2020年5月22日

249 ソーシャル・ディスタンスの距離

スティ・ホーム、というキャッチフレーズを、更に「巣ごもり」「鎖国」と言い換えたり、どうしようもないこの閉塞状況を、何とか工夫して過ごそうと躍起になっている人達がいる。片や、この状態を受け止め静かに暮らすことの喜びを改めて感じている人達もいる。ある人は「この生活が案外好きなことに気がついた」と言っていた。私も後者の組だ。仕事で忙しくしていて人疲れをした時など人間関係の檻から解放されたいと思うことがあり、人と話したくないことも多い。元々の「蟄居」好きでもある。
そんな訳で、自粛生活をそう苦とも思わず過ごしていたのだが、そこにある人から電話。外にも出られず誰とも話さず、退屈で仕方ないと言う。私が今日のひまつぶし相手に選ばれたという訳だ。趣味や考えの合わない人との会話は苦痛でしかない。相手はそれに気がついてはいないのだが、一人の時間の過ごし方を知らないとは可哀想な人だ。
次に来たのは老エッセイスト(本人がそう呼ぶので)のメール、彼からは過去の栄光を綴った老い終いのエッセイが時々送られて来ていた。「勝手に送るので、時間がある時にでも読んでくれれば良いから…」と、次から次へと送られて来ていた。面白ければ苦にならないけれど、返事の仕様もなくそのままにしていた。そんなところへ「送りつけるのは迷惑みたいだから、もう止めようと思う」と、すねたようなメール。つまり、たまには感想を送れということだ。ああ、面倒くさい。歳とってこうはなりたくはない。
ブログを始めたきっかけの一つに、人との付き合いの面倒くささがあった。自分ばかりではなく他人に煩わしさを感じさせたくはない、という理由もあった。他人に煩わしさを感じさせず、返事を強要させないで自分の様子を知らせる良い方法はないか、と考えて、ブログという形にしたのだった。電話の煩わしさは最たるものだが、手紙、メールもどこか返事を期待され、面倒くさい。その点、ブログは気楽だ。気になる人の様子を勝手に見に行けば良いので、ブログは都合も良い。
件の二人は私のブログは読んでいないし、興味もないだろう。読んでくれている人だったら、つまらない連絡は寄こさないはずだ。
久しぶりに会った人からブログの感想を言われて驚くことがある。意外な人が読んでいてくれて恐縮することもある。日常的に読書会や句会で会うSやH、事務所のスタッフのKさん、ミュージシャンのMさん等々、度々ブログの感想を言ってくれ、「見守っているよ」と言われているようで嬉しい。長い付き合いで句会の世話もしてくれているヨシダ君は「見張っているよ」と言ってくれる。シャイな江戸っ子の彼はこんな風にしか言えないのだが、有り難い限りだ。
日本人のソーシャル・ディスタンスて、本当はこんな感じじゃないのかな…

2020年5月11日

248 〇

暑い~!
連休が終わった途端、夏日だ。もう何年も前からこんな感じで、日本には四季が無くなってしまった。コロナ禍で自粛が続き空がきれいになったりはしてるが、そう簡単に自然環境が戻るはずはない…
それにしても、半病人にはこの寒暖差はキツイ。
でも、何か困った事があった訳では無いし、〇マルとしなければね!

2020年5月1日

247 タケノコ御飯

相模原に住む友人Sから、タケノコを送ってくれるという連絡があり、それならば取りに行くよと出かけてきた。この時期には彼女の庭に出るタケノコを楽しみにしている人も沢山いるくらいだが、もらいに行くのは不要不急の用事ではある。だが、とにかく出かけるなという日々が続き、買物は3日に1回どころか全く出かけてないし、人との8割の接触も何も誰にも会ってないし、自粛にも疲れ少しは動きたく、小一時間というあまり遠くない場所だし、三密では無いし、注意深い行動するということで許してもらった(誰に?)。こんなに言い訳しなければ、出かけることが出来ないというような事態がこの現代に起きるなんて誰が想像しただろうか。
旅行も出来ずに読書をするしかないという、この自粛をもてあましぎみの若い友人Kさんを誘って、ガラガラの電車に乗って、ゆるりと行ってきたが、すれ違うロマンスカーもスカスカだ。間引き運転でも充分だろうに、こういうところがバランスが悪い。世界では、コロナ騒ぎの副産物で空気がきれいになり遠くの山が見えたり、海に生き物が戻ってきたりしている。ある意味、せっかくの自粛とも言えるのだ。自然現象ばかりでは無く、コロナからのメッセージは沢山あり見せつけられている。考えなければいけないことは多い。
Sとは句会、読書会で月に1、2回は会っているのに、ここのところの集りの中止で大分会ってなかった。彼女の近所には、やはり長い付き合いの友人Rちゃんが居るので誘った。集まれば話も盛り上がる。4人では密にならないわよね?と、このご時世の冗談とも言えない冗談を交わす。
タケノコはドーパミンを作ってくれるそうなので、今年は沢山食べようと思っていたので、嬉しい。アク抜きの糠煮までしてもらって、薬味の山椒も庭からもいでもらい、至れり尽くせりだ。
早速、今日はタケノコ御飯にして楽しんだ。旬の採りたて、美味しい!ドーパミン倍増!


2020年4月21日

246 巴旦杏

巴旦杏(はたんきょう)、何十年ぶりかで聞いた。懐かしい響きだ。
故郷の古い友人Sちゃんから届いた歌集のタイトルだが、本はそれに相応しく淡々しく綺麗な装丁だ。その果物の瑞々しさまでも伝わってくる。スモモのことを巴旦杏と呼んでいたのは祖母、曾祖母だっただろうか、母も少しは言っていた時代があったかもしれない。ともかくも遠い遠い昔のことだ。
その頃の故郷には、スモモの樹を植えていた家が多かったような気がする。茱萸の樹なども。すぐりや桑の実、あけびも食べた。食べ頃を楽しみにしている内に近所の悪ガキどもに盗まれてしまって、地団駄を踏むのもよくある話だった。そのガキどもを叱りつけるのは祖母や曾祖母の役目だった。懐かしくもこの風景を詠んだ歌が一首ある。
  ふるさとの本家の庭に茱萸ありき婆婆様睨みを利かせていたり
これは時代の歌でもある。家族が皆一緒に暮らし、それぞれの役目を担い、死ぬまで家で暮らした時代。
作者の彼女とは、同郷で同世代という共通点があるので共感する歌が多い。今を詠んだ物にも根底に原点が宿っているから、何十年という時空も一挙に超えてしまうのだ。シンプルながら、激しく共感したのは次の歌だった。
  ふるさとの山と呼びたき八ヶ岳わが魂の帰りゆく山
他にも涙無しには読めない歌がいくつかあったが、ここには書くまい。この胸に留めておこう。

この歌集にインスパイアーされて出来た拙句。丁度、投稿句会の締切ともあり。
  「巴旦杏」友の歌集に里想う





2020年4月11日

245  〇

自分も家族も友人も、仕事仲間も、不調無し。
それだけでも、まずは御の字。

2020年4月1日

244 〇

今日はエイプリルフール。
昨今の忌わしいウィルス騒ぎは、「嘘でした」と消し去りたい程だ。世界にはSF映画のような風景さえ見せる都市もある。先も全く見えない。
こんな時に、半病人とは言え生きているのが奇跡のように思える。いや、全くもって生命あることだけで「マル!」なのだ。

2020年3月21日

243 自信を持ちなさい!

パーキンソン病と診断されて丁度一年経った。
主治医のS先生とは月一度お会いして、血液検査をして血圧を測って、あーでもないこーでもないと問診、治療というよりカウンセリングのような時間を持ってきた。S先生は大変偉い方なのに権威ぶらず、軽妙な会話をされる方で、お顔を見るとほっとする。ここにも何回も書いたが、検査の結果はいつもとても良い。血圧なんて自分や他の病院で測ると危ないくらい高いが、S先生に測って頂くと理想的な数値だ(70~120)。S先生に対しては白衣プレッシャーが無いのだ。「君も変わっているよね~普通は逆だよ」とからかわれる。
「自信を持ちなさい」先生がこのところおっしゃる言葉だ。「初期に病気を発見し、症状も進まないから薬も増えない、もっと自信を持って笑顔でいなさい。今の君はスキップして帰ったっていいくらいなんだよ。」と。確かにそうだ。P病に似た症状の病気は他にも色々あるので、病名を特定できずに何年も病院通いをした人がいるのも知っている。精神科に入院させられた人もいる。誤診のせいで、よりによってP病には良くない薬を飲み続けた人もいる。私の姿を見て心配になって、この分野のオーソリティであるS先生を紹介してくれたS夫人。ご主人はやはり何年間か病名が特定されなかったし、S先生に出会うまでには数名の医師を経たようだ。私の場合は全て直球で、病院にも医師にも出会えた。私はとてもラッキーなのだ。S先生がおっしゃるようにスキップしたいような気分でいて良いのだ。お調子者の私は、実際にスキップを試みたのだが、足が上がらず駄目だった。それどころか足がもつれて転びそうなった。危ない、危ない。でも、スキップなんて、この歳じゃ病気じゃなくても無理かもね。

天気も良く暖かなので、病院の帰りに明治神宮に寄る。病院の近くあるので、時々は寄ろうと思っていたのだが、この一年はその余裕も無かった。余裕というより、歩く元気が無かったのだ。徒歩15分が辛く、タクシーで往復したことが多かった。でも、久々に歩いてみようという気持ちになった。S先生の励ましの言葉のお陰