今はいつもの彼女らしく柔和な笑顔でゆったりとしている。そんな彼女が良いモデルだ。行ってみたくなる。
施術者は同年代の女性なので、身体を触られるのに安心感がある。その小川先生はNYで日本語教師をしていたことがあり、滞在時期も私が頻繁に訪れていた頃と一致し話も盛り上がる。施術をしながら、NYや、音楽、絵画、ダンスなどの話、身体に関する話は勿論のこと、穏やかな口調で話して下さる。カウンセリングをしながらの施術といった感じで一時間半、非常に贅沢な時間だった。施術の方は、気功、手当て、マッサージ、指圧を組み合わせしたようなものだ。この整体の創始者である野口晴哉氏は「これしかない、というのではなく、良いものは全部やれば良い」とおっしゃったそうである。野口氏の談話や随筆が載った機関誌を何冊か頂いたが、はっとするような身体論が展開されており、これから読むのが楽しみだ。
これからは整体体操も少しずつ教えて下さるそうで、今日教えて頂いたのは、酒を呑んだ後にやると次の日にスッキリ、酒が残らないという体操。(笑)
こんな時ですら、どこまでも呑んべえ話がつきまとう私である。こんなにノーテンキなんだから、ストレスとは無縁のはずなのに…
2018年10月31日
2018年10月20日
192 誕生日の自分へのプレゼント
昨日は誕生日だった。このところ、出来れば一人で過ごす ことにしている。誕生日くらいは、来し方行く末を静かに考えたい。
誕生日の自分へのプレゼントはまずは身体のメンテナンス。仙骨の調整をしに恵比寿のMRTに行く。
もう一つのご褒美は、能「姨捨」の鑑賞。まったく仕事を離れての純粋な観劇である。大好きな梅若万三郎師の舞台であり、「姨捨」には最近思うところもある。
まず、解説の馬場あき子の話が素晴らしかった。
時間は速やかに過ぎ去って行くが、人間の背負うもので一番重いのは時間。時間の積み重ねと、精神と肉体とのせめぎ合いが生きるということ。というような趣旨の話だった。肉体が衰えた時、心の純粋さ、美しさが表出する。歳をとって「姨捨」を観たいという自分の心の動きはそういったことに繋がるとも。
誕生日の自分へのプレゼントはまずは身体のメンテナンス。仙骨の調整をしに恵比寿のMRTに行く。
もう一つのご褒美は、能「姨捨」の鑑賞。まったく仕事を離れての純粋な観劇である。大好きな梅若万三郎師の舞台であり、「姨捨」には最近思うところもある。
まず、解説の馬場あき子の話が素晴らしかった。
時間は速やかに過ぎ去って行くが、人間の背負うもので一番重いのは時間。時間の積み重ねと、精神と肉体とのせめぎ合いが生きるということ。というような趣旨の話だった。肉体が衰えた時、心の純粋さ、美しさが表出する。歳をとって「姨捨」を観たいという自分の心の動きはそういったことに繋がるとも。
能「姨捨」には老人遺棄の悲惨さはなく、月の光の精のような老女が舞うことで、浄化された清らかな世界を見せてくれる。人の世の無残さを超えて、解脱した者の神々しさがそこにはある。
万三郎師の舞には、聖俗を超えた透明な哀しみがあり、そこには崇高性が漂っていた。肉体の衰えさえも老女そのものであった。涙を禁じ得ず、一生忘れることがないであろう舞台となった。
歳を取ることが決して悪いことばかりではないと教えてくれるのは、こういった優れた作品である。
2018年10月10日
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