日本には四季は無くなった。「二季になってしまった」と、知人の日本ミツバチの養蜂家のKさんは何年も前から警鐘を鳴らしている。気候と密接な仕事をしている人ならではの見解だ。私のように日本の伝統文化に関わっていると「日本の豊かな四季が日本人の繊細な感性を育む」などと言いがちだが、こんなに暑くてはもうそんな繊細な感性など望むべくもない。私もこの数年はイライラと「暑い!」とばかり怒っていたような気がする。
ところで、吟行、句会には「歳時記」が必須アイテムだ。数年前に辞書類を整理し、文庫本一冊の大きさの電子辞書一つにまとめた。そこには歳時記も入っているのだが、俳句作りにはやはり紙の本の縦書きがしっくりくるので、結局、文庫本の歳時記を改めて買ったのだった。それをパラパラとめくってみると、秋らしい季語が並んでいる。
秋茜、秋入日、秋麗、秋風、秋草、秋桜、秋雨、秋時雨、秋立つ、秋七草、秋夕焼、秋の宵…秋が付く物だけでもまだまだ沢山ある。季節の中に移ろいがあり、一日の中にも移ろいがある。本来の日本の秋はもう歳時記の中にしかないのか…