2014年12月31日

46 2014年大晦日 / 今年のジュウ大ニュース

今年最後の日にやっと休みになった。昼間にさっと掃除を済ませたので、今年を振り返ってみようと思う。忙しさに追われたまま年末になだれ込んでしまったので、一度整理してみて明日からの新年をすっきりとスタートさせたい。
私にとっての重大出来事を順位を付けずに時系列的にピックアップしてみようと思う。果たして十大ニュースになり得るかどうか。
今年という年がどういう年だったのか、これはあくまでも自分の為の整理。長くなると思うので、読んで頂くのは忍びない。私の生存確認の為に運悪くこのページを開いてしまった心優しい方、斜めに読み飛ばして下さい。
1、 転居
自宅、事務所共に引越しをする。私が所属する伝統芸術振興会の前会長で8年前に亡くなった南部峯希の遺品の片付けもすることがやっと出来た。南部には身寄りが無く、68代目にして長きに渡った家系を閉じることになったのだが、あだやおろそかに処分出来る物ばかりでは無かったので、かなり難儀した。モノを捨てない南部だったので、あの世から私を叱っているだろうなあと思いながら、バッサリとやるしか無かった。これが結構ストレスとなって、それが滓のようにまだ少し心に溜まっている。これは時間が解決してくれるだろうが、こういったこともあったので、自分は片付けに他人の手を煩わせたくないという思いは更に強まったのである。
いずれにしても、この二つの転居によって、より「トランクひとつ」の道に近づいたのだ。その後の歩みは止まっているが、新年には再開したい。
2、 膝痛
引越しの片付けが落ち着いた頃に、突然膝痛が起きた。かつて無い痛みだ。加齢現象ということでよく目にし耳にする膝痛だが、私の場合、体重増加も起因している。
多忙による運動不足、睡眠不足で新陳代謝が落ちているので、この12年でかつて無いほど体重が増えた。膝痛の為に歩かなかったので、更に増えた。そしてまた膝に負担が…と、悪循環である。
日本文化の教室の時には正座がつきものなので、冷や汗ものだった。酷い時はさすがに勘弁してもらったが、子ども達にきちんとするように注意しながら、情けないことであった。
もっと情けないのは、痛みが酷くて耐えている時に「どうせ酔っ払って転んだんでしょう?」と決めつけられたことである。私の日常がどんなものなのか、私がどう思われているか、これで明白だ。
大分良くなってきたので、少しずつ歩く時間を多くしようと思っている。
3、 甥の結婚
以前にも書いたが、今風では無くて、却ってとても良い結婚式だった。喜ばしいニュースの一つだった。
4、 母を特養に入れる
親を家で看られないのは辛いことだが、状況によっては家で看るのはもっと辛い。私から見て、母の状態は決して家で看られないとは思えないが、私が出来る訳でも無く、無責任なことは言えない。
昨年あたりから、老健に三ヶ月入院~自宅~老健~自宅と二回程繰り返したが、そろそろどこか特養にという話も出ていたところだった。特養は探してもなかなか見つからないものらしく、個室にも入れたし、費用は年金で賄え、外出も面会も自由、という条件が揃った所に母が入れたのは、むしろラッキーだと思わなければいけないようだ。足がまだ動く内に母の大好きな温泉に連れて行こうと妹たちと話している。妹二人がすぐに行ける所に、母の入った特養があるのはこれも幸いだった。
5、 大津健二さん逝去
大津さんは、学生時代に日生劇場でアルバイトしていた時の上役だった人だが、齢も近く感覚も合うせいか、私達アルバイト生とも仲良くしてくれて、飲みに行ったり旅行したりした仲である。学生時代の4年間、日生劇場のアルバイトを続けた吉田君は殊に、大津さんを兄のように慕い、悪友のようにもふざけたりして仲良く何十年も過ごしたので、大津さんの死に接した彼の気落ちぶりは見ていて辛いものがあった。お父様は、あの有名な「花のまわりで」の作曲者の大津三郎で弟さんも音楽家の、いわば音楽一家で育ちながら、大津さんはかつては日大全共闘の闘士であったが、その徹底したフェミニストぶりには、やはり育ちの良さを感じた。江戸っ子なので優しさを隠しがちだったが、実は気遣いの人で、私の制作する舞台を観に来てくれた時も、いつも心温かい感想を言ってくれた。大津さん、色々とありがとう。感謝しています。
6、ニューヨーク旅行
 十何年ぶりのNYだった。久しぶりのNYはとても清潔で安全になっていた。かつてはなるべく乗らないようにしていた地下鉄も明るくなって、一般の乗客の他に観光客も沢山乗っていた。何よりも、車両に落書きが一切無くピカピカしている。街を歩くのも以前は緊張感があったが、何となくのんびりしている感じもあり、夜っぴて街に鳴り響いていたサイレンの音も以前より少なく、拍子抜けするくらいだった。とは言え、油断が出来ないのがNYではあるが、絶対行くなと言われていた通りが安全になった分、危険な所はより危なくなったようだ。行き場の無くなったものは一定の所に押し込められてしまったのであろう。
今まで何度NYへ行っても、行かなかった場所もある。人が知らない所に妙に詳しいくせに有名な観光場所には行ったことが無かったりしていた。今回は姪と一緒ということもあり、今まで登ったことが無かったエンパイアステートビルにも登った。他にも観光ルート的に街を回ったが、それはそれで面白かった。アメリカは外国に出かけて行って戦争をして街を壊すが、自国では戦争をしないので、古い建物が残っている。それもどうかと思うことだが…
古い物と最新式の物が共存している大都会はとても魅力的だ。街歩きをしているだけで面白いのはこういったことと、様々な人種が行き来しているのを見られるからだろう。
NY生活がもう25年になる友人、アーティストの高木真弓さんの仕事ぶりや生活ぶりに接することが出来たのも嬉しいことだった。NYでアーチストとして生きていくのがどのくらい大変かは想像に難くない。アートの最先端の街で活動するのは素晴らしいことだと思うし、これからも良い作品を作り続けて欲しいものだ。
さて、今回の一大目的であるミュージカル「ザ・ラストシップ」だが、とても楽しめた。華やかさは無いので、ブロードウェイ観光ミュージカルが好きな人にとっては物足りないかもしれないが、骨太の男っぽい舞台でコーラスも良く、見ごたえがあった。客席は初日らしく舞台関係者やマスコミ関係者らしき人も多く賑やかで、受けも良かったので、一体感があって満足した時間が過ごせた。翌朝、早速ニューヨークタイムズを買って劇評を捜すがどこにも見当たらない。隅から隅まで見たが別のページにも掲載されていない。その後の評判はどうなのだろう。自分が楽しめたからどうでも良いのだけれど。














7、 二人の師の死
朝倉摂先生が317日に逝去された。私は美術が専門では無いので師と呼ぶ方としては筋が違うが、実際、朝倉先生とお呼びしていたし、私を立動舎に誘って下さり、より専門的に舞台に関わるきっかけを作って下さった方なので、まさに師なのである。実際に仕事をご一緒したのはほんの数年だったが、また改めて仕事をしたいと思い続け、時折どこかの劇場でばったりお会いしてはご挨拶をしていたが、結局は実現しなかったのが残念だ。
117日にはお茶の先生である桜井宗梅先生が亡くなられた。宗梅先生は近代茶道数寄者の高橋箒庵師のお嬢さんなので、幼少の頃から海外からのVIPのご接待にも同席されたということで、チャップリンと一緒の写真を見せて頂いたこともあった。元々のお顔立ちもあるが、お歳を召されてからも華やかで美しく可愛らしい方であった。茶碗の中の世界に宇宙論を込められて稽古をつけて下さったのが忘れられない。私は事情があってしばらく稽古を休んでいたが、宗梅先生がお元気な内にまた稽古を再開したいと思っていた矢先だったので、本当に心残りである。
お二人の死に接して思うのは、いつか、いつか、と思っていたのでは駄目なのだということだ。せっかく素晴らしい方にご縁があったのに、そのご縁を生かし切れないのはあまりにももったいない。ましてや、私自身ももう先が長くないのだから。
8、 花房徹逝去
以前にも少し触れたが、まだまだ心の整理が出来ない。もう居ないのだという思いだけが日増しに強くなる。
来年211日に「花房徹を語る会」と称して、下北沢の劇場でお別れの会を開くのだが、彼に関して私は何が語れるのであろうか。
9、 又姪の誕生
姪の娘の事は、姪孫(てっそん)もしくは、又姪(まためい)と呼ぶのだそうだ。姪孫には孫という字が入っているので、ちょっとババくさい気がするから、私は又姪と呼ぶことにする。


10、言葉では表せない大自然の中での体験


計算して書き始めたのでは無いが、結局、十大ニュースになった。人の一年とは、まとめようとすると大体10項目ぐらいになるのだろうか。大したことが無い時でも、心に残る物が10個くらいに分けられるのだろうか。これは面白い発見だ。
こうやって振り返ってみると、今年も悲しい、辛い出来事があり、涙することも多かったが、最後に新しい生命の誕生のニュースがあり、気持ちが明るくなった。この赤ちゃんは今、周りの人に幸せを振りまいてくれているのだ。本当に嬉しい。

2014年12月27日

45 年末のご馳走 / チキンとカニ

ブログに自分の食べた料理の写真を載せるのは私の好みではないが、これだけは特別に自慢したいという物がある。
この10年来、クリスマス前後に姪がローストチキンを作ってくれる。イベントとしてのクリスマスに興味は無いが、クリスマスが近くなると良いチキンが手に入るからだ。ヴァレンタイン近くになると珍しいチョコレートが出るので自分が楽しむのと同じだ。お腹にピラフをたっぷり詰めて、とても美味しく作ってくれる。この姪は私の妹の娘だが、美味しい物好きで料理上手の妹に似て、もう一人の姪と共に料理が得意だ。
ロシアの唄を歌い、ロシア語の翻訳もする石橋幸の事は以前にも触れたが、彼女は、新宿ゴールデン街で「ガルガンチュワ」という、ジャーナリストの立花隆から譲り受けた店を経営している。ラブレーの小説に因んだ店名から想像するに、美味しそうな物を出すのだろうと思う人は少なくない。そのクライマックスが、年末のカニ食べ放題である。店名をもじって「ガルカニ合戦」と称している。石橋はロシア関係の漁業関係者とも縁があるので、そのルートから入るカニの質は高い。肉厚でみずみずしくて、それをお腹いっぱい頂くので、年一回のこのカニ合戦でもうカニは満足。へたにボソボソの貧弱なカニはもう食べたくないくらいだ。これは、かれこれ156年続いているだろうか。
この二つの物を楽しむために、数日前から体調を整えて臨んでいるくらいに年末の楽しみになっているが、カニは日露漁業事情によってはいつ無くなるかもしれず、チキンは姪が結婚したら無理だろう。嫁に行かないのも困るのだが…
楽しめる間は堪能したい。





2014年12月21日

44 〇

前回は長らく更新せず、何人かの方にご心配をかけてしまった。忙しくて書けない時は、せめて〇を書く、と自分でルールを決めて宣言したのに守れなかった。
私のブログなど、どうせ読んで下さっている人などいないだろう、という思い込みもあった。読ん下さっている方が、例え今回指摘して下さった数人の方であっても、これからは約束は守らなければいけないと思う。

2014年12月13日

43 来年ノート / 師走あれこれ

師走に入り、もう半月が過ぎようとしている。師が走るくらいだから、私ごとき者が駆けずり回るのは仕方ないだろうが、時も飛ぶように過ぎていく。
122日「石橋幸コンサート」、123日「東京能楽囃子科協議会定式能」と公演が続き、囃子科協議会の来年度公演のチケットの発売も始まった。「子どものための日本文化教室」の「文様」、「三味線」もあった。
10月に亡くなった花房徹の息子の花房青也のライヴには、応援の意味もあって顔を出した。天才的な父親には及ばないだろうが、青也には父親には無かった魅力的な部分がある。それを生かして、彼には父親の分も頑張って欲しいものだ。花房徹とも同世代で、7月に亡くなったギイフォワシィ・シアター主宰者の谷正雄さんのお別れの会にも出席する。彼ほど寡黙で辛抱強いプロデュサーは他にいないだろう。「何とか助けてやりたい」という風情があったというのが、多くの人の思い出話に上る。小さな劇団を38年間も維持するのは並大抵のことでは無かったであろう。敬意を表すると共に心から「お疲れさま」と言いたい。
明日は、西荻窪「音や金時」で岩切久美のアドリブ芝居がある。彼女は普段は私の仕事を手伝ってくれるスタッフの一人だが、本業の女優として年4回のこのアドリブ芝居を大切にして、ユニークな舞台を作っている。時々、ある大手プロダクションの子ども達のレッスンも引き受けているが、彼女のレッスンを受けた子はオーデションに受かり易いと評判で、レッスン教師としての分量も最近は増えているようだ。本人が楽しんでやっているようなので、それはそれで結構なことではあると思っている。
そのライヴの前に、つい数日前に出産をした姪のお見舞いに行かなければならない。母子共に健康ということで、これも大変結構。新しい命の誕生という話題は人の気持ちを明るくさせてくれる。生まれたこの子からしたら、私は「大伯母」だが、私からすると姪の娘は何と呼べば良いのだろう?あれっ?知らないなあ。今度調べよう。

こんな調子だが、来年のノートはさすがに用意した。ノートはこの10年程はミドリカンパニーの物に決めているが、本当に使い易い。過去にはシステム手帳も何種類か試したが納得いく物が無く、使いこなせず、これにたどり着いた。大きさも厚さも程よくてかさばらない小さめの物だが、スペース的に足りないことはない。ダイアリーとしてはこれで充分だが、私はもう一冊リーフ差し替え自由のA5ノートを携行している。薄いA5ノートでルーズリーフは珍しく、打合せでも調べ物でもどんどん書き込んで、時々ジャンル毎に綴じ直す。これも便利。
ところで、偶然だったのだが、陶芸研究家の森(中島)由美さんもこのミドリカンパニーのノートを使っていて、年末近くなると「来年はどの柄にしたの?」とか聞き合うこともある。つい買いそびれている私に「買っておきましょうか~?」と言ってくれたりしてくれる彼女だが、近頃はご主人もこのノートを使うようになったそうである。お二人は来年はどの柄にされたのだろう?
私はまさに「ラストシップ」イメージの柄を手に入れることが出来た。マリンブルー色の地に碇のイラストが散りばめられている。今の私にはこれしかないだろう。購入した後に知ったのだが、風水的に来年のラッキーカラーは「ブルー」だそうで、特にマリンブルーのような色が良いそうだ。幸先が良いような気がして嬉しいが、それよりも何よりも、ノートに書き入れた事柄をどうやり遂げるかの方が大切なことは分かっているつもりだ。計画を立てただけでやったつもりになってしまうようなお目出度い私は気を付けなければいけない。
















2014年11月25日

42 石橋幸コンサート「僕の呼ぶ声」

石橋幸コンサートが一週間後に迫って来た。リハーサル、スタッフ打合せ、ホール打合せと徐々に具体的になり、緊張感が増して来る。この仕事は、私が最も大切にしている物の一つである。本格的に関わるようになって20年近くなるが、出会えて良かったと心から思える仕事だ。石橋のお陰で、日本人がほとんど行かないシベリアの果ての極北の街マガダンにも行けた。
石橋幸の凄いところは、スターリンの圧政によって閉じ込められていたロシア人さえも知らない唄を、自分の足で拾い集めたことである。ジプシーや囚人、貧しい人々が秘かにしぶとく歌い継いできた唄には情感と力強さがある。底辺に生きる人たちの生活や心の暗闇からたちのぼってくるいくつもの物語の中には暗くても情感豊かな世界がある。
また石橋は、唄はそれが生まれた言葉で歌われるべきだという主義の元に徹底してロシア語で唄うスタイルを通している。それが壁になっていることもあり日本では認める人も少ないが、ロシアでは石橋はその功績を認められ、シャンソンゴーダ特別賞を受賞してクレムリン宮殿で歌った唯一の日本人でもある。だが勿論、日本にも熱心な支持者がいて石橋の唄に感動し、涙を流す。作家の中上健次も石橋の唄と声を認めた一人である。

日本に居ながらも世界各地から様々な音楽が入って来る現代の情報社会であるが、ポピュラーなヒット曲だけが注目されるのが現実でもある。日本では聞くことが少ないジプシーや囚人の歌には言葉を超えた力強さがあり、国や民族が違っても人々の営みには変わりがないことを伝えてくれる。それが日本人の感性にも合うということを石橋の唄を聞いて感じて欲しいものだと思っている。





2014年11月11日

41 〇


ビールやフランクフルトだのドイツは良いけど、ニューヨークはどうだったの、と友人に問われる。
確かにあんなに大騒ぎして行っておいて、報告無しはないだろうと自分でも思う。実際、久しぶりのニューヨークはとても楽しかった。ミュージカル「ラストシップ」も素晴らしかった。それは近々改めてご報告したい。
また、10月予定していたアイテムの整理もまだだ。11月分と一緒に一気にやろうとは思っている。

親しい友人の死で、何もかもがすっ飛んでしまっていた。私は何をする訳でもないが、何か気が抜けてしまっている。こんな風に過ごしていると、一ヶ月なんてあっと言う間なのだなあと改めて実感しているところだ。


2014年11月4日

40 文化の日の散歩


11月3日「文化の日」、思いがけなく休みになった。家でボーッとラジオを聞いていたら青山公園でドイツフェスティバルをやっていて、本格的なドイツビールやフランクフルトソーセージが楽しめるとのこと。他の事も言っていたが、そのことしか耳に入らない。食文化も文化である。
外は気持ちの良い秋晴れで、暑くもなく、寒くもない。歩くにはもってこいの気候だ。青山公園は歩けない距離では無い。むしろ歩いていくとビールが美味しく感じるくらいの距離ではある。
思えば、今春から右膝が不調で、緑の美しい季節には転ばないように下ばかり向いて歩いていたような気がする。暑い季節にはタクシーに乗ってばかりいた。このところやっと、平坦な道を歩く分には苦にならないくらいに回復していたので、歩こうと思っていたばかりである。元より歩くのは好きだ。
外苑を抜けて、青山一丁目方面から行こうと決めて歩き始めたが、しばらく運動不足だったことを感じることも無く、風が気持ち良い。外苑のイチョウ並木は少し黄色く色付き始めている。この辺りで上着を脱ぐくらい少し汗ばんで来た。本格ビールが美味しいぞ!と青山公園を目指す。目論見通り、公園に着いた頃は丁度いい感じの喉の渇き具合。あまり大きくない公園なので小じんまりとやっているのかと思っていたら、どこから聞きつけてやって来たのか沢山の人!売店にも列が出来ていて、少ない列に並ぼうかという誘惑(早く飲みたい!)に負けそうになったが、せっかくなので吟味して美味しそうな店に並び、ビールとフランクフルトをゲット。勿論、ザワークラウトも忘れない。その美味しかったこと!
デザート類は何も売っていなかったので、帰りに青山辺りのカフェに寄ろうと(どこまでも食文化の日)、帰りは違うコースで家路につく。公園を出ると通りを挟んで向かい側にある「新国立美術館」が異彩を放っている。ここにも何回かは来たが、私にとって足繁く通うような魅力的な企画内容が少ない。青山墓地(既に公園のようなもの)を通り抜けて、根津美術館、骨董通り、表参道を歩いて帰宅。
青山では路地に入ってウロウロしたので、都合2時間も歩いた。驚くほど沢山の店が増え、また驚くほどの人が集まって来ている。街中に突然お城が出てきてビックリ。お城ではなくて「…大聖堂」という名の結婚式場だという。教会でもない大聖堂でどんな人達が結婚式を挙げるのだろうか。今更ながらだが、今や結婚式は儀式ではなくイベントなのだろう。などと、様々な趣向を凝らした新しい店を見ながら、以前は青山はもう少し静かで大人のお洒落な街だったなあと感慨にふける、そんな文化の日であった。