まだまだ続くこの暑さには参るが、暑さで唯一良いことは、一日の終わりに飲む冷えたビールの美味しさだ。今年の夏もどのくらい飲んだことだろう!
そんなところにぴったりの詩が届いた。詩人高田真さんの新しい詩集「猫のねているあいだに」の中にビールへの賛歌が込められている一篇があった。難解になりがちな現代詩の中で、平易な言葉で素朴でノスタルジックな世界を創出する高田さんは、私が好きな詩人の一人である。
さあ、これを読んで、今日も美味しいビールを飲むことにしよう!
一日の仕事の終わりには
一杯のビール
まず一杯
詩人の教えに従って
今日の労働に けじめを付ける
そこからひとりの食卓で
二匹の猫たちと
ささやかな晩餐会がはじまる
多くを望みはしないが
この穏やかな生活が続くように
夜空に
ふたつみつと星星が輝きはじめると
いとおしいものたちのことがこみあげてくる
この胸の中には 私が死ぬまで在るのだろう
故郷の消えた村の名も 愛する人たちも
(根っこを張り
巨木のように枝葉をひろげ)
一日の秩序から解き放たれて
ふかく根を下ろしていく
地の底 水底 の声を聞く
また ふうわりと
根を引きずりながらも
まだ知らない土地を夢みる
いつか うたたねの心地良さ
猫がザラザラの舌で
卓にうつ伏せたほろ酔いの
私の頬を舐めている
冒頭の詩人とは、茨木のり子である。
「六月」は、私も大好きな詩だ。
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには
一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける
2018年8月31日
2018年8月21日
2018年8月11日
185 ◯
◯
マル!
夏の二大イベントである公演が終わり、心から安堵している。
かつてない体調不良とかつてない暑さで、こんなに苦戦した夏はなかった。
無事に終わったのは奇跡的。◯どころか◎と言っても良いだろう。
マル!
夏の二大イベントである公演が終わり、心から安堵している。
かつてない体調不良とかつてない暑さで、こんなに苦戦した夏はなかった。
無事に終わったのは奇跡的。◯どころか◎と言っても良いだろう。
2018年7月31日
184 老いらくの恋 ー能楽座自主公演「恋重荷」ー
夏恒例の能楽座自主公演の公演が5日後に迫ってきた。この公演は年間の仕事の中でも最重要の物であり、〇や✕などと言っているヒマはないのだ。
流儀を超えて志高く集まった一流の演者たちのこの団体の公演は以前はキャンセル待ちが出るくらいの人気だったが、鬼籍に入る演者も多くなり、加えて顧客も高齢化、集客もなかなか難しくなった。だが、これだけの舞台である。残り少ない日々だけど一人でも多くのお客様にお声をかけなければならない。
能は世阿弥作「恋重荷」、シテは人間国宝・大槻文藏師、大変な名人である。文藏先生は数年前に「鵜飼」を演じられたが、鵜飼の老人が生まれながらに持っている業、死後も業を背負い続ける者の悲劇、老人が語る自分の人生の悲惨さが凄惨な美しさで伝わってくる。観る者の心をつかんで離さない忘れられない舞台となった。そんな文藏先生が若い女に翻弄される老人の怨霊を演じるのだから見逃してはならない。
「やりきれない、やだね」と老ボーイフレンドは言う。最後には、自分をもてあそんだ女の守り神になるという結末が特に気に入らないのだと言うのだ。「老いらくの恋」物では他に「綾鼓」があるが、こちらは女を責めて怨みを残したまま老人は地獄に落ちるのだが、三島由紀夫も近代能楽集に「綾鼓」を入れている。悲劇は悲劇のままが良いのか、女を救う必要はないというのか…解釈は色々だ。
ところで、「老いらくの恋」の逸話でよく語られる例に、良寛と貞心尼の恋がある。男は70歳、女は30歳である。吉本隆明は二人の関係をほぼプラトニックなものと断定していて驚いたことがあった。二人は激しい相聞歌のやり取りをしていて、上の句は忘れたが、「恋のおもにをいまはつみにけり」という良寛の歌があった。明らかにエロスは介在しているのである。良寛は学術に秀でながらも、赤ちゃんや子どものような無垢な心を持っていた。そんな男がもてないはずはない。女ならず、人は良寛の面倒をみたがったという。
これは別の「恋のおもに」の話。
流儀を超えて志高く集まった一流の演者たちのこの団体の公演は以前はキャンセル待ちが出るくらいの人気だったが、鬼籍に入る演者も多くなり、加えて顧客も高齢化、集客もなかなか難しくなった。だが、これだけの舞台である。残り少ない日々だけど一人でも多くのお客様にお声をかけなければならない。
能は世阿弥作「恋重荷」、シテは人間国宝・大槻文藏師、大変な名人である。文藏先生は数年前に「鵜飼」を演じられたが、鵜飼の老人が生まれながらに持っている業、死後も業を背負い続ける者の悲劇、老人が語る自分の人生の悲惨さが凄惨な美しさで伝わってくる。観る者の心をつかんで離さない忘れられない舞台となった。そんな文藏先生が若い女に翻弄される老人の怨霊を演じるのだから見逃してはならない。
「やりきれない、やだね」と老ボーイフレンドは言う。最後には、自分をもてあそんだ女の守り神になるという結末が特に気に入らないのだと言うのだ。「老いらくの恋」物では他に「綾鼓」があるが、こちらは女を責めて怨みを残したまま老人は地獄に落ちるのだが、三島由紀夫も近代能楽集に「綾鼓」を入れている。悲劇は悲劇のままが良いのか、女を救う必要はないというのか…解釈は色々だ。
ところで、「老いらくの恋」の逸話でよく語られる例に、良寛と貞心尼の恋がある。男は70歳、女は30歳である。吉本隆明は二人の関係をほぼプラトニックなものと断定していて驚いたことがあった。二人は激しい相聞歌のやり取りをしていて、上の句は忘れたが、「恋のおもにをいまはつみにけり」という良寛の歌があった。明らかにエロスは介在しているのである。良寛は学術に秀でながらも、赤ちゃんや子どものような無垢な心を持っていた。そんな男がもてないはずはない。女ならず、人は良寛の面倒をみたがったという。
これは別の「恋のおもに」の話。
2018年7月20日
2018年7月11日
2018年6月30日
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