2015年4月27日

61 トランクへ入れる物-その8 / 冬物衣類

4月最後の日曜日、待ちに待った休日。春らしい気持ちの良い天気で中庭の花みずきも美しい。
でも、出かけない。せっかくの沈黙の時だ。一人静かに過ごしたい。
それに冬物も片付けなくてはいけない。冬物に関しては、ある事をふと思いつき、早く実行したかったのだ。今時はヒートテックとかブレスサーモとか発熱下着が出回っていて私も何点か持っているが、寒がりではないこともあって、あまり活用していなかった。でもこれからは大いに活用して、真冬用の厚手のニット類やツイードのパンツなどは処分しようと思っていた。これらを処分するだけで、どれだけかさばりが少なくなることだろう!
冬のコートは3点に絞る。ハレ用に軽いウールの一枚仕立ての物、ケにダウンコート、予備にライナー付きのトレンチコート。
次に春秋物コート、アウタ―類、ニット類に手を付ける。いつものルール、ハレ、ケ、予備の3種類で各3点ずつに分ける。アウターが9点、ニット類が9点、今回はここまで。冬物はかさばるので処分する分量も多く、片付け満足度も増す。でも、まだまだだ。





2015年4月19日

60 れれれの会 / 中野孝次「風の良寛」

読書会「れれれの会」の今回のテーマは「風の良寛」で、発表者はNさんだった。Nさんもいつも素晴らしい発表をしている人だ。彼女は、自分の感性で作品選びをし、世評に影響されない考察をし、受けを狙ったり奇をてらわないのでとても好ましい。それなので、発表の言葉もこちらにも素直に入ってくる。見習わなくてはいけない姿勢だ。
「風の良寛」作者の中野孝次はベストセラーになった「清貧の思想」の作者でもあり、文字通り清らかで貧しい生き方を称揚する人なので、もっぱらその視点で良寛像を分析している。まさに良寛はそういう生き方をしたので、良寛を書くことによって、飽食と欲望が渦巻く現代社会に批判を向けたものと思われる。
良寛が起居した五合庵という小さな庵にある道具は、鍋とすり鉢と茶碗、机が一台ありその上には硯と筆、片隅にはセンベイ布団がきちんと畳んである。本は「荘子」一冊のみ。何とわびしいことだ。越後の寒い冬をよくも死なずに越したものだと思う。良寛には、春の訪れを喜ぶ詞がいくつもあり、それは本当にのびやかで輝きに満ちて気持ちが良い。夏の暑さを耐えた後に感じる秋の涼しさの喜びも格別であっただろう。モノの少なさは逆に感覚に多くをもたらしてくれるのだ。このモノの無さ!これこそ私の理想!と言いたいところだが、さすがにここまでは出来ない。目指すところでもない。
世捨て人としての僧侶文人には良寛の他にも西行や一休のような第一級の文学者がいて、それぞれに魅力的だが、私にとって絶対に外せないのは種田山頭火だ。出家しても立派な行動など出来ず、これでもかこれでもかと失敗する。酒に負けてでろでろになってしまう。その駄目さから生み出される血を吐くような句に、どうしても私は惹かれてしまうのだ。ぼろぼろの黒衣を身にまとった乞食僧としての姿は似ているが、山頭火に比べると良寛は立派な人に見えてくる。
確かに良寛も何もかも捨てた人だ。寺の住職でもなく、経も読まないし、人の葬式もしてやらないので、僧であって僧ではない。見事な漢詩を作り歌をよむが漢学者でもなく歌人でもない。「万葉集」を読むが国学者ではない。雅な書を書くけれど書家ではない。だが、第一級の知識人、教養人として尊敬され慕われ、子どもと遊ぶのが好きな純粋無垢な人柄でそれが文にも反映していて、日本人に最も愛されている文人の一人である。多くの文学者が取り上げ論述しているくらい人気のある詩歌人でもある。子どもとの毬つきのイメージが強く、天真素朴な味あいだけが良寛の特徴だと思ってきたが、どうやらそれだけでこうまで人々に愛されるのではないのだというのが今回は分かったような気がする。
さて私はというと、肝心の片付けも滞っているが、五合庵のイメージを胸に刻んで、やる気を高めることにしよう。









2015年4月9日

59  〇

さっき起きたと思ったら、もう夕方だ。そんな毎日。取りあえずは元気。


2015年4月1日

58 「クイズ・ショウ」燐光群公演を観る

下北沢スズナリへ燐光群の芝居を観に行く。燐光群は好きな劇団の一つで初期の頃から観続けているが、このところちょっとご無沙汰をしていて、久しぶりだった。社会派の燐光群らしい内容でとても面白かった。社会派だがエンターティメントの要素も押さえているので、2時間以上を飽きさせない。おなじみの劇団員の演技も増々手堅くなって、息もぴったり合っている。
何よりも作者の坂手洋二の脚本が良いのだが、私達の日常に氾濫しているクイズという物を社会化して文化人類学的に分析したことが興味深い。問うこと、答えることの意味。誤答をした者が次々と消えるラストシーンはとても緊迫感があった。

緊迫感と言えば、大分前になるが、燐光群には飛行機事故を扱った作品があって、フライトレコーダーを戯曲化し世界の様々な事故をオムニバス形式で上演した物だったが、その恐怖感と緊張感から観終わった後はもうへとへとだった。間違いなく観客にメッセージが強く伝わったはずだ。折しもフランスでのあの事故があったばかりである。そんなこともあって、今でも忘れられないあの舞台を思い出した。

2015年3月25日

57  〇


3月も後一週間。年度末ともあり多忙だ。先週あたりから月末まで、夜も予定がいっぱいになってしまった。
桜も開花したようだが、花見の誘いにも応えられない。せめて道々の花を愛でることだけは忘れまいと思う。

2015年3月18日

56 早春の別所温泉

春のお彼岸頃に家族で別所温泉に行くようになってからもう何年になるだろう。まだ父が健在で、妹達も子育てが楽になった頃から、父母、私と妹二人で、春は別所、秋は県内の他の温泉に一泊旅行に出かけた。長野県内は温泉が豊富なので色々な所に出かけたが、毎年春に訪れていた別所は思い出深い所だ。両親の金婚のお祝いもした。父が亡くなってしばらくしてから、母の妹である叔母たち三人を誘うようになって、女ばかり7人で今回も賑やかだった。
別所は信州最古の温泉とも言われ、「信州の鎌倉」として歴史的雰囲気も残っている。行く度に訪れるのが、北向観音だ。厄除けとしても有名で、善光寺と一対になっているので善光寺と同じように「おびんずる様」も鎮座している。病災除けに皆が撫で回すので全身隈なくピカピカである。かくいう私もやはりすりすりするのが毎年のならわしになっている。昨年は善光寺のおびんずる様もなでなでしたので、願いは成就するだろうか。



2015年3月12日

55 「能」という芸能の不思議

昨日3月11日は、国立能楽堂で東京能楽囃子科協議会の定式能公演を行った。
折しも東日本大震災の4周年にあたり、犠牲者に弔意を表して黙祷を捧げることが検討されたが、地震発生の14時46分は演能中の予定である。10分程の誤差は仕方ないだろうと時間通り開演をした。舞囃子が何曲か続き、地震発生時間にかなり近いところで黙祷が捧げられそうになってきていた。もしかしたら…の想いで舞台モニターの時刻を見つめる。一調の「勧進帳」が終わり、一呼吸おいて、まさに14時46分ジャストに「黙祷」の号令アナウンスが入る。おそらく日本各地で何百万人の人達が時を同じくして祈りを捧げていたはずだ。何とも言えない感慨にひたる。能楽堂のスタッフも「涙が出てきてしまいました」と胸を打たれたようだった。
そもそも能には西洋的、近代的な時間やリズムの概念が無いので、とりたてて急いだり緩やかに運んだ訳では無いのだが、人智を超えた力が働いたのだろう。能にはそういう力がある。能は鎮魂の芸能とも言われるが、犠牲者の方々に追悼の想いが伝わることを願う。