年に一度、秋に土浦を訪れるようになって丁度10年になる。城址公園での薪能の為だが、ここは松が良い具合に生えていて天然の鏡板といった風情で、ロケーションが良い。薪能には雨天時の代替会場の用意が必要で、いつも市民会館が押さえられているが、悪天候で使用したのはこの10年で一回という幸運ぶりだった。今年はその市民会館が改修工事の為に使用出来ず薪能は中止になった。
その代わりに「土浦狂言会」が企画され、野村万蔵師を始めとした万蔵家の若手による公演と観客体験の催しとなったが、チケットも売り切れ、満席。万蔵師と子息の万之丞師は昨年のNHK大河ドラマに出演されていたということもあって、能楽ファンばかりではない観客も増えたようである。こうしたことがきっかけで能楽に興味を持つ人が増え、生の舞台に足を運んでくれる人が多くなるのは良いことだ。
公演も無事終了。土浦は東京から一時間ちょっと(特急だと40分)で通勤圏内ではあるが、旅気分になれる距離でもある。毎年一泊していたが今年は日帰りだ。私の体調を心配して付いてきてくれたスタッフのKと、ビールで一日の労働にけじめをつける。
2019年9月2日
2019年8月22日
222 夏休み親と子の能楽教室
第39回「親と子の能楽教室」が、昨日無事に終了した。その回数が示す通り、40年の長きに渡って続けてきた催しである。私が関わってからも25年になる。私の所属する伝統芸術振興会の前会長の南部峯希が亡くなってからのこの10年は、梅若研能会が引き継いでくれている。
以前、新聞社回りをしていた時に、大人にも難しい能を子どもに見せるなんて拷問にも等しい、と言った新聞記者がいたのを未だに忘れない。新聞記者にしてこうであった。今でこそ子ども向けの能楽の催しも多くなったが、当初は世間の理解を得るのが大変だった。南部の情熱が少しずつ周囲の無理解を解かし、彼女が亡くなる2年前には「能楽堂の正面席を子ども達だけで埋める」という夢の目標が達せられたのだった。幼児も含めた子どもたちが親と離れて能を鑑賞することが可能になったのも、南部の練りに練ったメソッドがあったからだ。一番の目標は「観客を育てる」ということだった。目標を達成する為には観劇マナーの勉強も必要で、その事前学習の内容は濃かった。能を難しいと思って敬遠するのは大人であって、子ども達は難しい事や新しい事へ挑戦するのが好きなのだと分かったのも新鮮だった。その為にも子どもにこそ本物に触れさせるべきなのだと納得もした。
だが、時は過ぎ、提供する側も観る側も価値観が変わった。昨日の公演終了後に主催側の事務長T氏は「初めて安心して見られました。成功と言えるでしょう」と安堵の言葉を述べたが、裏腹に私は「私どもにとっては、ターニングポイントだと思います」と伝えた。ここでは多くを語るまい。このような手間がかかる催しを10年も続けてくれたことには感謝の念があるばかりだ。どこにも価値観の相違は必ずある。その感覚が離れて交わらなくなったらそれぞれの道を行くしかない。自分は何を一番大切にするか? 見失わないようにしたいものだ。
今回、何よりも嬉しかったのは、「子どものための日本文化教室」に何年も通ってくれているユキヒト君とサキヨちゃんが、花見稚児として立派に舞台を務めてくれたことだ。堂々とした足さばきと立ち姿だった。こうやって日頃の教室の成果を見せてくれると、とても感慨深い。教室の一回一回は少しずつなのに、いつのまにか身につけているのだ。子どもの可能性は果てしない。
以前、新聞社回りをしていた時に、大人にも難しい能を子どもに見せるなんて拷問にも等しい、と言った新聞記者がいたのを未だに忘れない。新聞記者にしてこうであった。今でこそ子ども向けの能楽の催しも多くなったが、当初は世間の理解を得るのが大変だった。南部の情熱が少しずつ周囲の無理解を解かし、彼女が亡くなる2年前には「能楽堂の正面席を子ども達だけで埋める」という夢の目標が達せられたのだった。幼児も含めた子どもたちが親と離れて能を鑑賞することが可能になったのも、南部の練りに練ったメソッドがあったからだ。一番の目標は「観客を育てる」ということだった。目標を達成する為には観劇マナーの勉強も必要で、その事前学習の内容は濃かった。能を難しいと思って敬遠するのは大人であって、子ども達は難しい事や新しい事へ挑戦するのが好きなのだと分かったのも新鮮だった。その為にも子どもにこそ本物に触れさせるべきなのだと納得もした。
だが、時は過ぎ、提供する側も観る側も価値観が変わった。昨日の公演終了後に主催側の事務長T氏は「初めて安心して見られました。成功と言えるでしょう」と安堵の言葉を述べたが、裏腹に私は「私どもにとっては、ターニングポイントだと思います」と伝えた。ここでは多くを語るまい。このような手間がかかる催しを10年も続けてくれたことには感謝の念があるばかりだ。どこにも価値観の相違は必ずある。その感覚が離れて交わらなくなったらそれぞれの道を行くしかない。自分は何を一番大切にするか? 見失わないようにしたいものだ。
今回、何よりも嬉しかったのは、「子どものための日本文化教室」に何年も通ってくれているユキヒト君とサキヨちゃんが、花見稚児として立派に舞台を務めてくれたことだ。堂々とした足さばきと立ち姿だった。こうやって日頃の教室の成果を見せてくれると、とても感慨深い。教室の一回一回は少しずつなのに、いつのまにか身につけているのだ。子どもの可能性は果てしない。
2019年8月12日
221 疑ひは人間にあり -能楽座自主公演「羽衣」-
夏恒例の能楽座自主公演は、今年は少しずれて9月7日である。約三週間後だが、この猛暑が和らいで来場されるお客様の心地が少しでも良いようにと願う。
流儀を超えて志高く集まった一流の演者たちの団体である能楽座も鬼籍に入る人も多くなり、毎年追善公演が続いている。今年は藤田六郎兵衛師の追善だが、64歳という若さだった。鋭いヒシギで一気に世界を切り開いて異界に連れて行ってくれる笛の力は素晴らしかった。能楽界は貴重な存在をまた一人失った。その六郎兵衛師を悼む為にも、沢山のお客様に来て頂きたいものだ。
能は「羽衣」。能の世界には宇宙の営みを正面から謳いあげた曲がいくつかあるが、「羽衣」はその代表曲と言えるだろう。あの有名な羽衣伝説である。羽衣を返してくれたら御礼に舞を舞おうと言う天女に、返してしまったら舞も舞わずにそのまま帰ってしまうだろうから先に舞ってくれと言う漁師の白龍に対して天女が言う科白が、「いや疑ひは人間にあり、天に偽りなきものを」である。この言葉を聴く度に私は畏怖の念に打たれる。白龍は自分を恥じてすぐに羽衣を天女に返すのだが、人間の卑小さと宇宙の法則とを言い当てた何と本質的な言葉だろうか…
私も若い頃は唯物論者で、目に見える物や頭で理解できる物しか信じなかったが、歳を取りやがて世の中には人知を超えた存在があるのだということに気が付くことになった。宗教めくのが嫌でそれを神とは呼べず、宇宙の法則とか真理とか呼ぶことが多かったのだが、能で「天」という言葉に出会った。古語には味わいがある。このように能の詞章が寓意する普遍的な言葉に出会うのも、能を観ることの新鮮な感動なのだ。
シテは人間国宝・大槻文藏師、今、一曲、一曲を見逃してはならない名人の一人である。
今年は能楽座らしく、観世流の他に金春流櫻間金記師、宝生流武田孝史師、喜多流粟谷明生師、とシテ方四流が揃った。粟谷師は能楽座の二代目代表粟谷菊生師の子息でもあり、能楽座公演にも何度か出演頂いている。今回は、仕舞「熊坂」長裃をお願いしているが、これは喜多流にだけある仕舞ということで、長裃を着けての足さばき、長刀の扱い、難易度も高く、きっと見応えがあるに違いない。


流儀を超えて志高く集まった一流の演者たちの団体である能楽座も鬼籍に入る人も多くなり、毎年追善公演が続いている。今年は藤田六郎兵衛師の追善だが、64歳という若さだった。鋭いヒシギで一気に世界を切り開いて異界に連れて行ってくれる笛の力は素晴らしかった。能楽界は貴重な存在をまた一人失った。その六郎兵衛師を悼む為にも、沢山のお客様に来て頂きたいものだ。
能は「羽衣」。能の世界には宇宙の営みを正面から謳いあげた曲がいくつかあるが、「羽衣」はその代表曲と言えるだろう。あの有名な羽衣伝説である。羽衣を返してくれたら御礼に舞を舞おうと言う天女に、返してしまったら舞も舞わずにそのまま帰ってしまうだろうから先に舞ってくれと言う漁師の白龍に対して天女が言う科白が、「いや疑ひは人間にあり、天に偽りなきものを」である。この言葉を聴く度に私は畏怖の念に打たれる。白龍は自分を恥じてすぐに羽衣を天女に返すのだが、人間の卑小さと宇宙の法則とを言い当てた何と本質的な言葉だろうか…
私も若い頃は唯物論者で、目に見える物や頭で理解できる物しか信じなかったが、歳を取りやがて世の中には人知を超えた存在があるのだということに気が付くことになった。宗教めくのが嫌でそれを神とは呼べず、宇宙の法則とか真理とか呼ぶことが多かったのだが、能で「天」という言葉に出会った。古語には味わいがある。このように能の詞章が寓意する普遍的な言葉に出会うのも、能を観ることの新鮮な感動なのだ。
シテは人間国宝・大槻文藏師、今、一曲、一曲を見逃してはならない名人の一人である。
今年は能楽座らしく、観世流の他に金春流櫻間金記師、宝生流武田孝史師、喜多流粟谷明生師、とシテ方四流が揃った。粟谷師は能楽座の二代目代表粟谷菊生師の子息でもあり、能楽座公演にも何度か出演頂いている。今回は、仕舞「熊坂」長裃をお願いしているが、これは喜多流にだけある仕舞ということで、長裃を着けての足さばき、長刀の扱い、難易度も高く、きっと見応えがあるに違いない。


2019年8月4日
2019年7月24日
219 △
△
久しぶりの快晴。気温は30度を超え、真夏日だ。
晴れると交感神経が刺激され活動的になり、気分も高揚するが、今日はやたらと足が震えて気持ちが悪い。交感神経と副交感神経のバランスが悪いのだろう。
バランスの悪さは、昨日までの天気と今日の天気の落差の影響に違いない。ちっぽけな私は自然の一部に過ぎない。
久しぶりの快晴。気温は30度を超え、真夏日だ。
晴れると交感神経が刺激され活動的になり、気分も高揚するが、今日はやたらと足が震えて気持ちが悪い。交感神経と副交感神経のバランスが悪いのだろう。
バランスの悪さは、昨日までの天気と今日の天気の落差の影響に違いない。ちっぽけな私は自然の一部に過ぎない。
2019年7月14日
218 ポーランド映画「あの歌、2つの心」
病気の為に長く座っていられないのと脚が震えて隣席に響くのが気になって、ここのところ映画館には遠ざかりがちだが、気になる映画はどうしても映画館で観たい。ポーランド映画、大戦後のヨーロッパ、歌手とピアニストの恋、亡命、と聞いたら、観ない訳にはにはいかないだろう。平日の空いている映画館に出かける。もっともこういう映画は混んだりはしないけど…
ポーランド映画は3年程前に観た「パプーシャの黒い瞳」以来だろうか。この「あの歌、2つの心」と共に第二次大戦後の激しいポーランド現代史の話だ。深いテーマをモノクロの美しい映像と抑制された演出で淡々と見せる手法も共通している。それが却って心に響く。アニメやCGがもてはやされる昨今、極彩色に辟易している目や心にモノクロが優しく心地良い。
「あの歌、2つの心」には、全編を通して魅力的な楽曲が流れる。マイルス・デイヴィス、エラ・フィッツジェラルド、ビリー・ホリディ、グレン・グールド、……そして、ポーランド音楽。繰り返し流れるメインテーマも物悲しく美しい。音楽映画の傑作と言っても過言ではないだろう。
ワイダの「灰とダイヤモンド」などの東欧ヌーヴェルバーグに継承されていく、時代の背景も鮮明に浮かび上がってくる。原題の「Cold War」は、まさに当時の時代背景そのものだが、その時代に翻弄される男女の激しくも哀しいラブストーリーだ。
それにしても、スターリンの圧政とは、と思う。
私が制作に関って20年になる、石橋幸のロシア俗謡コンサートで歌う曲もスターリンの圧政下で禁止された唄が多い。それを庶民やジプシーが密かに歌い継いだ物を石橋が自ら収集して歌っているのだが、その中には、スターリン賛歌を歌わなかった為にシベリア送りになったワジム・コージンの唄もある。彼は「私が歌うのは愛の唄だけです」と、生涯を通じて信念を貫いた。
ポーランド映画は3年程前に観た「パプーシャの黒い瞳」以来だろうか。この「あの歌、2つの心」と共に第二次大戦後の激しいポーランド現代史の話だ。深いテーマをモノクロの美しい映像と抑制された演出で淡々と見せる手法も共通している。それが却って心に響く。アニメやCGがもてはやされる昨今、極彩色に辟易している目や心にモノクロが優しく心地良い。
「あの歌、2つの心」には、全編を通して魅力的な楽曲が流れる。マイルス・デイヴィス、エラ・フィッツジェラルド、ビリー・ホリディ、グレン・グールド、……そして、ポーランド音楽。繰り返し流れるメインテーマも物悲しく美しい。音楽映画の傑作と言っても過言ではないだろう。
ワイダの「灰とダイヤモンド」などの東欧ヌーヴェルバーグに継承されていく、時代の背景も鮮明に浮かび上がってくる。原題の「Cold War」は、まさに当時の時代背景そのものだが、その時代に翻弄される男女の激しくも哀しいラブストーリーだ。
それにしても、スターリンの圧政とは、と思う。
私が制作に関って20年になる、石橋幸のロシア俗謡コンサートで歌う曲もスターリンの圧政下で禁止された唄が多い。それを庶民やジプシーが密かに歌い継いだ物を石橋が自ら収集して歌っているのだが、その中には、スターリン賛歌を歌わなかった為にシベリア送りになったワジム・コージンの唄もある。彼は「私が歌うのは愛の唄だけです」と、生涯を通じて信念を貫いた。
2019年7月5日
217 パーキンソン病奮闘記 -6 / 主治医
「長い付き合いになるよ」
検査の結果、病名が確定された時の主治医の第一声である。
薄々は予測していたが、病名を宣告されて頭の中を色々な思いがグルグルと巡る中、長い付き合いとは病気?これから飲み始める薬?この目の前の医師?と、ぼんやり考える。結局はその全てなのだけど。
病院には長年行っておらず、これからも無いだろうと思っていた。よもや主治医と呼ぶような関係の医師との付き合いが始まるとは思いもしなかったことだ。S先生は信頼する人の紹介ということもあり、まずは第一段階はクリアしており、第一印象もとても良かった。失礼ながら、気取りが無く軽口を叩けるような方でもあり、私の素っ頓狂な物言いにも軽妙に受けて下さる。
大袈裟に心配する私に「君が急に悪くなる心配より、大地震でも心配した方が現実的だよ。近頃は突発の交通事故もあるしさ」「勉強も良いけど、あまり勉強しないようにね、不安になるから」と、心配を取り除いて下さる。それでも、我慢出来ずににわか勉強をして素人の質問をする私に「また勉強してきたな、仕方ない、教えてやろう」と、脳の模型をパカッと開けて説明して下さる。歩き方も良くなって、病気も治ったがごとく有頂天になっているお調子者の私に「山あり谷ありだよ」と釘を差すのも忘れない。この分野の重要ポストを歴任してきた偉い先生なのに丁寧で思いやりのある診察だ。話もよく聴いて下さり、つまらないことを言っていないで黙って付いてくれば良いんだ、というような高い所に居る方ではない。
「オレ、そんなこと言ったっけ?」なんて、トボけた物言いをすることもあり、笑わせてくれる。キャラクターが豊かでとてもチャーミングだ。「オレにそんなこと聞くの?」って、こんなことを聞けるのは先生だけでしょ?
河合隼雄に「患者は皆、精神科医に恋してしまう」という名言がある。私が通っているのは神経内科だが、人の心を大切にしたS先生の診察はまるで精神科のカウンセリングのようでもあり、弱った時の患者の気持ちが分かるような気がする。私もちょっと恋しているのかもしれない。(笑) 絶対に飲むまいと思っていた薬を飲んでいるのはそのせい? でも、そのお陰で姿勢も歩き方も良くなった。
そんな素敵な先生なので、私の話を聞いて、診てもらいたいという友人が二人も出てきた(ガタがくる年齢なのだ)が、予約が取り難い。先生も「あまり宣伝しないように」とおっしゃる。公人なので実名を出しても問題ないと思うし、ネットで調べればお名前もすぐ分かることだけど、ここでは敢えてS先生とした。宣伝すると、大好きな先生に叱られるので。
ウン年前の? S医師
検査の結果、病名が確定された時の主治医の第一声である。
薄々は予測していたが、病名を宣告されて頭の中を色々な思いがグルグルと巡る中、長い付き合いとは病気?これから飲み始める薬?この目の前の医師?と、ぼんやり考える。結局はその全てなのだけど。
病院には長年行っておらず、これからも無いだろうと思っていた。よもや主治医と呼ぶような関係の医師との付き合いが始まるとは思いもしなかったことだ。S先生は信頼する人の紹介ということもあり、まずは第一段階はクリアしており、第一印象もとても良かった。失礼ながら、気取りが無く軽口を叩けるような方でもあり、私の素っ頓狂な物言いにも軽妙に受けて下さる。
大袈裟に心配する私に「君が急に悪くなる心配より、大地震でも心配した方が現実的だよ。近頃は突発の交通事故もあるしさ」「勉強も良いけど、あまり勉強しないようにね、不安になるから」と、心配を取り除いて下さる。それでも、我慢出来ずににわか勉強をして素人の質問をする私に「また勉強してきたな、仕方ない、教えてやろう」と、脳の模型をパカッと開けて説明して下さる。歩き方も良くなって、病気も治ったがごとく有頂天になっているお調子者の私に「山あり谷ありだよ」と釘を差すのも忘れない。この分野の重要ポストを歴任してきた偉い先生なのに丁寧で思いやりのある診察だ。話もよく聴いて下さり、つまらないことを言っていないで黙って付いてくれば良いんだ、というような高い所に居る方ではない。
「オレ、そんなこと言ったっけ?」なんて、トボけた物言いをすることもあり、笑わせてくれる。キャラクターが豊かでとてもチャーミングだ。「オレにそんなこと聞くの?」って、こんなことを聞けるのは先生だけでしょ?
河合隼雄に「患者は皆、精神科医に恋してしまう」という名言がある。私が通っているのは神経内科だが、人の心を大切にしたS先生の診察はまるで精神科のカウンセリングのようでもあり、弱った時の患者の気持ちが分かるような気がする。私もちょっと恋しているのかもしれない。(笑) 絶対に飲むまいと思っていた薬を飲んでいるのはそのせい? でも、そのお陰で姿勢も歩き方も良くなった。
そんな素敵な先生なので、私の話を聞いて、診てもらいたいという友人が二人も出てきた(ガタがくる年齢なのだ)が、予約が取り難い。先生も「あまり宣伝しないように」とおっしゃる。公人なので実名を出しても問題ないと思うし、ネットで調べればお名前もすぐ分かることだけど、ここでは敢えてS先生とした。宣伝すると、大好きな先生に叱られるので。
ウン年前の? S医師
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