2018年7月31日

184 老いらくの恋 ー能楽座自主公演「恋重荷」ー

夏恒例の能楽座自主公演の公演が5日後に迫ってきた。この公演は年間の仕事の中でも最重要の物であり、〇や✕などと言っているヒマはないのだ。
流儀を超えて志高く集まった一流の演者たちのこの団体の公演は以前はキャンセル待ちが出るくらいの人気だったが、鬼籍に入る演者も多くなり、加えて顧客も高齢化、集客もなかなか難しくなった。だが、これだけの舞台である。残り少ない日々だけど一人でも多くのお客様にお声をかけなければならない。
能は世阿弥作「恋重荷」、シテは人間国宝・大槻文藏師、大変な名人である。文藏先生は数年前に「鵜飼」を演じられたが、鵜飼の老人が生まれながらに持っている業、死後も業を背負い続ける者の悲劇、老人が語る自分の人生の悲惨さが凄惨な美しさで伝わってくる。観る者の心をつかんで離さない忘れられない舞台となった。そんな文藏先生が若い女に翻弄される老人の怨霊を演じるのだから見逃してはならない。
「やりきれない、やだね」と老ボーイフレンドは言う。最後には、自分をもてあそんだ女の守り神になるという結末が特に気に入らないのだと言うのだ。「老いらくの恋」物では他に「綾鼓」があるが、こちらは女を責めて怨みを残したまま老人は地獄に落ちるのだが、三島由紀夫も近代能楽集に「綾鼓」を入れている。悲劇は悲劇のままが良いのか、女を救う必要はないというのか…解釈は色々だ。
ところで、「老いらくの恋」の逸話でよく語られる例に、良寛と貞心尼の恋がある。男は70歳、女は30歳である。吉本隆明は二人の関係をほぼプラトニックなものと断定していて驚いたことがあった。二人は激しい相聞歌のやり取りをしていて、上の句は忘れたが、「恋のおもにをいまはつみにけり」という良寛の歌があった。明らかにエロスは介在しているのである。良寛は学術に秀でながらも、赤ちゃんや子どものような無垢な心を持っていた。そんな男がもてないはずはない。女ならず、人は良寛の面倒をみたがったという。
これは別の「恋のおもに」の話。



2018年7月20日

183 △

こうも△が続くと、✕のようなものかも…

2018年7月11日

182 △

✕でないだけマシかも…