2018年1月29日

166 〇


記録的な寒さが続いているが、長野生まれの私は平気。元気だ。

2018年1月20日

165 「勧進帳」と「安宅」

2018年のお正月は歌舞伎座130年、松本幸四郎家・高麗屋三代の襲名披露公演で目出たく幕を開けた。「勧進帳」をはじめ古式ゆかしい口上など、新年の襲名公演ならではの華やかな舞台だ。「勧進帳」は能「安宅」から題材を取った、いわゆる松羽目物だが舞台装置も装束も能から取った物らしい要素がふんだんに残っている。松羽目、切戸口(歌舞伎では臆病口というのも面白い)も能を模している。
「勧進帳」は人気演目で、私も色々な役者で何回も観ている。義経役で良かったのはやはり玉三郎、弁慶もやっぱり吉右衛門(今回は富樫を好演)だった。今回の12歳染五郎は言うまでもなく、最年少だ。本家の能では義経は子方がやるので、能を見慣れた人には少年染五郎の義経に違和感がなかったであろう。私もついこの間、能「安宅」を観ており、その時の義経は子方の10歳長山凛三君で、その名の通り凛として初々しい演技であった。凛三君の少年としての美しさはこの数年しかなく、追っかけのように舞台を観に行ったものだったが、いよいよ子方は卒業のようである。だが、持って生まれた華は大人になって更に開花することであろう。次世代に期待できる逸材の一人である。
高麗屋三代の襲名披露は37年ぶりということで、次は30年後くらいかというので、時代のトピックスに立ち会えたのはラッキーだった。口上も当代人気役者が20人近くも裃姿でズラッと並び、トザイトーザイ!
襲名の三人との関係性をしみじみと、あるいは面白おかしく述べ、観客を笑わせる。
歌舞伎は、デフォルメと誇張の世界だ。こうやって時々歌舞伎を観て非日常にたっぷりと浸り、日常をリセットしパワーを充電するのだ。
















見よ、我らが凛三君の勇姿を!

2018年1月9日

164 2018年賀状事情

虚礼廃止で年賀状のつき合いは止めていた時期がある。そうもいかなくなって(何故?)、この何年かはやり取りをしており、出すのを厭うわりには工夫された物を頂くと楽しく、写真の子どもの成長ぶりに目を細めたりしていた。しかし、歳のせいかまた面倒くさがりが頭をもたげてきていて、昨年はとうとう出しそびれて余寒見舞いまでズレ込んだ。
年賀状をすっかり止めてしまう程の勇気がなく(何故?)、今年からfacebookで繋がっているお友達には「投稿」で新年の挨拶に代えさせてもらった。どうせ私の年賀状なんて工夫のない印刷だから、ネットでも同じようなものだ。そして、年賀状を下さった方にだけ返事を出すことにした。
そう決めたらとても気が楽になった。そうしたら可笑しなもので、私と同様のズボラ精神の持ち主を主人公にしたCMが流れ出した。
年賀状を出す人が激減してやっきになっている郵便局の宣伝ではなく、印刷屋のものなのだが、とぼけた味の安田顕の演技と相まって笑わせてくれる。「うちの会社は早い印刷で仕上げるから、まだまだ間に合うのですよ」という印刷屋のアッピールなのだが、それを冷静な妻が説明し、ジタバタあがく夫がだんだんその気になるというものだ。テレビで見た人もいるだろう。真面目に投函の締切を守る人以外は皆、図星で苦笑いしたのではないだろうか。
自分のズボラを棚に上げ、妻に八つ当たりしてうろたえる夫。「どうせ遅れるなら今年から止める!」「大体さあ、何でよりによって忙しい年末に!日本中で!」「無理無理無理」…
もう私なんか大笑いだ!虚礼廃止というのも正直な気持ちだが、CMのこの情けない夫に近い心理も否定できない。
それにしても、いつの頃から年賀状のやり取りが日本中の正月の年中行事になったのであろうか…





2017年12月31日

163 前に進むしかない / 喜怒哀楽2017年

喜怒哀楽の感情は万遍なく使った方が良い、と聞いたことがある。感情豊かに生きよということか。それでも、怒や哀のネガティヴな気持ちに襲われた時は必死で振り払ってきたものだ。確かに「怒」の感情からは改革や進歩が生まれ、「哀」に襲われて泣き疲れた後にはカタルシスに救われる、という経験は誰にでもあり、効用も認められるところではあるが…
今年も様々な感情に支配されて右往左往したものだと思う。その中で思い出される喜怒哀楽を挙げてみよう。
「喜」は、まあまああっただろうか、一年笑って過ごした方だろう。
新しい生命の誕生はとにかく喜ばしく目出度い。夏に又甥(姪の子)が産まれ、プクプクぽっちゃり、元気な子で何よりだ。その名も「輝」、ひかると読ませる。この子が笑って過ごせるような、それこそ輝ける未来でありますように、と祈る。
「怒」に関しては、今年は何だか一年中「暑い!」と騒いでいたようね気がする。このブログにも何度も書いていた。自然のことをそんなに怒ったって仕方ないだろう、と笑う友人がいる。「暑い暑いっ」てコーネンキじゃねえのか、と呆れる友人もいる。私が怒っているのは目の前の暑さの不快さばかりではない。異常な暑さの先に透けて見える経済というモンスターにやられっ放しの政治姿勢や企業姿勢なのだ。
「哀」はついこの間亡くなられた観世元伯先生のことに尽きる。事務局のスタッフも私も気落ちがひどく、それが誘発したのか重い風邪をひく者が出たり(私も)、肋骨を折る者がいたりで、事務局は壊滅状態だった。そこへ若手小鼓奏者のIさんが所要で現れ、泣き言を言う私や落ち込んでいるスタッフに、そして誰ともなく言い聞かせるようにこうおっしゃった。
「能楽界は、大泣きしたんです。だからこれからは前を向いて進むしかないんです。元伯先生だったらきっとそうしたはずなんですから…」
そう、いつまでも嘆いてばかりでは、元伯先生ご自身が悲しむだろう。
今年も喪服を着るような機会が何度かあった。「死者はいつでも私達を見守っている」と実感することも最近は多くなった。だから、前に進むしかないのだ。
「楽」は何といっても初めての沖縄旅行だ。しかも初沖縄でいきなり竹富島というディープさである。以前から友人のSから竹富島の「種取祭」の魅力を教えられており、興味はあったものの日程がなかなか合わずに今までは諦めていたが、ついにその時が来た。百聞は一見に如かず、本当に見ごたえがある祭りであった。豊作への祈りが芸能になり、収穫、奉納という流れが能楽の源流としてあるのがよく分かる。伝統芸能に関わる者は一度訪ねてみるのも良いだろう。噂のミルク様にも近くご対面できた。夜に入ると島の家々を回って夜通し行われるユークイ(世乞い)の儀式があり、ニンニク蛸とお神酒を振る舞ってもらい我々は2軒程付いて回って、種取祭の神髄とも言われる儀式をかいま見た。掛け合いで歌うユークイ唄も素晴らしい。沖縄の人が芸能に秀でているのは、こういった原点にあるのではないかと思う。旅行ライターとして何度も何日も沖縄に滞在し、その芸能にも惹かれて沖縄の踊りを習っているSならではの案内であったので、充実した旅であった。
石垣島の南端から海を望むと東側は東シナ海だという。海の色といい樹木といい家並みなど、見慣れた日常と異なり遠くへ来たものだと思う。この感情は、旅の趣をより強くする。もっと旅をして新しい空気を自分の中に入れようと思う。






2017年12月26日

162  〇


と言うべきだろう。後5日で無事に今年も終わるのだから。
実のところ、ひどい喉風邪をひいてしまって、ゴホゴホゴホゴホ…身体もやせ細りそう。いっそ細ってでもくれれば良いのだけど、そう都合よくはいかない。苦しいだけ。ゲホゲホゲホ…止まらない。
後5日で治して気持ち良く新年を迎えたいものだ。

2017年12月16日

161 〇


師走も今日から後半戦!
毎年この頃に襲われる焦燥感が無くなるのはいつのことだろう?!

2017年12月6日

160 さようなら元伯先生

能楽太鼓方観世流の観世元伯師が亡くなり、昨日は通夜に列席した。
お清めの日本酒をいただいたこともあり、泣き顔を明るい照明の下にさらしたくもなく、青山から自宅まで小一時間程、寒空を歩きながら元伯先生を偲ぶ。
思えば51歳という若さであった。技量にも優れ信頼できる人柄で、これからの能楽界を中心になって引っ張っていくはずの存在でもあった。本当に残念だ。親族席には奥様、年若い二人のお嬢様、年配のご両親が並んでいらっしゃる。逆縁の辛さ、如何ばかりであろう。
伝統の家に生まれた人の中には若い頃に寄り道をしたり、よそ見をする人は少なくないが、元伯先生の場合はそういうこともなく、能の世界が好きで真っ直ぐに歩いて来られたようだ。それでいて能楽の狭い世界に留まらず、社会的な目を持って世の中を観ていて博識だったので話も豊富だった。
能楽の囃子方はひな祭りの五人囃子に例えて説明されることがあるが、元伯先生のお顔を「お雛様のよう」とは、スタッフがよく言っていたが、お公家さん顔のスッとしたお顔で冗談を言うお茶目な所もあった。気取った所はなく、本当のお坊っちゃんとはこういう人なのだろうなと思わせた。
公演終了後、「もう終ったから早く迎えに来てもらうようにノロシを上げなくっちゃ」ととぼけた言い訳をしながら喫煙所に向かって行ったが、「ノロシを上げ過ぎるとテキに見つかってエライ目に会いますよ!」と言う私に、煙草の入ったポケットを、大丈夫!と言わんばかりにポンポンと叩いていらしたが、食道癌というテキには勝てなかった。
心から感謝を捧げ、ご冥福を祈ります。